赤い十字

  • 集英社
4.08
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  • Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784087735109

作品紹介・あらすじ

ノーベル賞作家スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ推薦!
「デビュー後すぐに“真剣な"文学作品を描きはじめた稀有な作家」

青年が引っ越し先のアパートで出会った、90歳の老女。
アルツハイマー病を患う彼女は隣人に、自らの戦争の記憶を唐突に語り始めた。
モスクワの公的機関で書類翻訳をしていたこと、捕虜リストに夫の名前を見つけたこと、
ソ連が赤十字社からの捕虜交換の呼びかけを無視していたことーー
ベラルーシ気鋭の小説家が描く、忘れ去られる過去への抵抗、そして未来への決意。

【著者略歴】
サーシャ・フィリペンコ
1984年、ベラルーシのミンスク生まれ。サンクトペテルブルグ大学で文学を学ぶ。テレビ局でジャーナリストや脚本家として活動し、2014年に『理不尽ゲーム』で長編デビュー、「ルースカヤ・プレミヤ」(ロシア国外に在住するロシア語作家に与えられる賞)を受賞した。『赤い十字』は4作目にあたる。
現在も母国を離れて執筆を続けており、ノーベル賞作家スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチからも高く評価されている。





【訳者略歴】
奈倉有里 (なぐら・ゆり)

1982年東京生まれ。ロシア国立ゴーリキー文学大学卒業、文学従事者の学士資格を取得。東京大学大学院博士課程満期退学。博士(文学)。2021年、博士論文が東京大学而立賞を受賞。著書に『夕暮れに夜明けの歌を』(イースト・プレス)、訳書にミハイル・シーシキン『手紙』、リュドミラ・ウリツカヤ『陽気なお葬式』(以上新潮クレスト・ブックス)、ボリス・アクーニン『トルコ捨駒スパイ事件』(岩波書店)、サーシャ・フィリペンコ『理不尽ゲーム』(集英社)など。

感想・レビュー・書評

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  • ベラルーシのミンスクに引っ越してきた主人公は、隣に住むタチヤーナばあさんと知り合う。
    知り合って早々、彼女は自らの過去を語り始めるのだが、戦争中はソ連の外務人民委員部、いわゆる外務省で書類の翻訳の仕事をしていたという。
    機密文書を扱う部署で働く女性の戦争体験と、その後の粛清時代をどう生きてきたのか。
    最初は話し相手になるのを面倒くさがっていた主人公も、私も、徐々に引き込まれていった。

    いちばん印象的だったのは、赤十字のアーカイブにあるソ連との交信記録だ。事務的で簡潔で、感情を伴っていないのが尚更、そこに書かれていることがすべてなのだと告げていて、胸が苦しい。
    次こそは、次こそはとすがる気持ちで読んでいくうちに、これはもう本当に理解できないと目を逸らしたくなった。

    さらに、過去の過ちを、そんなの嘘だと見向きもしない人がいることにも悲しくなってしまう。
    しかし今でもそういう人が一定数いるのが現実なんだろうと思う。

    軽い話ではないけれど、タチヤーナばあさんの自分語りなので、するすると読みやすかった。
    でも、色々と考えさせられる小説だ。

  • 青年サーシャは、引っ越し先のアパートで、90歳の老女タチヤーナと知り合う。アルツハイマー病を患う彼女は隣人となったサーシャに、自らの戦争の記憶を唐突に語り始める。

    タチヤーナのやや強引な語りに、気がつくと、ぐいぐい引き込まれていた。壮絶な人生だ。恐怖と怒りと虚しさ。皮肉な事実。なんてすごい小説だ。
    それでも生き抜いたタチヤーナにかけることばは、最後の一文である、安らかに眠らせてください、この言葉しかないだろうとおもった。
    そして、サーシャの未来をおもって。

  • 舞台は二〇〇一年のベラルーシ。
    主人公のサーシャは、ある理由から、三〇歳を前にして人生の終わりを感じていた。

    物語は、サーシャが新たな人生を始めるために、引っ越しをするところから始まる。
    新しい部屋がある四階にあがると、入口ドアに「赤い十字」の落書きがあった。拭き取ろうとしていると、おばあさんが通りかかる。おばあさんは「赤い十字」を書いたのは自分で、「アルツハイマー」だからうちを見つける目印がほしかったと言う。

