夫が倒れた! 献身プレイが始まった

著者 :
  • 主婦の友社
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感想 : 13
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  • Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784074443697

作品紹介・あらすじ

夫が突然倒れた、姑や舅が要介護になったら、妻や嫁が自宅で介護するものだとも思われてきた。それらのまじめに介護してきた多くの方々の記録はこれまでにも本となった。でも本書では、介護をまかされる人が本当に献身的に介護する状況を何の疑問も持たず、葛藤もせずに受け入れているわけではないという、多くの介護者が抱えながらどうすることのできない、本当の気持ちをはっきりと提示した初めての本である。著者は夫が脳内出血で突然倒れて植物状態になった妻である。突然のことに立ち向かいながらも、他人の目を気にし、自分の行動が「普通」なのか「普通」から外れているのか、ちゃんとやっているように見られているのかをモニタリングして不安になっていく。献身的に見えることのまるで献身プレイをしているかのごとくふるまうことが介護であり、疑問を持ちながら介護してもいいのだと実体験を元にしながら解く、一味もふた味も違う介護の本。

感想・レビュー・書評

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  • 本書はブクログレビューを拝見して知った本で、図書館に蔵書が有ったので借りた。
    題名と表紙の可愛らしいイラストから想像していたものとだいぶ異なる内容だったが、読んで大正解だった。

    今まで「医療・死生観」のカテゴリに入れてきた書籍の中で、本書が1番「リアルだ!」と思えた。
    (振り返れば、今までに読んだ本は、お医者さんの書いた本が多目だった。)

    本書のような状況では無かったが、それでも自分や友人が親の介護で今までに経験したことから、本書の著者が決断を迫られた状況や、著者の気持ちや、周りの人達の言動などは容易に想像はできる。
    要するに「あるある」だ。

    夫婦であれ親子であれ、介護される側が男(または母親)であり、そうでない側が女(妻・嫁・娘)であれば、本書のように医療・介護業界や行政から、「(家で)あなたができるでしょう?」と当たり前のように言われる流れはなんとかならないものなのか?!
    反対に、女(老いた妻や老いた母)が倒れた時、男(老いた夫や老いた息子)は、「(家で)あなたが面倒見れませんよね?」と、医師から慮ってもらえる傾向にある気がしてならない。

    それにしても、本書を読んで、これから夫か私のどちらかの何らかの介護について想定したり対処していくことはやぶさかではないとして、本書に書かれているような30代や50代の独身の息子の突然の介護を60代80代の母親が担っているケース(著者が目撃した、他の入院患者達)は読んでいて辛い。
    その様な未来は絶対に想定したくない。
    私達夫婦のことは自分達でどうにかする(娘にも介護させない)から、どうか子供達(娘と息子)は健康で無事で、普通に幸せで長生きしてくれと切に望む。

    (もちろん世の中には、先天的な病気や事故などから、子の介護を長年または生涯、親が担っているケースは数えきれない程あると思いますが、あくまでも本書を読んでの感想なので、申し訳ありませんが、今はそのケースは置かせてもらいます。)

    読了後、著者についてもう少し詳しく知ろうとしたら、ご主人、2022年に亡くなったとのこと。

  • すごい一冊。
    介護のカテゴリーに分類されるが、「生きること」についての指南を与えてくれる、私にとってかけがえのない1冊だ。
    本文より:

    夫が倒れた! 献身プレイが始まった。
    これが、「自分の行動」と「普通」を比較する習慣の始まりだった。
    ひたすら祈る、つきっきりで看病する、奇跡を信じて疑わないなど、妻という立場の人間がとると考えられている(と私が思っている)行動や感情のパターンを思い浮かべ、自分がそうしないことに鋭い後ろめたさを感じるのだ。
    ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
    「自分を大切にすること」と「他者のために尽くすこと」ではどちらが大切なのだろう。

    「普通」はどうなの? 
    他人の目にはどう映るの?

    介護に限らず、周囲と自分を比べ、「世間並」に振り回され、落込み、自分を責める日常。

    「介護」という言葉がまとう「家族愛」の美徳や、自己犠牲の美学への違和感、自分が手を抜くことへの罪悪感、そして現実の苦節や果ては怒り・憎しみ等、何層にもわたる思いが、頭と心の中を行きつ戻りつする。

    野田さんは、心のひだに挟まり、ほとんど自分でも気づくことのない、小さな小さな思いも時間をかけながら、言葉で掬い上げる。

    そして、混在する様々な思いに言葉で丁寧に輪郭を与え、光を当て浮き立たせる。見事だ。

    人は、私は何に悩み、欠落感を持ち、何を欲し、求めているのか。

    そもそも私自身が自分の心の底にある本当の気持ちにしっかりと向き合ってきたのかな。

    コピーライターである野田敦子さんが愛犬スーとの散歩から戻ると、ご主人が突然倒れていらした。意思疎通が難しいご主人の闘病・介護の2年間の日々を本著で綴る。

    美辞麗句で心を誤魔化さず、ことの善悪を読み手に押し付けず、状況や自分を俯瞰し、どうにもならない事柄をいかに自分自身で受容するのか。

    ご主人とのごくごく当たり前の「日常」の共有化という豊かさを手放し、自分で自分の人生のハンドルを握る勇気。

    でも強くて、何でもできちゃうキャリア女性としての視点ではない。弱さも、脆さも、寂しさも、後悔も、そして自分の望むものも言葉にして消化する力量はあっぱれ。

    30年近く連れ添う男と女の時間と経験の重みと厚みを自分にも重ねて、想像する。

    寂しさを誤魔化さない。
    そのうえで、自分で選択する。

    「寂しさの等価交換」として、周囲から「夫に尽くすかいがいしい妻」という評価で自分を満たそうとはしない。
    自立しようとする娘さんを「寂しさの代償」にして、傍にしがみつかず、むしろ背中を押して海外に出す。

    生きることは儘ならなさに満ち満ちている。
    望みが叶わず、皆が持っているであろう物を自分は持たず。
    大事にしてきたものを不意に失い、思わぬ不運や不幸に出くわす。

    だからと言って、生きることを諦め、不貞腐れ、運命や
    他人を憎み、羨むだけなんて、哀しすぎる。
    私は、どう生きる? どうありたい?

