- Amazon.co.jp ・本 (472ページ)
- / ISBN・EAN: 9784087710113
作品紹介・あらすじ
西洋と東洋の芸術を融合し、新しい陶芸の世界を切り拓いたイギリス人陶芸家バーナード・リーチ。日本を愛し日本に愛されたその半生を二代にわたり弟子となった名も無き父子の視点から描く感動長編。
感想・レビュー・書評
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「非個人性、ということです。それが大事なんだ。誰それという芸術家が創った、だからいいものなんだ、という考え方は、民藝運動では通りません」と、河井寛次郎は説明する。「『有名』だからいい、というわけじゃない。むしろ『無名』であることに誇りを持ちなさい」
この「無名」の職人から生み出された日常の生活道具にこそ美術品に負けない美しさがあると唱えたのが、柳宗悦、河井寛次郎、浜田庄司らで、この提唱された運動が、民藝運動である。
そして、この「無名」こそが陶芸家・沖亀乃介ではないだろうか。
本作はタイトル「リーチ先生」こと陶芸家、バーナード・リーチの生涯を描いた作品である。高村光雲邸で書生をしていた沖亀乃介は、1909年(明治42年)リーチと出会う。日本の文化を学びに来日したリーチは、東西の交流のために、自分にしかできないことをするために日本に、高村光雲宅にやってくる。そこで、亀乃介と出会い、陶芸と出会う。陶芸を通じて西洋と東洋の架け橋となるためにリーチと共に奔走する亀乃介。そして、約50年後の1954年(昭和29年)に大分県日田市の小鹿田にリーチがやってくる。そこで亀乃介の息子・高市と運命が交差する。
私生児として生まれた亀乃介が、リーチを慕って成長していく。また、リーチも亀乃介と共に日本の文化を学び東洋と西洋の文化を交換するという大志を実現すべく邁進していく。
日本が西洋の芸術を取り入れようと変化していく時代、また同様に海外でも印象派、ジャポニズムと新たな風が吹いている時代。そんな時代の中で、西洋た東洋の融合の風を吹かそうとするふたりを応援したくなる。
また、実在する有名どころ、柳宗悦、河井寛次郎、富本憲吉、濱田庄司が登場し、リーチと民藝活動が絡む美術史に興味がそそられる。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
私の中では鉄板の原田さんのアートもの。
陶芸の里・小鹿田に、高名な英国人陶芸家、バーナード・リーチが来訪することに。
“リーチ先生”のお世話係を仰せつかることになった、陶工見習いの沖高市は、あるときリーチから高市の父親・亀乃介の名を聞かされて驚くのですが、そんな高市にリーチは懐かしそうにこう告げるのです。
「やっぱり、君は、カメちゃんの息子でしたか。」
実在していた、英国人陶芸家・バーナード・リーチの半生を、架空の人物である沖亀乃介の視点から描いたアートフィクション。
日本の美を愛し、日本と英国の文化の架け橋となるべく芸術活動に打ち込んだリーチ先生と、彼を敬い支え続けた、助手のカメちゃんこと亀乃介との絆に心が温まります。
作中にはリーチをはじめ、濱田庄司や柳宗悦、岸田劉生等々・・といった錚々たる実在した芸術家たちとの交流が描かれているのですが、彼らの芸術に対する熱量がビンビン伝わってきて、勿論フィクションではあるのですが、“実際こんな感じだったのでは・・”と思わせるような生き生きとした描写力はさすがですね。
物語の後半は、舞台が日本から英国に移り、英国西端の町・セント・アイヴスでの日々が綴られるのですが、陶芸に適した“土”を探し求めてあちこち巡る羽目になったり、新しい工房〈リーチ・ポタリ―〉を開くも、最初の火入れが上手くいかなかったり・・試行錯誤しながらも、英国に陶芸の礎となる場所を築いていく様が胸あアツです。
そして、ここでは亀乃介と現地のパブの女給・シンシアとの恋バナもございますよ~。
『リーチ先生』というタイトルで、勿論リーチさんの事が描かれているのですが、同時に亀乃介の物語でもあるので、プロローグとエピローグで亀乃介の息子・高市へと繋がる構成が良くできているなぁと思いました。
結構ヴォリュームがあって、読み応えありましたが、物語の中にすっかり惹き込まれてしまうので、長さは感じなかったですし、読後感も爽やかで良かったです。
