- Amazon.co.jp ・本 (400ページ)
- / ISBN・EAN: 9784087735048
作品紹介・あらすじ
連日自爆テロの続く2005年のバグダード。古物商ハーディーは町で拾ってきた遺体のパーツを縫い繋ぎ、一人分の遺体を作り上げた。しかし翌朝遺体は忽然と消え、代わりに奇怪な殺人事件が次々と起こるようになる。そして恐怖に慄くハーディーのもとへ、ある夜「彼」が現れた。自らの創造主を殺しに――
不安と諦念、裏切りと奸計、喜びと哀しみ、すべてが混沌と化した街で、いったい何を正義と呼べるだろう?
国家と社会を痛烈に皮肉る、衝撃のエンタテインメント群像劇。
各国で数々の賞を受賞!
アラブ小説国際賞受賞(アラビア語版原書)
イマジネール大賞外国語部門受賞(フランス語版)
キッチーズ賞 金の触手部門受賞(英語版)
ブッカー国際賞最終候補(英語版)
アーサー・C・クラーク賞最終候補(英語版)
【著者略歴】
アフマド・サアダーウィー
イラクの小説家、詩人、脚本家、ドキュメンタリー映画監督。2009年、39歳以下の優れたアラビア語の作家39人を選出する「ベイルート39」に選ばれる。2014年に『バグダードのフランケンシュタイン』で、イラクの作家としてはじめてアラブ小説国際賞を受賞。本書は30か国で版権が取得され、英語版がブッカー国際賞およびアーサー・C・クラーク賞の最終候補となった。現在バグダード在住。
【訳者略歴】
柳谷あゆみ (やなぎや・あゆみ)
1972年東京都生まれ。慶應義塾大学大学院文学研究科後期博士課程単位取得退学。公益財団法人東洋文庫研究員、上智大学アジア文化研究所共同研究員。アラビア語翻訳者、歌人。
歌集『ダマスカスへ行く 前・後・途中』にて第5回日本短歌協会賞を受賞。
訳書にザカリーヤー・ターミル『酸っぱいブドウ/はりねずみ』(白水社エクス・リブリス)、サマル・ヤズベク『無の国の門 引き裂かれた祖国シリアへの旅』(白水社)など。
【英語版タイトル】
FRANKENSTEIN IN BAGHDAD
感想・レビュー・書評
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作者はイラクの小説家、詩人、脚本家、ドキュメンタリー映画監督。
湾岸戦争が終わり、イラクに暫定政権が樹立した2005年のバクダードを舞台にしたイラク小説。未だに爆弾テロは日常的で、住民たちは民族も宗教も人種も入り混じり、彼らの使うものも世界中から集められた中古品。
そんな混在の象徴として出てくるのが爆弾テロの犠牲者の遺体の破片を縫い合わせて作られた一人の人間。寄せ集めだった彼はアイデンティティを持つようになり…
物語に関わる出来事の年表を。
❐バアス党とは…1963年(第1次)と1968年から2003年までの間(第2次)、イラクを支配した政権。
❐1968年-1979年:アフマド・ハサン・アル=バクル政権
❐1973年:第四次中東戦争
❐1979年:イラン革命。
❐1979年-2003年:サッダーム・フセイン政権
❐1980年ー1988年イラン・イラク戦争(第一次湾岸戦争)
イラクによるクウェート侵攻をきっかけに、国際連合が多国籍軍(連合軍)を派遣した。
❐1990年:イラクによるクウェート侵攻
❐1991年:第二次湾岸戦争
❐2003年:イラク戦争 アメリカ主導の多国籍軍に敗れたフセイン政権、そしてバアス党政権は崩壊した。
❐2005年:この物語の舞台。フセイン政権崩壊によりバアス党時代が終わり⇒英米を中心とした連合国暫定当局が置かれ⇒イラクによる暫定政権に主権が移譲された年。
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爆弾テロが日常化しているバクダード。
バターウィイーン地区の広い家で老婆ウンム・ダーニヤール・イリーシュワー(※ウンム・ダーニヤールは、ダーニヤールの母という呼び名)は、老猫ナーブーと、夜になるとおしゃべりを交わす守護聖人ゴルギースと共に暮らしていた。
息子のダーニヤールは20年前にイラン・イラク戦争(第一次湾岸戦争)に駆り出されて戦死したという知らせが届いた。だがイリーシュワーは息子の生還か、遺体の返還かをずっと信じている。
イリーシュワーは地域の人達からは神憑りのお婆さんだと思われている。
だがイリーシュワーをただの耄碌婆さんと思いその所有物を狙っている者たちもいる。貪欲で地域を買い占めている不動産ブローカーのファラジュと、ホラ吹きで気分屋の爺さん古物商のハーディーだ。
その古物商ハーディーは、爆弾テロで犠牲になった人たちの体の破片を集めて縫い合わせて一人の人間を造った。
破片のままではゴミとして纏めて棄てられてしまうから、一人の人間にしてみたんだ。だができたこの一人の人間をどうしよう?
