全体主義の克服 (集英社新書)

  • 集英社
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  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784087211320

作品紹介・あらすじ

【東西哲学界の雄が、全体主義から世界を救い出す!】

全体主義の渦に、再び世界は巻き込まれようとしているのではないか。
日独ともに哲学は、二〇世紀の全体主義に加担してしまったが、では次なる全体主義の台頭をいかに阻止すればよいのか。
その答えを出そうとしているのが、マルクス・ガブリエルだ。
彼の「新実在論」は、全体主義の礎を築いたドイツ哲学を克服するために打ち立てられたものだったのだ。
克服にむけてのヒントは東アジア哲学の中にあるという。
本書は、東西哲学の雄が対話を重ねて生み出した危機の時代のための「精神のワクチン」である。

「上から」の力によって、民主主義が攻撃されているわけではありません。
民主主義を破壊しているのは私たち自身なのです。
市民的服従が、あらたな全体主義の本質です。
――マルクス・ガブリエル

【おもな内容】
第1章 全体主義を解剖する
デジタル全体主義の時代/テクノロジーの「超帝国」
第2章 ドイツ哲学と悪
全体主義をもたらした悪とは何か/カントの悪のパラドックス
第3章 ドイツ哲学は全体主義を乗り越えたのか
ナチスを支えたドイツ哲学/ハイデガーの「黒ノート」/ハイデガーと京都学派
第4章 全体主義と対峙する新実在論
仏と一角獣の新実在論/「超限」とは何か
第5章 東アジア哲学に秘められたヒント
中国思想のなかの「存在論」/中心のある「普遍性」を疑う
第6章 倫理的消費が資本主義を変える
グローバル資本主義の不安定性/倫理的消費が安定を作る
第7章 新しい啓蒙に向かって
「一なる全体」に抗するために

【著者略歴】
■マルクス・ガブリエル
1980年生まれ。2005年に後期シェリングをテーマにした論文でハイデルベルク大学より博士号取得。
2009年に権威あるボン大学哲学正教授に史上最年少で抜擢。
「新実在論」を打ち立て、世界的に注目を浴び、『なぜ世界は存在しないのか』が哲学書としては異例のベストセラーに。

■中島 隆博(なかじま・たかひろ)
1964年生まれ。東京大学東洋文化研究所教授。北京大学をはじめ各国大学との共同研究教育プロジェクトである東京大学東アジア藝文書院院長。
専門は中国哲学、世界哲学。西洋哲学の手法を用いた中国哲学の再読で高い評価を得る。
『共生のプラクシス――国家と宗教』で和辻哲郎文化賞受賞。

感想・レビュー・書評

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  • 「全体主義の克服」マルクス・ガブリエル、中島隆博著|日刊ゲンダイDIGITAL
    https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/book/278729

    【刊行】全体主義の克服 – EAA 東アジア藝文書院 – East Asian Academy for New Liberal Arts, the University of Tokyo-
    https://www.eaa.c.u-tokyo.ac.jp/ja/2020/08/06/3362/

    全体主義の克服 – 集英社新書
    https://shinsho.shueisha.co.jp/kikan/1032-c/

  • 第6章「倫理的消費が資本主義を変える」を読むだけでも大きな示唆が得られます。資本主義とは差異を生み出し、それを消費するもの。モノからコトへ、この際の源泉を推移させてきたがそれも限界を迎えつつある今、次のステップは消費のあり方に倫理性の観点を持たせるということ。

    本書ないでは結論を急ぐことはしていませんが、昨今のSDGsを意識した活動や、「足るを知る」生活などはこの動きを模索するものかもしれません。

  • 内容がとにかく難しい
    最初に触れる本としてはキツい
    でも分からないからこそ考えるきっかけになるし、思考させることを心がけて作られているのかもしれない
    完全に理解するには程遠いが、次に読んだ時に印象が変わりそうな本

