友情について 僕と豊島昭彦君の44年

著者 :
  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (274ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784065151112

作品紹介・あらすじ

高校時代の親友が膵臓癌に。
余命の中央値は291日――。
「豊島、一緒に本を作ろう。君の体験という財産を、後の人たちのために遺すんだ」

「でも僕はたいした人生を送っていない。大学を卒業して一般企業に入社し、結婚して子どもが二人できて、2度の転職をしたけれどごく普通のサラリーマン生活を送ってきたに過ぎない。人様に誇れるようなことは何一つしてきていないし、そんな私の人生を本にしたって誰も興味を持って読んでくれる人などいないだろう」
「そんなことはない。豊島君が生きた時代、それはぼくも生きた同じ時代だけれど、この時代は高度経済成長のバブルがはじけて日本経済が衝撃的な打撃を受けた時代だった。豊島君だって当時最も安定した業種とされていた銀行に就職したのにその銀行が潰れて、その後に外資系のファンド会社に買収されて苦労しただろう。そういうことを書けばいいんだよ。あの激動の時代を記録に残し、君が窮地に陥ったときの苦労や困難をいかに乗り越えてきたかを語っておくことには、きっと大きな意味があるはずだ」

会社の破綻、上司との軋轢、リストラや出世、転職、家族、友人、病……。
親友が激動の半生を赤裸々に綴り、作家・佐藤優が生きる極意を語っていく。
人生とは何か。
余命を意識したとき、人は何を思うのか――。
前代未聞の出版プロジェクトが始まった。


本書から導き出される「人生の極意」の数々

闘病中は2つのことに気をつけたほうがいい
危機的状況では、人間は楽観論に走る
窮地に陥ったら戦線を広げるんだ
事実と真実は違うときがある
生き残る人と生き残れない人を分けるのは、インテリジェンス能力と歴史観の有無だ
外見の強そうな男がメンタルも強いとは限らない
すべてはタイミングの問題なのだ
人生の岐路はほんの些細なことで変わってしまう
嫌な上司を攻略したいときは……上から捻るんだよ
ストレスや不安とは心の中でうまくつきあうといい

感想・レビュー・書評

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  • 佐藤優さんの高校の同級生・豊島君が、すい臓ガンで余命幾ばくもないことがわかった。佐藤優さんはそのことを聞いて豊島君に「2人の自伝を書かないか?」と提案する。

    すい臓ガンは怖いガンだ。気がついた時は既に遅く、ある事情で私も他人事ではないと感じている。しかも、この2人とはほとんど同世代ということがわかった。私と違い、優秀な成績で社会に出た後に98年の日債銀経営破綻で人生がガワリと変わった豊島君は、しかし同世代だけに遠い世界ではない。

    「それで豊島君は何がしたい」あえてビジネスライクに佐藤優さんが聴くと
    「自分がこの世に生きた証を遺したい」
    で、2人の自伝を提案すると、豊島君は怯む。佐藤優さんは畳み掛ける。バブルがはじけた時代を語ることは意味があるはずだと。
    「でもそれは、あの時代に特有だった特殊な事例であって、今の時代には通用しないのでは」
    「そんなことはない。時代は繰り返す」
    豊島君の想いは、とてもよく理解できる。佐藤優さんの判断も正確だ。とても理性的だけど、限りなく情に溢れている。これが「友情」というものなのかもしれない。

    2人の高校生活を見ると、2人を合わせて1/3にしたようなのが私の大学生活だったと思う。私の3ー4歳先を既に歩いていたのである。なるほど、これが秀才の歩く道なのだ。

    90年バブル破綻、97年北海道拓殖銀行破綻、豊島君は、悪循環に落ち入る日債銀の中にいて「一度マスコミに対して弱みを見せるとマスコミは一気呵成に徹底してその弱みを追求してくる」と強く感じた。「結局誰か犠牲を作らないとこの攻撃は終わらないのだ」。この構造は20年経っても1ミリも変わらない。

