朝日新聞政治部

著者 :
  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (304ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784065280348

作品紹介・あらすじ

保身、裏切り、隠蔽、報復人事ーーいつ、誰が、何を間違えたのか? 元エース記者が登場人物実名で書く、朝日新聞「凋落の全内幕」

感想・レビュー・書評

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  • 愚かな新聞社、愚かな経営陣だなぁというのが率直な感想です。
    たぶん、この本には本当の事が書かれているんだと思います。危機管理、危機対応がまるでなってない組織って感じです。
    東日本大震災での「吉田調書」事件については、理解が深まりましたよ^_^

  • 【感想】
    新聞社を含むマスコミが権力に忖度し始めたのは、安倍政権になってからだ。東京新聞の望月記者が「記者会見が出来レースになった」と指摘しているとおり、菅官房長官の就任以降、質問は事前通告しか受け付けず、ぶらさがり取材も無視されるようになった。だが、政治の暴走を許すようになったマスコミも同罪である。官邸からの圧力を受けた新聞社同士が、互いに相互監視をするような空気を形成し、枠から外れた記事を書くことを避けるようになった。マスコミは、権力者に擦り寄りすぎてしまったのだ。

    本書は元朝日新聞記者の鮫島浩による「内部告発本」である。鮫島氏は1994年に朝日新聞に入社してから、主に野党(民主党)を担当してきた政治番記者だ。東電下請け業者による「手抜き除染」報道で新聞協会賞を受賞するなど、特ダネを何本も抜いてきたエース級記者である。

    「内部告発本」であるため、内容は当然朝日新聞の腐敗に関することである。具体的には、2014年に朝日新聞が「誤報」と認定した3本の記事、「吉田調書」「慰安婦」「池上コラム」に関する一部始終、そして上層部による尻尾切りの顛末が描かれている。メインは6章以降にあるが、1章~5章の間では、筆者が政治の世界に足を踏み入れていった軌跡と、「政治部から見た権力の裏側」(各政党内部のパワーバランス)が明確にまとめられている。時の権力者の番記者をずっとしていただけあり、貴重な記録がてんこ盛りである。

    鮫島氏によれば、報道機関が現在弱体化している要因は、「マスコミが官邸に擦り寄りすぎたから」であるという。
    政治番の記者であれば当然、取材対象である政治家に近づくためにも、彼らと親密な関係を築かねばならない。他社に先駆けて特ダネを書くことを「抜く」、逆に他社に特ダネを書かれることを「抜かれ」といい、他の全社が報じているのに一社だけ記事にできずに取り残されることを「特オチ」というが、これら「抜く」「抜かれ」の回数によって、記者のその後のキャリアが決まっていく。ライバルに先んじるための「擦り寄り」や「権力者のたらし方」といった実践技法が、4章までの間に色濃く書かれている。
    しかし、記者は政治家に取り入らなければならないが、時に彼らを批判しなければならない。「ここは言うことを飲むから、これは書かせてくれ」というバランスを上手く取るのが記者の本分であり、その両天秤の上で、多くの政治家の間を綱渡りする技術に長けた者が、一流の記者となれる。だが、多くの記者は担当政治家を過度に慮るようになり、批判を緩める。そうしてマスコミの権力監視機能が低下していく。

    筆者がデスクとして指揮を執った「吉田調書」が生贄にされ、誤報の責任を取って処分されたのは、そうした「権力者とのお近づき」が、朝日新聞全体で起こってしまったからだ。この「吉田調書」事件後、社内統制は急速に厳しくなり、今や大多数の記者が国家権力を批判することにも朝日新聞を批判することにも尻込みしているという。

    「朝日新聞は頭から順々に腐ってしまった」。かつて権力と生活を共にしながら、決して権力になびかなかった筆者の言葉は、なかなかに重い。

    ――政治取材は長らく、権力者側の「善意」や「誠意」に支えられる側面が大きかった。新聞の影響力低下に伴って政治記者が軽んじられるようになり、一方的に権力者にこびへつらうようになったのが今の官邸取材の実態である。権力者側の「善意」や「誠意」には期待できないことを前提に、新たな政治取材のあり方を構築しなければ、政治報道への信頼はますます失われていくだろう。
    ――今の新聞が読者から見放されている最大の要因は「怒り」や「悲しみ」といった記者の心の震えや息づかいがまったく伝わらず、客観中立の建前に逃げ込んで差し障りのない傍観的な記事を量産していることにあるのではないか。国家権力が隠蔽してきた「吉田調書」を入手して歴史の検証にさらすことができたのは、原発事故の真相を隠蔽してきた東電や政府に対する木村・宮崎両記者の「怒り」があったからこそだ。
    ――――――――――――――――――――――――――――

