私たちは生きているのか? Are We Under the Biofeedback? (講談社タイガ)

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  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062940610

作品紹介・あらすじ

富の谷。「行ったが最後、誰も戻ってこない」と言われ、警察も立ち入らない閉ざされた場所。そこにフランスの博覧会から脱走したウォーカロンたちが、潜んでいるという情報を得たハギリは、ウグイ、アネバネと共にアフリカ南端にあるその地を訪問した。
 富の谷にある巨大な岩を穿って作られた地下都市で、ハギリらは新しい生のあり方を体験する。知性が提示する実存の物語。

感想・レビュー・書評

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  • 富の谷。「行ったが最後、誰も戻ってこない」と言われ、警察も立ち入らない閉ざされた場所。そこにフランスの博覧会から脱走したウォーカロンたちが潜んでいるという情報を得たハギリは、ウグイ、アネバネと共にアフリカ南端にあるその地を訪問した。
    富の谷にある巨大な岩を穿って造られた地下都市で、ハギリらは新しい生のあり方を体験する。知性が提示する実存の物語。
    「講談社タイガ」より

    タイトルからして、ちょとドキッとする.
    人工細胞を体に入れていつまでも生きられることになると、生きているの定義というか、境界線があいまいになる.
    さらに、脳だけになってバーチャルの世界にいても、それは生きているのか?生きていない感じがする.じゃあ、生きていないというのならそれはなぜ?なぜ?なぜ?
    生きているのか?という問いに対して、いろんな角度から考えさせてくれる内容だと思う.
    なかなかにワールドワイドだが、今回アフリカ南端の設定である理由がとくに思い当たらなかったかな.

  • 「素晴らしい答だね。君は生きているんじゃないかな?」
    「いいえ。私は、それを自分に問うことさえありません」
    そうか……。
    生きているものだけが、自分が生きているのかと問うのだ。(P. 262)

    哲学的でいて、どこか牧歌的、穏やかでいて、アクションシーンが多い、というチグハグなものを内包しているWシリーズ。今回も面白かったです。

    「魔がさす」のは人間だけ、という感覚も面白いし、高性能に作られているからミスをしないはずなのに、人間に近づこうとミス(考えている振りだとか)をするウォーカロン。

    今回はテルグという村が出てきますが、ここで行われていることって、あれですよね?あの、彼女が随分昔に作ったあのプログラムを…。と、決定的な単語を一つも出さずに読んでいるこちら側を誘導する力が素晴らしいです。

    天才に奇人・変人は多いのかもしれませんが、奇人・変人であれば全員天才ではないのと同じで、きっと彼女は天才であるがゆえに、凡人と同じように生きる(見せかける)術を身につけたのだろうなあと思います。孤独な世界は寂しいものだと思うのは、きっと凡人の感性なのでしょう。

    少しずつ、少しずつハギリ博士の研究内容がシフトしていくように、読者もフォーカスポイントをシフトしていいっているようで、ここからまた次にたどりつける場所はどこなのか、そこには誰がいて、なにがあるのか。そして、帰着点はどこなのか。それがわからないことが最高に嬉しいです。

  • Wシリーズも既に5冊目。あっという間ですね。
    今回ハギリが訪れるのは、アフリカのとある村。ウォーカロン調査に趣いた場所で見たその光景に、ハギリたちはこの現代で「生きている」ことを考える。

    この本での最大はテルグの町そのもの。これには衝撃というか、感動した。真賀田四季の頭脳は何所まで先に進んでいるのだろう。彼女の生まれた時代を思うと、そのとんでもなさに圧倒される。

    前巻でもだんだんと見えてきていたが、最初はウォーカロン顔負けだったウグイも、どんどん人間味が出て来ている。森さん作品ならではの女性キャラクタの雰囲気が出て来た気がするのは私だけだろうか。感覚がまだ現代に近い所為か、彼女の持つ不安や嫌悪に安心した。

