不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか (講談社現代新書)

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  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (296ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062884518

作品紹介・あらすじ

太平洋戦争の末期に実施された”特別攻撃隊”。戦死を前提とする攻撃によって、若者たちが命を落としていった。
だが、陸軍第一回の特攻から計9回の出撃をし、9回生還した特攻兵がいた。その特攻兵、佐々木友次氏は、戦後の日本を生き抜き2016年2月に亡くなった。
鴻上尚史氏が生前の佐々木氏本人へインタビュー。
飛行機がただ好きだった男が、なぜ、軍では絶対である上官の命令に背き、命の尊厳を守りぬけたのか。

我々も同じ状況になったとき、佐々木氏と同じことができるだろうか。
戦後72年。実は本質的には日本社会は変わっていないのではないか。
本当に特攻は志願だったのか、そして、なぜあんなにも賛美されたのか。
命を消費する日本型組織から、一人の人間として抜け出す強さの源に迫る。

感想・レビュー・書評

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  • 酒と紅白餅で必勝祈願
    し死地へ送り出される。

    死のツノと積載量超過
    の八百㌔爆弾を抱える
    離陸直後の緊張の時間。

    高度五千メートルの空。

    雲が割れて目標の湾が
    見える。

    そして爆弾の安全装置
    を解除して・・・

    当事者にしか語れない
    鮮やかな光景が眼前に
    広がりました。

    体当たりの命令に背き、
    けれども逃げずに戦い

    何度でも何度でも生還
    を果たした八十年前の
    一人の若者に、

    大概のことは乗り越え
    られるはずだよと、

    生きる勇気を与えられ
    ました。

    一方で、精神論の末路
    というべき特攻という
    愚かな作戦を、

    エモーショナルに語る
    べきでないと学びとり
    ました。

    故郷の北海道当別町に
    眠る佐々木友次さんに
    哀悼の意を捧げます。

  • 終戦記念日の昨日から読みはじめた一冊を読み終えました。

    「出口のない海(横山秀夫)」を読み終えた時に以下のように記した。

    〜〜〜
    死を覚悟して決死隊とし出陣された方と、必ず死ぬ必死隊として出陣された特別攻撃隊の方の想いとは祖国の為という鉄の仮面に包まれ、ただ愛する人を守る為という想い。

    そこだけは同じような気がする。

    しかし、決死と必死の差は大きく、まさにその人の運命を左右する。
    〜〜〜


    本書の約半分は9回の特攻作戦から生還した元特攻隊員・佐々木友次さんの体験記。

    「必ず死んでこい!」と言われながら、「死ななくてもいいと思います。死ぬまで何度でも行って、爆弾を命中させます」と上官の命令に背き、生還した佐々木さん。

    当時の状況を考えればそれがどれだけ勇気の必要な発言だったかを想像することは容易いように感じます。

    個人的には最終章である第4章「特攻の実像」は私に大切なことを気づかせてくれました。

    それは「命令した側」と「命令された側」の違い。

    特攻という状況であれば命令する側(上官)と命令された側(特攻兵)。

    多くの書籍や映像などで若者達が「お国のため」「愛する者を守るため」喜んで死んで参ります!的に語られ、特攻兵は自ら志願したかの如く伝えられている事実は、ある意味で日本人的な美談と化している...

    あの当時、「生きたい」という人間の生存欲求すら認められなかった時代に本当に全ての特攻兵の方々が心から喜んで死地に飛び立ったとは私には思えない。

    立場は違えど、私も中間管理職として部下を持つ身。

    部下に対して指示(命令)をする側にいるということの重みを実感すると共に、安易に「現状維持が目的」とならぬように正しい判断をし、指示を出していくことの大切さを痛感することが出来ました。

    そして著者は巻末で反発を恐れずに私見の記されています。

    それは今まさに行われている真夏の甲子園大会についてです。

    真夏の炎天下、組織として強制的に運動を命令しているのは、世界中で見ても、日本の高校野球だけだと思います。
    〜〜
    僕は「命令された側」の高校球児を尊敬し、感動します。
    もちろん、大変だなあと同情しますが、けなしたり、悪口を言うつもりはまったくありません。
    問題にしたいのは「命令した側」です。
    ですが、怒る人は、「命令した側」と「命令された側」を混同するのです。
    「命令した側」への批判を、「命令された側」への攻撃だと思うのです。

