- Amazon.co.jp ・本 (400ページ)
- / ISBN・EAN: 9784087212419
感想・レビュー・書評
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いやあ勉強になる。他にロシア関連の本を読んでいないからわからないけれど、おそらく最近の状況だけ見て何が起こっているか、なぜ起こっているのかを分析している本が多いだろうから、本書はその質が全然違う。1000年以上の歴史に基づいて議論がなされている。長年にわたるロシアのヨーロッパに対するルサンチマン、それが一体どういうものなのかということに思いをはせることができる。僕の持っていたイメージとしては、ロシアは大国だし(そのロシアに日本が勝ったから世界は驚いたのではなかったのか)、ヨーロッパの一部だし(白人が多い。フランスも、ドイツも同じ。ところがワールドカップサッカーを見ているとフランスチームはほとんど黒人ではないか。いったい何が起こっているのか。アフリカが近いからと頭では分かっているのだが)、文学や芸術にも秀でているし(チャイコフスキーは最も好きな音楽家だ)、科学技術も進んでいるし(スプ―トニックだって、ガガーリンだってロシアだし)、皆自信を持っているに違いない、とそういうものだった。ところが冷戦終結以降、世界から蔑ろにされてきたし、経済的にもあまりうまくいっていない。それに対して中国は独自の方法で経済も成り立っているし、自分たちのやり方に自信を持っている。いずれはアメリカを抜いて世界の中心に躍り出ようとしている。中国にしろ、ロシアにしろ自由を束縛するシステムがある。もちろん西側諸国にだっていくらかはルールがあって何でも自由とはいかないが、しかしその度合いが違う。ところがその束縛は渦中にいる人には感じられなくなっていく。「住めば都」で自分の住んでいる国が一番いいような勘違いもする。だから政治に対してものを言うことも少なくなる。少なくとも自分の場合はそんな感じがする。本書を読みながら、ずっと思い描いていたのは、ドストエフスキーやトルストイの描くロシアの風景だ。上流階級がフランス語を使うのはどういうわけか。フランスに対するあこがれというのはいったいどこからくるのか。このロシアの国民性というようなものはどのように作られてきたのか。まだまだ読み足りないけれど、本書を読んで、いくぶんはその感じがつかめたような気がする。
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いま起きているロシア、ウクライナ問題をよく知りたくて購入。序盤は中東の戦争の話から入り、中盤からようやくウクライナの話題に。広い範囲の社会学的な論点で今起きている問題を捉えようとしている大澤さん、橋爪さんの対談は無知な自分にとってとても勉強になった。
特に途中で挙げていた、酒井啓子さん?の「すべての宗教問題は、宗教的な事情からではなく政治的な理由によって起こる。その吐口と理由づけとして宗教が用いられている」というような話に感銘を受けた。まさにその通りだと思った。
国家間の対立全般例えられることかもしれないが、今回のロシアの抱える大きなルサンチマン、お互いに歩み寄れない西側諸国とロシアの対立は、中学校の中で起きる喧嘩みたいだなとふと思ってしまった。希望論かもしれないが、ロシア国内で革命が起きて、国民の総意によりプーチンが失脚。それにより自分達が西側以上にクリスチャンとしてしっかりしているというアイデンティティの確立ができること。これが平和に向かう為の最善解だという話には概ね同意できる。しかし、ロシア側の情報が依然少ない中での希望なので、そんなことでロシアが満足するのかは正直疑問だった。 -
読了
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フットワークの軽い社会学者は、すべてが守備範囲なのかもしれないが、漁師に不漁の原因を問うべきなのに、なぜか八百屋が答えちゃってる感がしないでもない。
国連と別の"新国連"を創設すべきだとか、独裁政権の核兵器を無力化する装置が必要だとか、現実感に乏しい夢のようなお話も。
キーウ侵攻の際、一列に進撃しているロシア軍がまんまと立ち往生しているのに、なぜウクライナ軍は攻撃をしかけないんだ、さては密かに内通してるんだなと軍事もご専門の様子。
「軍事侵攻の原因は、やっぱりプーチンのロシアの西側コンプレックスにある」というのが本書の結論。
ここから大澤の最も望ましいロマンチックな戦争の終わり方が開陳される。
西側に対する羨望が強いルサンチマンに転じて、ロシア性の自己主張になっている。
キリスト教文明として成功している西側に対し、よりもっと徹底した本物のキリスト教の精神を発揮すれば、コンプレックスを乗り越えることができるはずだ、と。