    【まとめ】
    0 まえがき
    2014年、「吉田調書」「慰安婦」「池上コラム」の三点セットで朝日新聞社は創業以来最大の危機に直面していた。特にインターネット上で朝日バッシングは燃え盛っていた。
    木村社長は驚くべき対応に出た。2014年9月11日に緊急記者会見し、自らが矢面に立つ「慰安婦」「池上コラム」ではなく、自らは直接関与していない「吉田調書」を理由にいきなり辞任を表明したのである。さらにその場で「吉田調書」のスクープを誤報と断定して取り消し、関係者、つまりデスクであった筆者の鮫島と記者二人に全責任を押し付け、処罰すると宣告した。

    だが、筆者にも罪はあった。それは「傲慢罪」だ。執政者に擦り寄り、会社内で権力を作り上げ、一人ひとりの読者を蔑ろにした。そして、その傲慢罪は、今でも朝日新聞社に問われているのだ。


    1 新聞記者はこうしてできあがる
    新聞というムラ社会の中だけで評価される特ダネを積み重ねることが「優秀な新聞記者」への第一歩となる。逆に他社に特ダネを書かれることを「抜かれ」といい、他の全社が報じているのに一社だけ記事にできずに取り残されることを「特オチ」という。それらが続くと「記者失格」の烙印を押される。サツ回りで特ダネを重ねた記者が支局長やデスクに昇進し、自らの「成功体験」を若手に吹聴して歪んだ記者文化が踏襲されていく。
    駆け出し記者は特ダネをもらうのに必死だ。あの手この手で警察官にすり寄る。会食を重ねゴルフや麻雀に興じる。風俗店に一緒に行って秘密を共有する。警察官が不在時に手土産を持って自宅を訪れ、奥さんや子どもの相談相手となる。無償で家庭教師を買って出休日も費やす。とにかく一体化する。こうして警察官と「癒着」を極めた記者が特ダネにありつける。
    警察は記者同士の競争意識につけ込み、警察に批判的な記者には特ダネを与えない。他の記者全員にリークし、批判的な記者だけ「特オチ」させることもある。記者たちはそれに怯え、従順になる。こうした環境で警察の不祥事や不作為を追及する記事が出ることは奇跡に近い。

    政治記者であっても同じだ。出世の階段を駆け上るには、まずは各社の番記者を出し抜いて政治家に食い込み、特ダネを書かねばならない。大物政治家になると、テレビ局や新聞社、通信社の約15社が番記者を張り付ける。その中で「一番」を目指す。初当選から20年の大物政治家なら15社×20年= 300人の元番記者がいる。数百人規模の元番記者のなかで、政治家が長年にわたって信頼関係を維持しつづけるのはほんの数人。ライバルは現在・過去・未来にいる。
    担当政治家と運命共同体となった番記者が政治家批判に及び腰になるのは当然である。そればかりか政治家に社内の取材情報を漏らして点数を稼ごうとする者さえいる。番記者制度が政治取材を劣化させ、マスコミの権力監視機能を低下させていることは間違いない。

    しかし、政治家が政治記者にオフレコで話す情報には必ず思惑がある。ある一面から見れば真実であっても、自分に有利に働くように大なり小なり加工が施されている。まったくのウソであることさえある。彼らは権力闘争を有利に進めるため、政治記者を使って日々情報戦を仕掛けている。政治家に食い込んだと思ってうつつを抜かしていると、気づかぬうちに「情報操作の手先」と化す。


    2 政治部で見た権力の裏側
    1999年、筆者は朝日新聞政治部へ着任する。時は小渕政権であり、自民、自由、公明の連立政権が動き始めていた。
    筆者が着任した当時の政治部長、若宮啓文が駆け出し政治記者にこう投げかけた。
    「君たちね、せっかく政治部に来たのだから、権力としっかり付き合いなさい」
    「権力って、誰ですか?」筆者がとっさに聞き返す。
    「経世会、宏池会、大蔵省、外務省、そして、アメリカと中国だよ」

