- Amazon.co.jp ・本 (168ページ)
- / ISBN・EAN: 9784065250426
作品紹介・あらすじ
39歳でアルツハイマー型認知症と診断されて7年、全国を飛び回り、300人を超える認知症当事者と対話し続けている著者だから書けた当事者の「本音」。
認知症になっても「なにもわからなくなったり」「なにもできなくなったり」するわけではない。
周囲の「やさしさ」が当事者を追い詰め、やがてすべてをあきらめさせられていく。
症状をさらに悪化させる「ストレス」という最大のリスク。
いまだに専門家の間でも根強い「偏見」を脱し、診断されてもよりよく生きていくために必要なこととはなにか。
「なにができて」「なにができなくて」がわかれば、できないことを補うために「どう工夫すれば」いいかが考えられる。
認知症当事者700万人時代を迎え、すべての人のすぐ隣にある世界を知るためのガイド。
感想・レビュー・書評
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認知症の当事者が書いた本、というのは、あまり読んだことがない。
近しい人が認知症になった時どのように接するか、自分が認知症になった時どのように生きていくか、考えることができる。気づきが沢山あって目から鱗の本。
認知症の人にやさしい社会はみんなにやさしい社会。
目指していかなきゃね。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
前作からそんなに大きな内容の変化はないように感じました。それだけ、著者の丹野智文さん、認知症の進行を抑えられて日常生活も変わらずに送られているんだなって…そう思うと嬉しくなりますね。
著者の丹野智文さんは39歳で若年性アルツハイマー型認知症との診断を受けた方です。この作品では、前作のような丹野智文さん自身が今感じていることとして、同じように認知症の診断を受けられている“当事者”と、家族を含めた“支援者”に期待することなどをまとめた内容になっています。前作からのその後というよりは、前作が経過を含めた入門編、でこの作品は応用編のような印象です。私みたいに、“支援者”のつもりでいる方には、ちょっぴり読んでいてキツク感じることもあったです。
“当事者”ができていることまでやってしまわないで…、そして“当事者”が工夫してもできずに手を貸してほしいところを手伝ってほしい…。“当事者”の思いを尊重して、治療や介護に対しては説明を“当事者”にもしてほしい…。あまり前にことなのに、改めて読んで思い知らされる感じでした。
認知症治療薬については、その効果を疑問視しているようです。もう診断を受けられてからかなりの年数が経過していることもあるし、記憶力が戻るというのは怪我が治ることとは違い目に見えません。その効果があることを願いながらも、今の症状は認めて工夫しながら自己決定することで、自分にとって良い生活が送れればいいと考えているようです。
「安心して認知症になれる社会」作っていきたいですね! -
トヨタでトップセールスマンとして活躍中の39歳の時に
若年性アルツハイマー型認知症と診断された丹野さん。
それから8年。
とても認知症本人が書いた本とは思えません。
つまり、私が偏見を持っていたということです。
認知症と診断された途端、「一人で出かけられない、財布を持たせてもらえない、自分で決めることができない」と、重症患者扱いされるようになります。
でも工夫することによって、これまでの生活を続けていくことができます。
ケガをするリスクよりも「行動の制限や監視」からくるストレスによるリスクのほうが、より大きいと丹野さんは考えています。
当事者(認知症と診断された人)で元気な人は年齢にかかわらず、「診断後も自立した生活をしている、自分で決めて自由があるから元気でいられる」と言っているそうです。
実際にそういう人に関わらなければいけなくなった時
再びこの本を読みたいです。
そして今できることは、もっとITに馴染むことかも。 -
39歳で若年性アルツハイマー型認知症と診断された著者が、300名を超える認知症の当事者の方々と対話した経験を通じて当事者が置かれる状況を伝える。タイトルのとおり、認知症と診断された当事者たちが家族関係をはじめとして社会的にどのような変化をもたらされるかに焦点が絞られており、認知症の症状については本書が主に取り扱うところではない。
