永遠の出口 (集英社文庫(日本))

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  • 集英社
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  • Amazon.co.jp ・本 (360ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784087460117

作品紹介・あらすじ

「私は、"永遠"という響きにめっぽう弱い子供だった。」誕生日会をめぐる小さな事件。黒魔女のように恐ろしい担任との闘い。ぐれかかった中学時代。バイト料で買った苺のケーキ。こてんぱんにくだけちった高校での初恋…。どこにでもいる普通の少女、紀子。小学三年から高校三年までの九年間を、七十年代、八十年代のエッセンスをちりばめて描いたベストセラー。第一回本屋大賞第四位作品。

感想・レビュー・書評

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  • あの頃は良かったな、とふと過去の時間に思いを馳せる時って誰にでもあると思います。往々にして、今の生活に、今の仕事に行き詰まっている、思い悩んでいる時にそういった気分になるように思います。現実から逃げたい、幸せだった過去に逃げたいとすがるように…。人の脳は上手く出来ているなと思うのは、嫌なこと、辛いこと、そういった記憶が頑張らなくてもどんどん薄まって消え去ってくれることだと思います。あの時代、あの瞬間、あの場所でも、今と同じように自分は思い悩んでいた。色んな辛いこと、苦しいことがあったはず。でも思い出すのは楽しかったことばかり。辛い記憶が残っていたとしても、それでさえ、あんなことで思い悩んでいたんだなと笑い飛ばせるような今の自分がいる。辛いこと、苦しいこと、悲しいことに潰されなかった自分を褒めてあげたいと第三者的立場に立つ自分がいる。記憶がこういう仕組みで良かったなと本当にそう思います。

    『私は、「永遠」という響きにめっぽう弱い子供だった。今、見なければ私は永遠にそれを見ることができない。確かにそこにあるものを、そこに残したまま通りすぎてしまう。それは私の人生における大きな損失に思えた』という主人公・岸本紀子。この作品はそんな彼女の小学校三年生から高校を卒業するまでの一年一年をとても丁寧に紡いだ物語です。

    小学校時代、特に女子の間ではグループがとても重要な位置を占めていたのではないかと思います。『誕生会は私たちのビッグイベントだ。グループの誰かが誕生日を迎えるたび、私たちはその誕生会に必ず出席し、自分のときにもグループ全員を招待する』そうして、グループの結束を確かめ合い、それによって自分自身の居場所を確かなものにする。人間社会が集団生活によって成り立っている限り、これもそれに向けた準備の過程の一つだとも言えるように思います。

    小学校時代は特に成長のスピードの違いが顕著に現れます。また、同じ校舎の中にいても上級生が大人にも見えてしまうくらいに学年差が感じられる時代です。『小学校は瞭然たるピラミッド社会だ。たとえ中学校でまたふりだしに戻るとしても、その底辺から頂点へと昇りつめていく感じは悪いものじゃない。小学六年生の白い名札。入学当初はあれがなんと眩しく、恐れ多く見えたことだろう』という表現はまさしくその通り。卒業してしまうと、こんなことを考えることなど全くなかったこともあって、とても懐かしく、それでいてとても新鮮に響いてきました。

    また、これは絶妙だと思ったのは『もう小学生ではないような、でも中学生でもないような、空白の二週間。ぽっかり口を空けたあなぽこみたいな季節』。そうです。小学校の卒業式の後の残された三月。まだ子供運賃で堂々と乗れる電車がとても嬉しくて、でもお金もないから隣の駅までの切符を買って駅員さんの顔を見ながら改札を通った記憶があります。自分の中にこんないわばマイナーな時間の記憶が残っていたのにも驚きましたが、森さんのあまりの絶妙な目の付け所に上手いな〜と感じ入りました。

    『人はそれをナイフのように鋭く、ガラス細工のように繊細な時代と言う』という中学時代、そして、最後の『進路なんて、高三になったからといって突然決まるものではない。十八歳になればおのずと理想の未来図が見えてくるわけでもない』という高校三年生まで、親子関係を疎ましく感じ、いわゆる非行に走ったり、初の恋愛とその終わりを経験したり、はてまた初のアルバイトでの経験だったり、この一冊で読者は岸本紀子という女性の『あの頃は良かったな』という思いを鮮やかなまでに共有することができます。そして、それと同時に、かつての自分をそこに重ねていることにも気づきます。だからこそ、岸本紀子が一方的に自分の想い出を話すのに、自分は彼女に話しかけられないもどかしさを感じたりもしました。