爆弾テロの犠牲となった警備員ハスィーブ・ムハンマド・ジャアファルは自分の墓で困っていた。
肉体がない。
爆発でばらばらになってしまったのだ。
肉体がない死なんて最悪より酷い。このままでは神様に新しい人生をもらえないではないか。
彷徨うハスィーブの魂は、古物商の小屋の中に魂のない肉体を見つけた。
こうして魂のない肉体と、肉体のない魂は互いを求めあったんだ。
…どこまで話したっけ?
「いや、その話はロバート・デ・ニーロの映画のパクリだろ?」
そう言いながらもマフムード・サワーディは、ホラ吹き古物商ハーディ爺さんの話を聞いていた。
マフムードは故郷から逃げ出してバクダードの出版社に雇われているジャーナリストだ。
今のバクダードでの最大の話題は、不死身の犯人による不気味な連続殺人事件だった。
「じゃあその遺体が犯人なのか?」
「”遺体”じゃない。遺体は個体じゃないだろう。だが彼は動くし自分で考えている。それならもう遺体じゃない。彼は”名無しさん”だよ」
それならば、とマフムードは”名無しさん”にレコーダーを渡してもらうことにした。彼が本当に殺人犯人なのか、彼の独白を撮って欲しい。
イラクの追跡探索局局長スルール・ムハンマド・マジード准将の元には多くの占い師たちがいた。
今探しているのは、バクダードの謎の連続殺人犯人。
マジード准将はかつてはバアス党派だったがいまではアメリカと繋がり政権の一端に残り続けた。この事件を解決したら大臣だって夢じゃない。
彼のもとに集まった情報によると、この連続殺人犯人は「バクダードのフランケンシュタイン」である”名前のない者”だという。
<誰かにこういうでたらめな話をしてもらうのは難しい。でも実行された犯罪の背後には、必ずこういう整然とした、でたらめな話がある。P164>
そしてその背後では、占い師たちによる派閥争いも繰り広げられていた。
「俺が殺したのは、俺の肉体を作っている者たちを殺した者たちだ。復讐を遂げると肉体のその部分は俺から溶けて流れてゆく。すると新たな肉体が必要になる。
復讐は限りがない。
今俺が復讐しているのは、全体としての俺を攻撃した連中だ。構成する肉体を攻撃したやつだけではない。
ルーツや部族や人種や相反する社会階層など、多様な構成要素からなる人間達のいわば屑の寄せ集めである俺は、かつて実現したことのない、不可能な混合を具現しているわけだ。だから俺こそが最初のイラク国民なのだ。(P181より抜粋)」
マフムードはレコーダーを聴いて愕然とした。
理路整然とした口調で語る独白、これが遺体だった”名無しさん”なのか。
そして彼は、この話自体をある作家(※作者アフマド・サアダーウィーっぽい)に売ることにした。
そして作家のもとに、謎の協力者たちから追跡探索局の情報が送られてくる。
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恥ずかしながらイラクの民族習慣宗教についてはよくわからず…。私の理解力では、登場人物たちの「転向したイスラム教徒」「自分は先祖代々のアラブでもムスリムでもなかった」「バアス党至上主義から転向した者」などと、自分の民族主義宗教について変えたり悩んだりしているところで、本当に長年かけて混在が進んでいるということが察せられるぐらいだった。
さらに出てくる車や小物がいかにも世界中から中古品を集めましたという感じ。韓国や日本製の車両、日本製のレコーダー、アメリカメーカーの酒やIT機器など。
バクダードの建物も、ユダヤ風、イスラム風が混じり、宗教的小物もキリストのマリア像、イスラムの聖人像、それらの後ろに密かに隠されたユダヤのイコンなどがある。
この混在さは、登場人物たちの真の姿が何者なのかを不明にしたり、登場人物たちの存在意義の根底を揺るがしたりしている。