    おばあさんはサーシャを自室に招き、昔語りを始める。
    一九四〇年代のソ連。第二次世界大戦前の殺伐とした世の中が目に浮かぶ。おばあさんは、外務人民委員部(ソ連外務省)で赤十字国際委員会からの電報を翻訳していた。赤十字から送られてきた「捕虜名簿」に、偶然、戦地にいる夫の名前を目にする。当時ソ連にとって、敵国の捕虜になることは、その一家の死を意味していた。おばあさんは生き延びるためにあることを計画するのだが・・・

    半分ノンフィクションのような小説だった。というのも、本書に登場する資料はすべて実在するからだ。

    サーシャ・フィリペンコは物語の設定がすばらしい。
    『理不尽ゲーム』のときは昏睡状態の人物が出てきて、生きているのに眠らされている(つまり独裁政権に対して無力な)現在のベラルーシの人々に重ねられていた。
    『赤い十字』のアルツハイマーのおばあさんは、記憶の喪失、つまり、歴史の忘却に対する比喩である。

    こうして、小説という形式で、忘れ去られてしまう過去を知れるのはありがたい。そこからまたソ連の歴史や現在のロシアとベラルーシの関係などに興味が広がっていく。広島や長崎の原爆もそうだが、人間には語り継がねばならない歴史がある。

    『戦争は女の顔をしていない』のスヴェトラーナ・アレクシエーヴィチも「真剣な作品を書く稀有な作家」と絶賛しているサーシャ・フィリペンコ。
    今後も邦訳されるたびに読みたいと思う現代作家のうちの一人である。

    p219
    『また私たちの負けよ。やつらはこの先ずっとこの勝利に身を隠して、何もかも無駄じゃなかったって言い張るつもりだわ......』
    『無駄じゃなかったって、なにが?』
    『なにもかもよ。皇帝一家の銃殺も、だるま船(内戦時代牢屋として用いられた)に乗せられて生きたまま水死させられた何千もの白軍兵も、いくつもの村が焼き払われたアントノフの反乱(一九二〇から二一年の農民蜂起。農民が大量に虐殺され村が焼かれた)も、詩人の粛清も、ホロドモール(一九三二から三三年、人為的に発生させられた大規模な飢饉。ウクライナの被害が最大、カザフスタンやベラルーシでも膨大な死者が出た)も、強制収容所も-そのなにもかもが無駄じゃなかったって、やつらはこれから主張し続けるつもりでしょうね......』

  • 一気に読んだ。とても面白かった。恐らく膨大なアーカイブから着想を得た、粛清のソ連を描いた作品。運命等という軽い言葉では表せない時代。

  • 著者と同じ名前の主人公、サーシャは、30歳の青年。ロシアからベラルーシの首都、ミンスクに越してきたばかりだ。
    家族に大きな不幸があり、母親が再婚相手と暮らしているこの街に住むことになったのだ。
    だが越してきた早々、階の入口ドアに奇妙な赤い十字が描かれているのを見つける。苛立ちながらそれを消すサーシャに、同じ階に住む老婆が話しかけてくる。十字は老婆が描いたもので、アルツハイマーを患っているため、自分の家の目印にするつもりだったのだという。
    自分の不幸で手一杯で辟易気味のサーシャに、老婆は強引に身の上話をし始める。
    それはソ連の暗部にまつわる、強烈に皮肉な人生の物語だった。

    老婆、タチヤーナは、ロンドン生まれ。父に連れられ、1919年にソ連に移住した。数ヶ国語に通じていた彼女は、大学卒業後、外務省に勤めることになる。
    その後、結婚。娘にも恵まれた。
    産後、職場に復帰した彼女の身の回りは、徐々に不穏になっていく。戦争が忍び寄ってきていたのだ。
    やがて開戦。夫は戦地に送られた。
    彼女は外務省で書類の翻訳にあたっていた。赤十字からはしばしば、捕虜の名簿を添えて、敵国捕虜との交換を促す手紙が送られてきた。
    しかし、ソ連上層部はそれを無視し続けていた。捕虜になるような兵士は腰抜けで、国家の敵だ。交換になど応じる必要はない。
    国家は捕虜に冷たいだけではなかった。捕虜になったことが知られれば、国に残っている家族も人民の敵と見なされ、逮捕されることすらあるのだ。

