死んだ金魚をトイレに流すな ―「いのちの体験」の共有 (集英社新書)
- 集英社 (2009年2月17日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (200ページ)
- / ISBN・EAN: 9784087204803
作品紹介・あらすじ
いじめによる自殺は後を絶たず、連鎖したかのように起こる無差別殺人…。現代では「いのち」があまりに軽くあつかわれている。人はなぜいのちの重みを実感することができなくなってしまったのか。実は人間は多くの場合、死への恐怖や生きることの孤独を感じる時期を一〇〜一二歳の頃に迎え、その時期の乗り越えかたによって生き方が大きく変わってくる。死んだ金魚を何も考えずに子どもの目の前でトイレに流すような親の行為がいのちを軽視する風潮につながっているのである。長らくスクールカウンセラーとして子どもたちに向き合ってきた筆者による独自の「いのちの教育」の真髄を紹介する。
感想・レビュー・書評
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まだ正式に教壇に立ったわけじゃないけど、
教育実習等を終えた自分から言わせてもらうと、
そんな簡単なことじゃないって思った。
ただ、なぜ人を殺してはいけないのか?
その問いはずっと私にもあった。
だからこそ、最終章での
「無条件の禁止」にはひどく納得させられた。
基本的自尊感情を育むことは、
そう簡単ではないけれど、
これから教壇に立つ自分にとって
最大の課題となるべきものかな。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
タイトルに興味を持って借りた本。
「いのちの体験」を通して自分も他人もすべての「いのち」が最も大切で、最も誇るべきものだという感覚を持つようになる。
それを持っている人の人生は強い。
「いのちの体験」って、なにか。
それがタイトルになっていること。
買っていた金魚が死んだあと、どうするか。
お墓を作って弔うか。生ごみとして廃棄するか。トイレに流すか。
昨日までかわいがっていた金魚をあっさりとトイレに流す親を見たとき、子供は、いのちを軽視しかねない。
あっさりトイレに流すくらい軽いものなのだと。
核家族が増え、死を身近に体験することがすくなくなっている。
それにともない、本当の死を感じる経験も減り、いのちが本当に尊いのだということを知る機会もすくなくなっている。
たしかに、そうだよな。と思った。
また、いのちの体験をした子は、自尊感情を持つようになる。
自分という存在はかけがえのないものだと。
自尊感情は、すこし取り違えると自分だけはえらい。という感情にもなりえる。
社会人を見ても、そんな感情にとらわれている大人も多い。
子供だけではなく、今の大人にも、いのちの体験は必要なことだと感じた。
読みやすく、わかりやすいので、あっと言う間に読める本。
これ、子育て前にもう一度読み返したいな。 -
カウンセラーとして、長年子供を見て感じた
「命」が軽く扱われ始めている事に警鐘を鳴らしている本。
勉強ができ、容姿端麗な子ほど自分に自信がなく、
生きている意味がわからない。生きていていいのだろうか。
そんな悩みを持つ子が多いという。
親になった自分が、そういう子供の話を聞くのをはとても悲しい。
「いのち」という難しい題材を子供と一緒に共有していきたいと思う。 -
え?なんで金魚が死んだらトイレに流すの?なんで飼い猫の餌にしちゃうの?