マフムード・サワーディは、もとはサービア教徒だったが、結婚によりイスラムに改宗した家の生まれだった。ぼくは元からのアラブでもムスリムでもない。このサワーディという名字だって新たに作られた通称に過ぎない。このことが彼のアイデンティティの揺らぎだった。
そのマフムードが尊敬して傾倒している上司のアリー・バーヒル・サイーディーは転向したイスラム教徒。スピーチがうまく人々を惹きつけ、追跡探索局のマジード准将たち政権に繋がる人たちとも知り合いだが、ある時姿を消す。それについては「結婚を迫る女から逃げるため」「国の大金を横領して逃げた」「それは濡れ衣で、他の者を守るために自らを犠牲にした」と、複数の証言が出て結局どれが本当なのかわからない。
そしてそのサイーディーが付き合っていた女性映画監督のナワール・ワズィールも真の姿がわからないままだ。マフムードは上司の愛人であるナワールに夢中になる。だが彼女は男を誑かす女なのか、ただ仕事熱心な女性なのか?
小説のラストでは、マフムードが失業し自分はこの先どうしようかと考えるのだが、そんな彼のもとにサイーディとナワールとから真逆のメールが届いて悩んでしまう。結局マフムードはどのようにしたのかは、小説では不明。読者の考えにお任せ?
悪意のない者たちもいる。
マフムードや古物商ハーディのたむろするカフェのエジプト人店長アズィーズは、若干嫌われ気味のハーディを心配したり、喋り方が大阪弁なのでちょっと息抜きになる 笑
マフムードが定宿としているウルーバ・ホテルのオーナーのアブー・アンマールは、すでに斜陽となっているホテルをそうとは見せないようにしている。かつてこのホテルは賑わっていたが、今では貪欲ブローカーのファラジュに狙われている。アブーには一族の故郷があるが、その故郷を自分は見たことがない。ただ一人で危険なバクダードにギリギリに留まっている。
耄碌婆さんは、息子を奪われたためにギリギリの正気と生命を保っている。彼女にとって夜になると聖人がしゃべることも、20年前に死んだ息子がそのままの若さで帰ってくることも当たり前のことだった。
名無しさんを作った古物商ハーディはホラ吹きだし気分屋だし買い占めやら手数料やらで嫌われている。
途中で彼が遺体を集めて縫い合わせた心理的な理由が語られる。
ハーディには以前若い商売仲間がいた。しかしその若者は爆弾テロに巻き込まれて死んだ。遺体を引き取りに行ったハーディに見せられたのは、数人の人間と馬とが混じったバラバラ遺体の山で、係員は「あなたの知人と思われる部分を持っていってください。右手はこれ、鼻はこれ、というように」と言われた。この出来事でハーディは”このままではゴミとして廃棄される遺体の破片を集めて一人の人間を復元してみた”という行為に至るのだ。そしてそれを「ゴミとして処理される人間の破片」ではなく「すでに名無しさんという人格を持ったもの」と意味づける。
…しかしその後の始末に困って、やっぱり捨てようかなあとか悩むのだが(苦笑)。
こうして作られた名無しさんこそが究極の混在なのだが、遺体なのにアイデンティティを持つようになり、自分が殺人をする理由を考え込んだりする。
最初は自分を構成している肉体の破片が求める復讐だったのだけれど、自分自身は特定の肉体を持たずに取り替えながら生き続けるので、それなら人々のために正統な権利と真実と正義のために自分の不死身と殺人能力を使って存在し続けなければならないのではないと考える。
<自分がたどるべき足取りについて得心がいくまでは、全身全霊で生き延びる努力をするだろう。殺されるべきだった人の身体から必要な変えの部分を選び取ってゆく。P260>
最後の方で、実はこの古物商ハーディこそが名無しさんなんじゃないの?みたいな話が出てきて、え?これってボルヘス的というか映画でいえば「ファイトクラブ」的な展開?!などとちょっと驚いた。
そしてイラクの日常なのだろうが、あまりにも爆弾テロの多さに驚いた。
