大きな鳥にさらわれないよう (講談社文庫)

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  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (416ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784065174463

作品紹介・あらすじ

遠く遙かな未来、滅亡の危機に瀕した人類は、小さなグループに分かれて暮らしていた。異なるグループの人間が交雑したときに、、新しい遺伝子を持つ人間──いわば進化する可能性のある人間の誕生を願って。彼らは、進化を期待し、それによって種の存続を目指したのだった。しかし、それは、本当に人類が選びとった世界だったのだろうか? かすかな光を希求する人間の行く末を暗示した川上弘美の「新しい神話」。

感想・レビュー・書評

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  • あなたは、『今まで何人の子供を育ててきたのだろうと、時おり指をおる』と語る女性の話を聞いて何人の子供を想像しますか?

    1人の女性が一生の間に生む子供の数が年々低下し、歯止めがかからなくなっている状況が懸念されています。1949年には、なんと4.32人という統計史上最大値を記録していたその数値は1973年を頂点とするベビーブームを境に年々下がり続け、2021年には、ついに1.30人という数値まで落ちました。流石に”異次元”の対応が急がれるのも当然なのだと思います。人の世が永続していくために、この国が永続していくために、知恵を絞った対応には是非期待したいところです。

    では、一つの家族が育てる子供の数は何人になるのが理想でしょうか?二人でしょうか?三人でしょうか?

    ここに、自らの育児の経験を語る女性が主人公の一人を務める物語があります。そんな女性は、育ててきた子供の数を数えます。

    『ひい、ふう、みい、よ』。

    (*˙ᵕ˙*)え?

    『名前をはっきりと覚えている子供だけでも、十五人いる』。

    工エー=͟͟͞͞(꒪ᗜ꒪ ‧̣̥̇)

    『覚えていない子供まで入れると、ゆうに五十人は育てたろうか』。

    ニャンダッテ━━Σค(°ㅅ°ค(°ㅅ°ค(°ㅅ°;)ค━━!!

    この作品は、私たちが当たり前に思う事ごととはどこか異なる世界が描かれる物語。そんな不思議な世界が14もの短編それぞれに語られていく物語。そしてそれは、『すでに多くの国はほろびていた』という、まさかの未来世界を描く”川上ワールド”全開な物語です。

    『わたしが結婚したのは、五年前だ』、『夫は、町はずれにある工場に通っている』と説明するのは主人公の『わたし』。『夫は私とのものを含めて、今までに四回結婚している』という中、『わたしは二回』と思う『わたし』は、『夫の妻たちも、わたしの前の夫も、すでに亡くなっている』ことを思います。そんな『夫は三人の妻たちの形見を、ちゃんととってあ』り、『それらは、脱脂綿が平らに敷かれた小さな三つの箱に、ていねいにおさめられてい』ます。そんな『わたし』は、『夫が働いている間』『子供を育て』ています。『町のまんなかにある広い公園で』『子供を遊ばせる』『わたし』は、『今まで何人の子供を育ててきたのだろうと、時おり指をお』ります。『名前をはっきりと覚えている子供だけでも、十五人いる』という子供たち。『覚えていない子供まで入れると、ゆうに五十人は育てたろうか』と子供たちのことを思う『わたし』は、『子供たちの成長は、早い』と考えます。『幼稚園に上がるのに二年も三年もかかる子供はまれで、短い子になると生後三ヵ月でじゅうぶん幼稚園に通えるようになる』という子の成長。結果、『幼稚園に入れば、もうほとんど手は離れる』ことになります。そのために、『十五人の、名前はちゃんと覚えているけれど、大人になってしまった子供と会った時に、すぐにわかるかどうかは自信がない』という『わたし』の元に、先日、『成人したとおぼしき子供が訪ねてき』ました。『お母さんですね』と『花を差し出』されるも『名前を思い出せなくて、しばらく躊躇していたら』、『卓です』と『自分から名乗ってくれた』その子供。『今度、結婚することになりました』、『ぼくはいつ、お母さんの子供だったんですか』と訊く子供に、『それは、教えてはいけないことになっているでしょう。それに、こうやって来るのだって』と戸惑う『わたし』は『あたりをそっと見回し』ます。そして、『卓の胴体に腕をまわし、ぎゅっと抱きしめ』、『わたしが育てた、子供』と思う『わたし』。そんな『わたし』が『おめでとう』と言うと『にっこり笑い、頭を下げた』子供は『なごり惜しそうに』『振り向き振り向き、帰ってい』きました。『以前は、「国」という大きな単位の地域のまとまりがあって、そこは「日本」と呼ばれていた』と『古文書を読むのが好きな夫から教えてもらった』『わたし』が暮らすちょっと不思議な未来世界が描かれていきます…という最初の短編〈形見〉。いきなり違和感満載の日常生活の描写に戸惑いを感じつつも、”川上ワールド”へと足を踏み入れていく喜びを合わせて感じた好編でした。

