生命のからくり (講談社現代新書)

著者 :
  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062882682

作品紹介・あらすじ

現在の地球に存在する多様な生き物たちは、単純な化合物から進化してきたと考えられている。「生命」が単なる物質から決別し、その脈打つ「鼓動」を得たのは、どんな出来事が転換点となったのだろうか?  本書では、最近の生命科学の進展から得られた数々の知見を通じて、生命の根源的な性質を「自己情報の保存とその変革」という二つの要素と捉える。これらが悠久の時を経て織りなす「生命」という現象の「からくり」に迫る。

感想・レビュー・書評

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  • 私は生粋の文系人間で、理数系の書籍はことごとく避けてきたが、生命の起源とか原理に興味が湧いたので覚悟を決めて本書を手に取ってみた。

    本書の趣旨はシンプルで、生命の設計図に当たるDNAは自己情報の保存と変革の相反する性質を内包しており、それゆえ弁証法的に生物が今日の姿まで発展してきたというものである。後半では人間の文明の発展も同様で、過去の偉人の知見を元に各時代の天才達が新しい1ページを書き足して来た歴史に触れている。

    生命の起源については軽く触れられているのみだが、最新の有力な説としては、海底の熱水噴出孔から始まったのでは無いかということだ。なお、核戦争が起きて地上の生物が全滅しても、まだ海底には古細菌が脈々と生きているのでいずれ再生するだろうという、謎にポジティブな主張が面白かった笑

    科学的な事例のみではなく、哲学や歴史など文系的な事象と絡めながら説明されているので、文系人間にも分かりやすいだけではなく、科学のロマンみたいなものまで感じられた。読みごたえのある文章展開がしっくりきたので、別の著書も読みたくなった。

  • 順序が逆だが、最近の著書『ウイルスは生きている』が心に残ったので、著者が一般人を対象にした最初の著作である本書を読んだ。
    『ウイルスは・・』では、ウイルスと細菌の差は、一般的に理解されているより曖昧なのだと感じたが、本書では生物と非生物も、線を引きたくても定義自体が曖昧で、同じくグラデーションのようなものだと感じた。
    本書も巧みな例えや文章の上手さが光る。読んだばかりだが次作が待ち遠しい。

  • 『ウイルスは生きている』からの流れでもう1冊読んでみました。科学史や最新学説の解説ではなくしばしばやや哲学的に「生命とは何なのか」「生命に特徴的なこととは何か」を考えることが本書のテーマです。

    読んでいて印象に残ったのは2点。まず1点目は「化学進化説」を前提とし、無機物と有機物、ウイルスと細胞を持つ生物、「独立」して生きる生物とそうでないものとの間に、本質的な線引きなど不可能であること、また「進化」というのが能動的な過程などではなく「淘汰」と「偶然」の積み重ねによる結果論でしかないことを強調する筆者にとっても、生命の「進化」の過程の記述は目的論的なものとならざるをえないことです。「生命」を論じるときに独特のこのバイアス──「生命」について論じるコンテキストでありさえすれば仮にそれがDNAやRNAといった分子のスケールの実体であっても「戦術」や「戦略」を練る主体となりうるというこのバイアス──は、どうも私たちの思考、私たちの意識というもののある限界を示しているような気がしてきます。

    もう2点目は第5章で展開されている「生物」と「非生物」の再定義の試みです。このなかで筆者は生物の特徴をその双方向の作用力(相補性)にあるとしています。非生物(例えば鉱物)も結晶化や触媒作用などで他の物質に影響を与えその構造を変化させたりすることはできる。けれども生物(その最小単位は著者の考えではヌクレオチド)ではその作用が双方向である、と。

    すなわちヌクレオチド(DNA・RNAなど)はその化学的構造ゆえに自身の複製を生じさせ、そこからアミノ酸を、さらに自身の複製過程に影響するタンパク質をも生ぜしめる。タンパク質はその他の分子とともに細胞の構造材ともなる。細胞生物は互いに飲み込み飲み込まれて、あるいはオルガネラになりはて、あるいは寄生生物に踏みとどまり、何にせよより構造化された状態をとるようになる。細胞と細胞は互いにくっつき合い、分化しあって多細胞生物を生み出す。さらにそれら生物同士は生態系を構成して互いの「淘汰」や「偶然」に作用し合う。そして人間に顕著なように、生物は自身の外側に、個体と個体のその「あいだ」にあるる生物・非生物に作用して何がしかのもの──単なる道具のような具象的なものから文化や制度そして科学(!)のような抽象的なものまで──を生じさせ、それがまた自身のあり方に影響を与える・・・。