    この後の政権は、森、小泉、安倍、福田と、清和会所属者が4代続く。
    清和会は日本政界で長らく干されてきた。清和会の目に映る「戦後日本の権力者」は「経世会、宏池会、社会党、NHK、朝日新聞」だったのだ。若宮が「政治記者なら権力と付き合え」と訓示した「権力」の枠外に、清和会は常にあった。戦後政治で長く隅に追いやられてきた清和会が、陽の当たる道を歩んできた「経世会、宏池会、大蔵省、外務省、NHK、朝日新聞」に対して抱くコンプレックスに思いを致さずして、小泉政権から安倍政権に至る「清和会支配」の本質を理解することはできない。そこには「報復」の感情がある。

    政治の地殻変動が起こったのは、小泉政権時代になってからだ。経済財政担当大臣になった竹中平蔵が、自民党や財務省が水面下で主導する政策決定過程をオープンにして世論に訴えた。経済財政諮問会議の議事録を公開して「抵抗勢力」の姿を可視化したのだ。
    これは的中した。マスコミは次第に「抵抗勢力」を悪者に仕立て始めた。そして小泉首相は「竹中抵抗勢力」の闘いが佳境を迎えると歌舞伎役者よろしく登場し、竹中氏に軍配を上げたのだった。政策決定の中心が「自民党・霞が関」から「首相官邸」へ移り始めた。


    3 虚偽メモ事件
    2005年、朝日新聞で、長野総局のN記者が田中知事を取材していないのに取材したように装った「虚偽メモ」事件が発生する。これによりN記者は解雇、編集局長と長野総局長が減給処分のうえ更迭された。また、真偽を確かめることもなく記事にした政治部への批判が社内で高まり、政治部長と曽我次長も処分を食らった。

    虚偽メモ事件は社内政治上、大きな意味を持った。謝罪会見をした当時の秋山耿太郎社長を筆頭に、処分を受けた吉田慎一常務(編集担当)、木村伊量編集局長という中枢ラインはいずれも政治部出身だった。朝日新聞の経営や編集の主導権は政治部が掌握していたのである。
    朝日新聞の社長職は政治部と経済部が入れ替わりで担ってきた。記者数で多いのは社会部だが、経営や編集の実権は政治部と経済部が握ってきた。「政経支配」に対する社会部の不満は強く、不祥事が発生すると社会部から批判の声があがることが多かった。虚偽メモ事件を検証したチームも社会部記者たちだった。

    虚偽メモ事件で傷ついた信頼を回復するため、政治部、経済部、社会部などから記者を集めて調査報道に専従させる「特別報道チーム」が結成される。筆者もこのチームに配属された。
    筆者たちは特別報道チームを、従来の調査報道のしきたりを外れる特殊なチームにしようと決める。警察や検察を含む当局は回らず、タレコミも扱わない。自分たちで取材したいテーマを決めてそこに深彫りしていく「オフェンス型報道」だ。
    特報チームは、発足2ヶ月でフィギュアスケート連盟幹部のスキャンダルを当てる。筆者の社内での求心力は一気に増した。


    4 政権交代
    2007年春、第一次安倍内閣のときに、筆者は特報チームから政治部に戻る。
    第一次安倍内閣と麻生内閣の基盤が揺らぎ、民主党への政権交代が現実的になってきたころ、民主党代表だった小沢一郎をターゲットにした東京地検特捜部の強制捜査が行われる。衆院任期切れ前を狙った、あまりに強引な捜査であった。
    東京地検特捜部の強制捜査を受け、総理の座を目前にしていた小沢は民主党代表辞任に追い込まれた。しかし、その後も民主党の勢いは止まらず、2009年8月の総選挙で圧勝して政権を奪取した。小沢と検察の闘いはこの後も続くが、検察の捜査は本格的な汚職事件に発展せず、小沢秘書の「虚偽記載」という形式犯で終わった。それでも裁判は長期化し事件の余波は消えることなく、民主党政権の分裂、そして自民党の政権復帰への伏線となっていく。
    検察が立件した罪の軽微さと、民主党や小沢に与えた政治的ダメージを比較すれば、あまりのバランスの悪さに驚くほかない。検察の狙いが民主党政権を妨害することにあったとすれば、その目的は十分に達成されたといえるだろう。にもかかわらず、朝日新聞をはじめ報道各社はこの捜査が残した爪痕をいまだに十分に検証していない。

