差別感情の哲学 (講談社学術文庫)

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  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062922821

作品紹介・あらすじ

差別とはいかなる人間的事態なのか? 他者に対する否定的感情(不快・嫌悪・軽蔑・恐怖)とその裏返しとしての自己に対する肯定的感情(誇り・自尊心・帰属意識・向上心)、そして「誠実性」の危うさの考察で解明される差別感情の本質。自分や帰属集団を誇り優越感に浸るわれらのうちに蠢く感情を抉り出し、「自己批判精神」と「繊細な精神」をもって戦い続けることを訴える、哲学者の挑戦。

感想・レビュー・書評

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  • 差別感情はどこから生まれ、育っていくのか。
    偏った者が差別感情を生み出していると考えられがちではあるが、所謂ふつうの人こそが差別の温床である。ふつうの人が、差別などしていないという意識でいるからこそ、無意識に差別が起こるのだ。
    ナチスドイツがその最たる例である。
    私たちはあらゆる行為に差別感情が付随していることを意識し、「他人」を自分の目線から外すことのないよう行動しなければならない。そのために、差別する自分と向き合わねばならない。

  • 悪意がない社会のことを「味気ない」と評していて、そういう態度は古今東西様々な場所でみられるけど、謎だよなぁ。私はそういう社会が理想だけど。
    ===
    p23~の朝日新聞の記事の件は明らかに中島氏がおかしいと思うなぁ。風呂を覗いたり電車内で女性の胸や尻に触る行為は生物体としてのヒトのオスにとって不自然な行為ではないのに、現代社会ではそれがおかしいと見なされる、そしてそれは暴力である、という主張を朝日新聞に掲載しようとして直前に却下されたことがおかしい、と言っているんだが、それをおかしいと思うような人の論考は話半分だなぁ…と思わせられてしまった。それじゃあぜひ強盗も放火も正当化してもらいたいものだし、なんのために「思考」をしているのか根本から考え直したほうがいいんじゃないか? 前後の言説とあまりに解離してて違和感を覚えるよ。
    この直後の段の引用。「(前略)担当編集者によると「犯罪を正当化する記事を載せるわけにはいかない」とのこと。私は非常に憤ったが、常に権力に対して批判的な視点を保つと公言しているメディアが痴漢撲滅という現代社会の価値観を形成している「権力」に無批判である点、いやそれに疑問をもつ意見をことごとく押しつぶす「権力」を行使している点に、欺瞞と矛盾を感じたからである。」
    それであれば、それをそのまま書けばよいのであって、犯罪擁護(と私も捉えた)なんて書かなきゃいいのよ。
    ===
    我々がすべきことは差別撤廃に邁進することでもどうせ差別はなくならないと諦めることでもない、徹底的に自他の差別感情を批判することである、というのは相変わらず哲学界隈はそんなことやってんだなぁとクラクラするところもあり。思うに「考えること」「批判する(だけ)」というのは、それぞれの階級等が固定されていた時代の遺物かなぁという印象がある。誰でも学問にアクセスできてSNS等の手段を持つ時代に批判する(だけ)というのはだいぶ苦しくなってきているなぁと。
    速効性がないからこそ多くの人が哲学的思考を身につけるべきだとは思うけど、哲学を学ぶことでは哲学的思考は身に付かないというのが持論。でも哲学を語ることにうっとりしている中の人たちは言葉遊びで満足してるし、ますます周囲はそういう態度にうんざりするしっていう負のループとか、そもそも私は哲学にはあんまり興味がなかったんだった、とか10年以上忘れてた様々な事柄が一気に思い出された。そうだった、こういう本を読むと毎ページ引っ掛かって全然進まないんだった。ただ、以前はそうそうそうなんだよ、と同意して感動することが多かったけれども、今ではまた馬鹿なこと言ってるなぁ…という気持ちが強くなってしまったなぁ。
    ===
    そもそも人間の差別への対処法というのは知見の積み上げであって、それを「逆差別」とまとめて切り捨てる態度は逆行してるよな。哲学の扱える分野なんだろうか?
    「私の家は江戸時代穢多でしてねえ」と言えるようになり、それに「あ、そうですか」というほどの反応しか示さなくなるとき、われわれは(中略)差別から解放されるのである、といったような無知から来ているコメントも多々。
    「庶民感覚のわからない首相」と「女性を「産む機械」と発言した閣僚」と「「日本は単一民族国家」と発言した閣僚」をいっしょくたにして、それらに直ちに辞職を迫る人を差別的だと認定してるんだが、ちょっと老害とか権力側に足を突っ込みすぎじゃないか? 他人のことは「微塵の自己批判精神もない」などと批判してるのに、マジで自覚なさそうなのが恐ろしい。
    ===
    誰かの足を踏んでしまったときにとっさに「すみません!」と謝るような発話行為が補修作業で、それも訓練しなければ獲得できないものなんだから、やはり因縁つけられたときのとっさの言い返しも訓練だなぁと納得。
    ===
    哲学の大家ともなると、なんの検証もされていなくてもあたかも自分の思想がすべて正しいかのような誤謬に陥るよね、という箇所も多々。他人のことは大上段に切って捨てるんだが、自分にも特大ブーメランがぶっ刺さりまくり。なんとか72ページまできたがもうやめてしまおうか…
    ===
    p83-84
    p88
    p94