    すごくわかりやすい例えだと思いますし、私自身も大切にしていきたい。

    先の大戦で何があったのか、何が事実なのか、自分なりに知りたいと思い、そんな中で手にした一冊でしたが、学び多き一冊でした。




    説明
    メディア掲載レビューほか
    日本軍の真実

    12月8日は日米開戦があった日。沖縄をはじめ全国に米軍の基地や施設があり、不平等な日米地位協定や航空管制など、“戦後"はまだ続いている。76年前に無謀な戦争をしなければ、そして、その前に愚劣な中国侵略を始めていなければ、こんなことにはならなかっただろうに。

    戦争の始め方もばかげていたが、終わり方も悲惨だった。面目にこだわった軍部は負けを受け入れようとせず、一般国民はひどい目にあった。

    日本軍の戦術でもっとも愚劣なものが特攻だろう。飛行機だけでなく操縦者の生命も失われる。日本軍が人命を軽視したことを象徴している。

    だが、出撃しても生きて帰ってきた特攻兵がいた。それも9回も。昨年の2月、92歳で亡くなった佐々木友次氏がその人である。鴻上尚史の『不死身の特攻兵』は、佐々木氏や特攻について調べたこと、佐々木氏へのインタビュー、そして、それらからこの劇作家が考えたことの三つの要素からなる。

    なるほどと思ったのは、特攻は兵士の誇りを傷つける作戦だったという話。体当たりせよという命令は、それまで訓練してきた急降下爆撃などの技術を否定するものだ。だから佐々木氏らは、命令に逆らって米軍の戦艦に爆弾を投下して帰還した。

    だが、軍は生還した兵士をねぎらうどころか冷遇する。早く再出撃して、こんどこそ死ねと迫る。体当たりして戦果を上げたと、天皇にも報告してしまったのだから、というのが軍幹部のいいぶんだ。しかも命令した上官は、米軍が迫ると台湾に逃げ出す始末。これが戦争の現実、日本軍の真実だ。

    評者:永江朗

    (週刊朝日 掲載)
    内容紹介
    太平洋戦争末期に実施された”特別攻撃隊”により、多くの若者が亡くなっていった。だが、「必ず死んでこい」という上官の命令に背き、9回の出撃から生還した特攻兵がいた。その特攻兵、佐々木友次氏に鴻上尚史氏がインタビュー。飛行機がただ好きだった男が、なぜ、絶対命令から免れ、命の尊厳を守りぬけたのか。命を消費する日本型組織から抜け出すには。


    太平洋戦争の末期に実施された”特別攻撃隊”。戦死を前提とする攻撃によって、若者たちが命を落としていった。
    だが、陸軍第一回の特攻から計9回の出撃をし、9回生還した特攻兵がいた。その特攻兵、佐々木友次氏は、戦後の日本を生き抜き2016年2月に亡くなった。
    鴻上尚史氏が生前の佐々木氏本人へインタビュー。
    飛行機がただ好きだった男が、なぜ、軍では絶対である上官の命令に背き、命の尊厳を守りぬけたのか。

    我々も同じ状況になったとき、佐々木氏と同じことができるだろうか。
    戦後72年。実は本質的には日本社会は変わっていないのではないか。
    本当に特攻は志願だったのか、そして、なぜあんなにも賛美されたのか。
    命を消費する日本型組織から、一人の人間として抜け出す強さの源に迫る。
    内容(「BOOK」データベースより)
    1944年11月の第一回の特攻作戦から、9回の出撃。陸軍参謀に「必ず死んでこい!」と言われながら、命令に背き、生還を果たした特攻兵がいた。
    著者について
    鴻上 尚史
    作家・演出家。1958年愛媛県生まれ。早稲田大学在学中の81年に劇団「第三舞台」を結成。87年「朝日のような夕日をつれて87」で紀伊國屋演劇賞団体賞、95年「スナフキンの手紙」で岸田國士戯曲賞。97年に渡英し、俳優教育法を学ぶ。11年に第三舞台封印解除&解散公演「深呼吸する惑星」を上演。現在は、「KOKAMI@network」と「虚構の劇団」を中心に活動。10年に戯曲集「グローブ・ジャングル」で第61回読売文学賞受賞。舞台公演のかたわら、エッセイや演劇関連の著書も多く、ラジオ・パーソリナティ、テレビの司会、映画監督など幅広く活動。「あなたの魅力を演出するちょっとしたヒント」「クール・ジャパン!?」「八月の犬は二度吠える」「青空に飛ぶ」(以上講談社)「発声と身体のレッスン」「演技と演出のレッスン」(白水社)「孤独と不安のレッスン」「幸福のレッスン」(だいわ文庫)他著書多数。日本劇作家協会会長。
    著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
    鴻上/尚史
    作家・演出家。1958年愛媛県生まれ。早稲田大学在学中の81年に劇団「第三舞台」を結成。87年「朝日のような夕日をつれて’87」で紀伊國屋演劇賞団体賞、95年「スナフキンの手紙」で岸田國士戯曲賞受賞。97年に渡英し、俳優教育法を学ぶ。10年に戯曲集「グローブ・ジャングル」で第61回読売文学賞戯曲・シナリオ賞受賞。舞台公演のかたわら、エッセイや演劇関連の著書も多く、ラジオ・パーソナリティ、テレビ番組の司会、映画監督など幅広く活動。日本劇作家協会会長(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