    ようするに「構造化する構造」、構造化する主体であると同時の客体でもある構造、自己の状態をもとに自己をも含む外部の状態に影響を及ぼし、そこからまた影響を受けるという、再帰的・反射的なはたらきをするオートマトンのイメージです。このイメージの中ではもはやどこまでが「独立」した個体だとか、どこまでが「生物」だとか、そういった議論は意味をなさない。ただ全体としての構造化の運動があるだけです。

    まあちょっと概念遊び的な感じもしますが、ヌクレオチドという生化学的な実体からはじめて社会・文化という人文科学的な実体にまでつながるのはちょっと気持ちいいものです。

  • 摂南大学図書館OPACへ⇒
    https://opac2.lib.setsunan.ac.jp/webopac/BB99671982

  • 忠生図書館2017.9.7 期限9/21 読了9/7 返却9/8

  • それなりに高度な内容だが文章が読みやすい。DNAやウィルスといった、なんとなくわかったつもりになっているけど、じつはよくわかっていないものを説明してくれる名著。

  • ・まえがき
    秋になると小さなぶどうのような可愛い実をつける“葛藤”という植物がある。手籠等の工芸細工の材料ともなる蔓性植物で、他の樹木や草花に蔓を絡ませる姿が山野の林縁(りんえん)などで時折みられる。そのツヅラフジ等の蔓が、他の植物と互いにもたれ合い、競い合い、絡み合う様が、「葛藤」という言葉の語源となっている。
    生命は、根源的な「葛藤」を持っている。それは、生命には相矛盾する二つの性質、「自分と同じものを作る」ことと「自分と違う物を作る」ことが必須であることに起因している。
    自分と同じ子孫を作ること、すなわち自己複製は、種の存続を支える大切な性質であり、どんな生き物も自分とよく似た子供を作る。しかし、一方、猿から進化して人類が出現したり、環境の変化に対応した変種が現れるような「自分とは違った存在」を作り出していくのも、また生命に欠かせない特徴である。
    この二つの性質は、表面的には正反対のベクトルを持っており、生命の歴史は、言うなれば、この自己肯定と自己否定の「葛藤」の中で生まれてきたようにも思える。

    ・ブフネラ(アブラムシと共生する菌)の全ゲノム配列情報が、東大と理化学研究所のグループによって解析され、2000年の『ネイチャー』誌に掲載された。その結果は、驚くべきものだった。第一に、ブフネラのゲノムは64万塩基対で、近縁である大腸菌のゲノム(464万塩基対)の約7分の1になっていた。大腸菌には約4000個の遺伝子が存在しているが、ブフネラの祖先もそれと同等の遺伝子をかつては持っていたと推定される。しかし、ブフネラではそれが600個程度にまで減少しており、2億年の強制生活の中で、常識を超えた大規模な遺伝子脱落が起こっていることが明らかとなったのだ。脱落した遺伝子の中には、細胞壁合成遺伝子、DNA修復遺伝子、細胞膜の合成に必須なリン脂質合成酵素、外界の情報を細胞内に伝えるための二成分シグナル伝達システムなど、およす通常の細菌が一般の環境下で生きていくためには必須の遺伝子群が多く含まれていた。このような遺伝子の多くを宿主遺伝子に頼り、自らは失ったブフネラは、当然、宿主細胞の外で独立して生きていけるはずもない。
    一方、このような大規模な遺伝子脱落にもかかわらずブフネラに残されていた遺伝子群もまた興味深いものだった。ブフネラゲノムには大腸菌の持つアミノ酸合成遺伝子数と比較すると、その約半分が残っていることが明らかとなったが、その遺伝子を調べると残っていたのは、宿主であるアブラムシが合成できないアミノ酸を作る遺伝子ばかりだった。

    ・「独立」して生きる最小ゲノムを持つバクテリアと言えば、これまで数々の核心的なアイディアの提唱や科学上の騒動を引き起こしてきたことで有名なクレイグ・ベンターが作成しているMycoplasma laboratoriumがある。
    これはプロジェクト発足当時、最小ゲノムを持つ生物として知られていたヒトの病原菌である「マイコプラズマ・下にタリウム」のゲノム58万基対、遺伝子482個を、さらにどこまで短く削り込めるかという壮大な実験であり、その結果382個の遺伝子が人工培地で成育させるのに必須であることが判明した。
    この培地上で独立して生きていける理論上の最小ゲノムを化学合成して人工染色体を作り、本来のバクテリアのゲノムと入れ替えるという計画でできあがるのが、M.laboratoriumである。これが現在のところ、「独立」して増殖する生物ゲノムとして想定されている最小のものである。