本書を読み終えた後、ネットでリーチさんの作品を検索して拝見しましたが、どれも温かさ感じる作品ばかりで、例えば水差し(ジャグ)のぽってり感とか、芸術品というだけでなく日常的に愛用したくなるような親しみがあって、まさに本書にもテーマ的に描かれていた“アーツ・アンド・クラフツ”の精神を感じた次第です~。 -
この物語は、1954年の日本の小鹿谷の、冲高市のところへ、イギリス人陶芸家のバーナード・リーチが訪れるところから始まります。
そして話は1909年の日本の東京での、冲高市の父の、冲亀乃助と銅版画家だったリーチとの出会いにさかのぼります。親のなかった亀乃助は英語の堪能さを買われて、リーチの家の書生となります。
そこから、リーチや東京美術学校生だった髙村光太郎、柳宗悦ら日本の白樺派の面々との交流が始まります。
そして、リーチとカメは富本憲吉、濱田庄司、河井寛次郎らと、陶芸の道へと進んでいきます。
陶芸は美しい上に、実用的なものだという「用の美」であるとして、リーチや柳らは陶芸を讃えます。
リーチは言います「日本で私は、人生において最も大切なものをふたつ得た。ひとつは友人たち。もうひとつは陶芸」
リーチとカメ、濱田はイギリスへ渡り、陶芸工房をつくりますが、震災や戦争などにより、濱田とカメはイギリスに心を残しながらも帰国の途につきます。
そして、また、リーチが再び日本の小鹿田へやってきますが…。
日本とイギリスの陶芸を中心とした、仲間の交流があたたかくとてもいい話でした。
余談になりますが、私も一度だけ陶芸をする機会に恵まれたことがありますが、自分で描いた少々稚拙な図柄が、焼きあがった時には見違えるような美しく見映えのするお皿に変化したように感じられ感激したものです。陶芸に魅せられる人々の「用の美」の感動はよくわかる気がしました。 -
陶芸家・銅版画家として、イギリス人としての誇りを持ちつつも
日本をこよなく愛し、イギリスの佳き芸術を日本にもたらし、また、日本の善き伝統や文化を吸収しようとたゆまぬ努力をし、東西の架け橋たらんと力を尽くしたバーナード・リーチ氏の半生記
親子二代に渡って、リーチ氏に師事した沖亀之介・高市との交流を中心に描かれている
リーチ氏を心の底から尊敬し、芸術に対する考え方だけでなく生きる姿勢からも多くを学び、陶芸家として生きていく決意を固めた亀之介の成長物語でもあった
話は、1954年リーチ氏が再々来日を果たし、沖高市と出会い、ふとしたことから、高市の父親が昔、リーチ氏の助手として20年近くも側で仕えた亀之介だと知る
そこから一気に物語は、45年前に遡り、リーチ氏と亀之介の出会い、多くの名だたる文士や芸術家との交流・外国人でありながら7代目尾形乾山を継ぐ等、徐々に日本陶芸界にその名を馳せるまでの経緯が描かれている
最後は、父の遺志を継ぎ一人前の陶芸家となった高市が父の思いも携え、イギリスにリーチ氏を訪ねていくところで終わっている
この構成が心惹かれ、見事であった
人間国宝となった陶芸家 濱田庄司、河井寛次郎や柳宗悦、高村光太郎、岸田劉生、白樺派の武者小路実篤、志賀直哉、里見弴等
教科書でしか知らない名前が続々と出てき、芸術論を闘わせる場面など当時の熱い息吹が感じられ、感動した
日常的な器にこそ、機能的で普遍的な美しさ(用の美) があるといち早く見抜いた柳宗悦とバーナード・リーチ
外国人の方が日本の伝統や文化の美しさを理解し、そのコメントから改めて日本人がその良さを再認識することがある
もっと日本人自身が自国の伝統や文化について知る必要がありそうだ
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バーナードリーチ、名前は知っていたけど一体どのように日本との繋がりがあるのやら この本で知れた♪
私達誰もが知っている著名な日本人がずらずら出てくるので目からウロコがかなり落ちました 笑。
日英の架け橋を目指して単身 日本に渡ったリーチと彼と親交を持つ日本人たち、どちらもが皆 架け橋となって互いの文化を認め拡げる役割を担って行ったことが分かる。とりわけ陶器の里 小石原と小鹿田が大事な舞台になっていて方言も馴染み易い前段、私もたびたび訪れている場所だし。
リーチ先生 となっているタイトルは読みとしてリーチしぇんしぇー と読むのも 好い いい! -
