- Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
- / ISBN・EAN: 9784087211801
作品紹介・あらすじ
フェミニズムの「落とし物」がここにある――。
今世紀に入り、日本社会で大きく膨れ上がった「スピリチュアル市場」。
特に近年は「子宮系」「胎内記憶」「自然なお産」に代表されるような妊娠・出産をめぐるコンテンツによって、女性とスピリチュアリティとの関係性はより強固なものとなっていった。
しかし、こうしたスピリチュアリティは容易に保守的な家族観と結びつき、ナショナリズムとも親和性が高い。
本書は、この社会において「母」たる女性が抱く不安とスピリチュアリティとの危うい関係について、その構造を解明する。
「子宮系、胎内記憶、自然なお産。女性たちのスピリチュアルで切実な思いを分析した画期的な本だ。」――森岡正博氏、推薦!
◆目次◆
第1章 妊娠・出産のスピリチュアリティとは何か
第2章 「子宮系」とそのゆくえ
第3章 神格化される子どもたち――「胎内記憶」と胎教
第4章 「自然なお産」のスピリチュアリティ
第5章 女性・「自然」・フェミニズム
第6章 妊娠・出産のスピリチュアリティとその広まり
◆著者略歴◆
橋迫瑞穂(はしさこ・みずほ)
1979年、大分県生まれ。立教大学大学院社会学研究科社会学専攻博士課程後期課程修了。立教大学社会学部他、兼任講師。
専攻は宗教社会学、文化社会学、ジェンダーとスピリチュアリティ。また、ゴシック・ロリータやゲーム、マンガなどのサブカルチャーについても研究している。
著書に『占いをまとう少女たち――雑誌「マイバースデイ」とスピリチュアリティ』(青弓社)がある。
感想・レビュー・書評
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「スピリチュアル」はナショナリズムと合体するのか? 橋迫瑞穂氏インタビュー - wezzy|ウェジー
https://wezz-y.com/archives/93939
「妊娠・出産をめぐるスピリチュアリティ」橋迫瑞穂さんインタビュー 本人にしかわからない切実さに目を向けて|好書好日
https://book.asahi.com/article/14453715
妊娠・出産をめぐるスピリチュアリティ/橋迫 瑞穂 | 集英社の本 公式
https://books.shueisha.co.jp/items/contents.html?isbn=978-4-08-721180-1詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
スピリチュアリティとは、新興宗教のように教団や教義によらず、個人がネットワークを通して聖性を希求する運動のこと。そのうえで大きな役割を果たしているのが、スピリチュアリティに関する情報・モノが取引される「スピリチュアル市場」だ。そこで近年台頭しているのが、妊娠出産をめぐるコンテンツだという。
生死にかかわることから、もともと宗教との結びつきが強い妊娠・出産は、近代化とともに医療の対象とされ、またフェミニズムの影響もあって、個人の自己決定に属する問題となってきた。ところが近年になってふたたび霊性と結びつく傾向が強まっているのだ。
本書は「子宮系」「体内記憶」「自然なお産」などの代表的なスピリチュアル言説をトンデモとして切り捨てるのでなく、そこに反映されている女性たちの欲望と葛藤を、フェミニズムとの関係を問うことで読みとこうとする。子宮を大切にすればすべてがうまくいく、胎児と対話ができる、男などいなくても妊娠できる…といった一見荒唐無稽な内容は、妊娠出産が選択した女性の自己責任とされ、パートナーの協力もなく過重な負担と不安に向き合わなければならない女性たちにとっての切実な希求を反映するものなのだ。
もっとも、妊娠出産や女性の身体を、近代に対置される「自然」やスピリチュアリティと結びつけること自体は、特に欧米系のフェミニズムとも親和性が高かったはず。だが日本におけるスピリチュアル言説は、自然とつながって生きていたとされる「昔の日本の女性」を現実にもとづかないかたちで称揚する点で、むしろ政治的保守主義やナショナリズムに接近する。
この点を掘り下げるため、80年代に上野千鶴子らと論争を繰り広げた青木やよひのエコフェミニズムと、2004年のベストセラー『オニババ化する女たち』で知られる三砂ちづるの言説を比較する第5章が興味深い。両者はいずれも女性の身体性とりわけ妊娠出産機能と「自然」とを不可分のものととらえる本質主義に立っており、生産性-男性性を上位に置くような近代社会の論理に女性が参画し/組み込まれることには批判的だ。ジェンダーおよび自然の社会構築性を重視するフェミニズムの立場からはいずれも批判を受けてきたが、それでも青木の論があくまで男性中心的な家父長制社会の変革をめざすフェミニズムの側に踏みとどまるのに対して、三砂は異性と性関係をもち母として家庭を主な領分として生きることにこそ女性は積極的な意味を見出せると説き、日本の純粋な文化を称揚する保守的なナショナリズム・反フェミニズムの側に立つ。