    「外見の強そうな男がメンタルも強いとは限らない。(略)普段は温厚で柔和だが一度決めたことはブレない意志の強さ、そして地頭の良さを兼ね備えた豊島君のような人間こそが、どんな修羅場も毅然と乗り越えられるタイプであることを私は経験的に知っている」(163p)

    会社が経営破綻して、外から外国人上司がやってきたときに、いち会社員としてどのように接したかということは書いてあるが、当然だがバブル崩壊そのものの全体像は描かれていない。平成会社員「史」としては興味深かった。上司との付き合い方には普遍性がある。差し障りがあるので詳しい事は書けないが、私は頗る共感した。

    数年前に豊島君は両親と死別した。似たような経験を私もしている。また、最後の人生8訓も、私は頗る共感する。やはり、同世代なのだ。

  • 毎日小学生新聞の連載で
    佐藤優がこの「豊島君」について語っていて
    読みたいなあとずっと思っていた本。

    ①カイロス(timing)ある出来事が起きる前と後では、事柄の質が変わるような時間。
    ex:記念日
    神学を勉強して有益だったのは、カイロスに敏感になったことだ。(p42)
    「今、豊島君は何をしているのだろうか」このような感情は相互的なので、豊島君も私について考えたことがあると思う。

    夢に出てくるとかありますが、それはそうなのかなあ。

    ②佐藤優の父の教え
    大学教育は受けろ、適正があれば大学院まで進め、高等教育を受けると、国家が国民に嘘をついているときも、それを見抜くことができる。口に出すことができなくても、戦争に負けるということが分かっているといざというときに判断を間違えない。

    佐藤優の父もまた、すごい方だったのだろう。
    こういう、本質を伝えられる親になりたい。
    母もまた、沖縄の防空壕で手投げ弾のピンを抜こうとして、となりにいた兵士から
    「国際法で女性と子どもは守られる」
    「死ぬのは捕虜になってからでもできる」
    と耳打ちされ、命を取り留めた経験を持つ人だった。

    ③植民地経営→地政学が重要。
    日本は島国→ネットワーク重視の海洋国家
    半島国家→地政学的に半分海洋国家、半分は大陸国家のハイブリッド
    大陸国家の基本戦略は自国の領地を増やして効率的に統治すること→マネジメント能力

    人々をまとめていくにはやはりノウハウが必要なのだ。
    まだまだ学ぶことは多い。
    雑多になっている。
    経験だけでものをいうのではなく、論理も同時に構築したい。

    ④逮捕されてからは、日記と手帳がとても重要になる。特捜は手帳に書いていることを物証にするので、それで実際と違う話を作られてしまう危険性がある(p151)

    どこも面白いが、ここの話もかなり興味深かった。要するに、もう違う話ができないくらい細かくログをとっているのだ。佐藤優のノート、日経Womenかなにかで見たことあるが、時間と何をしたのか細かく書かれていた。
    さらに唸ったのは、ATMで入金は絶対にしないという話。引き出しておいて、多かったからといってあとで入金すると、これが記録になる。どこに送金したんだ、と。そこから勝手に話がつくられていく。
    結局、payだってポイントだってTカードだって同じなんだよね。管理したいという国家の戦略なのでは、と浅はかな私は思ってしまう。