    • kuma0504さん
      ヒポさん、こんばんは。
      本書をアップしてくれたお陰で、四年前のマイレビュー(18.10)を再読しました。

      驚くことに、四年前に書いた日本の...
      ヒポさん、こんばんは。
      本書をアップしてくれたお陰で、四年前のマイレビュー(18.10)を再読しました。

      驚くことに、四年前に書いた日本の構図は全く変わることなく、3年ぶりに再開した甲子園球児は、四年前よりも殺人的になった予選会、本大会を闘っています。考える時間はあった。検討する時間はあった。けれども、大会幹部はおそらく頭の隅に一つも「秋に変更しよう」とは思わなかったのでしょう。

      奇しくも、「私は命令しなかった」と言い逃れたテッペンが、とうとう最期まで言い逃れして終わってしまいました。

      日本はこの77年間、髪の毛一本分も変わっていない。暗澹たる気分です。
      2022/08/16
    • ヒボさん
      kuma0504さん、こんばんは。
      私も先程レビューを読ませて頂きました。
      今まさに行われている甲子園大会、「命令する側」が正しい判断をしな...
      kuma0504さん、こんばんは。
      私も先程レビューを読ませて頂きました。
      今まさに行われている甲子園大会、「命令する側」が正しい判断をしなければいけない。
      犠牲になるのは「命令される側」で、きっと「命令する側」の人々は自分達だけクーラーの効いた環境で観戦しているのでしょう。
      戦時中に特攻め命じた側と何も変わっていない。
      極論かも知れませんが、過去から学ぶことが出来なければ滅びるしかないのだと思います。
      2022/08/16
  • 戦後世代の我々に戦争責任はない。と言う人は多い。そのことの是非は置く。私は著者が、最終章につい書いてしまったこの様な文章に、どう対応すべきか皆さんに問いたい。

    僕は毎年、夏になると、「いったいいつまで、真夏の炎天下で甲子園の高校野球は続くんだろう」と思います。地方予選の時から、熱中症で何人も倒れ、脱水症状で救急搬送されても、真夏の試合は続きます。(略)こう書くと「純真な高校球児の努力をバカにするのか!」とか「大切な甲子園大会を冒涜するのか!」と叫ぶ人がいます。僕は「命令された側」の高校球児を尊敬し、感動します。もちろん、大変だなあと同情しますが、けなしたり悪口を言うつもりはまったくありません。問題にしたいのは「命令した側」です。ですが、怒る人は、「命令した側」と「命令された側」を混同するのです。「命令した側」への批判を、「命令された側」への攻撃と思うのです。その構図は、「特攻隊」の時とまったく同じです。(略)けれどいつものように、炎天下の試合は続きます。甲子園大会は所与のものだからです。昼の12時から3時までは試合を休止しようとか、ナイターをスケジュールに入れようとするとか、そもそも真夏を外して秋にしようとか、そういう提案を主催者側がしているという話を僕は聞いたことがありません。大人達は、誰も言い出さないまま、若者達に命令するのです。それもまた、とても、特攻隊の構図と似ていると感じます。(284p)

    1人の華々しい「死人」が出るまで、私達は「黙認」するのだろうか?その時になって、初めて私たちは自らのことを棚に上げて責任論を叫ぶのだろうか?