    そんな日々の中、タチヤーナは、捕虜名簿の中に、夫の名を見つける。
    よかった、生きていた。安堵するとともに、恐怖が押し寄せる。これが上層部に見つかったら。夫は人民の敵とみなされてしまう。機密文書を扱う立場にいる自分が、人民の敵の妻だと知れたらどうなるのか。娘もろとも逮捕されてしまう。
    恐怖に動転した彼女は、必死に考え、1つの策を思いつく。
    それが、彼女の残りの人生の枷になるとも思わずに。

    それほど長くはない作品だが、背後にはおそらく膨大な資料がある。
    タチヤーナは架空の人物だが、同じような経験をした人物はそう少なくはないはずだ。

    強圧的な政権の下、一度狂った人生は元に戻ることはない。
    1つの誤った選択は、誤った道へとつながり、その先のどの道を選んでも、深い森の奥へと迷うばかりだ。
    だが、いったい、彼女はどんな選択をすればよかったのだろうか。

    薄れゆく記憶を抱えながら、老婆タチヤーナは運命に抗い、神に挑む。
    彼女が扉に記した赤い十字は、不幸のきっかけになった赤十字を思わせるようでもあり、死者を悼む十字架のようでもあり、「敵性国家」の国旗を思い出させるようでもある。
    神がもしも忘れろと言っても、けっして忘れない。
    それは、小さく弱いものの、ささやかだが断固とした決意表明だったのかもしれない。

    自身も深い悲しみを背負うサーシャは、次第に老婆に寄り添っていく。
    タチヤーナの墓碑に刻まれる言葉は、すべての抑圧された人々の言葉のようでもある。

  • 重いね。

    偶然とはいえ、2022年2月にこの物語を手に取ったということが、より一層重くさせている。

    これは過去の話でもないし、亡霊や死に損ないのゾンビが跋扈する話でもないことがわかりすぎるほど分かってしまうことも、この物語を重くさせていると思う。

    そして、亡霊やゾンビのようなものは、ロシアやベラルーシやウクライナの辺りだけではなく、日本にだって跋扈していることも。

  • 奈倉さんの訳という事で触れた当作。思った以上の素晴らしい内容、展開、心が打たれた。
    読みながらも胸のビブラードがふるえ、サーシャの心中、タチヤーナの本懐がすれ違う様で、クロスして行くプロセスに、笑えない現実の重さを感じさせられた。

    彼女が経験してきた人生航路の壮絶さは語りの軽やかさと反比例して居るだけに、圧倒されんばかりの熱が地中で迸っている・・静かなるマグマの様に。

    ただでさえ「鉄のカーテン」が惹かれたソ連、外務省、翻訳という業務・・・そして捕虜名簿。
    フィリペンコという冷たく熱い才能の作家を知れたことは幸い~「理不尽ゲーム」を是非読みたいと思った。

    この数年、ロシアは遠くて未知の国という感覚だった。それを導いてくれたのはスヴェトラーナ、その彼女が絶賛する彼の存在は現代、ますます世界が複雑化して行く時間で重要な存在になって行くと思われる(ロシアの立ち位置が、否応でも世界全体にとって、スルーすることが出来ない存在であるだけに)

    ドフトエフスキー、トルストイ、ツルゲーネフ、ソルジェニツィン辺りしか触れず、全く無知だったロシアの現代の会話に触れ始めて思う事は~何という語彙の豊饒さ。
    良くも悪くもののしり、皮肉、罵倒する、無視する類の言葉を投げつけている事か。
    公の聴取でも「このクソアマ」から始まり、あほバカブスのような我が国の言葉のを遥かに凌駕するセンテンス。
    持ってくる比喩の例えの多さ~だるま船に乗せられて生きたまま水死させられた白軍兵、ホロモドールの死者、「この地域では人間以外あらゆるものを食べて来た」記録、デカブリストの妻ごっこetc限りないその言葉

    感想が次から次へと溢れて頁を閉じ、余韻に浸る。

    スターリンの銅像・・当初はサイズ違いで壊され、次のは妙にでっかい頭がつけられた。作中、継父がタチアーナに投げつけた言葉・・スターリンが妙な民主のやつらに悪党呼ばわりされたとある。死後100年が経つというのに甦るスターリンの姿が不気味。