    ⑤生きていく上で特に重要と思う事柄(8項目)
    1 こんなもんだと思うこと。
    仕事が厳しいのは当たり前。

    2 仕事以外に自分の生きる目標を作る。
    好きなこと、やりたいことを見つける。

    自分だったらなんだろう。
    家族、書道、お花・・お茶も興味あるなあ。

    3 いい経験をしている、と思うこと。
    置かれた環境を楽しむくらいの余裕。

    4 人的ネットワークを作ること。

    苦手分野だ、たぶん。
    当面は、会ったときに笑顔で話す。
    はがきを書く、を続けていこう。

    5 目標となる人を作ること。
    自分もそういう人になれるよう努力する。

    今まで、人には恵まれてきたと思う。
    特に大学、仕事を始めてから。
    どんな人と一緒にいるか、の影響は極めて大きい。
    学ぼう。

    6 チャレンジ精神をもつこと。
    できるかどうかわからないことをやってみる。

    あー、これできてるかな。
    毎日がどちらかというとできるかどうかわからないことばっかりなんだけどなあ。

    7 自分の座標軸を見失わないこと。
    これだけは譲れないもの。
    その軸から今の自分が外れていないか常に意識しておく。

    ここから逸脱すると、きっと精神がおかしくなるんだろう。

    8 一喜一憂しないこと。
    小さなことで一喜一憂しない。

    人生には波がある。
    うまくいく日もあればうまくいかない日も。
    うまくいかない時期もある。
    長いスパンでみる。

    人生は短い。

  • 佐藤優さんが、埼玉県立浦和高校時代からの親友である豊島昭彦氏とともに作った、2人の人生記録の書。
    私は仕事上の必要から読んだのだが、とてもよい本だった。

    豊島氏は昨年、ステージ4の膵臓がんであることが判明。
    告知を受けたときには、すでに肝臓とリンパに転移もしていた。抗がん剤による延命治療しか選択肢がなく、その抗がん剤もやがて効かなくなるので、最後は緩和ケアで死を待つことになる……という状況であった。

    そのことを知らされた佐藤さんは、残された日々の中で、豊島氏の生きた証となる本を一緒に作ろう、と提案する。
    そして、闘病中の豊島氏にインタビューを重ねるなどして作り上げられたのがこの本である。
    書名の「僕と豊島昭彦君の44年」とは、2人が浦高で出会い、豊島氏が最晩年を迎えるまでの年月を意味する。

    親友の生きた証のため、作家が親友とともに一冊の本を作るという、他に類を見ない成り立ちの書だ。

    《エロースでもアガペーでもない第3の愛がある。それがフィリアで、友情を意味する。友情は、同性間でも異性間でも成り立つ。哲学をギリシア語でフィロソフィアと言うが、知(ソフィア) に対する愛(フィリア) のことだ。豊島君と作品を書くことを通じて、私は1人のプロテスタント神学者として、フィリア(友情=愛) のリアリティーを追求しているのである》(「Ⅰ友情」)

    豊島氏の人生記録の合間に、当時の佐藤さんの行動も記されている。それは、世間的には無名である豊島氏の記録だけでは、読者の興味を引かないからでもあろう。

    子ども時代から説き起こされ、浦高時代の共通の思い出を経て、社会に出てからの2人の軌跡が綴られていく。

    意外にといっては失礼だが、豊島氏の人生を記した部分も面白い。とくに、銀行マンとして日債銀の破綻を経験してからの怒涛の日々は、一級の企業小説のようにドラマティックだ。

    本書はきわめて個人的な内容の本ではあるが、同時に普遍的価値ももっている。とくに、2人と同世代の人々にとっては、自分の半生について思いを馳せるよすがとなる一冊だろう。

    《自分の持ち時間が限られていることを豊島君は自覚しながらも、1日でも長く生きようと努力している。私は、豊島君の高校1年のときからの親友として、最期の瞬間まで伴走したいと思っている》

    本文の結びの一節である。そして、つづく「あとがき」にはこんな一節がある。

    《豊島君について、公の場で語れることは、本書にすべて盛り込んだ。ただ、本書を書きながら、常に悩んだのは、死期が迫った友人を、自分は作品の対象として利用しているのではないかという自責の念だ。しかし、そのような感傷を吹き飛ばす力が、豊島君の人生にはある。
     本書がよき読者に恵まれることを望む。》

    豊島氏は、本書刊行後の今年6月8日に亡くなった。
    しかし、それ以前のまだ元気だったころに、本書刊行記念のトークショーを佐藤さんとともに八重洲ブックセンターで行うなどした。

    本書はまさに、豊島氏の生きた証として、そして2人の友情の証として世に残ったのだ。

  • 佐藤優氏と末期がんを患われた氏の友人との共著で、友人の方の半生を綴ったもの。
    友人の方が言われる通り、確かに平凡なサラリーマン人生なのかもしれない。しかし、時代に翻弄された社会人人生、両親の死、そしてご自身の病など、思うに任せず、ヒリヒリするような出来事だが、誰にでも起こり得て、いずれも身につまされる事ばかり。
    そんな中でも、自らの生き様をしっかり残されようと力を注がれていることが美しく、伴走してくれる友人がおられることを羨ましく思う。