  • 自分や他人の汚さ...という地獄からの脱出法が書いてあった。
    物事の底が見えると、それはそれで安心してそれなりに過ごせる気がしてくる。
    不思議だ。

  • 図書館でタイトルが気になり読んでみた

    無知な私からしたら内容が難しいところもあって、理解しきれない部分もあったけど、
    社会的弱者に対して、かわいそうという感情を持つことがすでに差別しているのであって、
    こんなに制限された状況なのに必死に生きているのにそれに比べて私は、っていう風に自分を省みないといけない。
    という内容が書いてあって、印象に残った。
    差別感情を完全に消すことはほぼ不可能だけど、その感情と常に向き合っていくことが大切。 

    印象に残ったフレーズ

    差別感情に真剣に向き合うというとは、「差別したい自分」の声に絶えず耳を傾け、その心を切り開き、不断の努力をすることなのだ。
    こんな苦しい思いをしてまで生きたくない、むしろ全てを投げ打って死にたいと願うほど、つまり差別に苦しむ人と「対等の位置」に達するまで、自分の中に潜む怠惰やごまかしや冷酷さと戦い続けることなのだ。

  • 大阪樟蔭女子大学図書館OPACへのリンク
    https://library.osaka-shoin.ac.jp/opac/volume/630279

  • 生きてるだけで、目線を送るだけで、"誰かを踏み付けてるかもしれない"という繊細な心を持つことが必要、との主張。
    障害を持った友人、知人らと接する時や、自身が主催している社会問題の勉強会の時にあったどこか"モヤモヤ"した、スッキリしない部分をハッキリ言語化してもらった感覚。
    日々、もっと繊細に生きようと強く思えた。

    仏教はなんでこんなに『苦』にフォーカスするんだろうとモヤモヤしていたのだが、確かに著者の視点で世の中を見渡したら『苦』ばかりだなと、論点はズレるが、後書きを読んで、別の納得感も得られた。

    数十年経ったら古典として、多くの人に読まれ継がれそう。

  • ウーマンリブや障害者解放運動については、言いたいこともあるが、最後の息子を誤って引きこ…してしまった母親が自責に耐えながら自死せずに生きているとしたら、どんな勲章もこれに及ばないという考察は本当にその通りやと思った!

  • SDGs|目標10 人や国の不平等をなくそう|

    【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
    https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/741183

  • ここまで心を抉られた本は今まで出会ったことがなかった。出会えてよかった。ほんとうにそう思う。

    本書は疑問を投げかけてくれた。あなたの『普通』は誰かの『普通』ではない。

    冒頭は、すべての差別や悪の感情を抑え付け、なくすことは可能か?そしてそんな世界は面白いのか?様々な感情があるからこそ人間であり、悪の感情も人間存在を輝かせる宝庫であると述べている。人間だからこそ攻撃本能があり、敵がいるから味方がいる…そんな人間の"らしさ"に差別は潜んでおり、だからこそ、差別をやめましょう。差別用語を発したものを罰して辞めさせましょう。なんてことを続けても意味がないのだと。