    ・DNA上の変異というのは、原理的にはたったの2種類しかない。一つは、長さの変化であり、もう一つは塩基の種類の変化である。これだけで、この地球上に棲む多種多様で複雑な生き物たちをすべて作り出してきたのだ。それは脅威と言って良いほど、シンプルで優れた仕組みである。

    ・現在、知られている最大のゲノムを持つ生物は、ユリ科の高山植物であるキヌガサソウとされており、ゲノムを構成する塩基数(ブロックの数)が1.5×10(11乗)個程度と推定されている。一方、生物かどうかは議論があるが、最小のゲノムを持つ病原体としては、植物に病気を起こすウイロイドがあり、このゲノムはRNAの塩基数がわずか250個程度である。最大のキヌガサソウと比べるとなんと5億倍以上の差がある。「独立」して生きていける細胞生成物の最小ゲノムはP.ubiqueのものであるが、塩基数が1.3×10(6乗)個であえり、これとキヌガサソウを比較しても、10万倍以上の「長さ」の差がある。

    ・現在の哺乳動物を例にとると、ある塩基が1年間に変移する確率は2.2×10(-9乗)程度、約4.5億分の1と試算されている。ヒトに話しを絞れば、近年、次世代シークエンサーを用いた大規模な変異解析により、より正確な試算が行われ、ある塩基が一世代の間に変異する確率は1.1×10(-8乗)程度と推定された。これに準ずれば、自分たちの親からもらったDNAを基準として60塩基ほどが変異したDNAを子供に渡している計算になる。
    この変異のスピードを速いと感じるか、遅いと感じるかは人それぞれだろうが、生物が誕生してから30億~40億年になるという時間の長さを考えると、この真核生物における年あたりや世代あたりの塩基変異率はかなりの大きさである。

    ・カオスの縁では、秩序と偶発性が適度に混じった状態で存在し、小さな創生と破壊が繰り返されることにより、予想もしないようなさまざまな多様性(複雑性)が生まれる。そこでは部分の性質の単純な挿話からは予想が難しい性質が現れることがあり、そういった事象に「創発」という言葉が当てられている。
    この創発は、生物の世界に広く見られる現象である。たとえば脳細胞の一つひとつの動きや刺激の伝達は、比較的単純なものと現在考えられているが、140億個と言われる脳細胞の全体のネットワークを通じて、人の高度な精神活動が生まれてくる。これは個々の脳細胞間の相互作用、たとえばドーパミンやセロトニンなどによる単純な刺激の伝達機構のようなものからは、簡単に予測できないものである。あるいは、昔から「三人寄れば文殊の知恵」という言葉があるが、これも創発の一種と言えるのかもしれない。

    ・少しゲームやギャンブルに詳しい人なら「マーチンゲール法」という賭け方を聞いたことがあるだろう。このベット法は、負けたら掛け金を倍にして賭けを続け、買ったら掛け金を最初の額に戻す、という単純なルールであり、ルーレットの赤黒など、勝ち負けの確率が2分の1のゲームで威力を発揮すると言われている。たとえば、最初に赤に100円賭けて負けたとすると、次は赤に200円賭ける。勝てば200円入ってくるので、先に負けた100円を差し引いても100円の勝ちになる。200円賭けて負けた場合は、次は400円賭ける。先に負けている額は100円と200円を足した300円となるので、勝てば100円の勝ちになる。この掛け金を倍にするという行為を勝つまで繰り返す。
    あたかも必勝法に想えるようなこのベット法ではあるが、そこには大きな落とし穴がある。それは、この方法が実はハイリスク・ローリターンであることだ。この方法では、最終的には勝つことになっても、その結果、えられるのは最初の賭け金である100円だけである。もし、10回連続で敗け続けるとその際の賭け金は10万円を超えることになる。20回連続だとおおよそ1億円である。負ければ1億円を失い、勝っても100円である。しかも、勝つ確率は実は毎回2分の1なのだ。現実にはどんな人の資産も有限であり、この方法では小さく勝って、いつか大きく負けて破産するというパターンになりがちである。また、現実問題として1億円の資金を動かせる人がギャンブルで100円勝ったとしてもほとんど意味は無い。
    そこで考えられたのが、逆マーチンゲール(パーレイ)法という方法である。
    これは負けた場合は、最小単位の賭けを繰り返し、勝ったら掛け金を2倍にしていくという方法である。もし、最初に100円を賭けて勝ったとすると、次は掛け金を200円とする。200円のうちの100円は、勝ったお金であるから、勝ち続ける限り、幾何級数的にどんどん賭けが大きくなっていくが、たとえ負けても失うのは、最初の100円だけである。その意味で、ローリスク・ハイリターンが望める方法として考案されたものだ。しかし、この方法では、一度でも負けるとそこで100円の負けに逆戻りということになり、ある意味、安全なベット法ではあるが、おおむね小さく負けるという結果になってしまいがちである。
    …これを言うと実も蓋もないが、実はこれらの戦略はどうリスクを管理するかという点が違うだけで、どれを使ったとしても、フェアな賭け事である限り、得られる儲けの期待値は実は0である。また、完全に原本を保証したベット法も存在しない。