いくら集合住宅だからって、それはないだろう。
子供たちに「いのちの教育」「死・の教育」をするにはどうすればいいかが
テーマなのだが、上記の大人の行動が私には衝撃だったな。
人間を含め「生き物」を「ただのモノ」として扱うことは、おかしな生死観を
植えつけることになるんじゃないのか。だから、「死ぬ」ということが分から
ない。人に危害を加えることに疑問を持たない。
エスカレートするいじめ、それに起因した自殺、他者への暴力。想像力の
欠如と、命の大切さへの無知。それは子供だけに限らない。だって、子供
の世界は大人の世界の縮図なのだから。
最近、介護福祉施設での利用者への暴言・暴行が問題視されている。
身体の自由が利かない人でも、高齢者特有の症状を抱えている人でも、
それは命を全うしようとしている「生きている人間」なのである。
子供に「いのちの教育」が重要なのは勿論だが、大人も今一度、考えて
みる必要があるのではないか。
他者の痛みを自分の痛みとして想像出来るのであれば、「誰でもよかった」
なんていう無差別殺人だってなくなるのではないか。
人を殺してはいけません。それは理屈ではなく、ダメだからダメ。著者の
意見に賛同する。でも、日本って国は国家が人の命を奪う国なのだよな。
本書は道徳を説教臭く説くのではなく、著者のいじめ体験を基調にして
日常生活のかなでの子供との接し方等で優しく説いてくれる。 -
「命を大切にする子どもを育てるためにはどうするべきか」というのがテーマ。埋める場所がないからと死んだ金魚をトイレに流すようなことは絶対にしてはいけないという。たしかに、それは子どもにとって命が軽視されているように見えるだろう。「大人の都合」は子どもに理解出来ないのだ。
著者はいじめられっ子だったらしい。しかし、どんなにいじめられても絶望に陥ることはなかったという。著者はそれを自尊感情と結びつけている。自尊感情というのは、自分を守ってくれる最後の砦なのだろう。 -
[ 内容 ]
いじめによる自殺は後を絶たず、連鎖したかのように起こる無差別殺人…。
現代では「いのち」があまりに軽くあつかわれている。
人はなぜいのちの重みを実感することができなくなってしまったのか。
実は人間は多くの場合、死への恐怖や生きることの孤独を感じる時期を一〇~一二歳の頃に迎え、その時期の乗り越えかたによって生き方が大きく変わってくる。
死んだ金魚を何も考えずに子どもの目の前でトイレに流すような親の行為がいのちを軽視する風潮につながっているのである。
長らくスクールカウンセラーとして子どもたちに向き合ってきた筆者による独自の「いのちの教育」の真髄を紹介する。
[ 目次 ]
第1章 なぜ子どもたちは死に急ぐのか(いのちを軽くあつかう子どもたち;いのちの重さは同じではない ほか)
第2章 「いのちの体験」が子どもに生きる意味を教える(金魚が死んだらどうするか;「金魚の墓」に驚く北米人 ほか)
第3章 自尊感情があれば、自分も人も殺せない(「共有体験」が自尊感情を育てる;偏差値の高い子ほど「自信」がない ほか)
第4章 私が人を殺せない理由(意識の底にあること;児童に殴られ続けたH先生 ほか)
第5章 「私は何より大切な存在」そう思える子どもの自尊感情をどう育てるか(自尊感情の基盤は、乳幼児のときの「愛の共有体験」から育まれる;物言わぬ生き物の気持ちを親が代弁して、子どもの想像する力を引き出そう ほか)
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ] -
衝撃的なタイトルです。
子どもの時に初めて迎える「死」について、どう向き合うのか、
という真面目な本です。
飼っている金魚が死んだ時に、親がトイレに流すのを見た子どもは
命を軽視するようになるそうです。
日本では、ペットも人間と同じようにお墓をつくって埋めたりしますよね。
それって、大事な事なのかも。
核家族になって、祖父のお葬式から遠ざかった子どもは、いつ
死について考えるんでしょう。どう向き合うんでしょう。
考えさせられました。 -
きれいごとを言っているように思えてしまうのはなぜだろう。データーのごちゃごちゃ感もあり。
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いわゆる「いのちの教育」「死の教育」がテーマの本。
一応、カウンセラーとしての立場から書かれているが、
筆者の見解はむしろ幼少期のいじめ体験に裏付けられている。
本書の特徴は、
サブタイトルが端的に示すように、
「いのちの体験」をどのように共有するか、ということ。
そして、本書の中では
ただやみくもに道徳教育を推進するではなく、
生命の誕生を喜ぶ、消滅を悲しむ、といった体験を
周囲の人と共有する、ということが大切にされている。
「死んだ金魚をトイレに流すな」とあるように、
生命の消失を「モノ」扱いする形では共有すべきでないとしている。
(ちなみにこの事例は、日本よりもカナダでよくあるらしい)
つまり、共有すべき「いのちの体験」の本質は、
生命に触れることそのものよりも、
生命と関わった経験をどのように意味づけるか、にあるといえる。
「自尊感情」や「死の概念についての発達段階」など、
専門用語もそれなりに登場するが、
この本のもっとも秀逸な点は、
日常場面での生命との関わり方を
「飼っていた金魚が死んだとき、どうしていますか」
という一言で明らかにしていることにあるだろう。
その点、非常にとっつきやすくわかりやすい一冊である。
個人的には、高校生くらいでも読める良書ではないかと思う。