「天皇機関説」事件 (集英社新書)

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  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784087208788

作品紹介・あらすじ

安倍政権の暴走により、立憲主義の崩壊が叫ばれているが、戦前にも事実上の機能停止に陥ったことがあった。この事件以後、日本は破局的な戦争へと向かう。現在とのあまりの類似点に戦慄を覚える一冊。

感想・レビュー・書評

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  •  1935年の天皇機関説排撃事件については憲法学や歴史学にかなりの研究蓄積があるにもかかわらず、一般向けの手ごろな単著がなかっただけに、その一点でも本書は価値があるが、排撃運動を今日の立憲主義の解体状況や排外的ヘイトスピーチの隆盛と重ね合わせようとする問題意識が鮮明な分、事件の前提となる明治憲法をめぐる分析視角に問題がないではない。

     特にあとがきで、かつて久野収が提起した「顕教」としての天皇主権説と「密教」としての天皇機関説という視点をあえて採用しなかったことを明示しているが、この視角がないと排撃運動と大衆社会との関係が不明瞭となり、明治憲法の「通説解釈」が一部の反動勢力の卑劣な暴力によってつぶされたという「頭のおかしな連中の反逆の物語」としてしか理解されない恐れがある(むしろそれが著者の狙いかもしれないが)。美濃部学説自体は一種の「解釈改憲」の要素があり、帝大・旧制高校系のエリートの世界では多数説であっても(ただし肝心の東大の憲法学講座を主権説派が押さえていたことは軽視できない)、国民教育と密接に関わる軍学校や師範学校などでは一貫して神権的解釈が主流で(つまり学界の趨勢とは裏腹に一般社会では「通説」であったことがない)、しかも高等教育と無縁の圧倒的多数の人々には憲法を学ぶ機会すらなく、教育勅語しか知らない標準的な大衆からすると排撃派の主張の方が「常識」の範疇で、逆に天皇機関説は相当異質に感じられていた実状が見えにくい。大衆の反エリート感情と国家保守主義との連結という問題は、今日の日本の右傾化の構造を考える上で見落とすことはできず、天皇機関説事件を今日的に捉え直すならば、やはり久野説を無視するべきではなかろう。

  • 貴族院議員でもあり、憲法学者であった美濃部達吉らが唱え、
    大日本帝国憲法下で30年近くに渡って憲法学の通説とされたのが
    天皇機関説である。

    国を法人とみなし、統治権は国家にあり、天皇はその最高機関とし
    て、内閣等の機関からの輔弼を得ながら統治権を行使する。

    しかし、満州事変後の1935年、軍人出身の政治家たちをはじめ、
    右翼団体等から総攻撃を受けることになった。

    美濃部達吉が矢面に立たされ、その著作までが発禁処分となった
    「天皇機関説事件」を分かりやすく説いたのが本書だ。

    もうねぇ、攻撃を開始した軍人出身の政治家っておバカちゃんでは
    ないかと思うのよ。美濃部博士の著作さえ読まずに「学匪」「謀反人」
    などと言って恫喝するんだから。

    それは右翼も一緒。政治家たちを先導した蓑田胸喜なんて、美濃部
    博士の天皇機関説の一部を切り取って、理論を捻じ曲げて「けしか
    らんっ!」なんてやっているのだもの。そもそも蓑田の「いいがかり」は
    私怨ではなかったのかと思うんだわ。

    美濃部博士は「一身上の弁明」を議会で演説し、騒動は沈静化するかに
    見えたのだが、天皇を利用したい軍部や右翼からの攻撃は増すばかり。

    右翼団体や在郷軍人会は別動隊の団体を立ち上げて、国体明徴運動
    を錦の御旗にして振りかざす。あれ?別動隊って今の「日本会議」の
    やり口がそのまんまだね。

    大体、明治維新後の日本って「アジアは後進国だからやだ。ヨーロッパ
    列強の一員になるんだもんね」と脱亜入欧を目指していたはずだろう。

    それなのに、満州国建国で国際連盟脱退。「日本は他に類を見ない
    万世一系の天皇が統べる特別な国なんだぁ」と、西洋思想を排撃って
    なんだよ。

    天皇機関説を唱える美濃部博士をはじめとした学者さんたちを国賊だと
    か、不敬だとか言うけれど、当のご本人である昭和天皇は「機関説で
    いいではないか」と容認されているっていうのに。

