- Amazon.co.jp ・本 (280ページ)
- / ISBN・EAN: 9784087716870
作品紹介・あらすじ
大正末期、貧しい農家に生まれた少女・絵子は、農作業の合間に本を読むのが生きがいだったが、女学校に進むことは到底叶わず、家を追い出されて女工として働いていた。
ある日、市内に初めて開業した百貨店「えびす屋」に足を踏み入れ、ひょんなことから支配人と出会う。えびす屋では付属の劇場のため「少女歌劇団」の団員を募集していて、絵子は「お話係」として雇ってもらうことになった。ひときわ輝くキヨという娘役と仲良くなるが、実は、彼女は男の子であることを隠していて――。
福井市にかつて実在した百貨店の「少女歌劇部」に着想を得て、一途に生きる少女の成長と、戦争に傾く時代を描く長編小説。
【著者略歴】
谷崎由依
1978年福井県生まれ。作家、近畿大学文芸学部准教授。2007年「舞い落ちる村」で第104回文學界新人賞受賞。19年『鏡のなかのアジア』(集英社)で芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞。小説のほか、英米小説の翻訳を手がける。著書に『舞い落ちる村』、『囚われの島』、『藁の王』、訳書に、ジェニファー・イーガン『ならずものがやってくる』、コルソン・ホワイトヘッド『地下鉄道』など。
感想・レビュー・書評
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決して時代の主人公ではない、時代の流れに揉まれながら生きた少女の話だった。
自分のしたいようにならない、ままならない感じがリアル。
風景の描写などが夢のようで素敵だった。
百貨店の華やかな雰囲気の表現とか。とても好き。
登場人物みんなままならない部分を持っているようで、戦争前の農村の様子や朝子の運動の結末、キヨが戻らないことなど、ずしんと重く考えさせられる部分も多かった。
フィクションだけどリアルで(実際の事柄も混じっているが)、途中から読み進める手が止まらなかった。
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大正時代、農家の娘が家を出て、ひょんなことから百貨店の劇団で働き始める。
戦争へと傾斜していく昭和、今よりも生き方を限定されている女性が生き抜いていく。
福井の小さな村で、貧しい家に育った絵子。
本好きだったが、女の子は勉強しなくていいと言われ、弟だけが何かと大事にされる。
家を飛び出して友達のところに転がり込み、やがて人絹工場の女工に。そんな就職口が開かれている時代ではあったが労働条件は過酷。
町の百貨店で支配人と知り合い、少女歌劇団のお話係として雇われることに。
当時、全国の百貨店で、客寄せのための劇団が生まれていたのだ。
絵子は勝気だが、これといってやりたいことがあったわけではないのです。
家出もちょっとした成り行きで戻れなくなっただけで、家族は待っていたと後でわかります。
とはいえ、時代の流れの必然と言える側面もあったかもしれません、
百貨店という働き口も新しいもの。
そして、港が近い町は、ヨーロッパから来た難民がたどり着くところでもあった…
「青踏」という雑誌に触れ、自分らしく生きようともがく女たち。
劇団でひときわ上手な女の子「キヨ」と絵子は親しくなりますが。実はキヨは男の子。
男性にも、ありのままでいられない生きづらさ、不自由さはあったのです。
重苦しさと、生命力と、リアルさと、どこか不思議な行き当たりばったり感。それもけっこう現実にあることなのかも。
混然とした濃厚さが印象に残りました。 -
女であることで軽んじられる。そういう時代に、絵子に疑問を抱かせ変えていったのが、本を求める力だったのかと、本の持つ力に触れて嬉しくなりました。
家を逃げ出し福井の町の女工に。そのあとデパート務めに。本が人や仕事を繋げた。
まい子と友だちになったのも、吉田朝子と知り合ったのも、「青踏」を通して新しい女性像を知ったのも、少女歌劇団のお話係になったのも、全て本からの繋がりだ。
絵子の書いた脚本『遠の眠りの』は、女という難民の物語。清太から聞いた祖国を奪われた難民も含まれていただろう。絵子自身も。母も姉妹も。友も。これは絵子がこれまで感じた理不尽さへの怒り、悩み、諦め、これまでの人生全てを表したものと同時に、この時代を生きたたくさんの女性たちの心の物語だ。
明治から昭和の終戦まで時代が大きく動くうねりの中で、揉まれ流されながらも考え続けた一人の女性の物語に胸打たれました。
