- Amazon.co.jp ・本 (232ページ)
- / ISBN・EAN: 9784087443301
作品紹介・あらすじ
直木賞受賞第一作!
すれ違う大人の恋愛を繊細に描く、全六篇の作品集。
「あなたは知らない」……私を「きちんと」愛してくれる婚約者が帰ってくる前に、浅野さんと無理やり身体を離して自宅までタクシーでとばす夜明け。ただひたすらに「この人」が欲しいなんて、これまでの人生で経験したことがない。
「俺だけが知らない」……月に一、二回会う関係の瞳さんは、家に男の人がいる。絶対に俺を傷つけない、優しく笑うだけの彼女を前にすると、女の人はどれくらい浮気相手に優しいものなのか、思考がとまる。
同じ部屋で同じ時を過ごしていながら、絶望的なまでに違う二人の心をそれぞれの視点から描いた1対の作品。他の収録作品に「足跡」「蛇猫奇譚」「氷の夜に」「あなたの愛人の名前は」など。
【著者略歴】
島本理生(しまもと・りお)
1983年生まれ。2001年「シルエット」で第44回群像新人文学賞優秀作を受賞。2003年『リトル・バイ・リトル』で第25回野間文芸新人賞を受賞。2015年『Red』で第21回島清恋愛文学賞を受賞。2018年『ファーストラヴ』で第159回直木三十五賞受賞。『ナラタージュ』『アンダスタンド・メイビー』『よだかの片想い』『イノセント』『わたしたちは銀のフォークと薬を手にして』など著書多数。
感想・レビュー・書評
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『旦那さん以外に抱かれたいと思ったことはないの?』
さて、唐突にあまりにアブナイ質問を投げかけてしまって申し訳ありません。そんなこといきなり言われても困りますよね。でも、その一方でこの問いかけに対する”はい”、”いいえ”を心の中で即答する自分がいた、そんな方もいらっしゃるのではないでしょうか?
人の心の中は決して覗き見できないものです。憲法第19条によってその権利は保障されてもいます。しかし一方で民法第732条で重婚は禁止されています。夫がいるのに他の男性と婚姻することはもちろんできません。二人を同時に好きになることは認められていても、それを表立って形にすることは認められていない、当たり前といえば当たり前ですが、逆に言えばそこに不倫という恋愛形態が存在することになってしまいます。
しかし、そんな内心の自由のままに進んだあなたはそこに何を見るのでしょうか?形にすることの許されない愛は決着することがありません。
『もしかしたら、なにも知らないからこそ、覗いてみたくなったのかもしれないです。私の知らない私を』。
人の複雑な感情はなかなかに整理することなどできません。こんな風に『私の知らない私』というものが自分の中に存在する、その存在に光を当ててみたい、そんな欲求の先に進むことはある意味新鮮であり、ときめきを感じる瞬間なのかもしれません。ただ、形にすることの許されない愛は、どこかで、その決着をつけなければいけない時間が訪れます。
ここに”二人を同時に愛する”という感情に光を当てた作品があります。『初めて彼に出会った晩から、私は私じゃなくなった』と自分の心の奥底に眠っていた感情のままに突き進む女性たちが登場するこの作品。そんな女性たちが”二人を同時に愛する”のを見るこの作品。そしてそれは、そんな感情のその先に”二人を同時に愛する”ということの意味を読者に問いかける物語です。
『旦那さん以外に抱かれたいと思ったことはないの?と訊かれ』て、『ない』と答えたのは主人公の石田千尋。そんな千尋に質問主の『女子大のときからの友人』である澤井は『となり町の坂の上にある治療院なんだ』と語り出します。『紹介制だから、もし興味があればと思ったんだけど』、『最後までするわけじゃないっていうしね』と続ける澤井は『これ、そこの治療院の連絡先と紹介状』と手帳から取り出した紙を千尋に渡しました。『結婚してるのが条件だから』自分は行くことができないと補足する澤井。場面は変わり、『旺盛な食欲で』夕食のカレーを食べる夫は『澤井さんは元気だった?』と千尋に問いかけます。思わず手を止め『あいかわらずだった』と答える千尋に『なにかあったの?』と訊く夫は『君が、あいかわらずって言うときは…』と気にする様子に、慌てて話題を変えその場を乗り切った千尋。そんな千尋は夫との出会いを思い出します。『同じ団地のおとなり同士だった』という二人。『三歳年上の夫』を『素敵なお兄さん』と想い、やがて付き合い出して結婚、そして三年が経ち『気の合う親友』だという二人の今の関係。そんな千尋は一方で澤井の話を思い出します。再び場面は変わり、となりの駅で降り、『意を決して、石段を上が』る千尋。そんな千尋の目に『真白治療院、という看板』が見え、『ふるえる指でインターホンを押』すと、『二、三秒の間があってから、どうぞ、という返事があ』りました。