明治42年、イギリスと日本の芸術のかけ橋になりたいという想いを胸に一人の英国人が日本の地を踏みます。
彼の名前はバーナード・リーチ。
のちに陶芸家として名を馳せることになる青年です。
物語はリーチ先生の助手を勤めた日本人青年の目線で進みます。
日本での暮らしの中で、リーチは芸術論を語り合える友人たちと出会い、人生を大きく変えることになる陶芸と出会います。
「用の美」を唱えた柳宗悦との交流は、やがて故国に戻ったリーチがセント・アイヴスに普段使いの器を作る工房を設けることにつながりました。
イギリスから日本へ、日本からイギリスへ。
リーチを中心にして生まれた東西芸術のつながりをドラマチックに描いたストーリーでした。(なんとなく朝ドラになりそうな感じ…)
「美術品=名のある芸術家の作品」と思いがちですが、名もない陶芸家たちが作った日用品にも普遍の美しさがある、という考え方にはっとさせられました。
陶芸のことはまったく知らないので、本書を読んでいるあいだ、ときどきバーナード・リーチの作品集を眺めていました。
やさしい色合い、思わず手で包み込みたくなるような形。
ふれたらほんのりと温かさを感じそうな陶器の数々からは、本書に描かれているリーチ先生の人柄がにじみ出ているように感じました。
本書の装丁がとても好みです。
和の色の組み合わせも、タイトルの両側に配されたリーチの絵皿に描かれた動植物も。
しおり紐がタイトル文字と同じ、きれいな紺色なのが特に気に入っています。 -
陶芸に魅せられた者たちが、国を超え、時代を超えて交流するものがたり。
おもしろかった。
おだやかなあたたかさを持つリーチと、全面的に慕う亀之助。
師弟のゆるぎない絆も、彼らの周りに集まる人たちも、みんなあたたかな輪をつくりだしていく。
小鹿田の人々のあたたかさにも、ほっこり。
陶芸の魅力をもりこみながら、実在したひとたちが活き活きと成長していく。
筆者お得意の、芸術を軸にした小説。 -
英国の陶芸家バーナ-ド・リーチ(1887-1979)は、高村光太郎との縁で日本の土を踏み、「白樺派」の文士や画家の卵らの若き芸術家たちとの交流をとおし、東西文化の融合をめざした美の旅人でありました。リーチ先生と日本人との師弟愛を追想した【原田マハ】の史実をもとにした物語です。芸術家の原動力は欲望であり「欲望が創造を生む(ウィリアム・ブレイク)」、陶器とは「美しくて実用的な芸術品(用の美)」、小鹿田焼(オンタヤキ)、民藝、英国セント・アイヴスの窯工房「リーチ・ポタリ-」のことなど色々教えられました。
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英国人でありながら日本の民藝運動に深くかかわった陶芸家のバーナード・リーチをめぐる物語だ。
昭和の小鹿田の里に、有名な英国人陶芸家がやってくる、というところから物語は始まる。
若いからと彼の世話係を任命された高市は、偶然にもリーチと自分の亡き父との因縁を知るのだった。
そこから物語は大きく過去へと飛び、天涯孤独ながらまっすぐに生きる少年、沖亀乃介が高村光太郎と出会う明治末期へと移る。
バーナード・リーチのほかに、高村光雲、高村光太郎、富本憲吉、柳宗悦、濱田庄司、河合寛次郎、武者小路実篤に志賀直哉といったあまりにも有名な人物がどんどん出てきて、西洋の美と東洋の美を繋ごうと芸術運動の高まりがとても魅力的に描かれている。
遠い存在と思っていた過去の偉大な芸術家たちが、若く、生き生きと動き回っていて、読んでいてわくわくと楽しかった。
陶芸や手仕事というものが好きなので、リーチが民藝運動に大きくかかわっていたことは知っていたが、そもそも日本で陶芸に出会い、日本で窯を立ち上げていたことは全然知らなくて、非常に興味深かった。
主人公の亀乃介の一途さも初々しく、この物語を清々しく彩っている。
あまりにも生き生きとしてさまざまな芸術家たちと関わっているのだから実在の人物かと思いきや、そうではないらしい。ここが小説、さすが原田マハのフィクションだなぁ。彼と彼の息子は誰かモデルがいるのかと思ったが、それもわからなかった。
異国がまだ夢のように遠く、異文化が遥かに不可思議だった世界で、こうやって前向きにひたむきに生きる人たちがいた「時代」がモデルと言えるのかもしれない。