天使の梯子 Angel's Ladder (集英社文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (296ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784087462210

感想・レビュー・書評

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  • あなたが後悔の念を抱く時ってどんな瞬間でしょうか?

    生きていると色んなことが起こります。人は集団社会で生きる生き物です。日々他者とのコミニケーションが欠かせません。そして、そんな中で私たち人間は言葉を使います。言葉の中に、その人の個性を見出し、その人の感情を見出し、そしてその人との関係性を見出していく、それが私たちが日々生きるということでもあります。そんな中では、思わず言ってしまった!とか、言っておけばよかった!という瞬間が必ず生まれるものです。私も帰宅電車の中で、そんな後悔の念に苛まれながら我が家を目指す、そんな日も決して珍しくはありません。何かを言うことによっても、逆に何かを言わなかったことによっても後悔の念が生まれる可能性がある、なかなかに毎日を生きるのも大変だと思います。しかし、そんな後悔も言ってしまった言葉に問題があるのであれば、機会を窺って言い直す余地はあります。また、言えなかったのであれば、機会を窺って言うことができる余地もあると思います。人間、生きていれば挽回のチャンスというのは決してゼロではないからです。では一方で、その相手が後悔の瞬間から程なくして亡くなってしまったとしたらどうでしょう。『あんまりだと、思わねえ?死ぬなら死ぬって、先に言っといてくれりゃさ』などと悔やんでももうどうにもできません。しかし、その当事者が亡くなったということは、その瞬間からその言ったこと、言わなかったことの後悔は自分の心の中だけに完結する問題になったとも言えます。

    さて、ここに『お姉ちゃんに直接言えればよかったんだけど…』と後悔の念を抱き続けて10年という女性が主人公となる物語があります。『どんなに後悔したってどうにもできないのよ。死んじゃった人には、どうやったって追いつけないもの』と思いながらも後悔の念から逃れられないその女性。この作品はそんな女性に光射す物語。雲の隙間から「天使の梯子」が姿を現すのを見やる物語です。

    『一緒に花見にいくのをあれほど楽しみにしていたくせに、あとほんの半月が待てなかった』と祖母の『葬式の日の夜』にテレビをつけ、西の方で桜の開花が始まったニュースを見て『…遅ぇよ』と呟いたのは主人公の古幡慎一。そんな慎一を見て『困ったような顔で手をのばし、そっと頭を撫でてくれた』のは部屋の住人である斎藤夏姫(さいとう なつき)。『あの世ってね。西の果てにあるんですって。行きのついでに、西のほうで咲いたばかりの桜を見てからいらしたわよ』と言いながら『俺の頭を柔らかく抱きよせるようにして自分の肩にもたれさせた』夏姫。『この部屋に泊まっていくことを夏姫さんが許してくれたのは初めて』というその夜。『彼女の肩にもたれたまま目をつぶ』ると、『ほんの数日前のばあちゃんの姿がくっきりと浮かんできた』という慎一は『あんまりだと、思わねえ?死ぬなら死ぬって、先に言っといてくれりゃさ。俺だって、その前に言っておきたいことくらいあったのに』と言う慎一に『びっくりした』と、小さな声で言う夏姫は、『今のあなたと、まるきりおんなじことを言った人がいたものだから』と続けます。『誰?』、『ん…古い友だち』、『その人は、誰をなくしたわけ?』というやりとりになぜか『答えずに、かわりに深い、静かな吐息をもらした』夏姫。そんな夏姫は『でもね、そればっかりはどんなに後悔したってどうにもできないのよ。死んじゃった人には、どうやったって追いつけないもの』と言います。そんな夏姫に『さっき言ってた、古い友だちってさ。もしかしてーそれもあいつ?あの、絵を描いてるやつ?』と訊くものの『答えが返ってこない』のを見て『訊かなきゃよかった、と思った』慎一。『あいつの話になったとたん、彼女の心はたちまちふっと遠くへいってしまう』と感じ、『彼女にこんな顔をさせられるのは、この世でただ一人、あの男だけなのだ』と思う慎一。そんな中『人の寿命ばかりはもう、そういう運命だったんだと思ってあきらめるしかないのよ』と切り出す夏姫が『逝ってしまった人より、残された者の方が大変だったりもするけど…』と言うのを聞く慎一は『逝ってしまった人より、残された者のほうが大変』とは『いったいどんな思いで』口にしたのだろうと考えます。『その瞬間の彼女の胸の内を思うと、俺は寂しくてたまらなくなる』と思う慎一。そんな日のことを思い出し『おそらく自分自身がこの十年間ずっと誰かにしてほしいと願い続けてきたことを俺のためにしてくれたに違いない』と考えます。『ただやさしく頭を撫でてもらうことを必要としていたのは、ほんとうは、夏姫さんのほうだ』と思う慎一。そんな慎一と夏姫の運命の出会いとそれからが描かれていきます。

