マジョリティ男性にとってまっとうさとは何か #MeTooに加われない男たち (集英社新書)
- 集英社 (2021年9月17日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (296ページ)
- / ISBN・EAN: 9784087211825
作品紹介・あらすじ
世界的な潮流となった#MeToo運動や男性社会への疑義など、性別に伴う差別や不平等への意識が今日、かつて無いほどに高まっている。
他方、「男性特権」への開き直りは論外として、多くの男性は、時には剥き出しの敵意にも直面しながら、己の立ち位置や与し方に戸惑っているのではないか。
自らの男性性や既得権、そして異性との向き合い方に戸惑い、慄くすべての男性に応えつつ、女性や性的マイノリティへ向けても性差を越えた運動の可能性を提示する一冊。
◆目次◆
まえがき
第一章 多数派の男たちは何をどうすればいいのか
第二章 ヘテロ男性とは誰のことか
第三章 『マッドマックス怒りのデス・ロード』を読み解く
第四章 ヘテロ男性は変わりうるか─複合差別時代の男性学
第五章 『ズートピア』を読み解く
第六章 多数派の男たちにとってまっとうさとは何か
第七章 男たちはフェミニズムから何を学ぶのか
第八章 ポストフェミニズムとは何か
第九章 剥奪感と階級─『ジョーカー』を読み解く
第一〇章 複合階級論に向けて─ラディカル・メンズリブのために
あとがき
註
◆著者略歴◆
杉田俊介(すぎた しゅんすけ)
1975年生まれ。批評家。
自らのフリーター経験をもとに『フリーターにとって「自由」とは何か』(人文書院)を刊行するなど、ロスジェネ論壇に関わった。また20代後半より障害者ヘルパーに従事。
著書に『非モテの品格 男にとって「弱さ」とは何か』(集英社新書)、『ジャパニメーションの成熟と喪失』(大月書店)、『長渕剛論――歌え、歌い殺される明日まで』(毎日新聞出版)など。
差別問題を考える雑誌『対抗言論』では編集委員を務める。
感想・レビュー・書評
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●多数派マジョリティーの男性たちは一体どうするべきなのか。知らなかったそんなつもりはなかったは決して言い訳にはならない。大事なのは、善意や同情や道徳心であるより前に、女性や少数者の現実を正しく知ることであり、学ぶことだ。
●ついに社会構造的に優位なはずの男性たちが、奇妙な被害者意識を抱え込み、「多数派男性こそがポリティカルコレクトネスいやリベラルな価値観の最大の被害者である」と考えてしまう。
●マジョリティーであると言うのは、自分たちのあり方がこの社会の中で「ノーマル」なものと思い込んでしまっている人々、あるいはそうした無自覚な思い込みを許された人々。
●自分の善意をはなから信じて疑わない人は「それ差別ですよ」と反論されると、傷ついた顔をしたり、心外だと感じたり、激怒したりする。
●白人特権を指摘されると過剰に自己防衛的な態度をとること、ホワイトフラジリティー(白人の心の脆さ)
●マジョリティーは自分たちには特権があり、優位性があると言う事実を認識することそれ自体に強い抵抗を感じたり、不快感を覚えたりしがちです。また認識をしていても実感としてそれを感じているわけではないと言うことが多々あります。
●映画ズートピア。「恋愛によって自己実現する女性」ではなく「男性中心の職場環境によって抑圧される女性」たちが描かれます。それは若い女性が恋愛の成就によって、職場でのハラスメントや社会的な性差別を全てリセットしてハッピーエンドになってしまう、と言うパターンを避けるためと考えられます。
●「おじさん」と言う言葉には、今や現代日本のあらゆるダメさ、醜悪さが投げ込まれ、詰め込まれ、煮詰められているかのようです。だからこそ「まっとうなおじさん」になっていくのでなければならない。
●男たちはたとえ差別されていなくても、この社会によって傷つけられている。そのことをまずは認めて良いのではないか。これは矜持が傷ついていると言う意味ではありません。プライドではなく心(尊厳、自尊心)が傷ついているのです。
●アンチフェミニズムとは、政治的・イデオロギー的な観点からフェミニズムを批判する立場であり、ポストフェミニズムとは、自分の生活実感に基づいて、フェミニズムはもはや不要であると感じているような立場のことです。
