「自分の子どもが殺されても同じことが言えるのか」と叫ぶ人に訊きたい (講談社文庫)
- 講談社 (2018年11月15日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (480ページ)
- / ISBN・EAN: 9784065137208
作品紹介・あらすじ
死刑存続論者の多くは、「死刑制度がある理由は被害者遺族のため」と言う。しかし、著者は問う。「自分の想像など被害者遺族の思いには絶対に及ばない。当事者でもないのに、なぜこれほど居丈高に、また当然のように死刑を求められるのか?」本書は、死刑制度だけでなく、領土問題、戦争責任、レイシズム、9・11以後、原発事故、等々、多岐にわたる事象を扱う。日本に蔓延する「正義」という名の共同幻想を撃つ!
感想・レビュー・書評
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筆者は「売国奴」や「非国民」などと嘲笑され、誹謗中傷されることが多いといいます。
たしかに、そういった批判は浴びるだろうという主張ではありますが、筆者の主張に共感できる部分がとても多く、刺激的な1冊でした。
筆者の主張の根幹にあるものは、「暴力に暴力で対抗してはいけない」「いたずらに危機意識を煽るメディア(また、事件報道をはじめ危機感を要求する視聴者)を無批判に受容してはいけない」といったことだと思います。
近年の日本社会に溢れる「治安が悪化している」という雰囲気は、事件報道を見たがる視聴者と、それに応えたマスコミの相互作用で醸成されてきたという筆者の指摘は正しいように思いますし、具体的なデータ(数字)にもとづかない印象による議論も多いと感じます。
たしかに、「理想論」と批判されるようなことも述べられていますが、その”理想”を「現実」のものとするために、何ができるのか、また何をすべきなのかということを考え、また世の中で起こっている事象の”原因”は何なのか、一面的な報道だけでなく多角的な視点から情報を得て考察すること(それにより「恐怖」や「不安」の根源を明確にすること)の必要性を改めて強く感じます。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
死刑存続論者は、「死刑制度がある理由は被害者遺族のため」と言いますが、筆者は「自分の想像など被害者遺族の思いには絶対に及ばない。当事者でもないのに、なぜこれほど居丈高に、また当然のように死刑を求められるのか?」と問います。
死刑制度、領土問題、戦争責任、レイシズム、原発事故など、日本に蔓延する、いわゆる「正義」に基づいた言動や共同幻想に鉄槌を下します。
私の考えと相容れない部分もありますが、考えさせられる著作でした。 -
●被害者や遺族を傷つける!そう口にする人たちのほとんどは、なぜか被害者や遺族ではない。なぜ彼らはこれほど居丈高になれるのか。なぜこれほどに強く自分たちの正義を信じることができるのか。自分たちが見た一面を真実だと主張できるのか。
●被害者の人権と加害者の人権は対立するのか。決して対立する権利ではない。シーソーとは違う。どちらもあげれば良いだけの話なのだ。
●辛いと言っている人を見て「この人は辛いんだぞ」と叫ぶのはやはり違うと思います。そもそも第三者の気持ちを代弁することなどできないはずです。私は許さないと考えるのも自由だが、あくまでも主語は「私」であるべきで、「被害者の人権はどうなる」と叫ぶのは違う気がします。
●もし死刑制度が、被害者遺族のためにあるとするならば、天涯孤独な人が殺された時、その犯人が受ける罰は軽くなっても良いのですか?