    2009年に民主党政権が誕生する。
    いままでずっと民主党人脈を広げてきた筆者はもちろん官邸クラブに抜擢されると思っていたが、与えられたのは野党に転落した自民党を担当する「平河チーム」のサブキャップ。事実上の降格だ。
    しかし、筆者はめげなかった。特報チームで培った「テーマ設定型調査報道」を実践し、従来の政治記事とはまったく異なるスタイルを確立しようとした。

    しかし、社内デスクたちはあまりいい顔をせず、結果として平河チーム内の主要メンバー3人が異動を通告され、事実上の解体となる。

    筆者に与えられた次のポストは、なんと半年前に追い出された政治部のデスクだった。案の定、政治部内は騒然となった。数ヵ月前に政治部を追われるように出て行ったキャップ未経験の若輩者が、政治部デスクとして戻ってくる。政治部内の秩序を揺るがす大事件であった。

    政治部に異動した後、政治献金問題、東日本大震災の政府対応といった記事に取り組んだ後、民主党政権自体が瓦解する。筆者は元いた特別報道部に再び戻ることとなった。


    5 特別報道部の躍進
    筆者が戻った特別報道部は、東電下請け業者による「被ばく量隠蔽」、除染作業で回収した汚染物質を山中に不法投棄する「手抜き除染」といったスクープをすっぱ抜いた。

    筆者は特別報道部の運営ルールの整備を急いだ。はじめに特別報道部の目標を「隠された事実を暴く特ダネを連発し、朝日新聞の報道機関としての影響力を高めること」と明確化した。そのうえで「新しい取材方法や報道モデルへ挑戦すること」と「スター記者をつくること」を掲げた。
    次に特別報道部の特色は、①記者クラブに属さない(当局発表を取材する必要がない)、②持ち場がない(他紙に抜かれる心配がない)、③紙面がない(穴埋め原稿を書く必要がない)、④組織の垣根がない(年功序列や縦割りがない)、⑤ノルマがない(主体的に取材できる)とにあると分析。その強みを最大限にいかすため、部の運営を大胆に変更した。

    2013年には、特別報道部の功績が認められ、新聞協会賞を受賞した。華々しい活躍の裏、筆者は確実に傲慢になっていた。


    6 「吉田調書」「慰安婦」「池上コラム」、そして朝日新聞の瓦解
    福一の事故直後、吉田所長が政府事故調の聴取に答えた公文書である「吉田調書」は、長い間極秘文書として公開されていなかった。しかし、2014年に朝日新聞政治部の木村記者がこれを入手する。木村を特報チームに招き入れ、吉田調書取材班が結成される。

    木村・宮崎両記者は、朝日新聞の記者たちに不信感を抱いていた。原発事故以降、経済部や社会部で東電を取材する記者は多かった。東電の隠蔽体質を徹底的に批判し、情報開示を迫る最前線で戦ってきた二人の目に、多くの記者は「東電にすり寄っている」「ウラで通じている」存在と映っていた。その思いからか、吉田調書取材班は信頼できるたった4人のチームで結成されている。得られた情報を自社内部にも明かさないという、徹底的な少数精鋭ぶりだった。

    吉田調書第一報は2014年5月20日。内容は、所長が地震発生後第一原発に待機するよう命令したにもかかわらず、9割の所員がそれを無視したこと、そしてその事実を3年近く伏せてきたことである。この報道は大反響を呼び、朝日新聞内部は一気に加熱していく。
    しかし、6月に入ると「待機命令を知らずに退避したのを命令違反と言えるのか」という指摘がネットでちらほら出始めた。筆者は渡辺局長や市川部長に、①待機命令を知らずに第二原発へ向かった所員がいた可能性はある、②第二原発へ退避した所員の責任を問うことが報道目的ではなく、過酷事故のもとでは待機命令に反して現場から事故対応にあたる人員がいなくなる事態が起こりうる現実を指摘し、原発の危機管理のあり方について問題提起することを目的とした報道であると読者に丁寧に説明する特集紙面をつくること、を提案した。第一報の「説明不足」や「不十分な表現」を補おうと考えたのだ。
    しかし、紙面化がなかなか確定しない。編集担当、広報担当、社長室長ら危機管理を扱う役員たちの了承がとれないということだった。その理由は「木村社長が吉田調書報道を新聞協会賞に申請すると意気込んでいる。いまここで第一報を修正するような続報を出すと、協会賞申請に水を差す」というものだった。
    結果として、世論の批判が高まる前に軌道修正しなかったことが、その後の危機管理の失敗を引き起こす。