本書でも「本日の爆弾事件は15で抑えられました」みたいなニュースが有り、15で少ないなら連日いくつあるんだと思う。
さらに政府機関に一応属する調査期間が正式に占い師を取り入れたり、しかしその占い師達の中でも派閥争いがあったり(名無しさんを遠隔操作して相手を殺そうする)なんとも生々しい。
そんな爆弾テロや憲兵による拷問が日常茶飯事のこの物語だが、ラストは案外に作者の優しさが現れている。
耄碌婆さんイシューワリーや、堅実に商売をしていたウルーバ・ホテルのオーナーのアブー・アンマールやエジプト人カフェ店主アズィーズはまあそれなりに最悪は免れる。作者自身と思われる”作家”もおそらく逃げ延びたのだろう、多分。
それに対して姑息な人たちはそれなりの出来事がありそれなりの物を失う。
そして肝心の名無しさんも、一時的かもしれないが彼なりの安息を得たようだ。
話が終わっても私が展開がよくわからなかったところがあり…
”作家”に情報を流していたのは誰なんだっけ?
名無しさんはこの後どうなるんだ?
まあそのような人たちが密かに生きているのが現在のイラクなんだよ、って結論なんでしょうかね。
最後に一つ。この”名無しさん”という言い方がちょっと丁寧でなんだか面白いと言うか気が抜けると言うか(笑)。「名前のない者」だと堅実だけれど「名無し”さん”」ってところがちょっと物語全体の息抜きになっているんですよね(笑)。
そのためか、ラストでそれなりに安定を得た人達がいるためか、厳しい状況ながらどこかしら息抜き部分がある小説という印象でした。
なお、これは海外文学読書会に参加するために読みました。
読書会で出た意見
・ムハマードはモハメッドか?年上の女性に惚れる、将来リーダーになることを予言される。
・それなら捕まった創造主ハーディはキリスト?
・連想したもの
千と千尋の神隠しのカオナシ
ブルーコフ「犬の心臓」を連想。
ジャンプに掲載されている漫画のよう
・メアリー・シェリーの元祖「フランケンシュタイン」は女性作品ということもあり再評価されている。
・曖昧で、読者の想像に任せる部分がある。その分名無しさんの存在が冴える。
・文体が荒削りなのか、それでも映像的。最後の猫と戯れているところとか目に浮かぶ。
・名無しさんについて。
最初は赴くままに殺人を犯していたのが、三人の狂人と出会ったあたりから人格?を持っていった。人間の思春期のよう。
いろいろなアイデンティティが混じり合って一人の人になった。
・3章(名無しさん登場)と、15章(マフムード恋心)の題が「さまよう魂」で同じなんだけどなぜだろう⇒夢から何かが生まれた、夢が現実を侵略という共通点かなあ。さまよっているという共通点も。ハーディが相棒の死体を見つけた15章、そのために名無しさんを作った3章。
・解明されない謎もあるので、エピソード1みたいな感じ。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
「バグダードのフランケンシュタイン」書評 バラバラの体と国 奇想で描く|好書好日
https://book.asahi.com/article/14032139
柳谷さん、「イラク小説」って何ですか?『バグダードのフランケンシュタイン』を愉しむ6つの質問|集英社文芸・公式|note
https://note.com/shueisha_bungei/n/n9262c45bf291
バグダードのフランケンシュタイン | 集英社 文芸ステーション
https://www.bungei.shueisha.co.jp/shinkan/baghdad/
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頂戴しに行かなきゃ!
第18号『Other Voices, Other Places 英語圏以外の本特集2』(2021年5月発行)
BOO...頂戴しに行かなきゃ!