    想い出は美しくあって欲しい、それがすでに過去という時間の中で確定されてしまったものである以上、それを大切に守りたいと思うのは自然なことだと思います。そんな岸本紀子の想い出の中でも家族との大分への最後の家族旅行の記憶は何ものにも変えがたいものがあるのだと思います。『桜は人を狂わすというけれど、もみじは人を黙らす。燃える炎を思わせる複葉には桜にはない神々しさがあり、それは見る者の胸に限りない静寂と、小さな畏怖を送りこむ。なのにとても温かい』この家族旅行の章の森さんの描写は、もうため息がでるほどに美しい表現に満ち溢れているのにもとても魅せられました。

    『たとえばここに長々と続く道があり、その方々に幾つもの枝道が延びていたとする。まっすぐ本道を行くのか、枝道へ逸れるのか、その両者を分けるのはあくまで本人の意思である』。そうです。人生というのは選択の歴史でもあります。この世に生まれた時から、現在まで、自分にも無数の選択肢がありました。『いろいろなものをあきらめた末、ようやくたどりついた永遠の出口』、人は年を取るにつれ、選択をすればするほどに、一方でその先の選択肢が少なくなっていきます。でもそれも人生、それが人生。

    思えば今日この作品に出会えたのも自分の意思によるもの。昨日の自分、よくやった、よく選択したと思います。優しさに溢れたとても読みやすい文体、それでいてハッとするような美しい表現に満ち溢れている物語。でもそんな中に、若さ故に、勝手に思い込んで、踏み外して、傷ついて、迷って、悩んで、そしてその事ごとに青春時代特有の喜び、悲しみ、驚き、迷いを感じつつ、人との出会いと別れを繰り返して大人になっていく、それが私たち。エピローグでは現在の岸本紀子が描かれます。そんな彼女もまた現在の生活の中でかつてと同じように迷い、悩み、苦しんでいます。そう、人はそういう生き物。彼女も自分も変わらない。長い人生の途上を生きている『人』。過去を振り返る時もある。あの頃が良かったと思うなら、現在が未来から見たら、あの頃は良かったと思える時代になるように、一瞬一瞬をしっかり生きていきたい、幸せな時を生きていきたい、そう思いました。

    この作品を読んだことで思いがけず自分の記憶の奥深くに眠っていた、あんなこと、こんなことを思い出すきっかけとなりました。是非とも再読したいと思います。
    そう、過去の自分に出会うために。

  • 森 絵都 著

    主人公の紀子ちゃんの小学生の頃から始まり 高校生になるまでの半生…そして 今 歩き出す 今を未来を。
    大人になって 図太くなったのか…小学生の頃の気持ちになんて戻れないというか忘れてしまっていた。多分 今の自分が小学生の気持ちを思い出してても 本当にその気持ちを感じ持つ事が出来るのかは分からないが、この作品を読んでると あ〜そんなふうに感じてたなぁ 懐かしいというより 目を伏せてしまいたいような 自分よがりな気持ちも 意外と誰しも持っていたのかもって 少し安心した気分になった。
    小学生の頃にしても 中学生、高校生の頃にしても 微妙に変化してゆくのだけど…やはり経験が浅い事が 恥ずかしくなるくらい あの頃の 傷つきやすく そのくせ何でも見えてるような気分になっていた自分の姿を鏡に映して過去に生きていた自分を改めて見るようだった。何のてらいもなく生きていたつもりなのに 妙にビクビクして でも何にも知らなかった。かといってあの頃より図太い大人になったからって何でも知ったというのでもなく ちゃんと 過程があり現在がある事をおさらいするような気持ちと 変わらないことと変わる事 それは どちらも大切な事なんだって思った。
    あの頃、抱いていた 同じ気持ちを持つ事は、出来ないが
    情けないと思った気持ち、まだ 自由であり 子どもだったから許された事 あの頃があったから 今があるって事、そして その後の自分を歩いて行けるのだなぁって思った。
    森 絵都さんの作品は 本当に日常の中にある あるある的な出来事や感情を本当に自分達に寄り添って描いている作家さんだと思う。純粋であることも大切だが、図太くなるのも仕方ないし、それはそれでいいものかもしれないなんて 今の自分だから思えたりする。大人になりたくなかった少女 そして 自分はいつも、何か訳の分からないものに 反発していた。
    勿論 あーすれば良かったとか 何で あの時 こーいう風に行動出来なかったのか後悔することも しばしばだけど、後悔するから 後に繋がる何かを見つけられるし、また同じ失敗しても受け止め方も変化してゆくことを知る。
    昔?若い頃…辛い事があって死にたくなるくらい先の見えない 見たくもない時期ってあると思う そんな時、「時間が解決するよ!」って散々言われた気もするけど その頃は そんな言葉は信じられなかった。
    でも、図太くなったと言われても…今なら その言葉を言える気がする
    若い時は、傷つきやすく もう明日もいらないし、これ以上酷い目に遭うのは沢山 これ以上耐えられないって思った。
    きっと そうだろう…そして自ら若い命を絶ってしまう人達に、私は 今なら 「少し待って立ち止まって欲しい」と声を大にして言える気がする。どんな形になるかは分からないけれど 「時間が解決するよ。」それは本当だと言える。
    私だって 若かりし頃は ずっと自殺に憧れていたり ここで終わりたいって何度思ったことか。
    自殺しなきゃ 素晴らしい人生が約束されてるとは言わないまでも きっと生きていなければ 見えなかったことがある それは 自分が決めていい生き方だよって言いたい。生きていたから 良き人生になったかってことではないけれど あの頃、衝動的に命絶たなくて良かった…
    そんなふうに思える日がやってくるを知らずに死ぬのは悲しいと思う。勿体ないって思う。何だか、独りごちて、そんなことを感じた作品だった。
    今の自分みたいに大きな病気を背負っても、すぐには死ねないという現実だってある。
    だから 若い命を大切にしてほしいと心から思う。