    村山由佳さんのデビュー作であり代表作でもある「天使の卵」の続編として刊行されたこの作品。前作の壮絶な結末から10年後の夏姫と歩太の姿が描かれていきます。そんな前作は『遠く、近く、桜の枝が風に揺れている』という情景の中、『淡い桜色の』『カーディガン』を羽織った春姫と、歩太の運命の出会いから始まる”純愛物語”が美しく描かれていたのが強く印象に残っています。そして続編のこの「天使の梯子」でも『西のほうで最初の桜がほころびはじめた』という桜の季節から物語はスタートします。しかし、前作の最後にそんな桜色の情景の象徴でもあった春姫は亡くなっています。この続編では、そんな春姫に代わりかつて高校教師だった妹の夏姫に光が当たります。そんな夏姫のことを『言葉にするのも恥ずかしいけれど、まるで初恋みたいだった』と教師と生徒の関係の中で密かに思いを寄せる主人公の慎一。そんな二人は奇しくも前作の主人公である歩太と春姫と同じ八歳違いです。しかし『顔を見るどころか姿を思い描くだけで、いや、名前を思い浮かべるだけで胸が苦しくなるなんて経験は初めて』という慎一のほのかな思いは『彼女の姿はある日学校から消えた』と夏姫が突然退職したことで短くも終わりを告げます。そして、五年後、大学生となった慎一のアルバイト先で運命の再会を果たします。『覚えてますか?古幡慎一です、大泉東の』というその瞬間。そして付き合い出した二人。そんな中『ねえ、そういえば私たち、今いくつ違うんだっけ』と訊く夏姫に『たぶん、今も昔も八つだと思います』と茶化す慎一。しかし、ここで夏姫の台詞に決定的な言葉が登場します。『こういう感じだったんだ』と深い溜息をつく夏姫。シチュエーションの違いを超えて八歳の歳の差の慎一と夏姫の姿が前作の歩太と春姫の姿に重なり合うこの瞬間。前作の結末に衝撃的な春姫の死を演出した村山さんが、読者の記憶を呼び覚ますかのように描かれるこの続編は、その微妙に境遇を似せた絶妙な設定が故に前作の重みの土台の上に物語が構築されていることを自然と読者に意識させます。それは、もしかして、また結末に同じようなことが繰り返されるのでは…という嫌な予感となって読者に読む手を止めることを許しません。そんな中で、夏姫のメールを盗み見した慎一は、送信先に数多登場する『歩太』という名前を見て『彼女にとって〈歩太くん〉はいったい何だというのだろう』と複雑な思いを募らせていきます。前作は歩太という主人公に春姫、夏姫という姉妹で三角関係を作っていたのに対し、この作品では夏姫に慎一、歩太の三角関係という男女の違いによって物語に変化を作っています。このあたりも前作の構成を上手く絡めながら、物語の厚みを自然と作っていく村山さんの上手さをとても感じました。

    そんなこの作品で一つのテーマとなってくるのが『決して口にするべきでない言葉。二度と取り返しのつかない一言』というものです。前作で夏姫は姉の春姫に言った言葉に後悔の念を抱いたまま物語は幕を下ろしました。春姫の衝撃的な死という現実と共にそんな後悔の念だけが残った主人公の二人。そんな重々しい結末に気持ちのもって行き場を失った読者は多いと思います。かくいう私も読後、なんて救いのない結末なんだろう、と、しばらく放心してしまったことを覚えています。それ故に続編にはどうしても救いを求めてしまいます。そんな続編のタイトルは「天使の梯子」です。作中では、雲に隠れ気味になった『西のほうに傾いた満月』から射す光を見る慎一と夏姫という場面で『雲間から射す光のこと』を『天使の梯子』と夏姫が説明するシーンが描かれるのみで、それ以上何か触れられることはありません。しかし、そんな『天使の梯子』という言葉に何か救いの手が差し伸べられる結末を読者が期待するのは自然な感情だと思います。私たちは生きている中で、言葉というものの力を借りながら、人と人とのコミュニケーションをとっています。それは喜怒哀楽の全ての表現の素ともなる人の感情の根源でもあります。だからこそ、言ったこと、言えなかったことは、その関係性に大きな意味を与えます。前作から10年という月日を重ねてそんな思いと対峙し続けてきた夏姫。そんな夏姫は『誰に何を言われても消えない後悔なら、自分で一生抱えていくしかないのよ』というひとつの哀しい答えを抱いて生きていました。そんな夏姫が、慎一と出会うことによって何年経っても抱え続けるそんな思いから解放され、未来へと続く第一歩を踏み出す瞬間を見るこの作品。救いのない前作から、光射す雲間の「天使の梯子」に救いを見るこの作品。前作を読んだ人は是非読むべき作品だと思いました。

