- Amazon.co.jp ・本 (274ページ)
- / ISBN・EAN: 9784065125458
作品紹介・あらすじ
熊川哲也、21年ぶりの自伝
Kバレエカンパニー旗揚げ、古典全幕作品上演、バレエスクール主宰、日本発オリジナル作品創造、オーチャードホール芸術監督、そしてさらなる新たな創造。前人未踏の軌跡が今、本人の手で明かされる――。
その男の登場に、コヴェントガーデンは熱狂した。喝采は日本に引き継がれ、男が巻き起こす旋風は一つ一つが事件になった。芸術としてのバレエだけでなく、ビジネスとしてのバレエを成功に導くために、大企業と渡りあい、劇場を運営し、ダンサーとスタッフを育てる。世界に輸出するために、完全オリジナル作品を創造し続ける。そのようなことが、たった一人のバレエダンサーに可能だと、誰が想像できただろうか?
「完璧など存在しない」と人は言う。だがそれは失敗から目をそらしたり夢をあきらめたりするための言い訳にすぎない。たしかに作品を「完璧という領域」にまで到達させるには、ダンサーの心技体だけではなく、オーケストラやスタッフ、観客、劇場を含むすべてが最高の次元で調和しなければならない。それは奇跡のようなことかもしれない。しかし「完璧という領域」はたしかに存在する。偉大な芸術はすべてそこで脈打っている。僕はつねにその領域を志向してバレエに関わってきた。――「はじめに」より抜粋
第一章 Kバレエカンパニー始動
第二章 母なる『白鳥の湖』
第三章 ダンサーの身体
第四章 試練のとき
第五章 いにしえとの交感
第六章 舞台の創造
第七章 才能を育てる
第八章 カンパニーとともに
第九章 見えない世界
感想・レビュー・書評
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熊川哲也さんとバレエ。
21年ぶりの「自伝のような本」だそうです。
〈僕は(転ばぬ先の)杖も持たず、石橋を叩くこともせず、ジャンプを繰り返してきたように思う。そこにあったのは、あれが欲しい、これもしたいという猛烈なパッションと自分の才能に対する自信だった〉
今若い頃を振り返ると反省することがたくさんあるのですね。
でもそれがあるから、バレエの発展進化があったのだと思います。
今年の3月、『カルメン』で三年ぶりに全幕出演をした熊川さん。
東京の二交演の初日と最終日で演出を根本から変えました。
〈カルメンを撃った後、ホセは彼女を抱き上げる。
そして客席に背を向けたまま、自分に銃口を向けて引き金を引く。乾いた銃声が響き渡り、白煙が上がる。その場に倒れ込んで幕となる。
ホセの自死については、カンパニーの誰にも知らせていなかった。そのとき、カルメンを演じた矢内千夏には、あらかじめ「何が起こっても演技を続けるように」とだけ伝えていた。(中略)
このラストは全八公演のうち、この一回だけだ。他のホセにはやらせていない。
熊川哲也が演じるドン・ホセは、もう二度と舞台に現れない。彼が演じる最後の『カルメン』だ。舞台の上で、自ら命を絶ったのは、その鮮烈な表明だった。その意味では、僕が演じるドン・ホセの最高のエンディングになったと思う。
いや、それはという熊川哲也というバレエダンサーが二度と全幕舞台に立たない、という宣言になるのかもしれない〉
〈権力やお金には孤独がつねにつきまとう。そこに芸術のマインドを持ち続けなければ、精神はいつの間にか狂気に傾いていく。逸脱や暴走を鎮める場所として、ピュアな思い出のつまった故郷の景色が色濃くなっていくのではないだろうか。
日本に帰国して華やかな業界にのみ込まれ、生き馬の目を抜くビジネスの世界に躍り出たとき、自分を取り巻く環境がみるみる変わって本来の自分をなくしかけたことがあった。そんなときは、よく故郷に戻って自然に触れ、幼なじみと会って言葉を交わした。今でも自分をリセットしたいときは北海道に帰る。そこは僕にとって素の自分に戻れる場所なのだ。〉詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
99年 Kバレエ
ウィリアム・トレヴィット、マイケル・ナン、スチュアート・キャシディ、ギャリー・エイヴィス、マシュー・ディボル
→好事魔多しで、程なくメンバー間に亀裂が生じ始めた
(意外なところに落とし穴)
