ラテンアメリカの文学 11

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  • 集英社
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  • Amazon.co.jp ・本 (463ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784081260119

感想・レビュー・書評

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  • 指先がムズムズするぐらい面白かった(面白いとよくなる)。
    全く違う形状のねじとねじ、らせん状のパーツとパーツがほんの一瞬だけがっちりとかみ合って、あとは付かず離れず音を立てながら同じところをくるくる回っている感じ。

    この小説の一番特殊な部分は語り手の形状が自在なところ。少年に見えたり大人の男に見えたり壁のシミに見えたり。赤子だったり。不具だったり。

    そして「目」というものが語り手のたいそう重要なパーツになっているんだけど、その「目」の強さが人称の変化によって支えられているように感じる。

    インブンチェ、という体中の九つの穴をふさがれてしまう化け物のような存在がこの小説の中では語り継がれていて、すべての欲、場所、身体性がこのインブンチェに収束されていく。それなのにそう気づくまでにはそのエピソードを読み終わる頃だったり。なんとも緻密で周到な小説だった。

    変化する人称というのも「何者かになれ」というよくわからない教育を受けていた語り手にはぴったりかもしれない。親の「何者かになれ」はほとんど呪詛に近いものがある。つまりお前は何者でもないと言っているのと同じ。語り手の強迫観念的な歪んだストーリーはここが起点となっているのだろう。

  • 2014/10/13 ★★★★★ 二年ぶりに再読して、やっぱりとても面白かった。ウンベルトの妄想の踊りっぷりが素晴らしく、初読時より時間をかけて堪能してしまった。

    今回感じたのはウンベルトの不安。世界に乗り出していけず、アスコイティア家に張り付いて生きていかざるを得なかった弱さ。それをヘロニモとイネスをあそこまで引きずりおろす捻じれた怨念に育て上げるって、ちっとも「ただの人」じゃないじゃないか。ホラーすぎる。

    2012/06/15 ★★★★★ うーん面白かった。「生理的に嫌」という表現があるけれど、その逆の「生理的に楽しい」本だった。頭の中に背中があったら、そこを掻いてもらっているような気持ちよさ。

    あらすじをまとめてみれば、父に「何者かになれ」という圧力をかけられながら育ち、上流階級の主人とその妻に憧れながら仕え、奇形者の王国を立ち上げ、引退した召し使いである老婆たちの間で小包化するウンベルトの語る話。

    でもこの本のツボはその筋立てではなく、夢破れた主人公が、これでもかっていうくらい勝手に妄想して好き勝手なことを延々語り続けるところと、それを反映した狂った世界の表現。小包化した後の溶けてしまった脳みそが自動再生してるんじゃないかというダダ漏れ感が非常に良い。修道院のばあちゃんたちの、弱者の皮をかぶったラスボス感がまたなんともいえずキモかっこいい。この本は、貧富・男女・老若・美醜の価値が反転し続ける楽しさにあふれている。これを楽しいと表現するのが適切かはわからないけれど、とても楽しかった。

    一億総中流といわれた時代に生まれ育った者としては、ウンベルトの怨念の元であろう階層意識は全然わかっていない。ごくごく個人的に読んで、あらそういう風に逃げ続けると消滅できるんだね!よかったね!という気持ち。誰かになり続けようとするって、ほんと毒だけど、まあウンベルトはやりとおしたから、讃えてあげてもいいかと。

  • 長年の憧れだった一冊。最高!
    まずは設定。インブンチェ。閉じ込める。閉鎖。老婆力。フリークスの楽園では現実とは価値観が逆転する。種なし。異形。畸形。などなどなどなど。
    次に文体、人称、記述のゆらぎ、というか、揺らぎをも苦にしない饒舌。これは本当に独特。
    人称や語りかけのぐらぐら揺れる様子は、南米文学の中でも独特なのでは。
    そして読みやすさやら感情移入やらはてんで受け付けない、文章自体の凄さ凄まじさ。熱にうかされ、熱にうかされ続け。密度。

