- Amazon.co.jp ・本 (554ページ)
- / ISBN・EAN: 9784065180877
作品紹介・あらすじ
ノンフィクションの傑作『メディアの支配者』から14年、驚異的な取材力と丹精な筆致で知られる著者の、待望の新作。
フジテレビとテレビ朝日は1959年、日本テレビ、TBSに続く民放テレビ第三局、第四局として産声をあげた。
テレビ局が「カネのなる木」だということが明らかになるにつれ、多くの政商、旧軍人、メディア企業、政治家たちが群がった。
なかでもフジ、テレ朝の2社に深く食い込んだのが、出版社「旺文社」を経営する赤尾好夫である。自らが支配するラジオ局文化放送を通じて両社の株を握り、テレビ朝日では東映社長を大川博を追い出し、経営権を握った。
その息子・赤尾一夫もテレビ朝日の大株主として独特の存在感を発揮、さらにマネーゲームへと狂奔していく。テレビの系列化に乗り遅れた朝日新聞はその間隙をつき、テレビ朝日を支配しようともくろむ。
一方のフジテレビのオーナーとなった鹿内家だが、突然のクーデターによって鹿内宏明が放逐され、日枝久による支配体制が確立される。
しかし、その後も、フジの親会社・ニッポン放送株の10%を握る鹿内宏明の存在が、日枝に重くのしかかった。それを振り払うためのニッポン放送、フジテレビの上場が、思わぬ「簒奪者」を呼び込むことになる――。
絡み合うようにうごめく二つの「欲望のメディア」。
膨大な内部資料を入手し、その相貌を赤裸々にする。
感想・レビュー・書評
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【鹿内はMBOを決断することを促し、最後の説得を試みている。しかし、亀渕は「会社を私たちのものにすることはできません」と尻込みした。
「ならば、誰のものになればいいんだい」
「誰のものになっても困ります」】(文中より引用)
フジテレビとテレビ朝日という日本を代表するテレビメディアの歩みを記した作品。両社に赤尾一族が関わる捻れた創設の内幕や、外資や新興ファンドからの攻勢という市場経済の荒波に晒された実情を描き切っています。著者は、『メディアの支配者』などで知られる中川一徳。
ハードカバーで550ページを超える大著であることは確かですが、「ここまで調べたのか」と唸ってしまうほどに両社の歴史を暴きまくった快作だと思います。特にニッポン放送の経営権問題に関する書き振りは圧巻の一言。村上世彰氏の海賊っぷりに鳥肌が立ちました。
ライブドアの一件は後々振り返ってみると、平成史の中でも今語られている以上に特筆すべき出来事だったんじゃないかと思い始めています☆5つ詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
かなりページ数がある大著。それだけに読み応えがあり、ノンフィクション作品としてとても濃密な作品。これだけフジテレビ、テレビ朝日といった巨大メディアの内幕に迫れることに驚愕する。そしてその実情を書き切る著者の熱量と力量に脱帽。
この本を読むとライブドア事件に至るまでの関係者の攻防、歴史的経緯がよくわかる。それも単なる経緯ではなく、様々な関係者が激しく攻防するある意味手に汗握るドラマになっている。日本のメディア史という観点からも貴重なノンフィクション作品だと思う。 -
テレビ朝日(旺文社との攻防)、フジテレビ(ホリエモンなど)
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東2法経図・6F開架:699.21A/N32n//K
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ノンフィクションの金字塔。
ノンフィクション冬の時代。
これだけの熱量で書かれたノンフィクションを近年見ていない。
戦後の旺文社の赤尾家、朝日新聞の村山家、フジの鹿内家、戦後歴代の政治家の濃密な関わりから始まり、ライブドア事件で大団円を迎える。
上場企業とは思えない属人的な企業統治、社内政治がこれでもかと繰り広げられる。
日枝久が放送と通信の融合を訴えていたのは意外な発見であった。
ライブドア事件で放送と通信の融合を形上唱えていたライブドアに買い占められてしまうのは歴史上の皮肉である。
メディアの歴史は死屍累々、呪いを実感できる。
マスコミからは徹底的に無視されるかとは思うが、よく出版できたなというのが感想。マスコミの崩壊が顕著となった近年。
後年になるほど評価されるかもしれない。 -
「メディアの支配者」でフジサンケイGを追った著者の新刊。戦後のメディア勃興期、利権にまみれた地方局の成り立ちやキー局と中核新聞社の歴史がこれでもか、というくらい圧倒的なボリュームで綴られている。
ハイライトはライブドア・村上ファンドとフジテレビの攻防。今更感はあるが、メディアの不透明なガバナンス、第三の権力としての役割と政府の許認可権、公共の使命と上場企業の矛盾など何も変わっていないことばかり。
改めて我々の日常に圧倒的な影響を与え得る業界のあり方に思いを馳せることができた。 -
この本に溢れている欲の総量にぐったりしました。そして脱法だけど違法ではない株取引のテクニックのオンパレードにも眩暈がしました。2020年、5Gが始まり、NHKはサイマル放送に執念を燃やし、オリパラきっかけにずっと言われてきた通放融合が今度こそ本格化するかもしれません。また4K、8Kへの技術投資を含め、N系、J系、フジ系、A系、キー局とローカル局の体制が維持できるのか、総務省もいろいろ仕掛けてくる、このタイミングで民間放送という利権の攻防のクロニクルです。二重らせん、という書名は8チャンネルのフジと10チャンネルのテレビ朝日の関係性からつけられていると思いましたが、民放の公共性という建前と営利事業という本音の絡み合いという意味もあるのでは、と思いました。このメディア産業の株を巡るすさまじい内向きの闘争がデジタルに乗り遅れる「失われた30年」の一要因であるのでは、と考えさせられました。それくらい昭和のテレビ局ってぼろ儲けのビジネスモデルだったんですね、きっと。