    上記で取り上げた〈形見〉について、“私が編者となって、大好きな作家のみなさんに「変な愛を書いてください」とお願いし、書き下ろしていただいた”と語られるのはこの作品で〈解説〉を務められる翻訳家の岸本佐知子さん。そんな”〈形見〉を書き終えた時、これは未来の話じゃないかしら?と思った”と、作者の川上弘美さんは、”長く書けるかもしれない”とこの作品成立の経緯を語られます。そして、完成形として刊行されたこの作品は14の短編が緩やかに繋がりを持つ連作短編の形式をとっています。そもそも上記した〈形見〉だけでも不思議世界が蠱惑的に顔を見せるこの作品。では、まずは、そんな14の短編の中から三つの短編をご紹介しましょう。

    ・〈水仙〉: 『今日、私が来た』と『扉を開け』、そこに『私よりもずいぶん若い、髪をのばした私がい』るのを見たのは主人公の『私』。そんな『私』は、『その日から』『私と二人で暮らしはじめ』ます。『最初に、家事の分担を決め』ようとするものの『掃除が好きで料理にはさほど興味がない』『私』と、『もう一人の私も同じだったので』、『曜日ごとに分担すること』なった二人。そんな『もう一人の私』との会話で『昔のことを』思い出した『私』は、『ものごころついた頃には、私は三人いた。生まれたばかりの頃は十人の私がいた…』と過去を振り返る中に、『二十五歳の秋に』旅に出たことを思い返します。

    ・〈みずうみ〉: 『15の8。それが、あたしの名前です』と言うのは主人公の『15の8』。『あたしには三人の兄と二人の姉がいます。兄たちの名は、それぞれ15の3、15の5、15の6です…』と説明する『15の8』は、『村には、100の家があり』、『あたしの家は、15の家』、『子供は、母親の家の番号を名乗り』、『生まれた順に下の番号をもら』うという命名ルールを説明する『15の8』。そんな『15の8』は、『この村の人たちは、みんなどことなく似たところがあると思っています』。それが『誰も人を憎まない』ということだと思う『15の8』は、『憎むって、どういうことなの』と『かあさんに聞いてみま』す。

    ・〈Interview〉: 『へえ、話を聞かせてほしいって言うのかい。たいした話なんて、ないけどね。なに?普通の一日のことを聞きたいって?』と一人で話し始めたのは主人公の『おれ』。そんな『おれ』は『目が覚めたのは、三歳のころ』と続けます。『ほとんどものは食べない』という『おれ』は『水分はたっぷり取』る中に『合成代謝』によって生き『五百時間くらいはずっと同じ場所にい』るものの『生殖をおこなう時期になると』『あちこちに出かけていく』と説明します。『たいがいのFと生殖可能だ』が『なかなかFがおれを生殖相手に選んでくれないから』『ずいぶん遠くまでめぐり歩く』…と一人語りを続けます。

    どうでしょうか?なんだか分かるようでさっぱり意味不明?そんな感想を持たれた方も多いと思います。私も上記した冒頭の〈形見〉含めて、あまりにかっ飛びすぎたその内容にポカン!としてしまったというのが正直なところです。これは、ファンタジーなのか?という思いが巡りますが、そこに”これは未来の話じゃないかしら?と思った”という川上さんの言葉が思い起こされます。”私はSFが好きで、大学時代はSF研究会に入っていました”とおっしゃる川上さんが描かれたこの作品はそんな言葉の先に誕生したSF作品なのです。そんなSFの前提は物語が進む中で、少しづつ説明がなされていきます。