    思い出すはホドロフスキー。

    しかし、小説だからこそ。

    ……え。カボチャ。

  • ふつう小説を読むとき、読者はその小説を書いた作者や、語り手(話者)のことを意識せず、作品世界のなかに入ってゆく。まれに19世紀の小説などで、作者が語り手の口跡を借りて直接読者に語りかけることもあるが、それとて、すぐに背後に退き、小説世界はそれまでと同じ次元にとどまってゆるがない。作者や語り手は信用できる存在であるから、読者はその言葉を信じ、疑う必要などないという、暗黙の契約がそこにある。

    『夜のみだらな鳥』は、はじめのうち、リアリズム小説らしい会話や叙事、説明が繰り返されるので、不覚なことに、読者はいつもの小説を読むような気持ちで読みはじめてしまう。どうやら語り手は《ムディート》(小さな唖の意味)という名の寺男らしい。修道院に雇われている聾唖者ということだが、喋ることができずとも、小説の語り手はつとまるが、聞くことのできない話者というのは無理がある。冒頭の会話は誰の耳が聞いたのか、という疑問が生じるからだ。つまり、少なくとも聞くことはできるはずで、聾唖者というのは嘘だということがはじめから明かされている。これは、所謂「信頼できない語り手」が、かたる(騙る)物語なのだ、と作家は警告を発しているのだ。

    《ムディート》が修道院に暮らす老婆たちから聞く物語がある。昔、九人の息子と一人の末娘を持つ裕福な地主がいた。ある日、兄弟は噂を聞く。妹の召使が魔女であり、二人は夜な夜な怪異な動きを見せると。兄弟は召使を捕らえ、木に結わえ付けて川に流す。これで、末娘がインブンチェにならずにすんだと人々は胸をなでおろす。インブンチェとはアラウコ族の俗信で赤子をさらい洞窟で怪物に変える妖怪のこと。村人は今でも魔女が娘をさらい、体の九つの穴を糸で縫いつけ、髪も爪も伸び放題にし、白痴状態にして慰み者にすることを恐れているのだ。

    このインブンチェのイメージが小説全体に流れているライト・モチーフだ。外部に開いた窓を閉じて、自分の内部だけしか知らないで育つ子ども。肥大する自己イメージと外部の現実との落差を知らず、そのいずれが真実なのかさえ知りえない、目隠しされたまま幾重にも取り囲む迷宮の中で大人になる怪物めいた「子ども」の姿。それは、語り手のもうひとつの姿であるウンベルト・ペニャローサその人の姿でもある。しがない小学校教師の息子でありながら、父からは「ひとかどの者」になるよう期待され、法学を志すも、実態はカフェにたむろする毎日。作家を自称するが、イメージは膨らみ、ほとんど頭の中で出来上がっているという作品は、ただの一枚も書かれてはいない。

    ウンベルトはその後、名門アスコイティア家の当主ドン・ヘロニモに見出され、リンコナーダの屋敷内に部屋を与えられ、秘書として働くかたわら原稿を書くことを認められる。『夜のみだらな鳥』は、そのウンベルトが書きつつある小説である。作中ウンベルトは、ヘロニモの妻イネスに懸想し、その召使の魔女ペータ・ポンセの計らいでイネスと交わる。その結果イネスは畸形の嫡子《ボーイ》を出産する。家名を穢すことを恐れたヘロニモは、《ボーイ》をリンコナーダの中庭に閉じこめ、その周りに畸形や不具の者ばかりを集め、外の世界を見せずに育てる。ウンベルトはヘロニモの命で屋敷を監督する。報酬を聞きつけた畸形者が殺到し、その程度に応じて住まいを与えられ、リンコナーダはボッシュ描く『悦楽の園』と化す。

