弥生時代の歴史 (講談社現代新書)

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  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062883306

作品紹介・あらすじ

稲作は五〇〇年も早く始まっていた! AMS炭素14年代測定法が明らかにした衝撃の事実をもとに、弥生時代の歴史を書き換える。

感想・レビュー・書評

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  • 藤尾氏は国立歴史民俗博物館において、AMS炭素14年代測定で弥生時代の開始を500年遡らせた立役者であり、2014年にあったという「弥生ってなに⁉」展の中心人物である。それらの成果をコンパクトにまとめたのが、この一冊だと思う。

    遠く岡山の地に居て、藤尾氏のこの10数年の研究をほとんど追ってこなかった身にとり、思った以上に刺激のある一冊だった。

    以下、学んだ所、気になった所をずっとメモしてゆく。長くなるかもしれないので、とりあえず最初の頃の一部分だけ。

    ◯炭素年の測定方法を簡単に書いているが、文系の私にはどうも理解出来ない。ただ1950年を基準にするとは驚き。これ以降は核実験が広く行われたために、大気中の炭素14年濃度が大幅に上がったためしい。人類は、気候的にも、環境汚染的にも、たった100年で地球規模的な不可逆的な改変を行っている。
    ◯弥生時代開始年代は、2003年発表時から今まで3説に分かれた。(1)藤尾説の紀元前10世紀に遡る説(よって紀元前1000年では無く、950年ぐらいらしい)、(2)朝鮮半島や中国遼寧省の考古学知見を優先して紀元前800年まで遡る説(新発見があれば更に遡る可能性がある)、(3)従来の紀元前5世紀説である。その根拠が藤尾氏の説明通りだとすると、藤尾説を採るしかない。もう10年以上経ったのだから、考古学学会もハッキリして欲しい。そうしてくれないと、我々はホントに困る。
    ◯22pの土器形式ごとの太陽活動表は、面白かった。特にびっくりしたのは、二世紀初め(100-110)を「温暖」と規定し、二世紀中(130-150)を「冷涼化(大きな降水量の低下)」と規定し、190-230年を「温暖」としているのは、「倭国乱」の背景と考えれるように思うのだ。ところが、藤尾氏はかなり前半で気候との関係を書きながら、弥生後期では、全く言及していない。私はこの時期の急激な気候の不順化が、水を司る吉備の龍神信仰を成立させて、吉備を一大強国にしたてあげたのだと見る。
    ◯韓国遺跡を西暦で表現してくれていて、参考になる。実際韓国の博物館に行くとわかるが、韓国の考古学は日本ほど緻密ではない。ひとつひとつの遺物が何世紀のモノかさえも特定できないのである。(東三洞貝塚 紀元前4000年、南部の稲作の始まり 紀元前11世紀、検丹里遺跡 紀元前10世紀)特に検丹里の環壕は重要だろう。藤尾氏は、日本の弥生化は朝鮮南部の「農耕社会化」により、矛盾で「迫害」から逃れるために海を渡った「メイフラワー号」タイプの人々が担ったのだろうと見る。そういう見方をすると、早期北九州弥生遺跡に支石墓が点々とあるのが合点がゆく。しかし、彼らは直ぐに支石墓祭祀を放棄し、放棄したところほど大きなクニを作る。それは何故か。この頃の北九州の大きな変動について、この本では十分にはわからない。
    ◯「魏志倭人伝」に最初のルートとされている壱岐対馬に、10世紀の支石墓がないのが不思議だと著者は云う。その通りだ。最初のメイフラワー号は、大陸のみを目指したのか。福岡沿岸の小平野ごとに支石墓内の棺の形式が異なるのは、彼らが先着の居る場合は、やり過ごして東へ東へと船を進めたからではないかという説を紹介している。興味深い。
    ◯やっと第一章「弥生早期前半(前10世紀後半~前9世紀中ごろ)」である。北九州の在来民は、ことごとく海沿いではなく少し川を上ったところで、半分稲作、半分狩猟の生活をしていた。在来民が渡来人交流して下流域に稲作を始めるまで、下流域に住む在来民は全国的に6000年以上いなかったそうだ。
    ◯最初期の板付遺跡は、最初から給排水施設があった。畦畔は土盛りなので、大量の杭、矢板、横木で補強する。その数何百、何千。鉄器を持たないので、すべて大陸系の磨製石器で作った。しかも大区画水田。500平方メートルを水平に保つ造田技術も持っていた。
    ◯(これは私の仮説)これだけの大自然改造。自然をそのまま受け入れる縄文人の価値観と相対したことは間違いない。最初は数十人の渡来人が何年も、ひとつの田んぼを経営して実績を作り、やがて好奇心旺盛な縄文人が参加していったのだろう。板付遺跡で大きな洪水が二回、それでも弥生人は稲作をやめなかった。自然そのものが「神」なのではなく、自然に恵みをもたらす更に超越的な存在が「神」になる土壌が、その頃から育まれるだろう。最初期は、それは遥か彼方からやってくる「鳥」に象徴されたのかもしれない。弥生文化に、全国的に分布する鳥の呪術遺物は、それを裏付けている。鳥は祖先の知恵の象徴だったのかもしれない。しかしやがて1人の英雄が、蛇の生産性と鹿の顔を持ち、しかもそれらの姿と全く違うオーラを持つ「龍」を招致する。龍は、雨をもたらすと同時に、嵐をももたらす、恵みと力を持った神だった。この神を手に入れるかどうかで、その国の盛衰が決まる、と言い伝えが広まっていたのが、実は弥生後期なのではないか。
    ○橋本一丁田遺跡の最古の弥生土器(福岡市埋蔵文化センター蔵)を見てみたい。縄文土器に、弥生の稲作文化の背景を持っていれば、弥生土器ということを提唱したのが、佐原真「岩波講座日本歴史(1)」(1975)だったらしい。
    ○弥生早期後半(前9世紀後半)から前期後半(前世紀)。
    ○日本最古の環濠集落は、のちに三世紀に奴国となる比恵・那珂遺跡南西部の村に前9世紀後半に現れる。直径150mの壕を二重。150年経営。おそらく洪水で廃絶。その後500m離れた春住遺跡に移る。那珂遺跡よりも1キロ上流の板付遺跡(前9世紀)は、長径110mの中に10ー15軒の竪穴住居。既に階層差の痕跡あり。糸島町新町遺跡(前9世紀後半)では最古の戦死者。稲作文化の始まりと同時に出現したのは、おそらく稲作文化と水や土地を獲得する手段としてパッケージで入って来たためだろう。つまり縄文人の世界観には、戦いはなかった。
    ○稲作文化は、最初北九州からは250年かけてゆっくり広がった。
    前10世紀後半、玄界灘沿岸部。
    前8世紀終わり、九州東部・中部。
    香川以西の瀬戸内沿岸。
    前7世紀前葉、鳥取平野。
    前7世紀、神戸市付近。
    前6世紀、徳島市。奈良盆地。
    前6世紀中ごろ、伊勢湾沿岸。近畿日本海沿岸北上。
    前4世紀前葉、青森県弘前市。
    前4世紀、仙台平野、いわき地域。
    前3世紀、中部高地、関東南部。