    事態をますます悪くしたのは、8月5日の特集記事「慰安婦問題を考える」だった。朝日新聞はその特集で、植民地だった朝鮮で戦時中に慰安婦を強制連行したとする吉田清治氏の証言(吉田証言)を虚偽と判断し、吉田氏を取り上げた過去の記事を取り消した。これを機に、安倍政権やその支持勢力による「朝日バッシング」が吹き荒れたのである。

    吉田調書はこれに引きずられる形でバッシングを受けた。加えて、菅官房長官が吉田調書を非開示とする従来の姿勢を転換すると発表する。読売や毎日も朝日に批判的な立場で吉田調書の報道を始めた。官邸とほか新聞社で朝日包囲網が構築されていったのだ。

    安倍政権はなぜ、朝日新聞をそこまで追い込もうとしたのか。安倍首相はそもそも朝日新聞を敵視し、朝日バッシングで支持層を固めてきた。それに加え安倍政権はこの時期、集団的自衛権を行使できるようにするための「解釈改憲」を進めていた。2013年夏の参院選で圧勝して政権基盤は安定化しつつも、盤石とは言えなかった。安倍首相や菅官房長官はNHKに続いて民放各社や新聞各社の「メディア支配」に力を入れ始めていたのである。

    トドメは8月29日の「池上コラム拒否事件」だった。ジャーナリストの池上彰氏が朝日新聞8月23日朝刊に掲載予定のコラム「池上彰の新聞ななめ読み」に、慰安婦問題をめぐる「吉田証言」を虚偽と判断して過去の記事を取り消した対応は遅きに失したと批判する原稿を寄せたが、このゲラを見た木村社長が激怒し、コラム掲載を拒否したことが9月2日夜以降、週刊文春のウェブサイトなどで報じられたのである。
    世の中の朝日バッシングは頂点に達した。ついには社内からも社長退任を求める声がツイッターで公然と噴き出したのである。木村社長は自ら墓穴を掘ったのだ。

    「吉田調書」「慰安婦」「池上コラム」の不祥事を受け、木村社長は9月11日夜、朝日新聞本社で緊急記者会見に臨んだ。しかし、そこで読み上げられたのは「吉田調書報道を誤報と認める」「社長自身の退任および、取材記者を含む吉田調書報道関係者を処罰する」という内容だった。慰安婦問題は軽く触れる程度、池上コラ厶は触れさえもしなかった。

    「吉田調書」「慰安婦」「池上コラム」のうち、木村社長が強く関わったのは後ろ2つだ。しかし、これらをパッケージで処理し、「吉田調書」に世間の批判を集中させることで、木村社長を直撃する「慰安婦」「池上コラム」への批判をやわらげようとした。木村社長は引責辞任の理由を「吉田調書」にすることで即時辞任を回避し、当面は社長職にとどまって後継社長を指名し「院政」をしくことを狙っていたのではないか。

    木村社長の影響力維持のために、「吉田調書」は生贄にされたのだ。

    その後、木村・宮崎記者は「捏造記者」のレッテルを貼られ、筆者もバッシングを受ける。筆者たちの個人情報はネット上にさらされ、週刊誌にすら追いかけられた。朝日新聞社は、筆者たちを守るどころか黙殺した。それと同時に、関係者への取り調べは容赦なく続いていき、彼らは組織から孤立していった。
    筆者たちへの懲戒処分が下ったのは、2014年12月5日付だった。


    7 報道機関の「壊死」
    朝日新聞はネットに屈した。ネットの世界からの攻撃に太刀打ちできず、ただひたすらに殴られ続け、「捏造」のレッテルを貼られた。それにもかかわらず朝日新聞はネット言論を軽視し、見下し、自分たちは高尚なところで知的な仕事をしているというような顔をして、ネット言論の台頭から目を背けた。それがネット界の反感をさらにかき立て、ますますバッシングを増幅させたのだ。
    すでに既存メディアをしのぐ影響力を持ち始めたネットの世界をあまりに知らなすぎた。テレビや新聞は情報発信を独占することで影響力を拡大し、記者は恵まれた待遇で働いてきた。しかし、ネット時代が到来して誰もが自由にタダで情報発信できるようになり、テレビや新聞が情報発信を独占する時代は終わった。筆者たちはそれに気づかず、古い時代の仕組みの上に胡坐をかいてきたのである。