    ヘロニモの親族で、これも畸形のエンペラトリスはリンコナーダにあってウンベルトのよき協力者だったが、ウンベルトが吐血し人事不省に陥ると天才外科医でやはり畸形のアスーラ博士と謀り、屋敷を私する。博士の手術で体の八十パーセントを失ったウンベルトは、屋敷を出てアスコイティア一族の用済みの使用人の収容所と化したエンカルナシオン修道院で寺男《ムディート》として働くことに。修道院には六人の魔女と呼ばれる老婆が、孤児の一人の妊娠を契機に、処女懐胎の秘蹟を真似、包帯でぐるぐる巻きにした《ムディート》を赤ん坊のように抱っこしたり、下の世話をしたりする遊戯に耽っている。埋められた窓、釘で板戸を打ち付けられた修道院や《ムディート》の姿を見れば、これもまたインブンチェのモチーフだと分かる。

    書けない作家のオブセッションをライト・モチーフに、少しずつずれを含んだ繰り返しを反復させる、それ自体が迷宮のような小説である。修道院で老婆の語る物語が、そのままイネスとその召使の二人に重なり、リンコナーダに閉じこめられる畸形の子と、包帯ぐるみの《ムディート》がインブンチェと重なり、アイデンティティというものの不確かさが、どこまでもつのってゆく。書かれない小説は、頭の中で何度も別稿や異文を生み、話は歪み、増殖を繰り返す。外部と内部、現実と想像、自己と他者の境界が崩れ、相互に流入する。何が真実で、どこまでが嘘か知る術はない。

    早い話が、ローマから帰ったイネスはヘロニモの待つ家に帰らず、修道院で清貧の暮らしを始めるが、イネスの子どもの話は一切出ない。それどころか、スイスで手術を受けたイネスは人柄まで変わってしまっている。人間の自己とは、その外部によるのか、内部によるのか。臓器移植や整形外科が当たり前のように行われている現代を見越したかのように、イネスとペータ・ポンセの表皮を除く内部の入れ替えが生じさせる人格、容貌を含む人間そのものの変化が投げかける問いは重い。

    さらに、ローマによって列聖される聖者や福者は、時代を少し遡れば、その昔魔女と恐れられた女に行き着くこともある。名門といわれる家系を遡った果てに魔女と福者が現われるという家系、出自の信仰を疑う、階級に寄せるアイロニカルな視線。ホセ・ドノソは、自分とは何か、この根源的な命題を愚直にも問い続けて倦むことを知らない。混濁しきった小説世界は最後に静謐な抽象性をまといつつ、その幕を閉じる。すぐれた幻想小説のみが持つ余韻の残る結末には舌を巻いた。

    • abraxasさん
      淳水堂さん今晩は。
      レビューを書く前に、淳水堂さんのレビューを読み、なるほど、こういう話なのか、と納得してから自分のレビューを書き出したの...
      淳水堂さん今晩は。
      レビューを書く前に、淳水堂さんのレビューを読み、なるほど、こういう話なのか、と納得してから自分のレビューを書き出したのですから、そう思っていただくのは当然といっていいのです。『別荘』を読んでから、これはもう『夜のみだらな鳥』を読まないで済ませるわけにはいかない、と思い、県の図書館で借りました。
      水声社から出るんですね。何箇所か誤植と思える所も見つけたので、修正は必要と思っていたのですが。この時代、いつまでも発禁処分を宣伝材料にするわけにもいかないでしょうし、丁度いい機会かも知れませんね。
      2014/10/13
    • 淳水堂さん
      きゃあ光栄です。「違ってるかも」と思いながら書いたのですが、あってますよね(^^;)

      体の80%を奪われ云々は、吐血描写があったと思う...
      きゃあ光栄です。「違ってるかも」と思いながら書いたのですが、あってますよね(^^;)