この両者の重要な分岐点は「自然」の位置づけにあると著者は指摘する。青木において女性の身体性が外部の自然と接続され、近代社会に対する批判的視点を確立する足掛かりとなるのに対して、三砂における女性と自然とのつながりは、女性個人の身体内部にとどまっており、せいぜいが日本というネイションの自然化された本質に接続するのみだ。そこには2人の視点の差以上に、この30年における妊娠出産という社会的課題の個人化、そしてそれに対抗する思想を生み出してこられなかったフェミニズムの行き詰まりが反映されている。社会に向かうよりも果てしなく自己身体のフェティッシュ化へと向かう妊娠出産のスピリチュアリティとは、つまりは生殖と身体の再生産が、世界に向かって開かれる回路を見失い、果てしなくネオリベラルな自己責任の論理へ、それもジェンダー規範の強化をともなって閉じ込められてきたことの反映なのだろう。
しかしそれでもなおわからない感じは残る。「体の声に耳を傾け、自分を大切にしよう」というメッセージそれ自体は、自己身体の自己管理を要求するネオリベラリズムと親和性が高いが、かならずしも妊娠出産と結びつく必要はないし、また必ずしも著者がくりかえし強調するような「女らしさ」と結びつく必然もないのではないか。男性の存在感が著しく薄いことも、もちろん一面においてはワンオペ育児が当然となっている多くの母親の現実を映し出しているものではあるが、女性の男性への従属を前提とする保守的家族言説からは離脱する部分が多々ある。もうすこし違う軸を導入してみると、また違ったものが見えてきそうではある。 -
とても良い本。誰も踏まないように書かれている。日本のフェミニズムが妊娠出産、子育てという不安な気持ちに寄り添ってこなかったこと、そのことについて考えさせられた。
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妊娠出産は女性にとって人生の重荷である。それを戦略として前向きに立ち向かう知恵としてスピリチュアリティーの存在感が増している。
子宮系、胎内記憶の詳しい分析、フェミニズムとの関連など、わかりやすい説明で頭の中が整理されて良かった。 -
興味のあることが系統立てて知れて良かったです。
はじめに書いてあることわりが、配慮が行き届いていて自分も気をつけなければいけないと思いました。
p81
"二〇〇〇年代に入ると、「胎内記憶」に関する書籍が中心となる。「胎内記憶」に関しては、一冊を除いてすべて産婦人科医の池川明による。しながって「スピリチュアル市場」で人気となった「胎内記憶」は、池川の考えが直接的に反映していると言えるだろう。"
p205
"こうした危うさを抱えつつも、それでも「スピリチュアル市場」を通して妊娠・出産に関するコンテンツが広まった背景にあるのは、「仕事か出産か」「キャリアか母親か」という選択を女性だけに一方的に迫る社会である。しかも、女性がどの選択肢を選んだとしても必ず社会からの評価が付いて回る。妊娠・出産を選ばなかった場合は、なぜ母親になろうとしなかったのかが問われるだろう。
健康の事情で妊娠・出産にまで至ることができなかった女性に対しても、世間の評価は寛容とは言えない。日本の不妊治療が世界的に見て特に盛んなのは、こうした社会的圧力と関係している。「卵子の老化」といったイデオロギーが声高に叫ばれるのも、それと同根である。しかも、無事に妊娠・出産に至ってもそれでゴールではないし、女性として「合格」であるとの判定が得られるわけでもない。その背後には、日本社会に根強い女性差別や、育児のための社会システムの貧困、そして日本社会そのものの先行きの見えない経済的な行き詰まりがある。
いずれにせよ、日本という社会において妊娠・出産は女性の人生に負担とともに大きな変容を迫る、男性が子どもを持ちながらも、仕事に専念できる人生が保証されているのと比較すると、その違いが一層際立ってくる。
こうした変容を受動的にではなく能動的に働きかけるなら、妊娠・出産を経て〈母〉になることを、外部に期待することなく、自身の内面からの積極的かつ純粋な希望としてとらえる必要がある。そのためには、妊娠・出産を経て〈母〉となる身体を、自分の手で積極的に肯定して導かなくてはならない。そこで女性としての自身の身体性と、妊娠とを言うなれば祝祭に導く手段として、妊娠・出産のスピリチュアリティは「市場」で需要を得る。だがその先にあるのは、"聖別"された〈母〉と子ども、そしてその関係によってのみ構成される「家庭」である。そして、女性を取り巻く状況が変化する兆しが見えないなかで、「スピリチュアル市場」では新たコンテンツが生み出されているのである。" -
スピリチュアルな言説に衝撃を受けました。ずっと寒気を感じてました。とんでもなさすぎるだろと、、、
どうしてスピリチュアル市場が成り立つのかを良く考えないといけないなと。 -
この本のためだけに少数先鋭ゼミを聴講?参加した、甲斐はあった