    要は自分たちに都合のいいように天皇を利用していたのは右翼団体や
    陸軍皇道派なんだよね。だから、2・26事件を起こして昭和天皇を激怒
    させたんじゃないのかな。

    今の教科書ではこの天皇機関説に触れているのかな。私は学生時代、
    事件の内容は教わらなかった気がする。

    新書なので一般向けに分かりやすく書かれており、各人のよって立つ
    思想についても解説されているので理解しやすい。

    そして、日本会議の手法がこの頃の機関説排撃運動に加担した人たち
    と似ていることにうすら寒くなった。

    尚、美濃部博士攻撃の急先鋒だった蓑田胸喜は戦後の1946年に自死
    している。一説には国体のなんたるかが分からなくなった末の狂死とも
    言われているようだ。

  • 天皇機関説事件とは、1935年に起きた政治的な弾圧事件です。
    私も高校時代に日本史で学んだ記憶があります。
    恥ずかしながら、私は本書を読むまで大きな勘違いをしていました。
    天皇機関説というのは一部の左翼学者が唱えた異端の学説で、これを不敬だとして当時の軍人や右派政治家が排撃したもの。
    と、そのように捉えていたのです。
    本書を読み、天皇機関説とは、美濃部達吉をはじめとする当時の学者が、正統的な憲法学説として唱えたものだということが分かりました。
    つまり、日本という国家を「法人(法的に擬人化した概念)」と見なし、天皇はその法人に属する「最高機関」に位置するという学説です。
    この学説は、当の天皇陛下自身が認めていたものでした。
    しかし、この天皇陛下自身も認める正統的な学説に対して、当時の軍人や右派政治活動家は
    「天皇陛下を『機関』などという無機的で世俗的な言葉で表現するとは何事か!」
    「天皇陛下を『会社の社長』や『機械の一部』のように捉える考え方は、不敬ではないか!」
    などと激しい批判や罵倒の言葉を投げつけます。
    一部軍人や右派政治活動家は、天皇機関説だけでなく、美濃部に対する人格攻撃も繰り広げます。
    「学匪」とまで罵られては、さすがに黙っていられない美濃部は、「一身上の弁明」として議会演説を行います。
    この演説で美濃部は、天皇機関説を排撃する者たちが、実は美濃部の著書をほとんど読んでおらず、片言隻句を捉えて誹謗中傷していることを白日の下に晒します。
    美濃部は演説の中で、皮肉も交えてこう述べます。
    「菊池男爵(天皇機関説排撃の急先鋒=引用者註)は、私の著書をもって、我が国体を否認し、君主主権を否定するものであるかのように論じられていますが、それこそ実に同君が私の著書を読まれていないか、または読んでもそれを理解しておられない明白な証拠であります」
    いつの時代にも、菊池男爵のような手合いがいるのだと思うと、暗澹たる気持ちになりました。
    ところが、戦時色が濃くなっていくのと同時に天皇機関説排撃派は増長し、美濃部は徐々に窮地に追い詰められていきます。
    当初は「自分は天皇機関説には反対だが、学説の話は学者に任せて、政治家が口出ししない方がよい」(岡田啓介首相)と冷静に対応していた政府も、ついには天皇機関説排撃派の突き上げに抗しきれなくなり、美濃部の著書の一部を発禁処分にし、さらには国体明徴声明(日本が他国よりも優れていることを示す独特の性質を認めてはっきりと証明すること)を発表するに至ります。
    こうした排撃派の動きを、天皇陛下は快く思っていなかったそうです。
    しかし、あろうことか天皇陛下の意向さえ無視して排撃派はさらに勢いを増し、立憲主義は実質的にその機能を停止し、ブレーキを失った国家権力は破滅への道へとひた走ります。
    美濃部は、天皇機関説事件の前年に当たる1934年に雑誌「改造」12月号に寄稿した記事「国家主義の思想とその限界」で次のように書いています。
    今という時代に大変に示唆に富んでいます。
    また、個人主義や自由主義についても、実に簡潔、的確に書いています。
    個人主義や自由主義は、最近極めて評判が悪いですが、批判する向きにはどうも勘違いしておられるのではないかという疑念があります。
    美濃部の記事を読んで、共に勉強しましょう。
    「個人主義と言えば、国家の利益や社会の福利を顧慮せず、各個人をして小我的な自利を主張することであるとか、あるいは何らの節制もなく個人のわがままな行動を放任することであるとするような傾向があるけれども、正統な意義における個人主義とは、各個人の人格を尊重し、個人としての生存の価値を認め、国家および社会の利益と調和できる範囲において、個人の精神的および物質的に自由な活動を容認するという主義に他ならない。個人の天与の材能(才能)を、その天分に応じて自由に発揮することを可能とし、各個人をして人間に価する(人間らしい)生活を営ませることは、実に個人主義の真髄の存するところである」
    「国策としての国家主義は、その最も極端なかたちにおいては、国家を単に戦闘団体としてのみ観察し、国防すなわち国家の戦闘力を強くすることが、国家の唯一の目的であるとし、国家のすべての編制および活動をして、ひとえにこの目的を達するための手段にしようとするところにある。こういう考え方の下においては、国民は単に国家の戦闘力を構成する手段に留まる」