      体の80%を奪われ云々は、吐血描写があったと思うので現実的には「胃癌の手術」とかなのかもしれませんが、それを「体を奪われ不具者たちで分け合った」とか描き方をするところがこの本であり、ウンベルトからムディートへそしてインブンチェへと変貌し、しかしなぜかムディートの記憶がウンベルトにあったりする語り手に、”本当の現実”は意味がないですよね。
      語り手だけでなく、多くのものが変貌や同化しますね。イネスとベータ・ポンセ(と伝説の魔女?)の同化、ウンベルトと同じ仮面をかぶり同一人物として一人の女と交わる男たち、不具者の集団で健常者が異常者となり不具者に取り込まれる…。
      醜悪なものがなぜか美しくなってしまうのもラテンアメリカの特色。といっても耽美ではなく、厳しい現実には逆説的に美しくしないとやってられないという感じもしますが。
      2014/10/13
    • abraxasさん
      あってますとも。
      実はレビューを書く前に、再読したのです。一度目より二度目の方が、圧倒的に読む楽しみが増えますね。つまらない本は再読を拒否...
      あってますとも。
      実はレビューを書く前に、再読したのです。一度目より二度目の方が、圧倒的に読む楽しみが増えますね。つまらない本は再読を拒否しますから、再読できる本は二度目はもっと美味しい。
      現実より自分の想像を上に置くウンベルトの思いは、エンペラトリスとヘロニモとの会話で語られていますね。「現実よりも彼自身の妄想や憎悪のほうが大切で、現実は彼にとっては否定すべきものだった」と。
      他者との同化についても、エンペラトリスは語っています。「作中人物はいつも不明瞭で、不安定で、決して一個の人物としての形をとらなかった」と。
      《ボーイ》の整形手術に批判的であったように、ドノソにとって畸形は怪異ではあっても醜悪ではなかったのでしょうね。むしろ、ウンベルトのような「顔のない」人物の方が醜く感じられたのかもしれません。誰かに認められるような「顔」を持つこと、それがウンベルトや父の憧れだったのでしょう。
      チリの示す現実に対応しきれなかった作家の、痛みのようなものも感じられる気がします。
      2014/10/14
  • 内容は
    とにかく『ドグラマグラ』とはまた違う混乱。
    『裸のランチ』とも違う酩酊と一言おいてから。
    大筋は、名家の政治家が妻に産ませた子が酷い畸形。
    その子を封印するため、畸形・不具者ばかりを大勢集めた
    コミュニティを修道院の敷地内の広大な場所に造り
    外界と完全に断絶する。
    政治家の敏腕秘書だった語り手が大量喀血の後に
    サナトリウム的な意味合いと、その畸形ワールドの管理
    及び記録係として、入園することになる。
    そこからが、語りべの精神崩壊と憎悪と妄想と歴史と宗教と
    様々な物が交錯し、読み進むごとに、わざと交錯した会話や
    構造となってきて、最後まで混乱した妄想と現実と過去と未来と
    ごちゃごちゃのままであるが、大変面白い。いらいらしない混乱。

  • 読むのに大変な時間がかかってしまった。
    先がとても気になるのに、とにかく準備万端でないと読む気になれないというか。実際分厚いし。
    ファンタジー、ミステリー、歴史小説、狂人小説。
    時系列や人称もめちゃくちゃですが、文章自体はとても読みやすく面白い。
    素晴らしい小説。読めて本当に良かった。一生の財産になるくらいの読書経験。ちょっとまだ簡単には感想書けないくらい。

  • このラテンアメリカ文学を代表する作品をついに読了。
    とりあえずの感想は、なんじゃこりゃ!
    大きく息を吸ってからの、なんじゃこりゃ!だ。
    語り手であるウンベルトの身体が色々と変幻するのはビックリだし、リンコナーダの不具者の楽園は強烈な印象を残す。
    でも読みにくさは思ったほどない。
    今はドノソが作り上げた無比の世界の解釈を楽しみたい。