『ゴッホの「夜のカフェテラス」のレプリカ』が飾られているのを見て『清潔感のある無個性なインテリアにちょっとほっと』する千尋。そんな時『ご予約いただいた、石田千尋さんですね。真白健二といいます』と『奥から男の人が出てき』ました。紹介状を渡すと『澤井さんからのご紹介ですね』と穏やかな笑みを浮かべながら話す男は『行為の最中に、不快を感じたり、少しでも嫌なことがあれば、おっしゃってくださいね』と説明をします。『行為、という言葉に思わず心音が跳ねあがった』という千尋は『私、夫以外の男性に触れた経験もほとんど』と言うと『分かりました』とだけ男は答えました。そして、問診票を記入した千尋は『言われるままに、廊下の奥の白いドアへと向か』います。『緊張しながら、シャツのボタンを外した。黒いスカートが足元に滑り落ちた』という後、ガウンを羽織る千尋の前に現れた男は『白い診察服姿のままそっと』隣に腰掛けます。『私の手の上に、彼の右手がそっと重なる』、『薄い唇が、私の火照った頰にふっと触れ…』、『体を強張らせたまま、されるがままになって目を閉じた』千尋。そして、『シャワーを浴びて、化粧を直し終え』た千尋に紅茶を勧める男は『良かったら、お話ししましょうか』と『真白治療院』のことを話し始めました。そして、院を後にして一ヵ月が経った千尋は『二度目は言い訳できない』と思いつつも『覗いてみたくなったのかもしれないです。私の知らない私を』た再び治療院へと赴きます。『私はまたここに来てしまうのだろうか』と思う千尋。そんな千尋が『自分がなによりも欲しかったもの』に気づく物語が始まりました…という最初の短編〈足跡〉。短編の短い尺の中で主人公・千尋の感情の起承転結を絶妙にまとめた好編でした。
2017年4月から2018年8月まで、「小説すばる」に連載された六つの短編から構成されたこの作品。登場人物が絶妙に繋がりあい緩やかな連作短編を構成しています。それは、一編目に二編目の主人公が登場していたり、三編目に登場する人物が一編目で重要な役どころを果たした人物だったりという感じで繋がるものがまず一つ。一方で三編目と四編目は鮮やかな視点の切り替えによる対の作品として存在。そして、五編目と六編目は登場人物が絶妙に味わい深く繋がるようになっていたりとなかなかに読者を飽きさせない上手い作りになっています。一般的な連作短編とは違うものの、独立した短編集でもないという、なんとも絶妙なまとまりを見せる六つの短編。まずは、そんなそれぞれの短編をご紹介しましょう。
・〈足跡〉: 友人の澤井から『旦那さん以外に抱かれたいと思ったことはないの?』と訊かれた主人公の千尋は紹介状を受け取り、夫には黙って『真白治療院』という『行為』を施してくれる場所へと通います。一方で『今の私には、夫の肌や体つきを思い出せない』という千尋はあることに気づくことになります。
・〈蛇猫奇譚〉: 『結婚してからも、ハルちゃんはボクを一番に可愛がってくれる』という猫のチータ視点の物語。具合が悪いハルを病院に連れて行った旦那さんは『チータ。今年の夏にはうちに赤ちゃんが来るぞ』と告げます。そして誕生した赤ちゃん。一方で『最近チータに冷たい気がするよ?』とハルのチータへの態度に変化が…。
・〈あなたは知らない〉: 来年には『結婚してるんだから、独身のうちに』遊んだら、と言われ友人の江梨子とバーに行った主人公の瞳は浅野に声をかけられ関係が始まります。『同棲している恋人同士』の耕史との結婚のことを考え込む瞳。そんな瞳は浅野とのことを『初めて彼に出会った晩から、私は私じゃなくなった』と思います。
・〈俺だけが知らない〉: 『警戒されないように二人組に声をかけ』た結果、『奥手そうに見えた』女性を誘い二回目でホテルへと誘ったのは瞳の方だったというのは主人公の浅野。そんな浅野は一方で両親が離婚した時、父親についていくと言ったものの『父の愛人がそれを拒否し』て母親とも関係の悪くなった妹・藍のことを気にかけます。
・〈氷の夜に〉: 『一年ほど前から、月に一、二回』、『一人でこの店にやって来』る『名も知らぬ彼女』と会話する主人公の黒田は『彼女が来るのを楽しみにしていないわけではないけれど、そこになんの期待もない』と感じています。そんな黒田はある日『カウンターで眠り込んでしまった彼女に』呼びかける夢を見ます。
・〈あなたの愛人の名前は〉: 『おふくろが突っ返してきた十万円。藍にやるよ』と兄に言われた主人公の藍。困惑する中、『好きなところでも行ってこい』と言われた藍は『マカオ』と口にします。そして、二泊三日でマカオへと旅に出た藍は、離婚する半年前に両親だけがマカオへと旅行し、しばらく後『付き合っている女性がいる』と父親が言い出した時のことを振り返ります。