第18号『Other Voices, Other Places 英語圏以外の本特集2』(2021年5月発行)
BOOKMARK | Mizuhito Kanehara
https://kanehara.jp/bookmark2021/06/08
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自爆テロの絶えないバグダード。
一人の古物商が街に散乱する遺体を寄せ集めて縫い繋ぎ、1体分の「身体」を作り上げる。その「身体」に、突然テロの巻き添えで爆死した1つの魂が入り込む。
「身体」を得た彼は、魂である自分、そして自分の「身体」各部をいわれなき死に追いやったものに復讐すべく、彼らを探し出し、殺し始める。街の人々は謎の殺人者を「名無しさん」と呼び、恐れるようになる。
この「バグダードのフランケンシュタイン」たる存在を軸に、群像劇が繰り広げられる。
イラン・イラク戦争で戦死した息子を待ち続ける老婆。
編集長の愛人に横恋慕し、彼女に振り回されるジャーナリスト。
政権が混乱する中、強力なコネを武器に伸してきたブローカー。
かつてバアス党に所属し、多くの若者を戦場に送り込んでいた床屋。
さまざまな人生が絡み合い、交錯する。
その間にも街のあちこちで爆発が起き、人々が死んでいく。
原典たるメアリ・シェリーの『フランケンシュタイン』では、1人の「科学者」が「怪物」を作り上げる。「科学者」を突き動かしたのは、いささか不遜な思いが混じった好奇心や探求心だったのかもしれない。一方、本作の「創造者」を動かしたのは恐怖や狂気ではなかったか。人が目の前でバラバラになって死ぬ。日々繰り広げられる怖ろしい光景に彼の心は壊れてしまい、いくぶんかでもそれを修復しようとしたのではなかったか。そういう意味では彼もまた、暴力行為の被害者であるともいえる。
「創造物」たる「バグダードのフランケンシュタイン」=「名無しさん」は、復讐のための殺人に加えて、朽ちていく身体の部品を補充するためにも殺人を犯す。存在し続けるためには殺し続けなければならない。殺人者だがやはり「名無しさん」も被害者なのだ。
耄碌しかけた心で息子を待ち続ける老婆は、「名無しさん」を息子と思い込む。もちろんそれは別人なのだが、しかし、理不尽に奪われた命という意味ではあながち間違いではない。街には幾人もの息子を奪われた老婆が嘆き悲しみ、老婆から奪われた息子の魂が浮遊している。
ジャーナリストの物語はおそらく著者が一番書きたかった部分なのではないか。
いくぶんか山っ気があり、いくぶんか有能ではあり、いくぶんかずるさもあるが、またいくぶんか自信のなさもある。この人物がこの物語の隠れた牽引役でもある。
イスラム教では火葬は忌避されると聞いたことがあるが、本作で描かれる身体と魂の関係にもどこかそうした宗教観も影響しているようにも感じる。
魂が蘇るには身体がいるのだ。たとえそれが寄せ集めの身体であったとしても。
作中のエピソードには、キリスト教やユダヤ教も絡み、混沌としたバグダードの一面を映し出すようでもある。
バグダードの街自体が、どこか寄せ集めの巨大なフランケンシュタインのようにも見えてくる。
荒れ果てた街、混乱の果てに、最後を締める老猫と男のシーンがかすかに優しい。 -
ーー今は全くの混乱状態である。起きているどの事件の陰にも論理など存在しない。(p.378)
正直なことを言うと、読みやすい作品ではない。まず、名前が覚えられないからなかなか先に進まない。「あれ?これホテルのオーナーだっけ?ジャーナリストだっけ?ん?死んでる??」といちいち人物紹介に戻りながら読み進めた。しかも、群像劇なのでしょっちゅう視点があちこちに動く。
けれど、それを差し引いても良い作品を読んだと思っている。
①初めて読むタイプの作品だった。
ファンタジーなのか社会批判なのか、はたまたルポに寄せた作品なのか宗教ネタなのか、読解のコードをどこに置いて読むか、なかなか自分の中で腰が定まらないままエンディングを迎えた。そこに、冒頭に引用した文章。「してやられた」と思った。