    不躾だが、お見事な生きざまだ。野田さん、カッコいい!
    たまたま野田さん(カリーナさん)のブログを目にしたのが10年前。まさか、ご主人の介護に関する1冊を拝読するとは。

    皆、七転八倒、何とか生きながらえている。
    ちっちゃな出来事と、働くこと・作ること・食べること等当たり前の日常の営みのなかで、日々を重ねる。
    生きる醍醐味満載の素晴らしい1冊だ。
    カリーナさん、ありがとう!

  • 夫が倒れたとき、私はどうするだろう?

    どうしたいかというよりも、どうすべきか、選んだ手段が、妻や嫁として親戚や世間からどう見られるのか、そういう視点から逃れることはできないように思う。

    この本を読んで思ったこと。
     まずは自分達の生活を第一の支柱としてよい。
     金銭的な面から、施設や治療を選択してよい。
     1人で抱えずプロを頼ってよい。
     ただし子供に介護の責任を負わせない。
     口を出すなら手やお金を出す。
     そして、全ての選択に、後ろめたさを感じない!

    読後に著者を検索したら写真が出てきて、いい意味で想像と違った。
    チャキチャキして、大きな口を開けて笑い出しそうな写真だった。笑顔でよかった。
    もちろん笑顔になれない時間もたくさんあり、これからもあるだろうけど、お元気で!

  • いつか来るかもしれない未来の為に読んでみた。
    ずっと元気で過ごしてきたはずなのに、一瞬で人生が一変してしまう。
    著者が犬の散歩に行ってる間に、さっきまで普通だったご主人が帰ったら倒れていた。
    そのまま集中治療室。脳内出血で脳ヘルニア。そしてほぼ植物状態・・・
    2018年の9月から細かく書かれている。

    うちももう若くは無いので、特に主人の家系は脳梗塞オンパレード。
    本人も健康面は気を付けてても、こればっかりはわからない。
    うじうじ考えてても仕方がないから日々頑張ろう。

  • 二年間の介護についてつづった本。自分の感情を、しっかり的確な言葉に変えて伝える人だな、と感じました。
    ‘’妻という立場の人間がとると考えられている(と私が思っている)行動や感情のパターンを思い浮かべ、自分がそうしないことに鋭い後ろめたさを感じる‘’ことを、‘’「自分の行動」と「普通」を比較する‘’という言葉にまとめるセンス、すごい。

    家族の看病・入退院を経験した身としては、先を見据えながら今何をすべきか?に必死だったその頃の自分が感じていたことを、野田さんが『言葉』に変えてくれ、「ああ、そうそう!」と何度もうなずき、「私があのとき思ったり、かんがえたりしたのは、そういうことだ!」と形をもった『言葉』で理解することができました。

    とても、すごい本です。
    わたしも作者に、「どうか、お元気で!」と言いたい。

  • 介護や看護が必要な、似たような状況にある人にとても勉強になる本だと思う。文章や表現がうまくて、おっしゃる通り!と思うところがたくさんあった。

  • 終わりの見えない介護
    母親も義母の介護をしていましたが、どこか他人事のように見ていました。
    介護をする側の意見を見れて、よかったです。
    3点印象的でした。

    ①ちょうどいい心配はない
    →自分が出来る限りの心配をしたい
     その中で、評価、同調、アドバイスは控えようと思います
    (例:あなた頑張っていますね)

    ②お見舞いを接待にしない勇気
    →気を使うことも大切だが、自分自身を一番に

    ③愛の形は変わっていい
    →今までと同じようには過ごせない
    →今できる形で、愛することが大切

  • 本の雑誌年間ベスト企画から、だったか。なるほど、身につまされる内容。ためを思って発した言葉が、結果、あるべき姿を強要する側面を持つってのは、身も蓋もないけど、事実。だったら何も言わずほっといてくれた方がいい、というのも納得。そのあたりの塩梅、難しいですわな~。そしてここでも、重要なのはエンパシー能力の発動だったりする。

  • 著者の正直さに感動。
    熱心に毎日病院に通って介護「後悔しないように全力をつくす」しながら、一方で「時間になったらとっとと家に帰りたい」。
    そうだよね。わかります。

    現在 96才要介護5の姑、90才要介護1の実母、実子のいない94才と88才の叔父叔母に囲まれて、介護はある程度わかっているつもりだった私。
    この本を読んで、介護が実は自分自身にヒタヒタと迫って来ていたコトに気がついた。
    面倒をみている親たちがいることで、自分や配偶者にはまだまだ先の話だと思っていたけれど、作者のようにある日突然「その日」は来るかもしれない。
    その日に備えて何も対策していなかった事に気付かせてもらった。
    頭がハッキリしている時間は意外と少ない。
    人生100年なんて悠長なことは言っていられない。

    しかしながら、この著者が被介護者になった時はちょっとウルサイ人になりそう。(笑)
    介護のテクに精通してるから。
    あ、ワタシもです。ごめんなさい。


  • 夫が倒れた、そして意志疎通は難しい
    介護のリアルを正直に、自分の言葉で発言し書いておられます
    お元気で書き続けて欲しいです
    又読みます 「私だけじゃない」

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