- Amazon.co.jp ・本 (284ページ)
- / ISBN・EAN: 9784087715422
作品紹介・あらすじ
人気絶頂の歌舞伎役者を襲ったガン。手術から思いもよらぬ合併症による死までの、4か月に及ぶ壮絶な闘病の様子を、支え続けた夫人が綴る。類まれな夫婦と家族の愛の形。
感想・レビュー・書評
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勘三郎さんの舞台をもう一度観てみたい。
本当に特別な役者さんだった。 -
── 波野 好江《中村 勘三郎 最期の131日 哲明さんと生きて 20131205 集英社》
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/4087715426
…… 歌舞伎界のすべてが姻戚関係になったと言われた「中村屋」と
「成駒屋」の結婚から30年。子供や孫にも恵まれ、中村屋は十八代目
中村 勘三郎を中心に、幸福の絶頂にあった。ところが、201206‥、
勘三郎は突然、ガンを告知される。食道ガンだった。入院、手術、ARDS
の発症、最後の希望を託したECMO治療…。勘三郎の苛酷な闘病と、
それを支え続けた家族の姿を、最愛の妻が綴った渾身の手記。
中村 勘三郎 1 1597‥‥ 山城 16580709 62 /慶長 2.‥‥ 明暦 4.0609 61
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中村 勘三郎17 19090729 東京 19880416 78 /籍=波野 聖司/勘九郎 5の父/異説 19090725 潮
中村 勘三郎18 19550530 東京 20121205 57 /籍=波野 哲明/20120618 公表/旧名=勘九郎 5
♀波野 好江 1958‥‥ 東京 /中村 勘三郎18の妻/旧姓=中村 芝翫 7の次女
中村 芝翫 7 19280311 東京 20111010 83 /籍=中村 眞喜雄→榮次郎/成駒屋 中村 福助 5の長男
https://www.tokyo-sports.co.jp/entame/221112/
中村 勘太郎 2 19811031 東京 /籍=波野 雅行/勘九郎 5の長男=中村 勘九郎 6
中村 七之助 2 19830518 東京 /籍=波野 隆行/勘九郎 5の次男
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尾上 辰之助 1 19461026 東京 19870328 40 /20010328 松緑 3追贈/籍=藤間 亨/日舞藤間流家元 5
尾上 辰之助 2 19750205 東京 /20010328 松緑 4襲名/籍=藤間 あらし(亨の長男)
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20120621
風姿外伝 ~ おのおの花の手柄かな ~
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/search?idst=87518&key=%B4%AA%B6%E5%CF%BA
中村屋 勘九郎 ~ 挑戦の原点 ~
── 《ファミリーヒストリー 20190531 00:55-02:08 NHK》
【ゲスト】中村 勘九郎【司会】今田 耕司,池田 伸子【語り】余 貴美子
六代目が聖司に「俺も妾の子だ、妾の子は偉くなるんだよ」久枝の夫。
歌舞伎俳優・六代目中村 勘九郎6。屋号は中村屋。その歴史をひもと
くと激動の歳月が浮かび上がる。厳しい境遇を乗り越えた祖父。挑戦を
続けた父。伝統を守る家族の覚悟に迫る。
歌舞伎俳優、六代目中村 勘九郎。祖父は、人間国宝だった十七代目
中村 勘三郎。父はご存知、十八代目中村 勘三郎。華々しい歌舞伎俳優
の家・中村屋の歴史をひもとくと、激動の日々が浮かび上がる。祖父は、
幼くてして父親を亡くした。後ろ盾を失う中で、耐え抜いた日々が明ら
かになる。また、母・好江さんが語るのは亡き夫、十八代目勘三郎の
素顔。さらに、幼き頃の勘九郎と祖父との秘話。歌舞伎の伝統を守る、
家族の覚悟に迫った。
(20190531)
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敷居の高かった歌舞伎にはまらせてくれた 勘三郎さんの闘病記。舞台への命のかけ方 生き様 それが 人を惹きつけてやまなかったのだなぁ・・。分かってはいるけど 勘三郎さんの不在が痛いです。
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ここ数年に、
父と祖母が亡くなり、
その時の事を思い出してしまい、
肉体がこの世から離れて行く時の、
無情を思い出した。
それにしても、
もっと勘三郎さんの芝居がみたかった。
本当に、早すぎた。 -
勘三郎さん、辛い日々だったんですね…
病気の発見と適切な治療は重要ですね。「うつ」と一方的にされて、本当の病気が隠されてしまっては治るものも治りません。 -
図書館で。一度実際に観に行きたかったなあ~
病気という報道から肺炎、そしてずいぶんあっという間にこの世から去って行かれた感があったのですがこの本を読んでそうではなかったのだな、と思い知らされました。
もう肺移植しかない、というような状況では本当にどうしようもなかったのだなと。
治る状況ではなかったのかと。
さぞかしご家族は無念だったろうと思います。化学療法で外科手術をしなければあるいは、とも思っただろうなぁ。とは言え今後の事を考えて憂いを一掃しようとしたのだろうという考え方もわかります。
映像で見ただけの私ですら惜しい人を亡くしたな、と思うのですから友人家族は断腸の思いだったろうと思うのです。 -
本屋で見つけたときは読みたいなぁ、と思った。しかし、実際、読んでみると、こういう闘病物は読んでいてしんどい。いっぺんには読めなかった。
やっぱり惜しい人を亡くしたんだなぁ。改めてそう思う。この本を書くことで、好江さんは癒やされたのだろうか。二人の力強い息子が、孫が、これからも、父の、祖父の、背中を追いかけて、偉業をなしとげていくんだろう。 -
2014 7/12