    自由な社風はすっかり影を潜めた。2014年の「吉田調書」事件後、社内統制は急速に厳しくなり、今や大多数の記者が国家権力を批判することにも朝日新聞を批判することにも尻込みしている。
    2021年5月25日、朝日新聞に五輪開催中止を主張する社説が掲載された。新型コロナウイルスの感染拡大が止まらず五輪中止の世論が高まるなかで今夏の開催が「理にかなうとはとても思えない」と断言し、「開催の中止を決断するよう菅首相に求める」と訴えた。ツイッターでは「五輪スポンサーの朝日新聞がついに開催中止に舵を切った」と歓迎する投稿が相次ぎ、朝日新聞は久々に株をあげたかにみえた。
    ところが、この社説に対して、五輪報道を担う社会部やスポーツ部を中心に編集局から強い抗議が沸きあがったのである。社説掲載前日にゲラが出回り、編集局は騒然となった。デスク会では冒頭から「取材現場への影響を考えているのか」「スポンサーは降りるのかと読者に聞かれたらどう答えるのか」と批判が噴出。「今日載せる必要はあるのか。差し替えるべきだ」と、社説掲載の見送りを求める意見まで飛び出した。

    彼らは読者の立場から権力を監視するジャーナリストというよりも、上司から与えられた業務を遂行する会社員だった。経営陣が自分たちの危機管理の失敗を棚上げして現場の記者に全責任をなすりつけた「吉田調書」事件以降、朝日新聞は頭から順々に腐ってしまった。

  • ドラマのように描かれる、「朝日新聞政治部」の内実とは。 『朝日新聞政治部』 | BOOKウォッチ
    https://books.j-cast.com/topics/2022/06/11018359.html

    崩壊する朝日新聞 政治部エリートの経営陣はどこで何を間違えたのか?(中島 岳志,鮫島 浩) | 現代ビジネス | 講談社
    https://gendai.ismedia.jp/articles/-/95868

    『朝日新聞政治部』(鮫島 浩)|講談社BOOK倶楽部
    https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000366203
    https://bookclub.kodansha.co.jp/title?code=1000042591

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      維新ぎらいより、立憲ぎらい⁉ 参院選「無風」は野党の責任ちゃうんかい! 大石あきこ×鮫島浩(鮫島 浩,大石 あきこ) | 現代ビジネス | ...
      維新ぎらいより、立憲ぎらい⁉ 参院選「無風」は野党の責任ちゃうんかい! 大石あきこ×鮫島浩(鮫島 浩,大石 あきこ) | 現代ビジネス | 講談社
      https://gendai.ismedia.jp/articles/-/96439
      2022/06/20
  • 縦割りの組織は危機管理や撤退線に弱いということがよくわかる。言論の自由との観点では、新聞社内の歪んだインセンティブが結構怖い。

  • おもしろくて、夜更かししながら読んだ。私も新聞記者だったから、余計に胸に迫るものがあったな。

  • 「ヤメ朝」による内幕暴露本。エリート主義、官僚主義的統治が深々と浸透し、ジャーナリズムの実践よりも自身の出世と権力掌握を行動原理とする「記者」たちの集団である朝日新聞社の実態がリアルに綴られた出色の作品だ。自慢話っぽい部分もあるが、政治取材の生臭さや新聞社が権力に屈服して行くサマが克明に記録された意義は大きい。ただ、こういうことが知れ渡ると、ただでさえ少ない新聞記者志望者がさらに減るだろうな、とは思う。そもそも、大学を出たばかりの若者をリクルートして記者にしよう、という発想が間違いなのだ。当の新聞社がそれに気づいていないのだ。