  • 全体主義について主に対話されているのは第3章まで。全体主義のタイトルに引かれて購入したがやや肩透かし。

    第4章以降は全体主義を克服する為の哲学である「新実在論」について対話されているのだが、マルクス・ガブリエル氏の著作を初めて読む事もあり、正直余り理解出来なかった。

    どちらかと言うとやや感情に走る所があるガブリエル氏より、対話相手である中島氏の冷静な受け答えと専門とする東洋哲学に関心が湧いた。

    喜久屋書店阿倍野店にて購入。

  • 知の巨人同士による高次元バトル。インタビュー形式だとわかりやすい。ダンスの例えは非常にしっくりきた。ダンサー同士の共通点を見い出そうとしても、ダンス自体にどこまでがダンスなのかという定義が存在しないため、客観的に判断するのは難しい。わかり合うには一緒にダンスをしてみるしかないという目線。素晴らしい。

  • なかなか過去の哲学巨人たちにも一般ピーにも辛辣な内容でした。基本、バカ不信なんでしょうね、エミール読んでも。それにしてもヒトラーが民主的過程を通して権力を掌握したのではないという発言には首を傾げました。ワイマール憲法下ですよね、確か、ヒトラーが台頭してきた時代て?まあ、私の勘違いでしょうけど。
    ーーーーー「
    時代の病理」を希望に変える!次なる全体主義の台頭をいかに阻止すればよいのか。克服にむけてのヒントは東アジア哲学の中にある。東西哲学の雄が対話を重ねて生み出した危機の時代のための「精神のワクチン」

  • あっと言う間に読了しました。新実在論の旗手であるマルクス・ガブリエルと、日本の哲学界の代表者でもある中島氏との対談ということで、お互い最初から全開モードで哲学の話をされていますが、不思議と門外漢の私が読んでもわかりやすく書かれていて、なにか質の高い時間を体験できたような印象を持ちました。議論のとっかかりは全体主義で、デジタルプラットフォームの浸透によって、新しいタイプの全体主義が生まれていること、それは市民がある意味喜んでデジタルPFに服従する市民服従的な全体主義ということです。ある特定の行動に市民が誘導されているわけです。

    中島氏は、過去の全体主義が目指していた普遍性は、偽の普遍性であって、これからの世界は西洋だけでもなく、東洋だけでもない真の意味での普遍性を追求する哲学が必要だと述べます。それを西洋と東洋の哲学者で生み出そうと。その仮説として中島氏は「花する(flowering)」という概念を普遍的な豊かさとして提唱していますが、そういえば本書とは別ですが、ポジティブ心理学の創始者であるマーティン・セリグマンは、人間のウェルビーイングをFlourishingという言葉で表現しており、その類似性を感じました。

    全体主義と普遍性、というテーマだけでなく、本書では新実在論が生まれた契機や、ハイデガーの黒歴史、悪とは何か、無と有の概念など知的好奇心を刺激される話が多数盛り込まれていました。私のような哲学門外漢でも読める、かつ十二分に堪能できる本でした。

  • デジタル化の進展と全体主義化という本書の問題意識はとても納得できる。

    現代の全体主義は、独裁者が上から民主主義を破壊するのではない。デジタルユーザーが、自ら進んで服従することで、独裁政権を生み出すのだ。恐ろしい!!

  • OPACへのリンク:https://op.lib.kobe-u.ac.jp/opac/opac_link/bibid/2002313204【推薦コメント:かつては日独の「全体主義」に加担してしまった哲学。本書はそんな哲学を用いて、「全体主義」の“克服”を目指す若き研究者の挑戦を追う。】