    現代に続いている「構図」が、あまりにも多い。

    日大アメリカンフットボール問題は、まさしく「命令された」志願者が特攻した若者の問題だった。

    似たような他の問題でもそうだ。「命令した側」は、未だ政府の頂点やNo.2含めて「そんなことは言っていない」と言い逃れる。いや、言い逃れた。それが可能になった。可能にする社会の構図がそのまま温存されているからである。

    9回も「嫌だ」と、行動に示した佐々木友次さんはヒーローである。けれども、最後にニヤリと笑って散っていった「永遠の0」のような映画化の予算はつかないだろう。それが現在の日本社会の民度だからである。

    2018年10月読了

  • 非常に示唆に富む内容でした。
    日本型組織の「病的部分」に関して、いかに立ち向かうのかということを、
    教えてくれる良書になっていると思います。

    改めて、以前の旧日本軍の組織論理、日本人の思考方法が、
    如何に合理的ではなく、個人を犠牲にして、「組織の存続だけを目的」にすることがわかります。
    この著作は、戦中の話しですが、今の日本の状況を考察する上で、非常に役立つ視座を与えてくれます。

    最近ふと思うのは、特攻をしていた時とは、時代背景も、日本の置かれた状況も、国力も違いますが、
    今、日本は「戦時下」にあるんじゃないかと。

    また日本は再度、無謀な「戦争」へと突入しているんじゃないかと。
    以前の戦争は「敵]がいましたが、今回の戦争は、「敵」がいません。

    今の「戦時下」という状況は、以前と様相がかなり違います。
    以前は、ABCD包囲網より、物資がありませんでしたが、
    今は、外国に依存しながら、物資があります。
    しかし、多くの人が「何か」が足りないと感じています。

    以前は、みんな貧しく、国から好き嫌い関わらず、
    団結するように強制されましたが、
    今は、国民間で経済的かつ心理面での2極化が急速に進み、
    もう互いに助け合うことも、繋がることも、団結することもできなくなりつつあります。

    以前は、国のために命まで捧げていましたが、
    今は、自己利益のために、他人の命を犠牲にするようになっています。

    このあまりに違う「二つの戦時下」ですが、方向性は以前と同じように日本の崩壊です。
    日本は、着実に崩壊へと向かっているんじゃないかと。

    以前は、300万人以上のおびただしい犠牲者を出しましたが、
    今は、生きていることに絶望感を感じている人がどんどん増えていっています。

    黒船来航から日本は外部からの圧力により「変化」せざるを得なくなりました。
    日本は自力で「変化」するのを得意としていません。
    かならず、外部要因で「変化」する国です。
    日本は、明治維新を経て、日清、日露戦争に突き進み、絶望的な太平洋戦争に、
    進みました。多くの人が、あの戦争に反対しました。
    なぜなら、「必ず敗ける」と、多くの首脳部が知っていたからです。

    そして多大なる国民の命と財産を犠牲にして、
    再度外部からの強制的圧力で日本は「変化」しました。

    今、日本が最後に「変化」してから、70年以上経ちました。
    そして、最近再度「外部圧力」が起こりました。
    東日本大震災による福島の原発事故です。

    原子力発電は、戦後日本の経済発展と技術の象徴です。
    その象徴が実は国民の安全と生活を脅かす、凶器とわかりました。

    この「原発事故」が、日本にとって、「変化」する機会でしたが、
    どうやら、日本はもう「変化」できないのかもしれません。
    それは、自力で「変化」することを、
    日本人は、絶望的に得意としていないからです。
    それは、端的に言えば、「変化」することが、怖いからです。

    日本は今「戦時下」にあるような感じがします。
    行先は、国の破綻です。
    「そんなことはない!」と言う人は、
    多くが自己利益のため「だけ」に発言しています。

    歴史を振り返るのならば、
    日本人は、再度、「外部の圧力」が訪れることを、
    黙って待つしかないのかもしれません。
    でも、今度「外部の圧力」来るのは、いつになるのでしょうか?
    それまで、この「戦時下」を耐えられるのでしょうか?

