氷柱の声

  • 講談社
4.09
  • (86)
  • (81)
  • (45)
  • (8)
  • (2)
本棚登録 : 1225
感想 : 101
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (130ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784065241288

作品紹介・あらすじ

語れないと思っていたこと。
言葉にできなかったこと。

東日本大震災が起きたとき、伊智花は盛岡の高校生だった。
それからの10年の時間をたどり、人びとの経験や思いを語る声を紡いでいく、著者初めての小説。

第165回芥川賞候補作。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • あの震災から、10年。
    読みながら、思い出しながら、
    あのとき抱いていた「本音」を、若者が抱いていた「リアル」を、形にしていいんだ、って思えた。それまでに10年という月日がかかった。

    周囲に蔓延っていた「偽善」。
    周りはお構いなしに自己中心的な行動をとる人間の、あらわになった本性。
    外向きのためだけの「思いやり」。
    震災という大きな物語が覆いかぶさってきて、偽りに染められていった自分の感情。
    語れるものが何もないという謎の申し訳なさ。
    お膳立てされた「感動」。

    10年経ってようやく、心にかかえていたもやもやを形にすることができたんだ。してもいいんだ。と、思わされた。
    読めてよかった。形にされてよかった。
    隠されずに、名誉ある賞の候補となってくれてよかった。選ばれなくても、意義があった。

    だけど、その震災を間近で経験していない私がそんな感想を言っても、所詮やはり「感動」として消費する「そちら側」の人間なのではないかとも思った。

    震災当時、私は東北からちょっと遠いところに住む学生で。
    一時期、えも言われぬ何かに突き動かされるように、毎月被災地のボランティアに行っていた。団体で、運営の中心メンバーとなるときもあった。バスを借りたり、ハイエースで交代しながら夜通しで運転して向かったりすることもあった。東北地方に行くのはそのときが初めてだった。
    震災を機に、私のだらっとしていた学生生活は、そしてそれまでぼんやりと考えていた卒業後の進路は、がらっと方針転換した。
    「何かに突き動かされるように」と書いたけれど、「意識高い」とか「就活対策だ」とか、周りに言われて否定しきれない自分もいた。あのときの「何か」とは果たしてなんだったのか。すっかり社会の荒波にもまれて大人になってしまったいまではもう、思い出せない。

    経験した側の気持ちは、当時その土地にいた側の気持ちは、やはり、本人以外誰にもわからないし、同じ経験した側であってもやはり、わかりあえるとは限らないのだろう。

    くどうれいんさん。同世代の、素敵な、本当に素敵な、作家さんに出会えた。
    こう表すのもおこがましいかもしれないけれど、形にしてくれてありがとうと伝えたい。
    中鵜のブログと、そして何より、あとがきにぐっときた。

  • 2011年3月11日。
    今でも思い出すと胸が苦しい。同じ日本という国にいながら何もできなかった。でも、悲しむ権利なんてない。被災者ではないのだから。ずっとそう思ってきた。

    著者のエッセイ「うたうおばけ」を読み、感性の素敵な方だなぁと好感を持っていた。
    オーディブルで見つけて聴いてみたら、東日本大震災の話…とすぐ止めようか迷ったが、最後まで聴いてよかった。
    飾らず真っ直ぐな言葉が心にすっと入ってくる。
    これまで言葉に出してはいけないと思っていたこと、言葉にできなかったことを、この本が代弁してくれた。

    小説の主人公は被災にあったが家族や家は無事だった。
    被災者だから悲しまなくてはいけない。被災者だけど家族や家を失っていないのだから悲しんではいけない。いろんな思いが渦巻く。被災地復興だといって美談にしてしまうことへの違和感も。

    外国の人からしたら日本人が被災者で、日本人からしたら東北に住む人が被災者で、東北に住む人からしたら何かを失った人が被災者で。
    本来、悲しみや苦しみは人と比べられるものではないが、目の前に自分より悲しく苦しい思いをしている人がいたら、自分の気持ちを口に出してはいけないと思ってしまう。
    悲しんでもいいし、悲しまなくてもいい。被災者というフィルターを外して、その人を個人としてみなくては。そう思えた。

    何十年先、震災を経験していない世代の方にも読み継がれていってほしい。

  • 2011年3月11日、私は高校の卒業式を終えたばかりの18歳で、上京してまだ一週間だった。
    アルバイトの面接に向かうため新宿駅で降りたところであの瞬間を迎えて、びっくりしたけれど、でもとにかく面接先のお店に向かわなくてはと馬鹿の一つ覚えみたいに、 LUMINEの停止したエスカレーターを8階まで全力で駆け上がった。
    お店の中では落下したワイングラスが粉々になって床に散乱していた。余震で立ってられずにしゃがみ込んだ私と店長さんは会話すらままならず、「また連絡するから!」と追い返された。
    私は、帰宅難民であふれ返る新宿のど真ん中に独りきりで、アルタの大きな街頭ビジョンに映画のようにうつしだされる地震や火災や津波の、映像を、やっぱり馬鹿みたいな顔で突っ立ったまま、呆然と見上げることしかできなかった。