    一番脳裏に染み付いた図は赤十字。
    タチヤーナが自分の部屋のドアを見分けるために書いた赤い十字の印⇔錆びた鉄パイプで作った墓碑の十字⇒筆者は、タチヤーナはこれにキリスト教的な意味合いは持たせていない・・が戦地に置いてともすれば被害も出たという悲しい標的の歴史があったらしい。⇒タチヤーナが修正後悔する事になった「捕虜名簿の書き換え」と捕虜というものに対する国の考えが作品の最大の関心テーマとして残った。
    生きて虜囚の辱めを受けず―捕虜になったモノは国家の裏切り者である・・まだまだ、この問題は日本は無論、ウクライナ問題とロシアに取り組んでいく時点で答えを見つけて行かねばならぬ。

    21世紀は20世紀の「戦争の世紀」のあとに続く平和の時間とする・・なるはずだった。がロシア侵攻を基に書くと第三次大戦のタイムスイッチが押される恐怖の時間に有る今だ。終戦記念日で必ず言われる「語り継ぐ人々が消えて行く」中で、私達は記憶を引き継いでいく義務がある・・と。翻ってタチアーナはアルツハイマーの自分を「神様のやさしさの影だ」と居直った。「あたしゃ、何も忘れはやしないよ」と。

  • 認知症のタチヤーナばあさんが、向かいの部屋に引っ越してきた青年サーシャに自身のこれまでのことを語る。戦時下のソ連で夫は捕虜になって帰らず、当局の粛清に怯えて暮らすうち、突然逮捕されて幼い娘と引き離され収容所に送られる。
    当時のソ連が自国民を粛清し、外から差し伸べられる手を無視し続けたことなどがタチヤーナの語りと電文で伝えられる。淡々としているようだが彼女の国家に対する疑問や怒り、深い悲しみが静かに胸に迫ってきた。
    タチヤーナの認知症は、こうした体験が語られることなく風化していくことの象徴なのか?そしてまた似たようなことが繰り返される。

  • ベラルーシのミンスクで語り手であるサーシャと、彼に自分の生い立ちを語る老婆タチヤーナ。
    タチヤーナの語る話は、第二次大戦前のソ連に生まれ、戦争に夫をとられ、夫がナチス・ドイツの捕虜となり、つまり、「虜囚の辱め」に甘んじた裏切り者となったため、反逆者の妻としてとらえられ、娘と引き離され、、、という重なる悲運に満ちた人生だった。
    そのような悲惨なソ連の状況を生んだ張本人はヨシフ・スターリンなのだが、そのスターリンが死に、その悪行が明らかになっても、やがて時間が経つと、スターリンを持ち上げる人々が生まれてくるのだという予言が語られるが、タチヤーナの人生の最後にあっても、その亡霊の様に蘇るスターリンの影響が明らかになる。
    ソ連という国の底の知れない恐ろしさのようなものを感じずにはいられない。
    そして、戦前戦後の日本にも似たようなものを感じてしまう

  • ロシアからベラルーシのミンスクに引っ越してきたサーシャは同じフロアの91歳の老人・タチアーナの懐古話を聞く羽目になる。最初は嫌々だったものの段々と自ら彼女の人生を聞きに行くようになる。

    恵まれていた子供時代、初恋、外務人民委員部での書類処理の仕事、恋愛結婚、そして開戦。

    赤十字から送られる捕虜の扱いに関する手紙を処理する仕事の最中にタチアーナは捕虜リストの中に夫の名前を見つけ、彼女は大胆な行動を取る。1945年7月、夫の帰りを待っていた彼女は逮捕され娘を取り上げられた上、収容所へ送られてしまう。

    ソ連の人間の尊厳を微塵も大切と思わないお粗末極まりない手段に辟易してしまう。現在の戦争にも通じるものだと感じた。

    ロシアに近いベラルーシの作家の作品。とても読みやすい。新人作家さんがこうして台頭されてくるのは嬉しいですね。

    あと、やはりロシアのことを知りたければロシア系の作家さんの作品を読むというのは近道であり必然と再認識しました。各国における「○○は△△のことを暗喩する」などは他国の人間は知識として知っていても情を込めて書くことは難しいんじゃないかと。その土地で暮らして生きている人間にしか書けないものがあるんじゃないかと思いました。

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