    すべての行為に、相手への不快・嫌悪・軽蔑・恐怖、そして自分の肯定的な誇り・自尊心・帰属意識・向上心という感情が潜んでいる。
    特に今の時代は、差別に厳しい。明らかな差別用語などは絶対に発言してはならない。
    ただそれは表立ってないだけであり、差別感情はなくならず、内面に閉じ込められて表から見えないだけだ。

    一方で、被差別者からすると、それらの感情を敏感に受け取っている。そこには明らかなまなざしがあるからだと。まなざしの差別は、かなり根深く、これは自分自身に切り込みを入れていく必要があると感じた。
    被差別者へのまなざしの中に隠されたこのような自分の醜さを突きつけられながらも、自分自身と対話する。自己批判精神と繊細な精神をたずさえて、絶えず対話をつづける必要がある。

    著者は自分が障害者とすれ違う瞬間に自分が抱いた言いようのないなんとも言えない感情と向き合った日のことを綴っていたが、これは多くの人が体験したことのある感覚・感情ではないかと思う。
    私が抱いたのはただの哀れみではないか?勝手に相手の人生は過酷である、なので尊敬すると思い込むことで自分に免罪符を与えていないか?
    深掘りすればするほど、非常に気持ちの悪い、醜い自分が浮き彫りになる。
    でもそれでいいのだ、と著者は伝えている。

    自分の中の信念ー差別すべきではない、こうあるべきだなどーに対する誠実性とを保ちながら、他人の幸福を願うことはできるのか?
    究極の問いであるし、正直答えはない。
    未来は暗い。だがそれが最善である。
    ジョン・キーツの言葉を思い出した。
    暗いからこそ、考えるし、考えて対話することをやめないのだと思う。

    さまざまな感情は思い込みや刷り込みから始まる。歪曲され、一般化され、省略され、それらが感情となり、発露し、嫌悪なのか不快なのか何かしらの名前がつけられる。
    心理学を学んだ時、この仕組みを知り自分がいかに思い込みや刷り込みの色付きメガネをたくさん持っているかに気が付いた。すべての行為において、瞬時に眼鏡の色を変えて生きている。それが人間だと諦めて良いのか?それは違うだろう。
    その思い込みや刷り込みの芽を摘み、多角的に物事を見ることができるようにさまざまな意見・信条・身分・立場の人々とコミュニケーションを重ね、差別の実態をしり、繊細な精神で思考し続けること必要だ。書くと簡単で、綺麗事のように聞こえるが、相当に過酷だ。ほぼ毎日とるにたらない自尊心や、著者が最後に記している『虚しい誇り』の下に生きている。
    そんなどうしようもない自分と向き合うことが、他者との共存や多様性をこの社会にもたらすのだと理解して読了した。

  •  差別感情を軸に「繊細で自己批判的な精神を常に持ち続けること」を一貫して主張している。なお、本書の主張は殆どが著者の経験に依るので、評論というよりかはエッセイに近い。(もっとも、感情という極めて主観的なものを対象としているので仕方ないことではあるが)
     そうなると必然的にこの主張は納得できる/できないがより顕著になるので、そこから自身の「差別感情」を追求れば理解が深まると思われる。

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著者プロフィール

1946年生まれ. 東京大学法学部卒. 同大学院人文科学研究科修士課程修了. ウィーン大学基礎総合学部修了(哲学博士). 電気通信大学教授を経て, 現在は哲学塾主宰. 著書に, 『時間を哲学する──過去はどこへ行ったのか』(講談社現代新書),『哲学の教科書』(講談社学術文庫), 『時間論』(ちくま学芸文庫), 『死を哲学する』(岩波書店), 『過酷なるニーチェ』(河出文庫), 『生き生きした過去──大森荘蔵の時間論, その批判的解説』(河出書房新社), 『不在の哲学』(ちくま学芸文庫)『時間と死──不在と無のあいだで』(ぷねうま舎), 『明るく死ぬための哲学』(文藝春秋), 『晩年のカント』(講談社), 『てってい的にキルケゴール その一 絶望ってなんだ』, 『てってい的にキルケゴール その二 私が私であることの深淵に絶望』(ぷねうま舎)など.

「2023年 『その3 本気で、つまずくということ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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