上記した通りそれぞれの短編では短編を超えて同じ人物が登場し前編では視点の主が気にする存在だった相手なのに、今度は視点の主となって前編の視点の主を見やる相手として登場するといった面白い感覚を体験しながら読み進めることができます。中でも短編タイトルで対になっていることがわかる〈あなたは知らない〉と〈俺だけが知らない〉の読み味は絶妙です。注目して読みたいのは瞳と夫・耕史、そして浮気相手の浅野の三人のそれぞれを見る感情の違いです。『生まれて初めてただひたすらに目の前の男を欲しいと思った』と始まり、『初めて彼に出会った晩から、私は私じゃなくなった』と感情を突き動かされ浅野との愛に溺れていく瞳。一方で『暇つぶし』だと思って声をかけた浅野は『瞳さんとは、恋でもなければ愛でもない』と不思議な感情の中にあり『これ以上なにかを動かしたり変えたりする意思は』ないというように極めて対象的です。そんな中途半端な浅野の思いは『浅野さんといるの楽しいです』と素直にその感情を曝け出し、自分に優しく、自分を傷つけないように接してくる瞳のことを『相手の男から大事なものを借りている気分にさえなった』とまで感じています。不倫を扱った作品は山のように存在しますが、このように視点の切り替えで見事にそれぞれの相手に対する思いの違いを描いていく作品はなんとも興味深いものを感じさせます。そして、この作品では両短編を通じて視点が移動することのないもう一人の重要人物の存在があります。それが、瞳の夫・耕史です。そんな耕史を『かっこいいし素敵な人だな』と好きになった瞳視点で描かれていく〈あなたは知らない〉は、その短編のタイトル通り〈あなたは知らない〉という冷めた視点で耕史を見る瞳の姿が描かれます。その一方で『どうして浅野さんにだけ私が私でなくなってしまうのか』とその特別な感情に溺れる瞳。一方で〈俺だけが知らない〉では、〈あなたは知らない〉とは全く異なるまさかの耕史の姿と、その先に続く物語が展開していきます。そして、一対の物語として読むべきこの二つの短編には、さらに次の〈氷の夜に〉、〈あなたの愛人の名前は〉への布石となるように浅野の妹・藍の存在が描かれてもいます。そして、そこには妹・藍視点から見える兄・浅野のまた違った素顔を見ることもできます。それぞれの人生の経験が、その先の行動を作っていく、そんなことも感じさせる見事な”四部作”になっていると思いました。
そんなこの作品は”二者の選択”を共通のテーマとしています。〈足跡〉では『結婚してるのが条件』という治療院の真白院長と夫という二人の男性に対峙する千尋の姿が、〈蛇猫奇譚〉では猫のチータと出産したばかりの子供に対峙する母親・ハルの姿が、そして対になる〈あなたは知らない〉〈俺だけが知らない〉では、夫・耕史と浮気相手の浅野に対峙する瞳の姿が描かれていました。『ほとんどの女性は、二人の男のところへは帰れない』、『二つ同時には愛せない』というように”二人を同時に愛する”気持ちは永続せず、二つのうちの一つに定めて安定した状態を得る、この作品では主人公の女性たちのそんな姿が描かれていました。
“どうしてこんなにも誰もがどこか苦しそうな話ばかり書いたのだろう、と本作を読み返して、不思議な気持ちになりました”と語る島本理生さん。そんな島本さんは”読んだ方の中に、なにかしら引っかかって残るものがあれば幸いです”と続けられます。実はこの作品、レビューを書いている途中で、私にとって二度目の読書だったことに気付きました。一昨年八月に単行本(既に売却済)で読んでいたことを知った私の衝撃。どこかデジャブな印象を持ちつつも、500冊以上の小説ばかり読んできた身にはそれもよくあることと最後まで気づけませんでした。そして、単行本のレビューを読んで、書き上がったばかりのこの文庫本のレビューとの差異に自身かなり驚いています。この二年弱の読書経験の違いなのか、単行本のレビューとはかなり違った視点からのレビューになりました。そして、この文庫本での読書では島本さんのおっしゃる”なにかしら引っかかって残るもの”があったと感じています。それは、人が人を見る中ではそれまでの経験が何かしら影響を与えるのだということであり、相手の言葉や表情だけでは相手の心は全く読めないということであり、そして、”二人を同時に愛する”ということはどういうことなのかという心のありようでした。
図らずも単行本と文庫本で二度読むことになったこの作品。『恋でもなければ愛でもない』、『愛してないけど愛されたい』、そして『もしかしたら、なにも知らないからこそ、覗いてみたくなったのかもしれないです。私の知らない私を』と、人はさまざまな思いをその時々に抱きながら生きています。そんな人の想いを構成の巧みさによって鮮やかに浮き彫りにしたこの作品。結果的に文庫本で再読したからこそ見えてきた、この作品に込められた島本さんの思いにとても魅了された傑作だと思いました。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