    人は後悔というものをいつまで背負って生きていかなければならないのでしょうか?私たちは毎日のコミュニケーションのためにたくさんの言葉を使います。そんな中では『言ったこと、言えなかったこと』が後悔の感情としていつまでも尾を引くこともあります。しかし、そんな感情に引っ張られている限り人は前に進むことはできません。その感情とともに、その場に縛り付けられてしまうからです。そして、後悔の感情と共に生きる中には何も生まれません。

    『十年だよ。もう、いいよ。もう充分だよ』という歩太。そんな言葉の先に見る結末に、夏姫の、そして祖母の死に後悔の感情を抱き続けた慎一が顔を上げる瞬間を見るこの作品。作品を超えて続く後悔の感情にようやくひとつの区切りを見た、そんな印象深い作品でした。

  • 天使の卵の続編。
    天使の卵を読んでなくても読めるけど、
    卵を読んでからの方が感情移入できるかなぁー。

    古幡慎一(フルチン)と8歳年上の夏姫の話。
    夏姫は、ずーっと姉が亡くなってから、
    自分を赦せなかった。
    夏姫としては、姉と同じ気持ちを味わうことで、
    自分を赦せるようになってきた…かな。

    フルチンが夏姫さん大好き過ぎで、可愛いーって
    思っちゃったよ(*´艸`*)

  • 中学か高校時代ぶりの再読。
    「天使の卵」続編。

    一言でいうと「赦し」の物語かなぁ。
    消せない後悔は自分だけで抱えて消化していくしかないという、誰しもが胸に思い当たるテーマを言葉にしてくれている。
    夏姫の気持ちも、慎一や歩太の気持ちも良く共感できる。
    今後の彼らの未来に幸多いことを期待したい!

  • 慎くんのちょっと大人気なさが仕方ないとわかりつつあまり好きじゃないんだけど、物語上仕方ないと思ってる
    泣ける

  • 夏姫がああいう大人になるとは思わなかった。慎一のどこが好きなのかも良くわからないけどお話としては面白かった。

  • 設定は『天使の卵』から10年後。主人公だった歩太が、元カノの夏姫とふたりで脇役を固める。歩太が随分と逞しくなっていた。

    主人公は、カフェでバイトする大学生の古幡慎一。前半で彼の生い立ちが語られる。両親はともに浮気をして離婚。母方の祖父母に育てられる。随分過酷な生い立ちだ。この両親って、子供にはつらいな。必要以上に大人びたというか、冷めた子供になるのは当たり前かもしれない。育ての祖父母がその分愛情を注いだらしいことでちょっぴり救われる気がした。

    ある夜遅く帰って、年老いた祖母に責められ、心ない言葉を吐いた翌朝、祖母は自分の美容室の床で冷たくなっていた。自分の暴言に良心の呵責に苛まれ、悔やむに悔やまれず、どうしていいかわからないときに、夏妃に慰められ、ようやく声をあげて泣いた。

    カフェにやってきた夏姫に気づいたのは慎一だ。高校の時、先生をずっと好きだったのだろう。のちに、好きな生徒だったと夏姫は言っているが、それにしても5年経つと、わからなくなるものか・・・好きだった人でも。この年頃は変化が激しいのかな。