  • 朝日新聞に連載されていた筒井康隆の『漂流』で、このラテンアメリカの奇書を知った。 http://book.asahi.com/hyoryu/TKY201006290243.html

    筒井康隆は、そのエッセイの中で「全篇に漲る狂気と饒舌と反復による熱気にはただならぬものがある。さらには時間の前後があり、人物の変身があり、非合理、不条理に満ちていて、読んでいるうちにだんだん気が変になってくるが、それでも読み続けずにはいられない。(中略)魔女は出る、聖女は出る、魔法による人体の入れ替えはある、老女たちの不潔な衣服の羅列と、修道院にやってきたドン・ヘロニモの妻である貴婦人によるそれらの衣服の賭博での身ぐるみ剥ぐが如き強奪はある、礼拝堂取り壊し直前のどさくさにまぎれての神父による金めの器物の盗みはある、さまざまな畸形の描写はある、その畸形たちによる仮装舞踏会の大行進はある、ここはまさに善悪や美醜や聖俗を越えた文学的カーニバルの異空間だ。」と記している。

    ぜひとも読んでみたいものだが、残念ながら現在は絶版。Amazonのマーケットプレイスでは古本で8000円以上の値がついている。なんとかならないものだろうか?
    ------------------------

    古書で購入した。

  • 「夜のみだらな鳥」ホセ・ドノソ

    (10年以上前に読んだので、申し訳無いけどそのまま…今はこの訳の新版がエルドラードシリーズで出ているはず)

    まさに自分好みの長編というべきか。世界から隔離された修道院に秘め事に伝説。
    なんと言ったかは忘れましたが、人間の穴という穴(口とか鼻とか、まあ、いろいろ…)を縫い合わせて閉じて、暗闇に閉じ込めておく、という恐い隔離方法があるといいます。物語の序盤に死んだ老婆の部屋から出てきたたくさんの包みから始まり、ドノソは執拗に「閉じ込める」ことを描き続けていきます…
    (2008 04/28)

    「夜のみだらな鳥」。これはだんだん盛り上がっていくのではなく、ずっと始めから幻想突入。幻想の金太郎飴状態…
    (2008 04/30)

    「夜のみだらな鳥」はますます気持ち悪くなっております(笑)。移植とか生体実験とか、ビオイ=カサーレスとかドルフマンとかにもあるけど、チリやアルゼンチンでは割と盛んなんでしょうか?
    (2008 05/07)

    やっとこさ…
    「夜のみだらな鳥」を読み終えました。図書館で延長手続きしなくてすみました(笑)
    最後くらいはあっさり終わるのか、と思いきや、カボチャが500個も届く…カボチャって恐いくらいにこの小説の「包み」に近いイメージではあります。
    (2008 05/12)

    フェンテス「脱皮」を読み終えた。2段組で430ページという大作。
    ここ1、2年で自分が読んだラテンアメリカ文学の大作である、ドノソの「夜のみだらな鳥」とカルペンティェールの「春の祭典」の関係を勝手に少し考察してみると、明らかに幻想の支配する「脱皮」は「夜のみだらな鳥」に近い。ただ、次から次へと手に負えない幻想が飛び交う「夜の…」に対して、「脱皮」はクレッシェンドに幻想の幅が広がっていき他の幻想をお互いに浸蝕していく。
    一方、「春の祭典」とは歴史的視点(ナチスとか)もあるのだが、それより作者の分身の要素が濃い主人公(「脱皮」の場合は主人公達)が、作家であると同時に建築家であるところに共通点が見出だせる。作品の構造の骨組が見える(見えそう)ところ、いや、もう少し深く考えて建築家思考ともいうべき何か(何だろう)がありそうだ。何か… 
    (2009 02/23)

  • 南米チリの作家ドノソの代表作で、風間賢二から「きわめつけのフリークス小説」として認定された奇怪な物語。マジックリアリズムの手法で書かれた物語。

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