    自分たちは、再度、太平洋戦争に突入しているときのように、
    絶望的な状況の真っ只中にいるんじゃないかと。

    その状況を、「おかしい!」と声に出すと、
    それは、「言ってはいけないこと」、「良くないこと」と「自動的」に判断されます。
    それは、今、日本の「空気」となっているような感じがします。
    鴻上氏も、その「空気」を感じ取って、この著作を出版したように思います。

    事実を事実として、発言し、客観的な分析を加えながら、意思決定をし、最適解を見つけるのは、
    「変化」する上での適切な方法です。
    しかし、この「方法」を行おうとすると、
    以前と、同じようにように、言った人は「非国民」扱いされます。

    あまりに似ている「今」と「以前」、
    その「以前」を知り、そして、個人がどう対応するかを考える上でも、
    この本は、非常に有益だと思います。

  • 読むのがとまらなくなる内容でした。

    第2章は初めて知ることばかりでした。
    特攻のリアル。「命令された側」の人たちのリアル。
    ギリギリの選択。その先の現実。

    第3章のインタビューは、インタビュアーの心の震えが伝わってくるようなやりとりに感じられました。
    多くは語らない、けれど信念のある人の言葉。
    特攻のリアルを経験された方の言葉。
    読み進むにつれてため息が、言葉にならない言葉がため息となってこぼれてくるインタビューでした。

    第4章は、熱を感じる文書でした。
    「命令する側」「命令される側」そして「傍観者」。
    饒舌な傍観者と、閉ざされてゆく当事者の言葉。
    立場を分けて論じることの必要性に胸を刺される内容でした。

    どのような意思を持つ人が、どのような状況の中で、どのような選択をし、そしてどのような結果を引き受けてきたかが描かれています。
    読みたくて読んで、そして読んでよかったと心から思えた一冊でした。

  • 9度の出撃から生還した特攻兵・佐々木友次氏の体験談・インタビューを軸に「特攻」の真実を記した一冊。
    美談になりがちな特攻隊の背景に触れて驚きを隠せなかった。同時に隊員たちの思いにやるせなさを感じ、人命を軽んじる上層部に憤りを禁じ得ない。
    後半の考察部も含めて非常に考えさせられる。軍部の異様さ・愚かさは現代の組織にも十分に当てはまる。
    戦争の語り部が少なくなる中でこういう著書を通じて歴史としてではなく真実として認識し、しっかりと考え向き合うことの大切さを改めて実感した。

  • 図書館本。一般的な特攻隊のイメージは作られたもの。「永遠の0」とかは、その典型か。実際に出撃し、生還した人の証言は重い。

  • 9回出撃して生還した特攻兵、と聞いて、9艦撃沈かと思ってたが、そんなことはなかった。実際に、爆撃に成功したのは一艦だけ。
    だがまさに、特攻というもの、それがなんであったかを知る良著。
    著者が実際にこの特攻兵にインタビューしてる内容は、残念ながら本としてはさほどインパクトがあるわけではないが、取材の中から浮かび上がって来た、特攻というものの意義を問う。
    命令する側が命令される側を語るな。
    いわんや、自分をそっち側と同一視するな。
    なぜ、こんな異常な事態が、効果がないと判っていながらやめられなかったのか。いろんなことが見えてくる。

  • 今現在もこの地球上で、人が人を殺める行為を必然とした戦争が起きています。
    この日本でもそう遠くない過去には戦争がありました。しかし、既に戦争を体験した方が少なくなった現在、私も含め戦争を知らない人々も、学校の授業や終戦記念日など何かのきっかけで、その実態を知り、考えることも大切なのではないかと思います。
    私は年に一度くらいは戦争について真剣に考えようと思っています。本を読んだり映画を観たり、その方法は様々ですが、本作はそんな思いで手に取った一冊です。

    <作品紹介>
    太平洋戦争末期に実施された“特別攻撃隊”により、多くの若者が亡くなっていった。だが、「必ず死んでこい」という上官の命令に背き、9回の出撃から生還した特攻兵がいた。その特攻兵、佐々木友次氏に鴻上尚史氏がインタビュー。
    飛行機がただ好きだった男が、なぜ、絶対命令から免れ、命の尊厳を守りぬけたのか。