それは隣人愛の原理で、西側のそれは、アフガンの難民は受け入れないけど、ウクライナからは受け入れるといった中途半端さが目立つ。
ロシアの民衆が立ち上がって、侵攻作戦全体を自滅に追い込み、プーチン政権を打倒すれば、一石二鳥ではないかと。
ロシア人のポジティブな自尊心の源泉には、ファシズムとの戦いの勝利があるため、ヨーロッパの最悪の部分の否定から転じて、すべての敵をナチズムと同一視して語りたがる傾向があると指摘。
自分たちを大国とみなしてくれないことに対する怒りは相当なものがある。
核兵器が、プーチンにとっての精神的な拠り所みたいになっているため、事あるごとに使用をちらつかせている。
国が貧しくなると、真に大国同士の間では成立していた相互確証破壊の均衡が崩れ、核を使うぞと脅すなど、政治力を肥大化させる事でしか、バランスを維持できなくなっている。
冷戦におけるソ連の敗北と日本の敗戦を対比しているところは面白い。
両国とも、敗戦を真正面から受け止めることを避けた。
日本は"敗戦"を"終戦"と言い換え、自らは"解放された"んだと捉える事で、または世界第二の経済大国として復活する事で、敗北の痛みを感じずにきた。
ロシアも冷戦において敗北したが、自分たちは負けたのではなく、自らの手でソ連を解体し、新しい国を打ち立てた勝者として自己定義した。
それなのに敗者として屈辱的なポジションに甘んじ、除け者扱いされる事で、「ヨーロッパとしてのロシアではなく、ヨーロッパではないところのロシアに依拠せざるをえなく」なったと説明する。
橋爪が、中国のような権威主義的な資本主義がどれだけ危険か、あんなの”反社"じゃないかと言えば、大澤は、西側こそ中国に寄生していて、経済制裁なんて不可能なくらい依存しちゃってると反論。
すると橋爪が、いや中国共産党の方こそ資本主義の機能不全に寄生しているんで、中国に進出している企業も早々に撤収すべきだ、と。
大澤は大澤で、いやそもそも資本主義の本質からして、先進国とは異質のルールで公正さが未発達の周辺国を探して、そこから利潤を搾り取るという構造になってるんだから、デカップリングなんて無理なんだと言い返す。
ただ基本的には、両者「なるほど」「そのとおりですね」など、相づちの打ち合いに終始しているので、対論の意義は薄い。 -
「おどろきの中国」が面白かったので、こちらも読んでいた。
タイトルと内容は、ちょっと違う感じで、内容はウクライナ戦争を真ん中にはさみつつ、中国、ロシア、そしてそれに対する西側の対立の話しかな?
いろいろな話しがあって、もちろんウクライナの話もあるわけだけど、それはほとんどロシアとの関係ででてくるもの。ウクライナ戦争もそれ自体というより、ポスト・ウクライナ戦争について考えるための前提くらいな感じが出てくるところかな。
西側的な資本主義と中国的な資本主義の対立というところに話は進んでいく。それを中立的に、あるいは相対主義的にどっちもどっちとするのではなく、価値判断をしつつ、はっきりと西側?に立とうとする感じ。
と言っても、ある意味、そこまで新しい展開がある感じでもなくて、対談だから仕方ないのか、論旨の繰り返しが多い気もする。
対談自体は、ウクライナ戦争前から始まっているのだけど、ウクライナ戦争が入ってきて、それをとりこむことでちょっと論旨がごちゃごちゃしてしまった印象も。
頭の整理になったが、だからと言って、「次」は思いつかない。自分のなかの問題意識がより明確になったというところかな? -
タイトルの「おどろきのウクライナ」は、出版社が売るためにつけたと思われ、本書の内容に即していません。本書では西側に対するロシア、中国の内在論理など、もっと広いテーマを扱っています。
対談はアメリカのアフガン撤退から始まり、ポストウクライナ戦争まで。色々なことを考えさせられる、読み応えのある一冊。
リベラル資本主義と「反社」である権威的資本主義の戦い。でもやっぱり「資本主義」しかないのね、という思いもあります。日本はリベラル資本主義の一員でありながら、権威的資本主義の仕組みにあこがれているように思えてなりません。 -
単なるウクライナ情勢の本ではなく、広い世界情勢や歴史的な背景についても触れられ、現在の問題について広い視野で巻上げることができる本であると思う。
極論気味でわかりやすく明快な橋爪氏と、博識で多様な提案をする大澤氏の掛け合いは分量を感じさせないほど知的な興味に満ちている。
本論からはややずれるがイスラム原理主義についての考察が特に興味深かった。 -
橋爪先生、大澤先生の両巨頭による最新の対談。
ウクライナ情勢だけではなく、アフガニスタンのタリバンによる支配の背景など世界で起きている不可解な事態に、歴史的な文脈を補助線を入れながら解説。後半の中国に対する西側の姿勢のあり方では激論が展開。現在の世界情勢を理解するための必読書。 -
安定の橋爪・大澤対談。
しかし、今回は後半に二人の考え方の違いが際立っていた。
今後、最大の課題となる国については同意する。