  • 科学は倫理・道徳を推し進めない、哲学を実践する意味はそこにあるという。

    なんでも広告やら資本主義に組み込まれる社会。その中で、民主主義は自壊していくという。
    なんでもSNSやインターネットに公開することで、ある・ないの二元的に自身の行動を捉えられる(公開していないものはないものとされる。)し、Googleに対して個人データや検索履歴などあらゆる行動を与えている。ただそれらの行動自体がGoogleやSNS会社の養分になっている。そして、それらの会社が我々の行動をサジェスト機能等で規定しうる。我々自身が無自覚に巨大ソフトウェア会社に従うことになる。ただ、それらのソフトウェア会社は民主的ではない。検索アルゴリズムは民主プロセスを踏まず、ただGoogleの思うままに表示されるし、Airbnbで借りた家でのトラブルは自己責任となり、Airbnbを運営する会社は借用者の権利を保障しない。無自覚に自主的に、非民主的なテクノロジーに従わざるを得ない状況はまさに全体主義の形が表れていると。テクノロジーが規定するものに従うつまり全体主義に加担するということになるからだ。そして、この全体主義の萌芽が国家単位で発生していたこれまでとは違い、国家の単位を超えたグローバル規模で発生しているということが現代の病理。
    便利になること、効率よくなることが良いことだとすること自体が特定の「普遍」の押しつけである。過去のナチズムや大日本帝国もその自分達の勝手な普遍性を押し付けるために理性的に侵略していたと。
    科学ですら、ガブリエルから言わせると一つの神話に過ぎない。一つの信仰であって普遍とは言えない。
    なぜなら、存在者の無限に長い連鎖(=おそらく原因と呼べるもの)は無限にあるから。それぞれの存在者の連鎖が無限であって、それらのすべてを包含する文脈、背景、原因は究極的にはない。宇宙の始まりであるビッグバンでさえなんらかが先行して、、、という話と思われる。その究極的な原因、根拠と呼べるようなものがなく、それぞれの存在者がお互いに影響を与え続けているようなこと自体が安定性をもたらしていると。その運動自体は法則がない。科学ですらそれがどこでも統一的に通用する根拠はない。
    どのスケールにおいても量子力学における確率論が展開されると。シェリングのいう原偶然性を認めることが重要としている。それが「普遍」の押しつけに陥らないための哲学であり、彼の提唱する新実在論。
    常に他者が入り込む隙間があることを認めるということ。
    自由意志のような哲学(意志と己とが分かれていて、原因となる意志と結果の己の行動とが明確に存在し、いつどこでも意志が同じであれば同じ結果になるとするような考え)ではなく、自己や出来事それ自体が自由であるという考え方(つまりどうなるかは分からない、神すらもいない)のもとで、どう生きるかって話をしている。
    想像を働かせること。立ち止まること。
    今、目の前にあるチキンのもともとの鳥の姿を想像すること、ファストファッションが作られる労働環境を想像すること、自分達の消費行動が誰かの搾取の上に成立しているかもしれないことに目を向けること。そういった想像力が重要である。売れればOK、自分が便利になればOKという話からの脱却。
    対話によって文化それぞれの非対称を感じることがなくなる世界、つまり様々な伝統が自分たちの歴史の一部だと考える世界を目指す。想像を世界にまで広げるて、社会的想像の刷新・更新をしていくということを掲げている。

    そうして出来上がる社会的想像が全を取り込むような力を持たないか、またそもそも理想はそうだとして、どういうものになりうるのかが想像しにくい点が気になったし、今後ももう少し考えてみたい。

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著者プロフィール

【著者】マルクス・ガブリエル
Markus Gabriel/1980年生まれ。後期シェリングの研究によりハイデルベルク大学から博士号を取得。現在、ボン大学教授。日本語訳に、『神話・狂気・哄笑:ドイツ観念論における主体性』(ジジェクとの共著、大河内泰樹/斎藤幸平監訳、堀之内出版、2015年)、『なぜ世界は存在しないのか』(清水一浩訳、講談社選書メチエ、2018年)、『「私」は脳ではない:21世紀のための精神の哲学』(姫田多佳子訳、講談社選書メチエ、2019年)、『新実存主義』(廣瀬覚訳、岩波新書、2020年)、『アートの力』(大池惣太郎訳、堀之内出版、2023年)など。

「2023年 『超越論的存在論』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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