    ・DNAが情報を継続して保持していくためには、複製が必須である。DNAの複製は、これまでに述べてきたように塩基の凹凸による相補性を利用して行われる。この際、二本鎖のDNAがほどけて2本の一本鎖となり、それらが鋳型になることで新生鎖を1本ずつ合成していき、最終的に2本の二本鎖DNAになっていく。
    こう書くと単純な話に聞こえるが、実はこの多くの生物に普遍的なDNAの複製というプロセスは、少し不思議な機構によって行われている。その不思議さを最初におおざっぱに説明すると、新生鎖は両端の親DNAを鋳型に計2本合成されているが、生物は、この2本の新しいDNAの合成になぜか違った様式を採用しているのである。
    (チャックで考えると分かりやすい。チャックを下すと両端が分かれる。このチャックの役割をヘリカーゼという酵素が担う。そして左右に別れた両端に鋳型のコピーがされ、二本の二本鎖になる)
    …一方、新しいDNAの合成はどうなっているかというと、当然、ヘリカーゼの進む方向に合わせて進んでいくことになるのだが、その様式が右側の子鎖と左側の子鎖で異なるのだ。右側の子鎖は、DNAの二本鎖がほどけると同時に剛性が連続的に進んでいくが、左側の子鎖では合成がヘリカーゼの進行方向と逆向きに行われ、不連続な短いDNA断片を次々と合成しては、それをつなげていくという形でDNA複製が起こる。
    …生物のDNA複製が、このような複雑な様式になってしまうのには理由がある。端的に言えば、DNAの複製を担う酵素の特性上、シンプルに両端で連続的に複製することが困難なのだ。
    …不均衡進化論の提唱者である古澤は、この非対称性こそが、進化の原動力であるとした。そのキーとなるアイディアは、連続鎖と不連続鎖における合成様式の差が、遺伝子の突然変異率に差を生むということだ。連続してスムーズに合成が進む連続鎖と比べて、合成の過程が複雑な不連続鎖はステップが多く、ミスが生じる確率、つまり突然変異率が高いことが想定される。プラスミドにおける解析ではあるが、実際に古澤らは不連続鎖のほうが10~100倍程度、変異率が高いことを実験的に示している。もし、染色体における変異率もこれと同じとすれば、新たに合成された2本の子孫DNA鎖は、変異の多いものと変異の少ないものの2種類が出てくることになる。

    ・かつて『生命の起源』を著したフリーマン・ダイソンは、インタビューに答えて生命の化学進化について興味深いことを述べている。それは物質から生命が生まれてくる過程には、宇宙の持つ二つの側面、「荒々しさ」と「静けさ」が必要だったということだ。生命の原材料やエネルギーを手に入れるためには、爆発や隕石の衝突などの荒々しい出来事が必要だが、生命が自己組織化するためには、「静けさ」の状態が長く続く必要があり、この両方が交互に訪れることが生命を形成する上で大切だったと述べている。この生命の誕生を可能とした宇宙の二つの状態も、また陰陽的であり、あたかもフラクタルのように、そのリズム、その調べが今も自然界の至るところに、また生命の中にも内包されいてるというのは、比喩としてもちょっと感傷的すぎるだろうか?
    我々の存在の源となる二本の鎖。そのDNAモデルはシンプルで美しい。その中に宇宙開闢以来のリズムが流れている。もはや「科学」とは呼べないのだろうが、そんな話を夢想するのも、まんざら悪い気分はしないものである。

  • 一定の専門性を確保しつつ、明確なモチーフ(有用情報の漸進的蓄積。保存と変化)を下敷きに、一書がものされている。とりわけ最後のDNAから文明論にいたる考察は深い。