  • 色々な点について語りたくなるが、それはさておき
    まずは何より面白いが飛び抜けてくる、一気読み

  • 吉田調書報道に翻弄された元朝日新聞デスクによる新聞ジャーナリズムの実像を詳細に描いた渾身の1冊。
    巨大メディア組織内において、何が行われ、どのように意思決定され、記事として世の中に報道されるのか、その実情を、筆者が体験してきた出来事に基づき、実名を挙げて生々しく記されている。新聞報道の構造的限界を変えようと奮闘した筆者達の足跡をリアルに感じさせてくれる。
    新聞報道に対するリテラシーを高める必要性を改めて考えさせられる。

  • 『感想』
    〇人の感情を支配しているのは面子。だから自分より立場が下だと思い込んでいる人の意見は内容に関係なく心に入ってこないし、自分を否定する意見は内容以外に立場や状況といった自分の面子を保てる言い訳がないと受け入れられない。

    〇ただしこの面子を全く持たないのも考えものだ。持たない人は面子というものの扱いを知らないことにつながるし、同質性を感じないところが仲間意識につながらない。

    〇うまくいかない時には人に助けてもらいたい。そのためには普段から困っている人を損得ではなく助けることや、自分がうまくいっている時に尊大になりすぎないこと。

    〇社内政治や個人ではなく関係者まで含めた力関係で自分の立場が作られ壊されていくのはどうなんだろう。でも人間である以上完全になくなることはない。

  • ついにコロナ陽性に。

    ちょっと咽喉が痛いなと思ったら、その晩には38°を超える発熱。翌日病院に行ったら、抗原検査だけて早々と陽性判定。10日間の自宅療養となった。

    今は空いている子供部屋に隔離。発祥して3日目。喉の痛み、咳などが主な症状だけど、少し落ち着いてきて本を読む気力がやっとでてきた。

    *****************************
    新聞広告で発見して図書館で予約しておいた、鮫島浩著「朝日新聞政治部」を読む。

    会社の左向き?系思想を非難する内部告発本かと思ったら全然違って、経営が自身の責任を曖昧にしたまま、現場の記者に全責任を押し付けるという、ジャーナリズムとしてあるまじき行為をしたという告発本だった。

    テンポが良くて理解しやすく一気読みできる。

    朝日新聞と言えば、東大卒を中心とした日本の言論界をリードするエリート集団というイメージだったが、いつの間にかなんか変な組織だなと思うようになった。

    最近であれれ?と思ったのは、社説で東京オリンピック中止を訴えながら、オリンピックのスポンサーであり続けたこと。それはいくらなんでも筋が通ってないじゃないかと思ったものだ。

    しかし、個人でも組織でも、必ずしも筋の通った選択をしないことがあることは、経験上誰でも知っていることで、そんなことをしたことはないと自信を持って言える人は少ないだろう。

    マスコミで働く同級生、知人は、皆正義感が強くて探究心の強い人ばかり。個の力量は素晴らしい人ばかりだ。ああいう人達の集合体がマスコミならば、試行錯誤を繰り返しながらも、軌道修正しながら概ね良い方向に進んでくれるはずだ。

    ******************************
    なので私は新聞は大好き。宅配してるのは日経だが、朝日、毎日、産経等は会社の帰りに可能な限り図書館でチェックしてる。左系でも右系でも何でも読む。

    何よりも、新聞をパラパラめくったときの紙の感触が好きで、ネットでは味わえない無い趣きがある。

    でも一人暮らしを始めたネット世代の長男二男に聞くと、新聞はとってない。「ネットで見れるし、宅配してもらうなんて物騒でしょ」と言う。やはり紙媒体としてマスメディアの将来は暗そうだ。

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著者プロフィール

ジャーナリスト。1971年生まれ。京都大学法学部の佐藤幸治ゼミで憲法を学ぶ。1994年に朝日新聞社入社。つくば、水戸、浦和の各支局を経て、1999年から本社政治部。菅直人、竹中平蔵、古賀誠、与謝野馨、町村信孝ら与野党政治家を幅広く担当し、2010年に39歳で政治部デスクに。2012年に調査報道に専従する特別報道部デスク。2021年に退社してウェブメディア「SAMEJIMA TIMES」開設。連日記事を無料公開するとともに、YouTubeで政治解説動画を配信している。新聞社崩壊の過程を克明に描く『朝日新聞政治部』を2022年に上梓。

「2023年 『政治はケンカだ! 明石市長の12年』 で使われていた紹介文から引用しています。」

鮫島浩の作品

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