20代の頃はベテランのパートナーが多かったのでジゼルとの掛け合いは自ずと対等な恋人同士という関係になる。しかし30代、40代になって年下のダンサーと踊るようになると、アルブレヒトがまだ若くてうぶな村娘を大人の世界に導くという関係に変わり、恋愛遊戯と純愛を同時に求める大人の男の心情を自然に醸し出せるようになった。
オディール:蠱惑(こわく)的
(人の心を乱しまどわすこと。たぶらかすこと。)
ex:死霊の恋
カウントの割り方を六・六・六から五・七・六に変えた途端、不思議と振付がきれいにはまった。(略)僕の言い方では「そこにある音がそのカウント割を求めていた」ということになる。
バレエは「動く彫刻」であり、「動く絵画だ」
西洋人とは体型のバランスが異なり、低重心による安定が確保できた。相撲でいえば、欧米出身の力士は脚が長く重心が高いことが弱点となる。重心を低く安定させるために力士は四股を踏むわけだが、その点、東洋人の短い脚は安定間を持って踊るにはプラスに働く。
バレエのステップ、動きのラインに手が果たす役割は意外に大きい。ジャンプは通常、脚でするものと思われているが、跳ぶ方向にまず手が先行し、引っ張り上げるような形で動かなければ、正確かつ敏速に跳ぶことはできない。手を追う形で身体が動くのであって、手と身体が同時に動くわけではない。
@リハビリ
どん底でもがく人間は生き抜くための糧を必要とする。
No Pain , No Gain
日本には四千六百のバレエ教室。約一万五千人のバレエ教師と三六万人もの生徒がいる。それを取り巻く環境として百を越すコンクールが開催されている。
「急がば回れ」ではなく「善は急げ」。なぜならダンサーとしての命は決して長いとは言えないからだ。しかも限られた者しか舞台に立つことはできない。可能な限り早いうちから感性を磨く必要がある。
敷居が低くて入ってくることが簡単ならば、出ていくのも簡単だ。それよりも自分の受診レベルを上げて、高い敷居を越えて入っていくほうが素敵なことではないか。敷居が高ければ、人はその敷居を越えようと努力する。その気持ちが感性を磨き、受信力を高めることにつながる。 -
2020年26冊目。
「完璧という領域はたしかに存在する」。そんな刺激的な言葉から始まる本書は、東洋人として初めて英国ロイヤル・バレエ団に入団し、21歳にして最高位のプリンシパルにまで上り詰めたバレエダンサーの熊川哲也さんの自伝的一冊。
ダンサーというプレイヤーだけでなく、その後にKバレエカンパニーを立ち上げ、演出家として、そして経営者としても芸術の完璧を追求するようになったこの方の哲学はとても刺激的で、僕にとって大切な一冊になった。
熊川さんの言葉に不要な謙遜はない。確かな実績とほとばしる感情によって裏打ちされた自信に満ちている。ここまで自信を隠さない人を久しぶりに見たかもしれない。読者に忖度しないその力強さに痺れる。
とても印象に残っているのは、熊川さんの「エゴへの振り切り」とも言える姿勢。バレエ団の経営者として後継者の育成などはもちろん考えているが、これまでの熊川さんや団体の活躍は、彼自身が持つ芸術への情熱と欲求に素直に従った結果だと感じた。それは特にKバレエの創設期に、組織や環境よりも自身の主張を貫き通したエピソードから感じた。たとえ仲間との離別を生んでも曲げたくないものを強く持っている人なのだと。
もうひとつ強く響いたのは、ダンサーにとっての「人生経験」の大切さだった。人生経験を重ねた表現者は、演じる役割や音楽との共鳴の仕方が変わってくるという。表現の根底にあるのは、演者本人の感動にある。熊川さん自身も「感動屋」で、いつも心が震えていると語っている。人を感動させる前に、まずは自分自身が様々なことに感動して生きる。その重要性を痛感した。
バレエ作品を観たことはほぼないし、詳しくもない。けれどこの本を読んで、バレエは「意味」ではなく「感覚」で伝える総合芸術なのだと感じた。意味に引っ張られがちな「言葉」の領域にいる人間として、これはとても興味深いし、得ていくべき感覚だと思った。
情熱に従って挑戦をする人におすすめしたい一冊。 -
バレエをよく知らない人でも熊川哲也という名前は知っている。
バレエ界の天才が歩んだ道筋はとても興味深く面白かった。
熊川氏のはバレエの技術は天性的に「できちゃった」人のようだ。
もちろん努力だって人の何倍もしているだろうけどバレエにおいてはこういった天性のものというのは大きいのかもしれない。