    震災から10年。
    出身地をきかれ「福島県です」と答えると、未だに「あぁ…(大変でしたね)」という反応をされる。
    でも私も、被災県出身だけど被災者ではない。
    こうした会話を繰り返すたびに、喉に引っかかった小骨のようにずっと同じ後ろめたさを感じていた。
    でも同時にそれを感じる資格さえないのだとも思っていた。だって東京にいたのだ。家族や友人はみんな福島にいたのに。私は彼らと決定的に違ってしまった。ちゃんと震災を経験していない。震度7も津波も断水も停電も放射能の恐怖も、わからない。
    あの時の私はまだどこにも生活の基盤をもたないどこにも所属していない誰でもない部外者だった。

    くどうれいんさんの書く「氷柱の声」というこの小説は、春のあたたかさを迎えて、氷柱の先から垂れてくる雫をすくいあげてくれる。言うほどじゃないこと、語るほどじゃない経験、自分なんかがおこがましい、とこれまでしまわれ続けてきた人たちの声を。私も多分その一人だ。
    読み終えた今、自分の中で、震災に対する新しい向き合い方の萌芽が顔を出したかのような気がする。それは分かりやすい綺麗事でくるんだ陳腐な気づきかもしれないけれど、それでもそこから生まれる何かがあると思いたい。
    何もできなかったという歯痒さは、次は何かできるようになりたいと強く願う気持ちになるかもしれない。そう思いたい。

    • つづきさん
      はじめまして、コメントありがとうございます!
      自分語りに徹したレビューでお恥ずかしいですが、そのように言って頂き大変光栄です。

      おっしゃる...
      はじめまして、コメントありがとうございます!
      自分語りに徹したレビューでお恥ずかしいですが、そのように言って頂き大変光栄です。

      おっしゃる通り、震災は東京にも甚大な被害をもたらしていたのだと今となっては思います。
      私はその事実を蔑ろにしていたのかもしれませんね。

      あとがきで、作者は「震災もの」の作品なんて無いのだと述べ、それはただだれかの日常であり、あなたの日常であり、これからも続くものなのだ、と書いていました。
      akodamさんに頂いたコメントを拝見して、改めてそのことを実感しています。

      本を通じてしか得られないものは絶対にありますよね。
      受けとりました、とのお言葉、私も誰かに届けられたのだと思うと本当に嬉しいです。
      2021/07/27
    • akodamさん
      こんばんは。
      ご丁寧な返信を下さり、とても嬉しかったです。
      ありがとうございます。

      つづきさんが東日本大地震を体験された年齢とまったく同じ...
      こんばんは。
      ご丁寧な返信を下さり、とても嬉しかったです。
      ありがとうございます。

      つづきさんが東日本大地震を体験された年齢とまったく同じ18歳の時に、私は出身地である大阪で阪神淡路大震災を体験しました。

      眠りの最中、まるで爆弾が落ちたかのような衝撃に、経験したことのない恐怖を感じ、布団にくるまり叫び続けたこと、今でも鮮明に覚えています。

      当時、建設関係のアルバイトをしていた私は、神戸での仕事が多かったため、通い慣れた高速道路の橋桁倒壊や、建築に携わったビルやマンションが倒壊した光景を、テレビや現場で直接目の当たりにした時、そして何よりもその場所で数多くの死者が出たと知った時、自分の無力さに苛まれました。

      それからの1年間は仮設住宅の設置、避難所への物資輸送、住宅地の屋根瓦の補修など、自分が出来うる限りの行動に励みました。

      つづきさんがレビューの締めくくりに綴られた通り、『何もできなかったという歯痒さは、次は何かできるようになりたいと強く願う気持ち』が、当時の私を奮い立たせたのだと、強く深く共感しました。
      改めて、素敵なレビューをありがとうございました。


      おじさんの長文のコメント、大変失礼しました。
      今後ともよろしくお願いします^ ^
      2021/07/27
    • つづきさん
      そうでしたか!18歳の時に阪神淡路大震災に遭われていたんですね……。ご無事で何よりでした。
      akodamさんのその後の行動、とても素晴らしく...
      そうでしたか!18歳の時に阪神淡路大震災に遭われていたんですね……。ご無事で何よりでした。
      akodamさんのその後の行動、とても素晴らしく頭が下がります。なかなかできることではないと思います。

      私は幼かったので全く記憶が無いのですが、朝方の大地震ということもあり、逃げ遅れた方など多くいらっしゃったと今なおニュース等で何度も見聞きし、当時の恐ろしさを想像できます。
      きっと、伝えていくということが、何よりも大切なんでしょうね。被災者でなくても、その当時の記憶が無い未来の子供たちにも、伝えさえすれば、その思いは引き継がれていくのだと信じたいです。

      こちらこそ、丁寧なご感想ありがとうございました。
      今後もどうぞよろしくお願い致します!
      2021/07/28
  • 読んでみたかった作家さん♬
    くどうさんてまだ20代の女性作家さんだったんですね〜!
    会社員として働きながら執筆活動されてるそうです!

