U 相模原に現れた世界の憂鬱な断面 (講談社現代新書)

著者 :
  • 講談社
3.98
  • (11)
  • (28)
  • (12)
  • (0)
  • (0)
本棚登録 : 207
感想 : 22
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (280ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784065208243

作品紹介・あらすじ

Uは私だ。植松聖を不気味と感じる私たち一人ひとりの心に、彼と同じ「命の選別を当たり前と思う」意識が眠ってはいやしないか?
差別意識とは少し異なる、全体主義にもつながる機械的な何かが。
「A」「FAKE」「i ‐新聞記者ドキュメント-」の森達也が、精神科医やジャーナリストらと語りあい、悩み、悶えながら、「人間の本質」に迫った、渾身の論考!

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 森達也氏の本は好きでついつい読んでしまいます。

    どの本も世の中への問題提起となる部分が非常に核心的で多くの事を考えさせられます。

    ノンフィクションなのにやや小説がかった文章も個人的には好きで感情移入しやすいです。

    読み始めると止まらずに一気に読み終えてしまいました。

    この著者の本はどれでも言えることですが大事なことは自分で考えることを放棄しないということ。

    おすすめです。

  • 社会から逸脱した存在。どうしても、そう思えない気持ち悪さがあった。社会からはみ出した部分じゃないからこそ、共感する人がいた。批判する人がいた。蓋をしてしまう人がいた。

    グレーゾーン。それは社会の外部ではなくて、内部のもの。社会が作り出した二元論の狭間から、生まれ出てきたもの。だから、どこか自分の中に既視感がある。グレーゾーンで社会の欠片を拾い集めた彼は、AIみたいだな、と思った。決して他人事ではない。彼を作り出した社会の欠片であるという自覚を。

  • 識者達とのインタビューを通して事件を紐解く・・否、紐解かない。どころか、あえてもつれさせる。「責任能力なし」に納得いかなくてもそれが法の趣旨。加害者に「お前が悪いんだ」と制裁を加え、溜飲を下げるために刑罰があるのではない。寛容を求めるわけではない。起きてしまった過ちをまた起こさないためには?裁判は手続きというアリバイのためにあるのではない。書くことは誰かを助けるが誰かを傷付ける。その覚悟を持つ人だけがやる。「わかり易さ」に甘んじてはいけない。「わからない」もどかしさがなければ、「わかる」ことさえできない。

  • 日本の司法制度、メディア、社会のあり方について考察したもの。相模原の津久井やまゆり園事件を通して丁寧に考察を重ねていく。裁判員裁判制度のためか、あれほどの大事件がおよそ1ヶ月で結審し、結果としてなぜこのような事態が生じたのかは何も明らかにされなかった。「裁判で事実を明らかにする」ってのはもう期待できない。
    一方で報道する側のメディアについても、メディアは社会によって規定されるものであり「メディアやマスコミがゴミ」というなら社会がゴミであるというのと同義だという。そしてゴミが選挙で政治家を選んでいるのが、今の日本なんだとする著者の言は、著者がメディア側の人間であることを差し引いても、ちょっと怖い一言だなぁ。

  • 善と悪の二元論。その間にあるグレーゾーンから目を反らすな。世界はもっと複雑で優しい。そんな森さんの通底するテーマを、相模原の植松聖による障害者襲撃事件を題材に語る一冊。昨今の裁判は、陪審員制度が始まってから極端に描ける時間が短くなっており、極刑を前提に精神鑑定による責任能力の有無のみに終始する。刑の軽重の問題でなく、純粋に事実があいまいなまま終わらせてしまうことへの警鐘を鳴らしている。障害者施設自体に何らかの問題はなかったか。もちろん責任の所在を問う目的ではないので、そこは大きく触れられずあえて問いかけのみに終わらせている。だからこそ、疑い悩むべきはぼくら。早々に結論をくだし、逡巡しない現代社会に冷水を浴びせる一冊でした!