  • 簡単に言ってしまえば、小学生から高校卒業するまでの紀子の成長なのだけど。

    その年齢にあった、紀子の心の揺れとか震えとか膨らみとか… いちいちリアルで、紀子に共感する事が多かったからか、私自身の過去の出来事をリアルに思い出した。すっかり忘れていたことまで。

    紀子は普通の女の子だけど、丁寧に成長を追っていけば、こんな本になっちゃうんだな。という気持ちになった一冊でした。
    さすが森絵都さんです。

  • ふぅ、流石としか言いようのない構成、キャラ設定...。特に「時の雨」が秀逸! 自身のあの頃の葛藤や淡い恋心、親とのすれ違いを思い出しながら...。
    あぁ、そうなのだ。物語に触れることが自分にとっての燃料なんだと...。今日を生きるエネルギー充填完了!
    「あの青々とした時代をともにくぐりぬけたみんなが、元気で、燃料を残して、たとえ尽きてもどこかで補充して、つまづいても笑っていますように――」

  • 冒頭───

    私は、<永遠>という響きにめっぽう弱い子供だった。
     たとえば、とある休日。家族四人でくりだしたデパートで、母に手を引かれた私がおもちゃ売り場に釘づけになっている隙に、父と姉が二人で家具売り場をぶらついてきたとする。
    「あーあ、紀ちゃん、かわいそう」
     と、そんなとき、姉は得意げに顎を突きあげて言うのだ。
    「紀ちゃんがいないあいだにあたしたち、すっごく素敵なランプを見たのに。かわいいお人形がついてるフランス製のランプ。店員さんが奥から出してくれたんだけど、紀ちゃんはあれ、もう永遠に見ることがないんだね。あんな素敵なのに、一生、見れないんだ」
     永遠に───。
     この一言をきくなり、私は息苦しいほどの焦りに駆られて、そのランプはどこだ、店員はどこだ、と父にすがりついた。おもちゃに夢中だった紀子が悪いと言われても、見るまでは帰らないと半泣きになって訴えた。

    1970年代、ぼくはおそらく一般的に“思春期“から”青春”と言われる時期の真っただ中にいた。
    中学、高校、そして大学時代。
    それが、ぼくの70年代だった。
    未来に何の不安もなく、真っ直ぐに輝いていた日々。
    そんな毎日をぼくは送っていた。
    もちろん、悩みや葛藤や苦しみも、他の人たちと同じように味わうことはあったが、概ね、今振り返っても楽しい日々のほうが思い浮かぶ。
    70年代は、遥か昔の、切なく、ほろ苦く、甘酸っぱい記憶のなかで、ぼくがあの頃に戻りたいと心の底から切望する時代だ。
    でも悲しいことに、その時代には二度と戻れない。
    心の中で振り返るだけにとどめて、明日に向かって歩き出すだけだ。

    この作品は、1970年代から80年代へかけて、主人公紀子の小学校から中学生、高校生へと少しずつ大人になっていく姿が描かれている。
    小学校時代の親友との永遠の別れ。
    危うくドロップアウトしそうになった中学時代。
    勘違いで無残に散った高校時代の初恋。

    淡々とした日常の中で起こるちょっとした出来事。
    両親の離婚問題は、その中でもいちばん大きな問題だったろうか。
    多かれ少なかれ、人はこんな経験をして成長していくのかもしれない。
    森絵都はそんな少女紀子に優しく寄り添って描く。