②悲劇的なテーマと街の現状なのに、語り口が情に流れない。
ものすごく淡々と描かれる。色んなことが。自爆テロの犠牲になった死体を継ぎ接ぎして人造人間を作る、そしてパーツが腐り落ちて足りなくなったら、また犠牲者のを拾ってくればいいじゃない、っていう設定が成立してしまうバグダードは、日本から見たらもはや異世界でしかないのに、クローズアップされるのはそこじゃないという。それが却ってこの作品に社会性を与えているように思える。
③仕掛けが複雑巧妙。
死体の寄せ集めで人造人間を作る、という設定が、ありとあらゆる設定やストーリーの背後に絡めてあって、メタファーも巧みだし、どこまでが作為なのかわから無くなってくる。でも、たぶん、全部が仕掛けなんだろうなぁ。
④イラクやイスラム世界を見る目が変わる。
これはもう、自分の勉強不足というか認識不足のせいでしかないのだけれど、バグダードがここまで宗教に寛容な街だと思わなかった。イスラム教徒もキリスト教徒もユダヤ教徒も、みんなお隣さんとして普通に暮らしてる。なんか、ヨーロッパとか北米とかより、よほどリベラルに思えるのだけれど。少なくとも、この作品に描かれるバグダードの街は原理主義一色に染まった狂信者の暮らす街ではなかった。ありふれた市井の人々がテロや酷暑や失恋に苦しんだり悲しんだりする街だった。 -
3.76/474
内容(「BOOK」データベースより)
『連日自爆テロの続く二〇〇五年のバグダード。古物商ハーディーは町で拾ってきた遺体の各部位を縫い繋ぎ、一人分の遺体を作り上げた。しかし翌朝遺体は忽然と消え、代わりに奇怪な殺人事件が次々と起こるようになる。そして恐怖に慄くハーディーのもとへ、ある夜「彼」が現れた。自らの創造主を殺しに―不安と諦念、裏切りと奸計、喜びと哀しみ、すべてが混沌と化した街で、いったい何を正義と呼べるだろう?国家と社会を痛烈に皮肉る、衝撃のエンタテインメント群像劇。アラブ小説国際賞受賞。ブッカー国際賞およびアーサー・C・クラーク賞の最終候補』
原書名:『فرانكشتاين في بغداد』(英語版:「Frankenstein in Baghdad」)
著者 : アフマド・サアダーウィー (Ahmed Saadawi)
訳者 : 柳谷 あゆみ
出版社 : 集英社
単行本 : 400ページ
ISBN : 9784087735048 -
テロが当たり前にある日常生活の中で起きた不可思議な連続殺人事件。
自分の意志で動く死体の行く末、そして物語の着地点が見事でうわーっ!!と電車の中でひっくり返りそうになった。
一番怖くて泣きそうだったのが「それでも政府の言うことは正しいのだ」という文章だった。
何が起きたとしても、政府が言ったならそれが全面的に正しいと納得して、皆んなそれぞれの日常に戻っていく。
正しいのか正しくないのか精査しようとしない。
考えない。
何故なら政府が正しいと言ったから。
国民の思考する力が日々起きる自爆テロからの悲しみや疲労、その他の諸々の出来事によって奪われている。
国民がそこで愉快に会話している側から当たり前のように自爆テロが起きて人が死ぬので、その度に顔面を殴られたような衝撃を受ける。
これがこの国の日常。
辛い。
死体が自分の意志で人を殺害して歩くなんて、きっと彼らにとっては日常生活の悲劇のひとつに過ぎないのだろう。
群像劇の中でこの辺の矛盾とか、政府の姿勢とか、そういうのを鋭い眼差しで捉えているのでオススメ。
終盤の畳み方とか面白かったのだが、文体が苦手だったところに私の圧倒的な知識不足で読み終えるのにめっちゃ時間かかってしまった。
私、群像劇があまり得意じゃないんだな〜と今更自分の苦手なことが発覚した。
これだから勉強には終わりがないわけよ。
これからまた勉強する。 -
『これらの法則に従って何かが起きるとき、人間は不思議に思い、こんなことは考えられない、超自然現象だと言う。また、最良の状況であれば奇蹟だと言う。そしてそれを作動させている法則を自分は知らないのだとは言わない。人間は自らの無知を決して認めない、大いに勘違いをする生き物である』―『第九章 録音』