    後半は、慎一が夏姫と歩太へ嫉妬し、誤解を解く形でふたりの過去への回顧と解放につながっていく。シリーズ第1作目『天使の卵』を読んだ読者なら、歩太と夏姫に起こった過去を知っている。慎一の疑いに理解を示しながら、どんな風に誤解が溶かされていくか、人の死に直面したことのある3人が、その現実にどう対処していくのかを見せられる。慎一は祖母の死にあったばかりだから、その感情はまだ生々しい。夏姫は10年経っても自分を解放できないでいた。10年は長い。積年の後悔・・・

    春妃の死から3年後、歩太の愛犬、フクスケの死にあって歩太は春妃への後悔から解き放たれ、春妃との再会をする。だから春妃の絵を描いた・描けたのだろう。春妃の死から4年後、歩太は春妃の絵を描いて世界的な賞を取った。

    でもその作品以降、歩太が人物画を描かなくなったことを夏姫は気にしている。だが歩太にとっては空を描こうが、森を描こうが全部春妃につながっている。人物という表面的な形にこだわっているのは夏姫だけだ、と歩太が諭す。

    すごく芸術的な理解の仕方なんだろうけど、芸術への理解に疎い私にはできないは発想だ。
    慎一の祖母の死をきっかけに、10年前の春妃の死からの解放が生まれた。慎一を夏姫は同じような後悔を一緒に乗り越えていくのだろう。そういう希望が見える作品だった。

    『天使の卵』が救いのない終わり方だったので、この第2作でみんなに救いの光が天から「天使の梯子」を伝って降りてきたのかな。

  • 姉をなくした夏姫が主人公。
    亡くなった人に対して誰でも後悔はあるわけで。それでも、その後悔を持ち続けていくしかないけど、それでその故人まで縛り付けていることに気付く。
    それでその人を思い出さないで、悲しむ気持ちに蓋をしたらかわいそうだと。
    その通りだと思ったなあ…
    それぞれの悲しみを抱いた皆が、確実に再生へ向かっていく物語。

  • 「天使の卵」から10年後の夏姫と歩太。
    おばあちゃんに投げかけた最後の言葉が悪態になってしまった慎一を夏姫が包み込むシーンからはじまる物語は、夏姫を救済する物語でした。
    夏姫が恋した慎一は、皮肉にも姉の春妃と歩太の年齢差と同じく8歳年下。因縁めいたものを思わせる巡り合わせですが、春妃と同じような恋をしてどんな気持ちを相手に募らせるのか身を持って感じたことが何よりの良薬だったのでしょう。二人には別れることなくいつまでも寄り添っていてもらいたいものです。
    一方の歩太は、10年で随分と逞しくなったものです。男性ながら歩太には格好良さを感じずにいられません。

  • これも、「卵」どうように、今回が初めてではない。読んだのはハードカバーが出版されてすぐだったから…2004年か。歩太たちにとっては10年後、わたしは3年後の、再会だった。
    10年経ってなお、責めを負って生きてきた夏姫と、未だ心は春妃とともにある歩太、そして夏姫が教師をしていた頃の教え子である慎一。慎一と夏姫の年の差は、歩太と春妃の差そのままだった。
    時が経つことの意味は、こうして知るのかもしれない。忘れられないことなんて山のようにあるし、後悔し続けることもあるけれど、それを負うことが答えだと自分で見つけてしまったら、時と共に責と共に、生きていくしかないのだ。自分で自分を解き放ってあげられる、その瞬間に出会うまで。
    読み返しているのに、初めて読むわけではないのに、不思議なほど心が打たれる。「打たれる」というのがこういうことなんだと、この「天使」シリーズを読むと実感させられる。

  • どんなことにもタイミングってあるのだと思う。どんなに言葉を尽くされても受け入れることができないことも、自分自身を赦すことができないこともあると思う。それでも、人との出会いや時間が気持ちに変化をもたらすこともあるのだと思った。そして、私はこの作品と20年くらい前に出会えていたら、もっと心の深くにささったんじゃないかな?と思う。

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著者プロフィール

村山由佳
1964年、東京都生まれ。立教大学卒。93年『天使の卵――エンジェルス・エッグ』で小説すばる新人賞を受賞しデビュー。2003年『星々の舟』で直木賞を受賞。09年『ダブル・ファンタジー』で中央公論文芸賞、島清恋愛文学賞、柴田錬三郎賞をトリプル受賞。『風よ あらしよ』で吉川英治文学賞受賞。著書多数。近著に『雪のなまえ』『星屑』がある。Twitter公式アカウント @yukamurayama710

「2022年 『ロマンチック・ポルノグラフィー』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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