●尖閣諸島などの領土問題。領土問題は人の本能に由来している。だから否定はできない。でも本能のむき出しは恥ずかしい。
●著者曰く「不要な諍い争いを回避するためならば、少しばかり領土や領海が小さくなっても構わない。でもこれだけは絶対に譲らない。私たちは自国と他国の人たちの命を何よりも大事にする」
●在特会は右翼ではなく単なるレイシスト。いやレイシストでさえ無い。ただ承認欲求の高い人。
●犬や猫たちの殺処分は、炭酸ガス。つまり二酸化炭素で殺処分。安楽死では無い苦しむはずだ。なぜ?安上がりだから。
●テレビは加算されすぎてうるさい。表現の本質は欠落にある。つまり引き算。ベトナム戦争当時の人たちは、写真を見てそのフレームの外の状況を想像した。だから喚起される。テレビはわかりやすい情報パッケージなのでその力を失っている。だからイラク戦争ではアメリカ人は喚起されなかったのだ。
●手段が目的化してしまっている日本の選挙。次の選挙に向けてまた頑張らせてもらいますと当選後口にする常套句。日本の選挙はお金がかかる。対照的なのがイギリス。公職選挙法で費用の上限が決められている。150万円これ以上は使えない。
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ダイヤモンド社『経』掲載の「リアル共同幻想論」2009〜2012。はびこる排他主義とレイシズム、善意は否定しないが何かがおかしい、奪われた想像力、厳罰化では解決できない、そして共同体は暴走する。
映像作家ならでは。素や間を嫌い考えさせることを嫌い、加算して隙間を埋める。テロップではなくボイスオーバー、モザイク。テレビ番組の作りを再認識しました。 -
今、読んでおくべき本かなあと思って読んでみた。
当たりだったけど、量が多くて疲れた。
一つ一つが重たいテーマなのに、コンパクトにまとめてあって、それが次から次へと続く。それぞれのテーマで本が書けそうなものだから、読むのに体力が必要だった。
それでいてもう少し掘り下げて欲しいとも思う。
色々書籍を当たってみようかなと思いはするけど、読むのが遅いから多分手が回らないだろうな。
なんにせよ、日本て嫌な国になったものだなあと思う。一国民として、より良い国にするために出来ることって何なんだろう。政治に無関心にならないことは当然として、他に。 -
一章は良かった。
自分より明らかに弱い相手(つまり自分が論破出来そうな意見)だけを取り上げて殴るスタイルにだんだん飽きてくる。 -
だいぶ前に買って読みかけていたのがいつのまにか積ん読の山に紛れ、このたび発掘されたので続きを読んだ。
森達也さんの書くものは常に葛藤にまみれている。揺れている。自分が正しいとは決して思わず迷いながらそれでもご自分が見たもの聞いたこと経験したこと調べたことを真摯に書いている。
ショッキングなタイトルは本書に収録された一コラムのタイトルだけど、この中でも筆者は躊躇なく「自分がその立場に置かれたら」と書きつつ迷う。
疑問を持ち続けること。自明とされている、報道されている、今目の前に見えるもの、それらを(自分を含めて)疑い続けること。その上でバイアスを排して物事をあるがままに認めようともがき続ける著者の姿勢に共感する。 -
もっとオウムのはなし載ってると思ったー
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タイトルがショッキングで、このタイトルに関してゴリゴリ書いているかと思いきや、過去の連載をまとめたもので、様々な内容について言及していた。なので森達也ってどんな人なのか?という入門編としてピッタリだと思う。僕はドキュメンタリーの映画監督という認識で、A、A2、FAKE、新聞記者iと見ているけど、どれもめちゃくちゃオモシロいのでオススメ。特にAシリーズはオウム真理教に内部から密着しているドキュメンタリーで、本著でも繰り返し言及されているA3の前の話なので見ておけばA3を100倍楽しめる。
一部加筆されているものの、2000年代後半~2010年代初頭に書かれたコラムで構成されている。著者が当時懸念していたことがことごとく表面化している最近で、読んでいると辛い気持ちになった。日本は平和な国なのかもしれないけれど、その平和を達成するために何を犠牲にしているのか、再三言及している麻原彰晃がなぜサリンを撒かせたのか、その原因を突き止めずに、社会が考えることを放棄した結果、どんどん国民の権利が侵害されている。そのことに無自覚なまま、責任を取らない社会がどんどん広がっていくディストピア。政治のニュースを見ていて意味が分からない/気持ち悪いと感じるポイントが数多く指摘されており、それは確かにそうですねーと納得することばかりだった。普段特定の人としか政治の話はしないけど、こんな風に自分の意見を述べて同意・反対含めて議論しないと政治自体が成熟しないなと最近思う。なぜなら今の政治のレベルは保守/革新とか右/左とかそういう次元の議論ではなく、もっと土台レベルでおかしいことの連続だから。そして「おかしい」と声に出さなかったことのツケを払っているような気がする。じゃあこれからどうするねんというのは読んだ人が一人ずつ行動するしかない。それが民主主義なんだと思い知った。 -
19/1/6読了。
ダイヤモンド誌に連載した記事をまとめたもの。
なので、記事自体は5〜10年ほど前(2007〜2013年あたり)のものがメイン。
本書の中で、表現の本質は欠落にある、との一文がありました。
だから、僕も真似して、本書については多くを書かないようにしてみます。
ーー森達也氏、相変わらずですw
ところで、森達也氏の作品(映像、著作)に触れたことがない方は、ぜひ一度チャレンジしてみて下さい。
(本書でなくてもいいので。)