全六章の約150ページで、四章までに認知症の当事者を取り巻く環境についての問題点の指摘がなされる。終盤の五・六章は認知症といかに付き合うかについて割かれる。第一章と第五章はそれぞれ著者が聞き取った認知症の当事者たちの声が集められており、それぞれ認知症と診断されることで周囲からどのように扱われるかの体験談と、認知症とともに生きるために編みだされた工夫の数々を伝える。
多くの当事者たちの怒り、または悲しみの声として共通するのは、認知症と診断されることで自由と主体性を大きく損なわれる点にある。認知症と認められるやいなや、家族や職場の人びとが当事者本人の意志を確認せずに本人にかかわる重要な決定をするようになり、本人の頭越しにコミュニケーションがなされることが常態化し、当事者の行動に対しても一方的に制限をかけるようになる。その事態に当事者は困惑し、怒り、ときには諦めて気力を失う。このような周囲の意識の変化により生じるストレスからの行動を、家族らが認知症の症状によるものと受け取ることで、当事者の症状と周囲の認知症への怖れが進行する負のスパイラルに陥る。著者と当事者の方々の声を読むにつれ、認知症の当事者の置かれる状況の変化をイメージできるようになる。
著者は自身の体験と、対話した当事者の方々が受けたこのような周囲の意識の変化に対する憤りと怒りを糧に、本書を通じて「認知症の本人の意見を聞いて欲しい」ことを声を大にして訴えている。認知症の当事者の人権が剥奪されやすいという事実については、同じく認知症の当事者によって書かれた『ボクはやっと認知症のことがわかった』とも共通しており、切実な訴えであることがよくわかる。そして著者の聞き取りのなかでもっとも重く響いたのは、81歳の当事者が話した「家族の問題がいちばん難しい」という言葉だった。ニュースなどで取り上げられることもある認知症の「徘徊」の一因もこのような事情によって家庭で居場所をなくした当事者のストレスにあり、ときには意識的な「自殺」にもつながっているのではないかという著者の指摘にも説得力がある。
終盤はこれを踏まえて徐々に改善されつつある当事者をめぐる環境も紹介しながら、将来への展望が描かれる。現状で科学的に実証された認知症予防法がないかぎり、認知症の発症は誰にでも起こりうる。著者が例えるとおり台風に対しては「予防」は無効で「備え」がなされることが常識であるように、認知症についても同様に意識の変化が求められる。認知症の当事者が生き生きと暮らすことのできる社会は、きっと多くの人にとっても住みよい社会だろう。 -
とてもわかりやすく、思わず笑ってしまう場面もあり、癒される内容でした。認知症の方に限らず、生きづらさを抱えるすべての人にとってやさしいメッセージだと思いました。そして社会をつくる私たち一人ひとりに大切な宿題を提示してくれていると思います。
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認知症=自分で何もできない危なっかしい人、と扱われることが多く、当事者の気持ちや尊厳が無視されがち。できないこともあるけれどひとりの人間として関わってほしい、ということが通底する著者の主張だろうか。
確かに認知症がどういうものか一般の理解が足りないのでそうなりがちなのはわかる気がする。また老いや病気と同じで、それを克服しよう、治そうという周囲の行動が結果的にQOLを下げてしまう。受容して、その上で本人らしく生きるにはどうサポートしたらいいか、という視線が必要なのだろう。 -
認知症に限らず、子ども、高齢者、障害者など自分と置かれている環境が異なる相手の気持ちになって考えるという当たり前の事の大切さを感じた。子どもによく「自分がやられて嫌なことは人にもしないんだよ」と諭すことがあると思うけど、そういう事かな。
「当事者が自分で決める」
「工夫してより良く生きる」
「当事者があきらめないで、前向きになるために、やりたい事を実現できるように応援する」
「自由があるから元気でいられる」
助けてあげるという上から目線では、どちらも辛いだけ。いつかは自分も同じ立場になり得るのだ。 -
わたしも認知症に対して偏見もってたな。1人じゃ心配って思うけど、自分で決めて生きていくって大事だね
*認知症という病名だけでひとまとめにする人たちが多いような気がします。病名から人を見るのではなく目の前の人をきちんと見て欲しいと思います。
*工夫をするということは生きているってことだ
*心配はしているけど、信用しているよ
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認知症の方が書いた本である。認知症というだけで周りの反応が変わってしまったことや自分抜きで話をされる事。失敗したくない気持ちが強くなる事。もっと目の前の気持ちに気づく必要があるなっと実感しました。