    『いくつものカタストロフやインパクトの後、人類は急激に減りつつあった。ついに人口数は臨界点を下まわりはじめていた』。

    『残存する頭脳を結集させ、あらゆる技術を掘り起こし、長大で複合的な計算をコンピューターでおこなっても、はかばかしい展開は得られなかった』。

    そんな先に、ついに、

    『すでに多くの国はほろびていた。かろうじて存在していたいくつかの国も、国家としての機能をほとんど失いつつあった』。

    まさかの未来の地球の姿が描かれていることがわかります。そんな時代には、上記で取り上げた不思議な感覚の原因がこんな説明の中に明確になります。

    『まだ俺たちがクローンではなかった頃、ふつうの生殖で生まれた人間だった頃…』

    そんなこの14の短編、どこか同じ世界のようで違う世界のようでという不思議な感覚の物語の理由が示されます。

    『人間集団を、いくつかの地域に分断し、完全におのおのを隔絶する』。

    そう、この物語に描かれているのは、『隔絶』された『いくつかの地域』の物語。『隔絶』されているが故に、同じようで違う、違うようで同じ、なんとも不思議な世界のイメージがそこに見えてくるのです。これは凄いです。人は今生きている時代、生きている瞬間を全ての比較基準とする生き物です。私たちは2023年という今を生きていますが、この作品世界を生きる”存在”たちは、あくまでその時代、瞬間を基準に考えます。川上さんは、そんな”存在”たちどっぷりな視点で全てを描かれていきます。この感覚が圧巻です。次から次へと、私たちの世界のようでいて、気持ち悪いくらいに異なるなんとも言えない微妙な感覚世界を描いていく川上さん。

    『おれも、おまえも、そしてこの地球上の誰も、人類の衰退を止めることができない。その能力をもっていない。人類は、もっともっと素晴らしいものになるはずだったのに』。

    こんな風に、まさかの未来世界から過去を振り返る描写など、SFならではの過去を俯瞰する視点を登場させるなどとにかく抜かりがありません。そして、そんな物語には、私たちの世界を痛烈に皮肉る表現が切れ味鋭く登場します。二つご紹介しておきましょう。

    ・『自由、というのは、あたしたちの学校でもっとも頻繁に使われる言葉かもしれない』。
    → 『でも、あたしはこの学校にいても、自由であるという感じをあんまり持てない』。

    ・『そもそも、憎むって、どういうことなの』
    → 『相手が、この世界からいなくなってほしいと思うことよ』

    “地球の長い歴史から見れば、今、人類が繁栄を謳歌しているのは、実はすごく運の良いことなんですね。だから、こういう時代だから、というよりも、人類も他の生物と同様、いつかは絶滅するということは、普遍的なことです”と語る川上さんが描く14の短編から構成されたこの作品。そんな作品には、『すでに多くの国はほろびていた』というまさかの未来世界の”存在”が、そんな時代、瞬間を生きる姿が描かれていました。今までに子供を『ゆうに五十人は育てたろうか』、『僕のように他人の心を走査できる』、そして『子供の由来は、ランダムだ。牛由来の子供もいれば、鯨由来の子供もいれば、兎由来の子供もいる』というかっ飛んだ物語に、正直、”ナニイッテルカワカラナイ”という感情に苛まれもするこの作品。

    未来世界の不思議な描写の連続の中に、それでいて丁寧に綴られていく美しい文章にも魅せられる、そんな作品でした。

  • 短編集であるけれど、すべての話は一つにつながっている。

    章が変わるたびに、ものすごく強い引力に引っ張られ、別世界に連れて行かれる。最初は戸惑いながらも、やがて探究心が芽生えて、もっといろんな世界へ連れて行ってほしいと思ってしまう。それほどにこの本には魅力がある。

    「人間が工場で作られる」という、不思議な世界から始まる物語は、まるで絵を描くようにして、近づいたり離れたりしながら全体像に向かっていく。

    まるで連作のように、設定は深く、登場人物が多い。そして、読んでいる自分は別世界を俯瞰した気持ちになっていることに、知らず知らずのうちに気づく。

    自分が普通だと思っていることは、見る人によってはものすごく異質で、それを受け止められるかどうかも違う。
    異質なものに対しては、どちらかといえば興味をもつ自分にとっては、登場人物の行動に時折不可解な感覚を抱くけれども、共感はできる。

    この本では、時間という概念が薄く、関係性は明記されても、いつのことだかは全くわからない。
    ただここに、明確な意図があり、解釈が許されているように思える。
    だから、人類が迎えるかもしれない遠い未来を書いたこの話は、もしかしたらずっと昔にすでに起こったことなのかもしれないと考えてしまう。

    この物語の全ての真実を知った今、もう一度読み直してみようと思う。

  • 川上弘美さんのディストピア!読まねば!と思って手に取った『大きな鳥にさらわれないよう』。

    人類が衰退していった世界の短編集。
    短編集・・・なんだけど、長編みたいな。不思議な話。
    結局ひとつの物語なのだ。
    最初は不透明で掴めなかったけれど、読み進めるとどんどん繋がっていく。
    最初の頃は詳しく描かれていなかった部分が後から小出しにされていって、道が開けていく感じ。あの人はこうだったんだねとか、この人こんな見た目だったの・・・?!とか。
    こういう引き込まれ方は初めてだった。