    最後に書かれたエピソードも秀逸だ。
    ───生きれば生きるほど人生は込み入って、子供の頃に描いた「大人」とは似ても似つかない自分が手探りしているし、一寸先も見えない毎日の中でのんきに<永遠>へ思いを馳せている暇もない。
     だけど、私は元気だ。まだ先へ進めるし、燃料も尽きていない。あいかわらずつまずいてばかりだけれど、そのつまずきを今は恐れずに笑える。
     生きれば生きるだけ、なにはさておき、人は図太くもなっていくのだろう。
     どうかみんなもそうでありますように。
     あの青々とした時代をともにくぐりぬけたみんなが、元気で、燃料を残して、たとえ尽きてもどこかで補充して、つまずいても笑っていますように───。
     急に一人になった薄曇りの放課後みたいな、あの懐かしい風の匂いが鼻をかすめるたび、私は少しだけ足を止め、そしてまた歩き出す。(348P)

    森絵都は児童文学出身だけあって、主人公を奈落の底に突き落とすようなことはしない。
    常に、明日があるのだからどんな時でも希望を持って、と語りかける。
    明日が、未来が、ある限り、ぼくたちはそれが明るいものだと信じて歩き出す。

  • とある少女の駆け抜けた時間のお話p(^_^)q 。
    物語の中の少女と一緒に悩んだり、「どうしてこんな考えになっちゃうのかな?」とうまく物事を運ぶことができないもどかしい場面には、ため息をついてしまい(´Д` )。
    なんだか家族や友達のような感覚で最後まで楽しむことができた本でした♪( ´θ`)ノ。

    • もみのきさん
      私もピアスの穴を流れで開けちゃったということがあったのですが、行っても悪いところもあるよという選択しちゃう時もありますよね、子供の頃はと言い...
      私もピアスの穴を流れで開けちゃったということがあったのですが、行っても悪いところもあるよという選択しちゃう時もありますよね、子供の頃はと言いたいけれど大人になってもなかなか難しい。。
      2020/09/18
  • 小学生紀子が、友達、家族との関りや、そして恋と、だんだん成長してゆく過程が描かれていて。少女あるあるがたくさん詰まっていた。
    思い出しても、少女時代というのはまだまだ模索中で。ひょんなことから、してしまった、言ってしまったこと、思い出しても恥ずかしいことがある(私にはある)。
    これをはじめて読んだのは、やはり主婦になってからだけど、時代背景が自分と似ていて。紀子を自分と重ねたから、おもしろくて引き込まれたんだとおもう。
    正直、今、思い出しても、なんであんなことを・・と思うことも。この本はあの頃の感覚を鮮明に思い出されてくれた。
    あの頃は、考えて考えてしたこと。失敗もあるし、友達とのやりとりとか、一生懸命だった自分。大人になるためには、その一つ一つが欠かせないものだったと、そう思わせてくれた。今も、大人といえるかわからないけど。

  • 懐かしく、あの頃の甘酸っぱい青春時代。
    特に高校の頃、「ああ、そうだったな」なんて。
    昔の想い出が呼び起こされるのもたまにはいいな。
    森先生の軽快な文章も読んでて楽しかった。

  • 読み終えると1人の女性の半生をざっと説明されたような物語だったな。エピローグでそして今の彼女がいて自分の未来はどうだったか読者に想像させるようなパターンが用意されていてどんな未来もありえたと言っている。実際は複雑でエピローグでは語りきれないものだったようだけれど。とにかく小学生から大人になるまでは人生の半生にもみたない時間がいかに貴重かということがいいたいのかなー。世代で多少異なったとしても誰もが味あうような自分の子供時代を思い出した。

  • 四人家族、三つ上に姉がいる岸本紀子の小三から高三迄の九年間と、エピローグとしてその10年後を描いた作品。
    性別は違っても、中高生の時ってこんなだった気がするなあ、と懐かしく思いながら読んだ。時代は違っても、自分の子供が今こんな感じで生きているのかと思うと不思議な気もする。

    受験生二人を抱えて11月末に家族旅行に行く章(時の雨)が一番読ませた。

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著者プロフィール

森 絵都(もり・えと):1968年生まれ。90年『リズム』で講談社児童文学新人賞を受賞し、デビュー。95年『宇宙のみなしご』で野間児童文芸新人賞及び産経児童出版文化賞ニッポン放送賞、98年『つきのふね』で野間児童文芸賞、99年『カラフル』で産経児童出版文化賞、2003年『DIVE!!』で小学館児童出版文化賞、06年『風に舞いあがるビニールシート』で直木賞、17年『みかづき』で中央公論文芸賞等受賞。『この女』『クラスメイツ』『出会いなおし』『カザアナ』『あしたのことば』『生まれかわりのポオ』他著作多数。

「2023年 『できない相談』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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