    「第一章:帰ってきた特攻兵」「第二章:戦争のリアル」「第三章:2015年のインタビュー」「第四章:特攻の実像」の4部構成になっているのですが、私は第二章を読み終えるまでに4ヶ月かかりました。辛くてなかなか読み進められなかったのです。
    攻撃をして帰還した部下に対して、「次は死んでこい」という上司って何?目的が「死ぬこと」になってしまっている。
    現代の自分が生きていく上でも、会社であったり人との関係であったりのなかで、目的達成のための方法はいくつもありますが、私はそれを取り違えてはいけない。といつも思っています。当時の日本軍の上層部においては、まさにその方法を間違えてしまったのだと思うのです。
    劣勢になったときに、勝つためには国民を鼓舞しなければならない。そのためには、優秀な操縦士が先陣を切って特攻することに意味がある。と・・・。
    冷静に考えれば、優秀な操縦士は貴重であり、先陣を切って後のものを率いて攻撃し、生還させることが重要だと思うのですが。生きていればまた出撃できますし、後に続くものを育成することもできます。
    そもそも、生きて帰ることを前提としない攻撃なんてありえない。そんなことを考えた人もそれに同意した人も許可した人も、どうかしているとしか思えない。
    ですが、時として人間は過ちを犯すのです。それは多かれ少なかれ自分も含めすべての人に言えることです。
    当時の状況から、特攻兵でありながら、9回の出撃から生還するということがどれほど特異であることかは想像に難しくありません。
    とにかく怒りを抱きながら、胃が痛くなるような辛さを抱えながら第二章までを読み終えました。

    第三章では、それを成し遂げた佐々木友次(ともじ)さんへの、鴻上さんによるインタビューです。佐々木さんがお亡くなりになる数ヶ月前だったようです。体調もよくないなか淡々と鴻上さんの質問に答えられている様子でした。会話から、お人柄の良さが伝わってくる内容でした。
    そして、佐々木さんは、ただただ純粋に飛行機を操縦することが大好きで、その操縦にも自信を持っていた。だからこその抵抗だったのかもしれないと思いました。

    第四章では、特攻隊の実像について鴻上さんの見解が綴られていました。
    また、後書きには佐々木さんのお墓に刻まれた文章が記されています。
    21歳の時に9回の出撃にも関わらず生還し、92歳まで生き抜いた彼の言葉は、とても重く心に響きました。

    佐々木友次さんのことや特攻隊の話については沢山の書物がありますが、それぞれ見解が違います。命令をする側と受ける側では見えている現実が違うのです。
    また、誰かの思惑によって事実が湾曲されていることもあります。
    それは遠い過去のことばかりではありません。現在でもそれを感じることが沢山あります。それに踊らされ振り回されてはいけないと心にとめたいと思います。
    過去のことを変えることは出来ませんが、未来は変えられるはず。何かを判断する際は一度立ち止まってよく考えることが大切だなと思います。

  • ある特攻隊員へのインタビューをベースとして、戦争及び特攻隊員のリアルを描いている。これを書いているのが「空気と世間」を書いている著者・鴻上尚史さんと同じとのこと。この方は演出家の一面も持っているということで、その多彩な活躍ぶりに驚かされる。
    さて、話は「9回特攻に出撃して、9回生きて帰ってきた」という佐々木友次さんのインタビューから始まる。これまでの「お国のために華々しく突撃してまいります!」的な美談?話が多い中で、このような方の話は貴重とも言える。
    その中でも、特攻の効果についてわかりやすく伝えている言葉が印象に残っている。
    「卵をコンクリートにたたきつけるようなもの。卵は壊れるが、コンクリートは汚れるだけ」
    非常にわかりやすく、かつ特攻というのものがどれだけ効果の期待できない作戦だったかがうかがえる。
    太平洋戦争末期、戦況の悪化により、最終的には「勝つ」ことではなく「死ぬ」ことが目的になってしまっていた。またそういった思想に対して誰も意見が言えない状況になるまでの、教育という名の洗脳、マスコミでの報道内容等のリアルについても書かれていたが、本当に恐ろしいなと改めて感じた。
    現在も世界を見渡せば戦争は行われているわけだが、日本で二度と戦争が起きないことを切に願うばかりである。

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著者プロフィール

著者等紹介
鴻上尚史[コウカミショウジ]
1958年8月2日生まれ。愛媛県新居浜市出身。早稲田大学法学部卒業。劇作家・演出家・エッセイスト・小説家

「2023年 『ヘルメットをかぶった君に会いたい』 で使われていた紹介文から引用しています。」

鴻上尚史の作品

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