    前回読んだ『某』と同じように、また人間について考えた。
    (『某』は人間というかアイデンティティというか、だけれど)

    「「自分と異なる存在を、あなたは受け入れられますか」
    受け入れられると、わたしは信じていた。そうだ。わたしたちと近種の、かつわたしたちよりも優れたものならば、わたしは受け入れたことだろう」

    『正欲』もチラッと思い出したけど、なんだろうな・・・
    “人間はいろいろ!”って思ってはいるつもりだけれど、あくまで自分の想像できる範囲内の“いろいろ”しか受け入れられないのかな。

    人類が衰退していく中で、生き残る可能性の高い遺伝子が生まれて、人間が進化していくことに賭ける。
    それって、生命が誕生してから今まで長い時間をかけて行われてきたことだと思うけど、ここから人類がさらに進化すると考えるとちょっとゾワッとする・・・
    でも、ありえなくはないんだよな。未曾有のウイルスが蔓延している世の中、もう人類はすでに進化を始めているかもしれないし。

    今回もすごく面白い読書体験でした。


    「あなたは、ほんとうに人間らしい人間なのよ。あなたは何かを生み出す。そして、生み出すものより多くのものを破壊する」

  • 冒頭の一文。
    「今日は湯浴みにゆきましょう、と行子さんが言ったので、みんなでしたくをした」。

    「湯浴み」という言葉。
    いきましょう、ではなく「ゆきましょう」。
    行子さんが言ったから、でなく「言ったので」。
    仕度と漢字で書かずにひらがなの「したく」と。

    冒頭から魅了される。
    川上さんの小説は物語以上に文章が魅力的だ。助詞やひらがなの使い方や句点の位置など、磨き抜かれた文章を一文づつ噛みしめて読むから、なかなか進まず読み終わるのが遅い。

    それでも進むと文章だけでなく世界観にも圧倒される。人類が滅んだ後の世界とヒトという種が描かれる。徐々に謎や秘密が明らかになる章立ての構成が巧い。まるでパズルのピースがそれぞれカチッ、と音を鳴らして合わさってゆく感動と快感がある。

    滅んでも変わらない人間という種。人を愛し、憎み、争い、共同体を作り、異なる存在を受け入れられない。その不変性。それすらも愛しいと思わせるのは、この作家の筆力が為せる技である。

    そして人は変わらずに祈る。祈らずにはいられぬ人間という存在。


    <あなたたち。いつかこの世界にいたあなたたち人間よ。どうかあなたたちが、みずからを救うことができますように。>
    最後の文を読み終えたとき、冒頭の一文に連れ戻された。まるで生ある者の胎内を潜り抜けた妙な感覚に襲われた。数千年後の未来を描いたSFだが、これは神話であり、祈りの記録である。

  • 面白かった。
    独立している短編があちこちで繋がっているのを感じて、「あっ。これはあの人か! あの人のその後だったのか!」と、ワクワクしました。
    ラストもうまくまとまったと思います。

  • 平たく言うとSFなのに、川上弘美が言葉を編むと、不思議な柔らかさを持つ物語になるのだ。

    ぐにゃぐにゃというか、むにゃむにゃというか、そんな柔らかな世界で、絶滅に瀕している人間は「母たち」に育まれているのだった。

    争いの源である愛や憎しみから隔離された、柔らかな世界で。

    読んでいると、描かれた世界に対する違和感と、そういう世界を構築することを選んだ誰かの決意を思ってしまう。
    人間が生み出した叡智である「見守り」や「母たち」よりも、人間はどうしようもない一面を持っていて、それを捨てられずにいる。
    けれど、その捨てられない、どうしようもないものにも、意味があると思う自分がいる。

    正しい繁栄なんて、幻想だ、きっと。
    けれど、正しく繁栄しなければ、私たちは私たちに潰されるのか。

    万事上手く回る世界に、幸せしか生まれない世界に、調停者がいるだなんて、誰が思うんだろう。
    苦しくて、辛くて、逃れ難い世だからこそ、そこに神さまは生まれるのかもしれない。
    何度も。