  • 知らない中年男性の人生語りが胸を打つというのはこの歳になったからでしょうか。いや、誰も物語を持っていて、語るべき場所さえあれば皆人生の主人公なんだと思います。それが無ければ小説も存在しませんしね。

    佐藤優さんといえばギョロ目の達磨のような強面の風貌でおなじみですが、僕は全然興味が無かったので一冊も著書を読んでいません。
    しかし何故かこの本には惹かれてしまいました。数十年ぶりに有ったかけがえのない親友。彼がすい臓がんで1年足らずの余命と診断され、彼と共にその足跡を一冊の本に纏めようと考えた。この時点でジンとしてしまいますが、よく考えたらこの友人の豊島さんは有名人でもなんでもない人です。かなりの秀才だった為経歴は物凄いですがなんだかんだ普通の人の範疇にいる人です。
    佐藤君、豊島君が44年前に育んだ友情と、疎遠になった後のお互いの人生を照らし合わせて、戦後高度経済成長からバブル経済の終焉、長期に渡る不況と金融機関の統廃合に伴う大量のリストラ。
    当時子どもだった僕にはとんとわからない話でしたが、実際にその渦中にいた人の経験談はとても興味深いです。ニュースや解説だけでは分からない事が沢山ありました。
    誰もが皆、産まれて死んでいく事に意味なんてないけれど、一つ一つ意味と名前を付けていく作業こそが人生なのかなと読んでいて思いました。
    何十年経っても、会っていなくても大事な友達っていますよね。友達が少ない僕にもいます。向うはどう思っているかは分からないですけどね。
    彼らのように時間を一瞬で埋めてまた何かを始める事が出来るって、とってもとっても素晴らしい事。これこそが産まれてきた意味の一つだと思います。

  • 素晴らしい作品だった。

    あの佐藤氏と、ごく普通の優秀なサラリーマンの高校時代からの友人。
    その友人がステージ4の癌と急に宣告されたことをキッカケに彼の人生を辿る・・・という作品だ。

    県立浦和、一橋、日債銀という一昔前の絵に描いたようなエリートサラリーマン。裏を返せば普通のサラリーマンだ。
    しかし、普通の人生がいかに難しいか、それは僕も含めて40代半ばになる人間なら分かるはずだ。
    日債銀は国有化を経て、外資に売却され、経営陣が外国人に。
    そこでの奮闘は、金融マンではなくとも想像がつくはずだ。
    そして、ゆうちょ銀行へ転職。
    安定した巨大組織・・・である事は確かだが、巨大かつ官の色彩が濃い組織は一筋縄ではいかないものだ。

    僕は金融や金融関連の業種でも、小さい組織を渡り歩いてきたけど、金融界の職場で繰り広げられる模様は想像が容易につく。

    金融に限らず組織で働くことの大変さ、虚しさ、そして前向きに生きてきた普通のサラリーマンの普通じゃない頑張りにただただ頭が下がった素晴らしい作品だったね。

  • 佐藤優の埼玉浦和高校時代の同級生である豊島昭彦という方が亡くなった。数年来、対面できていなかった二人。片や外交官、片や銀行マン、それぞれの紆余曲折を経た人生。邂逅し、親友であった当時を語らうも、豊島昭彦は余命宣告を受けていた。

    友人なんて、少なくて良い。毎日会わなくて良いし、寧ろ、高頻度で会うのは、何かしらの利害関係や依存関係にあるから、友情とは質の異なるもの。数年に一度会う位の関係が親友だと考えている。これは、ただの私自身の価値観に過ぎない。しかし、佐藤優と豊島昭彦が別々に過ごした年月、それを一気に取り戻す二人の関係性を見ながら、この考え方は、そんなにおかしくないだろうという気持ちを深めた。