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まえがきにある著者の言葉、「多数派の「男」である以上、女性解放や#MeTooに直接自分の声を重ねたり、性差別に対する怒りを主張する資格があるのか。自分たちの特権や思い込みを突き崩される痛みや葛藤なしに、社会批判的な言葉を口にできるのか。それもまた、女性や性的マイノリティ当事者の声を代弁したり、掠め取ったり、盗用したりすることではないのか。」に、女性であるわたしもなんだかとても共感できるのだった。女性として嫌な目にあうこともあるけれど、それほどひどい目に遭ってこなかった(これから遭う可能性はいくらでもあるが)自分としては、著者の言うように近年の動きの中で、なんだかとても居心地の悪い思いをしていたから。
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自分が真っ当だと勘違いしている人こそ読んでほしいけど、難しいかな。
新人男性はなぜ給湯室の掃除をまかされないのかいつも憤慨している。 -
2階書架 : 367.5/SUG : https://opac.lib.kagawa-u.ac.jp/opac/search?barcode=3410168744
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#MeToo運動など、女性の性別に伴う差別や不平等への意識が高まっている。他方、多くの男性は男性性や既得権、異性との向き合い方に戸惑っているのではないか。そんな男性たちに応え、性差を超えた運動の可能性を提示。【「TRC MARC」の商品解説】
関西外大図書館OPACのURLはこちら↓
https://opac1.kansaigaidai.ac.jp/iwjs0015opc/BB40288890 -
東2法経図・6F開架:367.5A/Su46m//K
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タイトルに引かれて読んでみたんだけど、正直なところ小難しくてわたしにはよくわからなく、斜め読みに終わってしまったという感じ。
でも、とかく男は正しさを主張したがるけど、「正しい男」ではなく、弱さを見せることができ、他者の弱さも受容できる「まっとうな男」になるべきだというのはうなずける。とはいえ、「まっとうな男」でなく「まっとうな人」でいいんじゃないのとも思うけど。
この本は基本的に「私たち」という人称で書かれている。「私たち」とはマジョリティ男性である私たちということだろうけど、ちょっとズルいな、腰が引けてんじゃないのと思う。同じことを『さよなら俺たち』という本でも思ったんだけど、「私たち」「俺たち」とすることで広く「達(たち)」に訴えかけたり、「達」の意見表明という色合いがつくけど、こういうのって一緒くたにしていいものなのって思うからだと思う。「たち」にすることで自分が直接矢面に立つのを避けているような。自分の意思・意見なんだから「たち」はなくていいんじゃないだろうか。男ってよく「男はみんなエッチなことばっか考えてんだよ」みたいに、自分を含む自分たちを囲いたがるけど、そういうのと同じ感じがしてしまって残念。 -
正に学ぼうという感覚で。先輩から借りました。
少なくとも自分より圧倒的多くの知見に触れてきた人が現在ホットなジェンダー的話題をどのように捉えているのかが気になって。
以下、感想。
自分は無意識の優生思想がある人間なのでしょうか。学び続ければそれは無くなるのでしょうか。
都合の良いところだけ切り取って男女平等だ!とか自分も言っちゃってるのかな、、なんだかゾッとした。
自分は異性愛者ですが、仮に愛する者に女性らしい何かを求めたとしてそれは何だ。それを何と捉える。
日常に活かしきれない内容だなぁという正直な印象だけど、活かしきれないのは自分の知見の無さなのかなぁとも思うわけで、なんだか釈然としないのです。
映画を用いた説明はとても興味深く面白かった。
全体的に思想つよっ!でも目を背けてはいけませんね。 -
男性が男性学を論じる本かと思って読み始めたが、フェミニズムの話が圧倒的に多くて戸惑った。日本にだって男性学の蓄積はあるのに、なぜそこに依拠しないのか。フェミニズムについてマンスプレイニングされたような読後感。
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摂南大学図書館OPACへ⇒
https://opac2.lib.setsunan.ac.jp/webopac/BB50256257