    ウォーカロンも「人間はこう考える」「自分たちに欠けているものを人間は持っている、それを見つけたい」と葛藤するという。ならばウォーカロンという存在は「生きているのか?」

    なぜ生きているのか? 私たちはそもそも生きているのか? 生きていることが尊いと思う現代でも難しい問いに、生きていることがそれこそ当たり前になっている世の中になると、そんなことすらあまり考えないのかもしれない。当然のように延命し、できる限り長く生きる。そんな世界で出した生きていることの答えは、きっと他にもあるだろう。

    このシリーズは真賀田博士が問いかけていたこと、話していたことをいちいち思い出させる。それだけでもう、世界構築がなされている。
    この時代ではなく今現在生きている身としては、人間が人間をと決別する未来を望めない。そんな私はデボラと友人にはなれないかもしれない。それでも、デボラの定義する友情を、愛おしく思えた。

  • 非常に面白かった。冒険小説の形をとっているが、人間とは何か、命とは何かということを主題にした文学になっている。特に本書では脳だけになった住民達がバーチャルの世界で幸せに暮らしている描写があったが、いずれ遠くない未来にはそうなっているかもしれないし、自分ももし高齢となり、体の自由が利かなくなった場合、このような未来も実際に悪くないのではないかと真剣に考えてしまった。「生きる」とは何なのかを問い続けるこのシリーズ、本当に面白い。

  • 前作に比べると戦闘シーンなど、盛り上がりには欠ける。
    でも”富の谷”で行われていたことにはSFらしい驚きをもって読めた。

    それにしても、ハギリとデボラのやりとりは面白い。少しの会話のやりとりで、面白いと思わせるところ、森作品の魅力だ〜

  • 生きるってどういうことなのかという問題を色々な角度から考えさせられる。
    デボラの発想力の鋭さと、生きていると問わないという無機質さ。読む進めるたびに自分の判断が揺さぶられて面白い。

  • 4ヶ月ごとくらいの刊行ペースを守り安定したストーリ展開。この巻はこれまでのWシリーズの中でも、映像化するとちょっと衝撃的で面白いと思う。

  • どこからが生きていて、生きていないのか、ここまで未来に存在していたら確かに考えてしまうかもしれない。でもじぶんが生きているのか考えるのは生きているものだけ。なるほど、と思わされました。

  • テルグに閉じ込められるところは想像できてしまって、その状況に陥るまでにドキドキしてしまった。普段隙のないチームワークなのに、あそこでアネバネも入ってきちゃうのはあまりに杜撰すぎる展開でびっくりした!!
    物語で展開される生命の定義に関するそれぞれの立場からの考察は興味深く、読みながらふわふわと考えたりして、楽しかったです。
    エピローグのデボラとハギリの掛け合いが素敵でした。お花、渡してみてほしいなぁ笑

  • Wシリーズ第5作目
    タイトルの通り、生きているとは何なのか。
    感情を持つこと、生きているとは何かを自問すること。
    その答えはまだわからないのが生きているということなのかという禅問答のような葛藤が描かれていた。
    人工知能が発達した世界において、人が人の体を持って生きる意味とは何かを考えさせられた。
    喜怒哀楽や嫉妬などの感情がある限りは脳だけのバーチャル世界には居たくないなぁと思った。
    前作に登場したデボラが今作も大活躍し、ハギリ先生と仲を紡いでいるのが印象に残った。
    また、ウグイが初期とは違い、人っぽさをハギリ先生に前作の最後から見せ始めたのが好き。

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著者プロフィール

工学博士。1996年『すべてがFになる』で第1回メフィスト賞を受賞しデビュー。怜悧で知的な作風で人気を博する。「S&Mシリーズ」「Vシリーズ」(ともに講談社文庫)などのミステリィのほか「Wシリーズ」(講談社タイガ)や『スカイ・クロラ』(中公文庫)などのSF作品、エッセィ、新書も多数刊行。

「2023年 『馬鹿と嘘の弓 Fool Lie Bow』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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