  • 死刑制度とはなんなんだろう
    殺人とはなんなんだろう
    精神鑑定とはなんなんだろう
    自己責任ってなんなんだろう
    裁判員制度ってなんなんだろう

    植松は、何者だったのだろう

    この本は決してわかりやすい答えは提示しない
    さまざまな問題を真剣に考え抜いた人たちとの対話を重ねながら、読者も森さんと一緒に考えるだけだ

    この森さんのスタンスに、新聞記者のドキュメントで大いに感銘を受け、彼の著書を読み漁っているが、これこそが大事なことだったのだと、個別の事実以上にそのスタンスに共鳴している。

    僕は、どうするのか

  • わからない、というのが正直な感想だ。
    相模原の事件とは一体何だったのか。結局、犯人はどんな人物で何が狙いだったのか。
    本書はその異常性だけを語るものではない。異常な事件が起きた、ではそれを繰り返させないためにはどうするのか? を徹底的に語っている。
    それを知り、分析し、ではどうすればいいのか、それをメディアや政治家たちが取り上げるべきだ。だが、彼らはそうしない。読み応えのある作品である。

  • 相模原障害者施設殺傷事件が起きたのは2016年7月。知的障害者福祉施設「津久井やまゆり園」の入所者19人を刺殺したのは元職員の植松聖である。この事件について知りたかった。犯人の植松とはどういう人物なのか知りたかった。
    読み終えて。森達也氏の力が存分に発揮された素晴らしい本だった。事件について、また植松についても書かれているが、メディア論、裁判員制度の問題、精神鑑定のあり方など、様々な角度からの考察が書かれている。
    著者の文章は歯切れが悪い。考えながら悩みながら書かれていることがよくわかる。ゆえに、著者と一緒になって読者も考える。明確な結論を提示するわけではない。考え抜かれた自説を歯切れ良く展開するわけでもない。むしろ、疑問を投げかけ、読了後も考え続けることを促す。
    橋本治のように、読者に考えさせることができる書き手と久しぶりに出会った。稀有な作家である。

  • 「生産性」が重視されるこの現代社会で、私たち一人一人の中にも、少なからず「U」がいるのかもしれない。もちろん、あそこまで極端ではないにしろ。だからこそ、この事件や、オウム事件の真相は、私たちのためにも解明されなければならなかったのだ。

  • ●麻原は裁判初期の頃は非常に頭の明晰で受け答えも異常な点はなかったと言う。ならば犯罪時において責任能力があったとみなす事は妥当。でも裁判途中から意思の疎通ができなくなり、「訴訟能力」が失われた可能性が高い。しかしその状態で裁判が続けられたのは問題では?結局裁判を打ち切られ、最も重要な要素である動機を解明することは出来なかった。
    ●植松曰く、人間はいつ死ぬべきか?寝たきりで支えてもらう時こそ「自死」を選択しなければ筋が通らないと思います。延命治療が発達した今、生死を神に委ねるのは無責任ではないでしょうか。
    ●精神科医たちはうんざりしている。鑑定で何を主張したとしても、それが判決に影響しないことも知っている。自分たちがいかに軽く扱われているかを彼らは知っている。だからずさんで投げやりな観点になってしまう気持ちもわからないではない。

全22件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

森 達也(もり・たつや)
1956年、広島県呉市生まれ。映画監督、作家。テレビ番組制作会社を経て独立。98年、オウム真理教を描いたドキュメンタリー映画『A』を公開。2001年、続編『A2』が山形国際ドキュメンタリー映画祭で特別賞・市民賞を受賞。佐村河内守のゴーストライター問題を追った16年の映画『FAKE』、東京新聞の記者・望月衣塑子を密着取材した19年の映画『i-新聞記者ドキュメント-』が話題に。10年に刊行した『A3』で講談社ノンフィクション賞。著書に、『放送禁止歌』(光文社知恵の森文庫)、『「A」マスコミが報道しなかったオウムの素顔』『職業欄はエスパー』(角川文庫)、『A2』(現代書館)、『ご臨終メディア』(集英社)、『死刑』(朝日出版社)、『東京スタンピード』(毎日新聞社)、『マジョガリガリ』(エフエム東京)、『神さまってなに?』(河出書房新社)、『虐殺のスイッチ』(出版芸術社)、『フェイクニュースがあふれる世界に生きる君たちへ』(ミツイパブリッシング)、『U 相模原に現れた世界の憂鬱な断面』(講談社現代新書)、『千代田区一番一号のラビリンス』(現代書館)、『増補版 悪役レスラーは笑う』(岩波現代文庫)など多数。

「2023年 『あの公園のベンチには、なぜ仕切りがあるのか?』 で使われていた紹介文から引用しています。」

森達也の作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
ミヒャエル・エン...
伊藤 亜紗
ヴィクトール・E...
アンデシュ・ハン...
有効な右矢印 無効な右矢印
  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×