    アーイシャが生まれた「奇跡」から、物語は一気にスパートをかける。
    章題は「愛」「変化」「運命」。

    そして、「なぜなの、あたしのかみさま」で世界が変調する。ルービックキューブをガチャガチャと回して色彩が変わったかのように、衝撃。
    この流れがものすごく面白かった。

  • ユートピアのようなディストピアのような世界が描かれ、不思議と心地よい世界観に引き込まれていく。短編集のようでありながら、以前出てきた名前が再度登場し世界が繋がっていたことを知る。つながっているはずなのにやはり違う世界のように感じる。章が進むにつれて次第にこの世界の全貌が明らかとなり、そして最後に世界の最初が描かれまた最初から読み返したくなる。滅亡の危機に瀕した人類を描くまさしく「新しい神話」であった。

  • 遠い未来、幾度ものカタストロフを経た後に壊滅的な状況に陥ったその後の人類を描くSF小説。約400ページ、13篇からなる連作形式で、読み進むに連れて作品世界の人類の置かれた環境や社会・歴史が徐々に明らかになる仕組みとなっている。各編は同じ登場人物が登場して対になるような強い結びつきをもつものもあれば、他とはあまり交わりのないエピソードもある。作品の舞台となる期間は明確には不明だが、相当に長い年月にわたる。タイトルは作中の一篇からとられており、意味深にみえるがとくに作品の秘密を示唆するわけではない。

    作品内の人類の歴史からすればディストピア小説に該当する作品かもしれないが、作者の穏やかな筆致と作品の設定もあって、暗く虚無的な作風とは一線を画している。そこでの人びとの暮らしは原初的であるとともに先進的な技術も折衷して存在し、緩やかに管理されながらも独裁的ではない。人々は決して不幸には見えず、そこにあるのは見ようによってはある種のユートピアにさえ見える。そんな破滅後の人類の社会を、多くは子どもたちや流れ者、管理者などの視点から少しずつ描き込みつつ、変異個体と呼ばれる超能力者やクリーチャーともいうべき存在が淡い色調で描かれる作品世界に変化を与えている。

    もともとは解説の岸本佐知子氏が編者となったアンソロジー『変愛小説集 日本作家編』のために書かれた作品とのことで、そこに収められた「形見」を発展させて完成したものが本作にあたる。ただし、きっかけになった「形見」が第一話に配されていることは単に初めに書かれたエピソードだからではなく、通読した後に作者の意図を知らされる。各篇で幻想的なものと、世界観を説明することに重点が置かれた作品が混交している。なかでも最終の二篇にあたる「運命」と「なぜなの、あたしのかみさま」は作品を理解するうえでもっとも重要な物語で、解説にもある通り冒頭に立ち返りたくなる。それだけに情報が不十分な初読時には辻褄が合わずやや混乱するかもしれない。

    破滅後の人類の社会を対象に寓話を物語るような穏やかな語り口で綴るという一見ミスマッチな取り合わせなのだが、バランスよく配合されていて違和感がない。同時に壮大なSF作品に期待されるような仕掛けも用意されていて、サスペンス的な楽しさもある。長い旅を終えたような読後感とともに、懐かしさと寂しさの交じり合った感情を抱いた。

  • 文庫になったので手元に置きたくなって再読。
    前回読んだ時何かわかった気がしていたのに、結局何もわかっていなかった。今もよくわからない。
    「母」たち、見守り、人間たち、生きること、神など。切なくて寂しくてでも暖かい私たちの世界。

  • 「自分と異なる存在をあなたは受け入れられますか」
    人間って人間に近くてでも絶対に理解できないものを一番に恐れませんか。幽霊とかAIとか人でもそう。
    人間よりも理性が強くて穏やかな存在からしたら、わたしたち人間だってみんな可愛くみえるかな。わたしたちが猫とか犬を無条件に可愛いと思うのと同じに。

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著者プロフィール

作家。
1958年東京生まれ。1994年「神様」で第1回パスカル短編文学新人賞を受賞しデビュー。この文学賞に応募したパソコン通信仲間に誘われ俳句をつくり始める。句集に『機嫌のいい犬』。小説「蛇を踏む」(芥川賞)『神様』(紫式部文学賞、Bunkamuraドゥマゴ文学賞)『溺レる』(伊藤整文学賞、女流文学賞)『センセイの鞄』(谷崎潤一郎賞)『真鶴』(芸術選奨文部科学大臣賞)『水声』(読売文学賞)『大きな鳥にさらわれないよう』(泉鏡花賞)などのほか著書多数。2019年紫綬褒章を受章。

「2020年 『わたしの好きな季語』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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