われら (集英社文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (328ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784087607437

作品紹介・あらすじ

26世紀、「単一国」に統治された世界。人々は監視下に置かれ疑問を持たなかった。だが主人公はある女性と恋に落ち、世界の綻びに気づく。1920年代ロシアのディストピア小説の先駆的名作。(解説/中島京子)

感想・レビュー・書評

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  • 徹底して全体主義の恐怖をえぐり出した「1984年」の作者ジョージ・オーウェルが、痛く霊感をうけたといってはばからないウエゲーニイ・ザミャーチン(1884年~1937年)の『われら』。つい先日、新装版が出て狂喜乱舞し、おおいに笑って、深くふかく唸り声をあげてしまいました。

    「単一国」では「守護局」の監視のもと、「時間律令板」によって人々の生活はすべて管理されています。起床、食事、仕事、自由時間、就寝……透けたガラスのアパートに住み、記号で識別される人々は、それを当然のように喜々とした様子。中でもすさまじいのは「薔薇色のクーポン券」。決められた「性の日」に「ブラインド」を下ろすことができるのです! いや~もはや悲劇的喜劇です。

    「……以前のわたしは知らなかったが、今は知っている。諸君もご存知だろう。笑いにはさまざまな色があるのだ。笑いとはあなた方の内部で起こった爆発の遠いこだまにすぎない。それはお祭りの赤や青や金の打ち上げ花火かもしれないし、ひょっとすると……」

    この物語が素晴らしいのは、それはそれは深刻なディストピア小説であるにもかかわらず、じめじめした陰惨さがほとんど感じられないところかも。あまりにも常軌を逸すると、人はその滑稽さに笑いを浮かべてしまう。『われら』にはひどく切ない笑いと命がけの遊びと想像の力が横溢しています。

    『「ユーモア」とは、ふれるものすべてを多義的な存在にすること、「相対性のカーニヴァル」である』(ミラン・クンデラ)

    「おのれ自身を笑える者は、すでに狂信主義者ではありません。ユーモアのセンスは相対主義を内包しています」(アモス・オズ)

    ひどく不機嫌で多様性を認めない、自分の考えが正しいと凝り固まった狂信状態や独善を打ち破る力が、笑いには備わっているのでしょう。おおいに笑ったあと本を閉じて思うのは、くいしん坊の巨人「パンタグリュエル」がそこら中をはちゃめちゃにしたり、従順で愚鈍な「山椒魚」が街中をうようよ闊歩したり、はたまた小賢しい豚のしたり顔で「動物農場」を管理しはじめたとしても、それは決して幻想や遠い火星のことではないということでしょう。本をひらけば、いまを懸命に生きた作者の切迫した想いがひしひしと伝わってきます。それが妙にリアルで普遍性を感じ、皮肉な笑いに震えてしまいます。

    この作品の完成後、ザミャーチンは逮捕され、なんとかフランスへ亡命しました。表現や言論の自由を平然と抹殺するのは「全体主義」の常套手段。それは古今東西かわりません。書物や新聞やマスメディアを封殺し、人々のさまざまな政治的言論を弾圧して許さない。あれ~最近とりわけ目にあまる中国なんかどうでしょう?

    当時のスターリン体制は『われら』を反逆的書物として抹殺しました。その後70年近く経た1988年、ペレストロイカによってはじめてロシアで出版されたそうです。でも「人類」にとって幸いなことに、焚書同然になる前の1927年、チェコで出版済だったので欧米諸国に広がったようです。

    おのれ自身と、愛する祖国の「全体主義」の醜さを命がけで世界に告発して笑い飛ばしたザミャーチン。まさに真の愛国者とはこういう人をいうのでしょう。その断腸の笑いと切なさに感銘をうけます。書かれて100年近くたつのに、決して古びていないことにも驚きます。多くの人に読んでもらいたいな。

    ***
    「……人類の文化が作り出した未来についての労作は、トーマス・モアからザミャーチン、オーウェルにいたるまで、つねに、これらの作者が生きて苦しみ、その中で希望をいだきもした。彼ら自身の「現在」を描いたものでした」(大江健三郎『暴力に逆らって書く』)

  • 小笠原訳は主人公の独白の文章が美しいので、松本訳より主人公が賢く感じられる。が、そもそもどうしようもない恋に翻弄される役まわりなので、多少の賢さアップが何も役に立つこともなく、今回もお気の毒な苦しみようだった。

    でも相手が一般人かそうでないかはともかく、D君みたいに登録相手に入れ込みすぎる人は一定数いるだろうし、痴話殺人とか起きそうだし、実際メフィは組織の奥深く入り込んでいるし、単一国の安定性は危ういところで保たれていたような。もうぎりぎりだったから手術しようぜっていう決定が下ったのか。そうだとしたらD君無邪気に体制を信じ過ぎてたな。いつか緑の壁は破壊されるに一票です。

  • ディストピア小説の鉄板設定「徹底された管理社会」をベースにした、同ジャンルの始祖的存在。100年前に書かれたことが信じられないくらい先見性に富んだ内容だが、物事の真理や普遍性を突いた設定ともとれる。ガチガチの社会主義国家だったソ連本国では長らく出版されなかったのも納得。

    国民は全て名前の代わりに番号を与えられ、セックスをするにも国から許可(クーポン券)が必要という徹底した管理社会の中で、主人公は次第に自我を芽生えさせていく。やや読み辛い(現実なのか妄想なのか分かり難い)部分もあるけれど、グイグイ読み進められた。

  • 読み終えて、「変化を起こすことや打ち破ることはやはりできないのか……?」とか考え込んで暗い気持ちになってしまった。


    想像力(考えること)を奪われるのは本当に恐ろしい。想像力摘出手術について触れられて以降、最後のページに辿り着くまでずっと息が止まるような気持ちだった。



    「どうして馬鹿げたことはよくないと思うのかしら。人間の愚かしさだって、知性と同じように何世紀もの間、手をかけて育ててやれば、そこから何かとても貴重なものが生まれるかもしれないわ」

  • ソ連ができたころに書かれた、ディストピア文学のさきがけ的な作品。今となってはほぼフォーマットの展開ですが、これが書かれた時代背景を考えると、すごいなと思います。

  • ラジオ講座で進められていた気がする。

  • 一人称視点で、手記形式での記載なのでなかなか理解し辛い感じだった。

  • ずっと読みたいと思っていた本。だいぶ前にオーウェルの「1984年」を読んだが、本書が著されたのはその20年ほど前のソ連黎明期であった。本書は超合理主義的・全体主義的な社会とそれに対する反逆を扱った作品である。主人公であるD-503がI-330の誘惑に惑わされ、「われら」から「わたし」に変化する様はかなりリアルに感じた。共産主義が掲げていた徹底した科学主義は、全体主義に繋がる。本書最後の解説に、ザミャーチン自身が、本書は「機械の力や国家権力の異常肥大に関する警報」である語っている。

  • 管理社会というディストピアの原点。

  • とても分かりにくい、というか、わからなかった。何が起こっているのかわからないまま話が進んでいき、とりあえず好きな女性ができて、今までの生活がおかしくなっていったのはわかった。
    1984年とよく似ていると思う。

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