「誰々に何々をされた」などと言い合っていた時分に、目には目を歯には歯を、という言葉を初めて聞いて、なんて判り易いルールなのかと思った経験は誰しもあるだろう。その後、中学か高校でハンムラビ法典のことを習った時、この法律の規定するところが言葉面の意味ではなく、人の業まで見据えた法の精神による制限であることを知ってはっとした覚えも、また、ある筈だと思う。しかし大概の人は字義通りの意味以上の法が求める精神は忘れてしまいがち。あるいは人はどこまでも判り易い解釈に留まることの居心地の良さに引き戻されてしまうということなのか。本書を読んで最初に思うのは、しかし、原因と結果の、言い換えれば罪と罰の「連鎖を断ち切る」ことは不可能であるということ。
西欧諸国の軍事力介入、特に米国的清教徒的勧善懲悪主義による主張に基づく徹底した「悪の排除」、つまりは社会制度の壊滅(あるいは歴史はそれをプラハの春同様に解放と呼ぶのか)後のイラクの混乱の中、民間伝承的あるいは宗教的、神秘的とも言える不可解な出来事を巡り、人々が翻弄される様子が描かれる。その翻弄は、物語の中心人物でありながら存在があいまいな「名無しさん」(爆破事件によりばらばらとなった肉体の一部を寄せ集めて再生された人造人間)によってもたらされたものであると読むことも出来るし、社会の混乱の中で結果的に生じてしまった小さな混迷の一つひとつの原因を陰謀論に求めているだけに過ぎないとも読める。更に「名無しさん」の存在に対比されるように、一人の老婆に賜ったとされる神の加護の有無、謎の編集長の実態など、幾つものエピソードが同時進行で多面的に描かれ、市井の人々の物語の中に埋め込まれ語られる不可思議な存在の物語は様々な光沢を放ちながら万華鏡のように変化を続ける。語られているのは真実なのか、ただの法螺話なのか。表面に当たる光の具合によって磁器の色が変わってしまうように、その真偽の行方は巧みにはぐらかされ続ける。
もちろん物語の中心は、再生された肉体に宿る男による報復の行方。「名無しさん」は、身体の一部を為す元の人物たちの死の原因を辿り、その原因を作った人物に「復讐」を果たして行く。その行為は一見単純な目には目を式の理屈に則った白黒のはっきりした勧善懲悪の行為のように見えるが、徐々に裁かれるものと裁くものの境界は曖昧となり、因果関係は錯綜する。これこそが本書の真のテーマであろう。罪を贖(あがな)わせることは本当に可能なのだろうか、と。そのことに肉体に宿った男の精神も気付くが、徐々に崩壊する肉体を維持するために供される別の肉体の一部を受け入れ続けることを止められない。フランケンシュタインに象徴されてはいるけれど、それは生きとし生けるものすべてに課された宿命。「いのちはいのちをいけにえとして/ひかりかがやく/しあわせはふしあわせをやしないとして/はなひらく」(「黄金の魚」谷川俊太郎)
全ての物語には表と裏の真実がある。嘘が全て悪なのではない。見えることが全て真実ではない。そのことが切実に迫った人々の物語。「バグダード文学」という分類が何を指し示すのか寡聞にして知らないが、一神教の各宗派に象徴されるような相対立する集団が混在しながらも共存する社会を、混沌とする情勢の中に混然となったまま立ち上がらせる筆運びには強く印象付けられる。他の作品も是非翻訳されて欲しい作家。 -
手塚治虫氏の「どろろ」をイメージして手に取り、もっとグロくユーモアがあると思っていて。。。作品というよりも、イスラム圏というのがネックになってるのかもしんない。本の内容も自爆テロだし、要するに冗談だ通じない連中が背後に絡んでいるので、作品を面白おかしく提供することに必要以上に慎重になっているんではないかな。固有名詞もわかりずらいし、世界に入りにくかった。2回目は結構すんなり読めたけど、民族的に思い詰める傾向があり、「なんかおかしくない?」と疑問に持つような創造性が足りていないんではないだろうか?と感じた。