時代は、手織り機から織屋で女工によって織られる絹織物に、そして工場で機械が織る人絹へと移り変わり、それに合わせて女性たちの生活も変化していった。
「まい子が手織り機で織った布が仕事をした」とあったが、ヒトラー政権からポーランドのユダヤ人がリトアニア経由で日本に逃れてきた。その「難民を救う」その手助けを、昔ながらの女の手仕事が担ったとしたら、それは象徴的だ。
軽んじられてきた女性たちの寡黙な強さのようなものを感じた。 -
男尊女卑が当たり前の大正時代。主人公の女性は、地方の農村に生を受けます。そこでは、女性が本を読むことを良しとされず、義務教育である初等教育を終えた後は、家の手伝いは当たり前。男の兄弟は、その後の教育を受けさせてもらえたり、一緒に食べる食卓でもいい食事を与えられて優遇されています。
そんな家の手伝いばかりで、好きな本も隠れて読まなければいけない現実に嫌気がさし、親と口論の末に家出してしまいます。その後、女工になるもなじめず、百貨店のオーナーに少女歌劇団に脚本を書くように促されて雇われることに。ある時、そこで出会った役者の子供に感化され、ついに脚本を書き上げて…とまあ、書き出すと長くなり、ネタバレにもなってしまうので、ここまで。
婦人解放運動のことや、ロシア経由の難民の話しなど、幾度か面白くなりそうな雰囲気がありましたが、場面のつながりがスムーズでないために、イマイチ夢中になれなかった。少ないページ数の割に、著者が語りたい事が多すぎるせいか、とっ散らかった印象がしました。もう少しテーマを絞るか、ページ数を増やして語りたい事を書き切ってしまった方が、良かったと思います。
主人公に関しても、確たる自分がないせいか、自分の正しいと思うことを言葉で発するたびに苦境に立たされたり、周りの女性たちと比較して、行動も中途半端な感は否めなかったのは残念でした。
追記: 著者は、コルソン・ホワイトヘッド『地下鉄道』の翻訳者ですね。名作・名翻訳だと思います。 -
読み終えるのがもったいないのに、読むのが止まらない、久しぶりの本でした。
自分が主人公 絵子になったような気持ちで本を閉じた後に、門井慶喜さんが「現代の私たちも絵子かもしれない。」と推薦されているのを見つけて(福井出身の)私だけじゃないんだ!と嬉しくなりました。 -
「ちいさくて取るに足りなくて、するべきことだけすませたら、あとは勝手に好きなところに行く。とても気楽なことだった。」
山の動く日来る
山は姑く眠りしのみ
山は皆火に燃えて動きしものを
いまぞ目覚めて動くなる
遠の眠りの小舟に乗った女性、難民 -
福井の貧農の少女絵子.父に逆らって家出し,金持ちの友人まい子に助けられ,人絹機織りの女工となり,百貨店に拾ってもらう.これが13歳の出来事とは驚きで,彼女としては計画性もなく流されてきただけかもしれないが,それは何という運の強さで,またそれを引き寄せる彼女自身の強さなのだろう.少女歌劇団やポーランドからの難民,出兵に敗戦といろいろな事件がてんこ盛りで絵子の心の中を吹き抜けていく.とても面白く読んだが,もう少し焦点を絞って清次郎との何かを深く描いて欲しかった.
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大正の終わり、福井の寒村で育った絵子は、たいして勉強が好きでもないのに男というだけで勉学を続けることを望まれ夕食に絵子にはない魚のおかずが供される弟と自分の男女格差に疑問と不満を抱き、家を飛び出す。
狂乱の絹の景気が終わりをつげ、人絹の生産が拡大し始める時代。
都心は華やかでも農村は貧しく、女の権利はないに等しい、そんな時代の中、なぜ、と思いながら生きる絵子の姿を描く。
暗いだけの話ではないけれども、やるせない時代だ、と思う。 -
大正末期から昭和にかけての時代を、福井の村に生まれた少女の目を通して書いた小説。
読書好きな絵子は、ひょんなことから親と喧嘩をして家を飛び出してしまい、女工や百貨店の店員、少女歌劇団の脚本家などを経験し、福井の小さな世界から出ることなく、終戦を迎える。
地方の小さな町で、絵子や周りの女性たち、虐げられた人たちが、大正から昭和、そして時代の変わり目に翻弄されながら生きていく様が、丁寧な時代考証とともに書かれている。
惜しむらくは、境遇がくるくると変わる主人公の絵子の成長があまりうまく書かれていないように感じたことだ。本を読むのが好きということが少女歌劇団の劇を一本書いたこととつながったくらいで、それ以外は時代の傍観者としてしか印象に残らない。
著者略歴を見て、小説を書くだけでなく、コルソン・ホワイトヘッドの『地下鉄道』をはじめ、翻訳でも活躍されていることを知ったのが発見。