- Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
- / ISBN・EAN: 9784087716108
作品紹介・あらすじ
中年ではあるが、おばさんではない──と思いたいバブル世代。同窓会で会ったかつての美人が壮絶に老けているのにほくそえんだり、若者目線を気にしたり……中年女性の奥底を鋭く考察するエッセイ集。
感想・レビュー・書評
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「ハワイ」「親旅」「チヤホヤ」など
言い得て妙
つまりは中年のなんというか
ダサさというか、情けなさというか、
みっともなさは、若くも年老いてもいない点、
中途半端さにあるという指摘は
もっともだと思った
個人的に「親旅」は人生の指標と
言っていいほど心に響いた。
これからの人生、何度も思い返すことだろう
P42
なぜ人は、親を「連れていく」ことに
イライラするのでしょうか。
それは「新しい役割に慣れていない」からの
イライラだった気がします
P43
親が主、という建て前がありつつも、
子供の方が様々な経験値が上。
…と、そんなねじれ現象があったからこそ、
我々世代の親子関係は複雑だったのでしょう
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P5
自分のことを
「中年ではあるがおばさんだとは
思っていない」という人は、
「中年」は年齢を示す言葉で
「おばさん」は、精神のあり方を
示す言葉だと思っています
P6
下の世代に言いたいのは
「我々も疲れている」という
ことなのでした。
笛吹けど踊らぬ若い人々を見て
「我々が踊らずしてどうする!」と、
発奮して踊る、中年。
単純に「踊りたいから」という
理由もありますが、
時には足腰が痛いのに無理して
踊る時も、あるのです。
静かなダンスフロアが
哀しすぎるからと、
ほとんど半泣きの表情で踊っている
中年もいることを
若者達は知らないことでしょう
P6
そんな我々は、引退が許されない
世代でもあります。
若い世代が交代してくれないので、
いつまでもダンスフロアから
退場することができないのです詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
中年ではあるが、おばさんではない。人生70年時代には考えられなかった、長い生乾き時代を生きなくてはならない中年達の苦悩やジタバタを綴ったエッセイ。集英社文芸WEB『レンザブロー』連載を単行本化。
そんな感じでジタバタやっております。 -
昨年春に『負け犬の遠吠え』を読んで酒井順子さんのファンになり、以来できるだけ新刊を追いかけて、これで彼女の本14冊目です。
今回も笑いましたー。
酒井順子さんの本をいくつかのカテゴリーに分けるとしたら、これは『負け犬の遠吠え』と一緒かと思います。
自虐的。綾小路きみまろ的表現。
30代後半で負け犬であった順子さんが40代後半の中年になって経験し考えるいろいろ。
ということはアラ還以降も、彼女がどんなエッセイを書いてくれるのか、楽しみです。 -
2016.11.03読了
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バブル時代をまだ引きずっているこういう人いる…と若干嫌悪感。
引きずらず切り替えられた中年とそうでない中年の差ってなんだろう?と思ったりもして。 -
いよいよ酒井さんの中年シリーズ(…なんてあるか知らないけど)も終盤となり、次は熟年へと突入か。
同世代なだけにワカルワカル、ナルホドそういう世界へ私もこれから入っていくのですねと気構えをもらったり。でもさ、ちょっと遠吠えし過ぎでは?!と思うこともしばしば。同年齢に達した時、言ってた通りだったと思うのか、遠吠えだったなと思うのか…こわいな。 -
「(医学の進歩により平均寿命が延び)人生は延びたけど、子宮や卵巣の性質は向上していないというのが、今の問題点」などと、誰も言ってくれないことをズバリ指摘してくれる酒井さん。
だけど酒井さん同様産まなかった女としては、なかなかしんどい内容ではあった。
酒井さんは未婚でも仕事で成功しているからね… -
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