    二人の記憶が交錯しながら話は進む。別々に仕事をしながら、ふと相手を思い出す。そうした想像は、相互性があるのだと言う。経験的に確かにそう思う。一方で、記憶は印象によって相互に異なり、非対称性だと。こうした対比は、まさにその通りだ。非対称な記憶や認知を相互補完する所作にフィリアが生まれる。

    フィリア。エロスでもアガペーとも異なる友情の概念。ギリシア語で愛を表現する3つの言葉。フィロソフィーという言葉もここから。ソフィア、つまり知に対するフィリアなのだと。検察官の起訴便宜主義による可罰的違法性の判断の話も勉強になった。カイロスとクロノスの話は何度目か。この辺の知識提供が佐藤優の著書に期待されるものであり、佐藤優はこうした読者の期待を理解しながらも、無名に近い友人との関係性を記述していく。私的な作業にも思えるが、金では無く、本当に大事な事は、彼の意思を残す事。そのために自らを役立てる事。生きた意味を繋ぐ仕事の手伝いという、最上の友情をここに見た気がした。

  • 「友情」を考える上でこれ以上の本があるだろうか。高校一年生の一年間を濃密に過ごした著者二人のそれからの人生を顧みて、勿論それぞれの人生があったわけだが、都度都度関わることがなくても、いざという時に一番親身になって精神的なヘルプをしてくれる親友という存在。
    自分の身で振り返って、3年前に三途の川が朧気に見えた時期があった際に、やはり親友家族にとても言葉で表せない勇気をもらったことがあり、幸いなことにまだ生かしてもらっているが、その時の記憶を呼び覚ましながら読ませてもらいました。
    お互いのことを尊敬し合える友達同士の友情は本当に素晴らしい。最後の伊豆弓ヶ浜への二人旅行の場面は涙無しに読むことができませんでした。

  • 高学歴の会社員の世界観が興味深い。豊島さんはテストで満点を取ることに必死になっていた延長で、仕事も満点になるように必死にがんばってきたのかな。

    でも、仕事は一人では成果は出せないからね。上司や部下や取引先などなど色々絡んだ結果だから、いつもすごい成果をだせるわけではない。むしろ、こんなに努力してるのになんで結果?みたいな理不尽なこともたくさんある。

    彼に家族との幸せな時間がもっとあれば、そんな日々ももっと楽しく過ごせたのかもしれない。私たちが学ぶべきところは、そんなところ。

    いい人生とは何か、いい仕事とは何か、一言で語れるとかっこいいけれど、一言では語れない人生の複雑さを表現している。

    佐藤優がたまに、響く言葉を言う。

    P162 生き残る人と生き残れない人を分けるのは、結局のところインテリジェンス能力と歴史観。

    豊島さんの残された日々が、穏やかであるよう、祈ります。

  • 銀行勤めの方の人生が面白く読めたのは、読みながら頭の片隅で自分はこのときどうだったろう、とさまざまな像が浮かんだからかもしれない。考えちゃうよね。そうさせるのが筆力か。

    ほとんどが豊島氏という佐藤氏の友人の半生についてのエピソードだった。国策捜査でつかまった佐藤氏とちがい、銀行勤めの会社員であり、特段ドラマチックというものでもないはずだけど、妙にひきこまれた。普通の人生もまた、ドラマチックということか。どんな人でもアップダウンあり、良いときもあれば、つらいときもあるということかもしれない。気がついたとき、末期のがんだったというのも、案外めずらしい話ではないのかもしれない。今ある日常が、それほどに大切なものだということを教えてくれたということかな。

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著者プロフィール

1960年1月18日、東京都生まれ。1985年同志社大学大学院神学研究科修了 (神学修士)。1985年に外務省入省。英国、ロシアなどに勤務。2002年5月に鈴木宗男事件に連座し、2009年6月に執行猶予付き有罪確定。2013年6月に執行猶予期間を満了し、刑の言い渡しが効力を失った。『国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて―』(新潮社)、『自壊する帝国』(新潮社)、『交渉術』(文藝春秋)などの作品がある。

「2023年 『三人の女 二〇世紀の春 』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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