短編集
臆病な人達
お金って愛があるからじゃなくて関わりあいたくないから渡すもの
月が綺麗です
ぎんなんの素揚げ
少しずつ語り手、視点が代わり
各話ゆるく繋がってるので
気づきが楽しく読めます。
タイトルからドロドロ系を想像してましたが
読後はむしろ爽快感あります。
雨のぬるさや冷たさ
体の冷えやお風呂上がりのほてりなど
気温、体温、温度を感じる作品。 -
知人に勧められて読んだ作品。
自分では絶対買わないテーマだけど、面白かった。
不倫は良くないことで道理に反することだけど、ここに出てくる人物の【気持ち】には共感出来るものがあった。
なんだか切ない気持ちが残る作品。
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不倫という難しいテーマの短編集です。
島本さんが描く恋愛が好きです。 -
どうしてこの瞬間に隕石衝突とか地球爆発が起きないのだろうと思った。こんなに好きな人とセックスなんてしたら、地球が真っ二つに割れるくらいじゃないと到底取れないじゃないか。採算とか、バランスとか、代償とか、そういうぜんぶが。
この言葉、作者が女性じゃなければ書けないのでは?とまでも思う。
そして身に覚えがありすぎるこの物語、瞳の気持ちが痛いほど分かってしまった。
罪悪感、論理感、この刹那的な幸せの代償。
自分を取り巻く環境やしがらみを全部捨てて、今この瞬間死んでも良い、そうしたら楽なのにと思う気持ち……。
そこまでの瞳の想いとは対照的に、浅野さんが
瞳への気持ちは恋でも愛でもない…と思っていること。
この気持ちは恋でも愛でもない、愛着はある、けどどうこうしようと思わない。確かにそう言う関係性もあるだろうけど、2人のギャップがしんどいなぁ。
瞳が最後に手紙に書いた 嫌い が本音なのかどうか。嫌いとまで書いて、お金を包んで手切金みたいに渡さないと切れないぐらい好きだったのか。瞳サイドの終わり方もしっかり見てみたかった。
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自分を受容してくれる存在を求めてしまう。帯の「今、この瞬間に深く、深く、理解されていればいい。たとえ恋じゃなくても。」に納得の評。短編でも繋がりがあり、登場人物の日常と非日常のコントラストが世界観を広げていると思った。
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6つの短編でありながら、それぞれ重なり合い、遠いところだったり、裏返しだったり構成が面白い。きれいで繊細な言葉で紡がれている1冊。
生活に不満があるわけではないけど、どこか満たされない空虚感や寂しさを抱えている。どうしようもなく深い繋がりを欲する瞬間。2つの気持ちが併存する日常。そこから逃れる非日常。1+1が2にならない。心の隙間を埋められるのは確固たる存在ではなく、言葉では表せないものという点に苦しさや胸が締め付けられるような思いがした。でも、それぞれの主人公に前向きな決意や希望が待っていて読後感が心地よかった。-
Ayumi.2nさん、はじめまして!
ほぼ同じタイミングでのレビューで、うんうんと思いながらレビューを読ませていただきました。強烈な書名の...Ayumi.2nさん、はじめまして!
ほぼ同じタイミングでのレビューで、うんうんと思いながらレビューを読ませていただきました。強烈な書名の作品ですが、 書かれていらっしゃる通り読後感も良いですし、それでいて島本さんらしい繊細な物語が展開するとても良い作品だと思いました。
同じタイミングのレビューで嬉しくなって思わずコメントさせていただきました。2022/06/23 -
さてさてさん♪
コメントありがとうございます!
切なくて胸が苦しくなるけど、前向きになれる結末で、登場人物はみんな応援したくなります。共感し...さてさてさん♪
コメントありがとうございます!
切なくて胸が苦しくなるけど、前向きになれる結末で、登場人物はみんな応援したくなります。共感していただく部分があったようで、嬉しいです。2022/06/26
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わかることと、愛することはちがう。
恋でも愛でもないからこそ、
助けられたり、バランスをとれたりする。
理解してほしいと、理解したいは、似ていない。
旅行、行きたいな。 -
「あなたは知らない」と「俺だけが知らない」
が特にいい。好きになるはずじゃなかった相手を本当に好きになってしまった人とか、好きにならないようにと思いながらも好きになってしまった人にすごく刺さると思います。