    読んでるという感じではなくて、すぅーっと心の中に入ってくるような感覚。
    こういう題材にしてはパンチに欠ける気もしたけど、とても美しくて繊細な文章だと思いました。

    東日本大震災があった日のこと。
    そこから自分達が抱えてきた言えなかった思いについて描かれた作品でした。
    これはフィクションでありながらも、主人公の伊智香を通して、くどうさん自身の思いを綴った作品なんだろうな。

    伊智香は被災地に住んでいて被災したけれど、何も失わなくて済んだ。
    だけど道1本挟んだ民家は流され、家も家族も全てを失った人達がたくさんいる。
    そんな中で自分が震災の事を被災者として語ってよいのだろうか。

    こういう思いもあるんだなぁと思った。
    たしかに災害でも病気とかでも、自分より辛い人がいるのに、そこで自分が語るのはおこがましい気持ちになるって分かる気がする。
    だけどこういう思いだってやっぱり辛い。
    文中の中鵜の言葉がずっしり印象的でした。

    くどうさんはこの小説を"震災もの"ではないと言われてます。
    だとしたらこれは震災から10年たったみんなの成長の物語かなと思いました。




  • 『氷柱の声』読了。
    初めて、3.11を題材にした小説を読みました。著者は私と同世代の方。私は全く体験をしていない未曾有の災害について、この小説からその時の揺れた感情を知る。その当時の中学生や高校生たちは10年後大人になって何を感じているのか。本当のようで嘘のような。でも、本当で。
    あとがきに震災ものではないと書いてあった。震災を経験した人たちの日常であると。
    特別視される違和感について、作中からも感じたのだが、悲痛にも近い10代の叫びみたいなのがあった。「わたしの十代をかえせ」という印象的な鉤括弧。忘れないを綴ったブログ。涙が出た。
    史上最強クラスの台風で職場に3日間足止めを食らった時に読んだ。
    仕事とはいえ、心細くて。こんな時に普通に読むか…?と思ったけど。
    きっと誰だって何かが起こると動揺する。それくらい、未曾有の出来事だったのだと思う。何も思わないわけがない。

    2022.9.24(1回目)

  • #氷柱の声
    #くどうれいん
    21/7/9出版
    https://amzn.to/3v26HtZ

    ●なぜ気になったか
    初めて読んだ『桃を煮るひと』の評価は★1つ。その評価が正しかったか気になって、次に読んだ『うたうおばけ』は★5つ。いったいどちらの評価が正しいのか確認するために読みたい

    ●読了感想
    評価★4つ。言葉遣いの感覚が鋭く、会話が独特のスピード感があり好み。ほとんど被災という被災をしていない被災県民の気持ちに気づかせてもらえた。同じ立場だったら僕もきっと同じ気持ちになったはず

    #読書好きな人と繋がりたい
    #読書
    #本好き

  • Audibleにて。
    テレビのニュースや紙面では知ることが出来ない、被災者の話を聞けた感じ。
    何も失ってない私が震災を語るなんて、って所やケーキに刺さったロウソクが苦手だと言う男性の話が印象的。

  • 東日本大震災で多くの被害を受けた人々の傍らで、
    揺れを感じながらも何も失うことのなかった人達特有の心の揺れ。
    その声に耳を傾け、言葉にならなかった声を紡いでくれた作品。

    今まで誰も、何も言えなかった。
    凍てついて氷柱となった涙は今、光のぬくもりにもう一度泣く。

    それぞれのカタチに冷え固まって成された氷柱に当てられた光が、あたたかさに包まれ、溶けて落ちてゆく。

    その雫の声に、ひとつの春を感じている。
    それがどれほどの救いとなるか、計り知れない想いが溢れて止まない。

    れいんさん、この作品を描いてくれて本当にありがとうございます。
    この作品はきっと、多くの人の心のわだかまりを溶かし、寄り添ってくれるものとなると思います。

    第165回芥川賞候補作。
    候補作の中ではとても読みやすく、どこまでもまっっ直ぐで、わかりやすい素敵な作品です。

  • 震災について書かれた作品。
    言葉にすることが難しいけれど、私は共感できるところが多かった。

  • チャリティー番組をみると居心地が悪くてチャンネルをすぐ変えてしまう。心のどこかでずっともやもやし続けているひとはみんな読んだらいいんじゃないかなと思う。

全101件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

歌人・作家。1994年生まれ。岩手県盛岡市出身・在住。著書に、第165回芥川賞候補作となった小説『氷柱の声』、エッセイ集『わたしを空腹にしないほうがいい』『虎のたましい人魚の涙』『桃を煮るひと』、歌集『水中で口笛』、第72回小学館児童出版文化賞候補作となった絵本『あんまりすてきだったから』などがある。

「2023年 『水歌通信』 で使われていた紹介文から引用しています。」

くどうれいんの作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×