  • 天王機関説事件から国体明徴運動とその後の流れまでを非常に分かりやすく整理してくれている
    1935年と100年近く前の事件ではあるが、人の起こしたこと故、現代にも通じる
    混乱の最中では道理よりも無理が通る
    国連脱退による国際社会からの孤立、明治以降の欧州文化偏重の傾向、1920年代の軍縮
    自国を守らねばならない環境下で力を失っていた軍部が国体という標語のもとに揺り戻しをかけた
    結果、理論として天皇自体も認める機関説が排撃され、精神性を拠り所にした国体が推されることとなる
    現代日本も経済的な弱体化やコロナ禍という混乱にかこつけて政府は無理筋を通している
    社会規模でなく自身の身近な会社でも十分に起こり得る潮流であるし起こっているのかもしれない

  • この事件について学んだのは高校日本史以来で、従って、ほぼ無知の状態からのトライ。なるほど、大戦に向かいゆく国において、軍の横暴を許すことになる直接的な端緒たる事件という訳ですね。威勢よく天皇の名は振りかざすけど、実際の頭の中にあるのは自分の権益のみ、という。声の大きさを頼む多数派による言葉の暴力に対し、明らかに真っ当な少数派の小さな声は、かくも無力なのですね。そして現代にも繰り返される同様の構図。それでも、抗う声を上げ続けないと。

  • 日本学術会議問題を契機に読んでみた。

    (宗教的な傾向を持った)権力が科学・学説の当否に介入した経緯とその結果がよく分かる。現代社会でも同じ歴史を歩んでいるのではないかと心配になってくる。

    他方で、一部の極端な思想の持ち主の活動が、これほど大きな流れになってしまった理由は、自分の中ではうまく消化できなかった。
    現代でも、この流れに抗う方法はすぐには見つからないだろうか。

    現代で〈日本の伝統〉を強調している人たちは、この「天皇機関説事件」をどうとらえてどう評価しているんだろう?
    そちら側からの視点から論じられたものも読んでみたい。

  • この「天皇機関説事件」が、日本を軍事マシンへと流れを変えた決定的事件なのですね。
    凄く分かりやすい説明と、全体の流れを俯瞰する内容で、初心者にも読みやすいです。
    なぜこうなるに至ったのかを考えながら、本書を読み進めたのですが、まずは明治憲法の欠陥ですね。軍隊が天皇によってのみ統帥される。つまりは政府や裁判所に牽制されない。この欠陥をうまく突いてきた訳ですね。
    またなぜこんな憲法になったのかを考えてみると、明治政府はやっぱり薩長出身者で作った軍事政権という事だったのでしょうか。
    一度は憲法も作って、立憲主義、法治主義を表明して、野蛮な国から脱却したのに惜しいですよね。
    明治維新から昭和の戦争までの流れが良く理解できた一冊でした。

  • 歴史
    政治

  •  たったひとりの男の言説に国全体がのせられた。この国の民は愚民の集まりだったのかとも考えられるが、現状もさして変わらない。
     知恵を絞ってみても結局庶民はつけを払わされるから、考え過ぎないのが身のためであろう。世の中が騒がしい時には静かに暮らすのがいいのかもしれない。結局なるようにしかならない。

  • 歴史の教科書に出てくる著名な事件だから、名前は知っていたし、天皇機関説がどういったものかも知っていたつもりだった。しかし、その事件が歴史上どのような意味を持ったのかについてはこの本に教えられることが多かった。

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著者プロフィール

山崎雅弘(やまざき・まさひろ) 1967年生まれ。戦史・紛争史研究家。

「2020年 『ポストコロナ期を生きるきみたちへ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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