    以下略。

    2017年3月12日記入

    • ☆ベルガモット☆さん
      板付遺跡って、福岡にある板付遺跡ですかね?!福岡市埋蔵文化センターも近くにあるようなので、今度行ってみようと思います!九州もいろいろあるとは...
      板付遺跡って、福岡にある板付遺跡ですかね?!福岡市埋蔵文化センターも近くにあるようなので、今度行ってみようと思います!九州もいろいろあるとは知らなかったです。ちょっと時代は違いますが、王塚装飾古墳館もいつか行ってみようと思います。春の特別公開は抽選で応募しましたが、落選しました。人気があるようです。
      kuma0504さん推しの弥生時代も気になってきました。
      2023/08/01
    • kuma0504さん
      ベルガモットさん、おはよう御座います。
      福岡の板付遺跡です。こじんまりとした資料館とこじんまりとした復元遺跡があって、「ここが弥生時代、日本...
      ベルガモットさん、おはよう御座います。
      福岡の板付遺跡です。こじんまりとした資料館とこじんまりとした復元遺跡があって、「ここが弥生時代、日本列島の夜明けぞよ」という感じです。熊本ではなく、福岡にもそんな立派な装飾古墳があることを初めて知りました(←時代が変わると途端に詳しくなくなる)。福岡県は、古代遺跡が実に豊富に保存されていて尊敬します。岡山県に爪の垢を煎じて飲ませたい。
      2023/08/02
    • ☆ベルガモット☆さん
      kuma0504さん、コメントありがとうございます!
      なるほど、「ここが弥生時代、日本列島の夜明けぞよ」を感じに行ってこようと思います♪熊...
      kuma0504さん、コメントありがとうございます!
      なるほど、「ここが弥生時代、日本列島の夜明けぞよ」を感じに行ってこようと思います♪熊本にもありましたっけ?と思って探してみたら山鹿の県立装飾古墳館ですか。熊本在住の時は全く興味なかったので、今度こちらも訪問したいと思います。
      コロナ禍で外出先として史料館で過ごすことが多くなり、各市町村にだいたいあるのは土地柄だったんですね。勉強になります。いつもありがとうございます!
      2023/08/02
  • <目次>
    プロローグ  弥生前史~弥生開始前夜の東アジアと縄文晩期社会…コメの出現
    第1章  弥生早期前半(前10世紀後半~蝉世紀中ごろ)…水田耕作の始まり
    第2章  弥生早期後半~前期後半(前9世紀後半~前5世紀)…農耕社会の成立と水田稲作の拡散
    第3章  弥生前期末~中期前半(前4世紀~前3世紀)…金属器の登場
    第4章  弥生中期後半~中期末(前2世紀~前1世紀)…文明との接触とくにの成立
    第5章  弥生後期(1世紀~3世紀)…古墳時代への道

    <内容>
    「弥生時代は紀元前10世紀にはじまった」と炭素14年代測定で発表した、国立歴史民俗博物館の教授による、弥生時代の通史。プロローグにあるように、その理由は炭素14年代測定法の精度が上がった、とのが最大の理由であり、較正年代の測定も精度が上がった、からだ。そして、それを基に新しい知見を交えて、弥生時代の歴史が語られていく。そこでまず最初に語られるのは、細長い日本列島、いわゆる”弥生時代”は相当の年代差で進行していったことである。前10世紀に九州北部で始まった稲作が、関東に及ぶのは前3世紀。東北北部、北海道、沖縄は結局は弥生時代にはならない。また関東北部以北は、稲作はするが、全体的には弥生文化にはならない。ほかに面白い知見が続くが、それは読んでもらいたい。
    また、この本では謎は謎のままで残される。特に金属器の普及と古墳の始まりの関係。これは潔い。

  • 習ったものとは結構違ってきているんだなあ。弥生は結局関東より西だけ、稲作は一旦東北まで上がるがそれと弥生はリンクしきらない、クニの成立は環壕集落、威信財の時代から実用財の時代へ、などなど。そうか、東北と沖縄諸島には弥生がないんだ。

  • FS3a

  • 時間があり気が向いたら読んでみる。未読なので役に立つのかどうか不明。

  • 弥生時代に出土された土器、青銅器、鏡を基にその時代の様子を考えていくところはとても面白く感じられた。歴史の醍醐味だと思う。水田耕作、農耕社会、鉄器、吉野ケ里遺跡、原の辻遺跡、糸島、くに、祭祇的、政治的、板付遺跡、登呂遺跡、縄文時代も弥生時代も出土するものが少ないからそこから想像していくところがとても面白いと思う。

  • 本を読む楽しみには、知らなかった事を知る、分からなかった事が分かるという事がある。この本を読んで、知らなかった事が、分かった、とはならない。分かってたつもりの事が、分かってなかった、となる。分からないことが分かるのは貴重だ。しかし、欲求不満にはなる。
    炭素14年代測定の成果に依拠した、弥生時代史。考古学が科学であるために必要なことは、まず証拠をもって事実(らしい)ことを記述することであり、本書の姿勢はそのもの。
    記述は慎重。大胆な仮説の一つぐらいサービスしてくれてもいいのに。
    稲作が(経済的な豊かさを求める)目的ではなく、ある社会形態を維持するための手段であるとの主張は、面白い。
    また、近畿は鉄器生産では九州、山陰に比べて遅れていたというのも、自分にとって新しい知見。
    歴史を見るとき、後になるほど進歩するという単純な史観は成り立たないと、分かっているのに、どうしても、暗黙の裡にそういう見方をしてしまっているときがある。
    本書は、それを思い出させてくれる。

  • 学生の時にさらっと学んだ程度の弥生時代について理解を深めることができる書籍。

    我々が学んだ時とは違い、最新の研究では紀元前10世紀頃から弥生時代が始まっていたことに驚いた。技術の進歩によって歴史も変化し、常識も変わっていくということか。

    北九州、瀬戸内、近畿、関東、東北等地域ごとの考察も興味深く、北海道、琉球の当時についても言及している。ただ後半は少しだれてきてしまった。関心が薄い人にはあまりおすすめできないかも。

  • 古代史にはロマンがある。
    我々の過去でありながら余りにもわかっていることは少なく、しかも最近の研究でどんどん新しい発見があるなど実に痛快だ。
    紀元前の1世紀から10世紀というと地球の裏側ではアテネとスパルタの時代かなどと考えながら読んでいると実に興味深い。
    文字記録はなくとも、科学的研究により弥生時代の解明がもっとすすむかと思うとワクワクする思いを持つものである。このジャンルも読書の楽しみとして欠かせない。

    2017年5月読了。

  • 炭素14年代測定の精度が向上し、結果、弥生時代の始まりが500年早まるということになったとのこと。
    しかしながら、従来の弥生情報の中で学説を唱えてこられた方々にはなかなか受け入れられない現実もあるとのこと。
    筆者は、500年早まったということを受け入れ、縄文から、弥生、古墳時代へ変遷していく日本の古代史をじっくりと事実を積み上げ、また、異説もきちんと紹介しながら、現時点の結論を導いている。
    従来から日本列島に住んでいた、「在来民」、在来民が水田稲作とも接するという「園耕民」という概念など、縄文文化と弥生文化の交流を日本列島に住まい当時の人々の社会のあり方が感じられ、とっても面白く読めました。
    これで、ますます縄文・弥生に興味が深まるでしょう(笑)。

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著者プロフィール

藤尾慎一郎

1959年、福岡市生まれ。広島大学文学部史学科卒業。九州大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。博士(文学)。現在、国立歴史民俗博物館教授。専門は日本考古学。▼単著に、『縄文論争』(講談社選書メチエ)、『弥生変革期の考古学』(同成社)、『〈新〉弥生時代 五〇〇年早かった水田稲作』『弥生文化像の新構築』(ともに吉川弘文館)、『弥生時代の歴史』(講談社現代新書)などがある。

「2021年 『日本の先史時代』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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