    生命の起源に関する記述はよくあるもので、かつ少なめ。

    ・単純な競争で考えると無性生殖のほうが有利である場合が圧倒的に多い。
    ・有性生殖による全ゲノムのシャッフリングは、組み合わせによる多様性の創出であり、それ自体には遺伝子の突然変異を必要としないため、例外的なものを除けば、致死性は生じない。
    ・より広く考えれば、「生命」という現象にとっては、個体とは何か、個体の独立とは何か、あるいは種とは何か、もっと言えば種が絶滅したのか存続しているのかといったことさえ、おそらく「どうでも良いこと」であり、「その現象の継続」、すなわち「情報の保存」と「情報の変革」を繰り返し、新たな有用情報を蓄積していく現象、それがいかなる環境下においても継続していくことが唯一大切なのではないだろうか。
    ・生命とは核酸という物質的装置により、「幸運を蓄積する」情報のサイクルを展開することが可能になった存在と言えるのではないだろうか。
    ・この世の形あるものたちが、必ずしも何らかの「設計図」により作られているのではなく、分子の形、そのものが設計図であり、一定の環境さえ与えられれば、特定の形に自然に組み上がるようなことが起こり得ることを示している。
    ・カール・セーガン:人間の持つ情報。1.DNAによる「遺伝情報」。2.脳細胞のネットワークからなる「脳情報」
    ・化学進化の中での核酸の出現:文字を基盤とした「外部メモリー」の発達

  • 「生命」の持つ根源的なシステムについて、分子生物学の最先端の知見を踏まえて考察している。
    著者はまず、生命と非生命の境界について、細胞内小器官(葉緑体、ミトコンドリア等)、細胞内共生細菌、巨大ウイルス等を例に、細胞膜の有無、他の生物への依存関係の有無、ゲノムサイズ・遺伝子数等の観点から考察し、「そこになんらかの明確な区切りを引くことはきわめて困難である」が、これらの例の「「生き様」は、所謂、ある「一つの現象」が多様な環境に適応して姿を変えているだけに過ぎない」と述べる。
    そして、「一つの現象」の本質とは、「自分と同じものを作ること(=情報の保存)」と「自分と違うものを作ること(=情報の変革)」という相矛盾した二つであり、生物は、どちらか一方に偏ってしまっては「生命」が成り立たない、その究極の矛盾のバランスを保つために、以下のようなシステムを生み出し、保ち続けているのだという。
    ◆2本あるDNAの複製プロセスは異なった方式を採用しており、一方は変異が起こりにくい方式で、もう一方は変異が起こりやすい方式である。(不均衡進化)
    ◆高等生物は、理屈上は1セットで足りるゲノムを、2セット持っている。
    ◆無性生殖より様々なコストがかかるにも係らず、高等生物は有性生殖行っている。
    そして、こうしたシステムによって「情報の保存」と「情報の変革」が、途方もない時間、延々と繰り返され、無数の偶然から幸運を選んではその情報が蓄積されて、現在の生物が存在しており、それこそが「ダーウィン進化」と呼ばれるものであり、「生命のからくり」なのだという。
    著者は「生命」について、「「生命」という現象にとっては、個体とは何か、個体の独立とは何か、あるいは種とは何か、もっと言えば種が絶滅したのか存続しているのかといったことさえ、おそらく、「どうでも良いこと」であり、「その現象の継続」・・・いかなる環境下においても継続していくことが唯一大切なのではないだろうか。個体や種というものは、その継続を強固にするために「生命」が環境に応じて編み出したバリエーションに過ぎない。それらを通じて継続する現象こそが、「生命」の本質であり、その過程で生じた個々の形態、生態によって「生命」を定義しようとする試みは、実は形にとらわれ、実態から離れた霞か雲を掴むような話なのかもしれない。」とも語っている。
    「生」とは何か、生命科学の視点からヒントを与えてくれる。
    (2015年1月了)

  • ありきたりな表現で恐縮ですが、非常に興味深いものでした。生命は美しい、今、起きている様々な苦難も、驚くべきことも、ノイズのように見えることも、すべては生命の大きなリズムと流れの中にある。そういうことを思い浮かべました。
    核酸に内包された情報の保存と情報の変革のサイクルが機能し始めた時、「情報の蓄積システム」が地球上に現れ、それが「生命という現象」であり、最初の情報革命であった、そして、地球上の生物のうち、人類が文字情報を獲得し、保存と変革のサイクルを手中にしたとき、第2の情報革命が起きたとする本書は、人類の文明の歴史の中に、生命、DNAが刻むリズムに由来する何かを見てとります。本書が解き明かしていくDNAの二重らせん、陰と陽のリズム、「逸脱」「非調和」の織りなす生命のありようは、この宇宙の本質に想いを馳せさせてくれます。いい本でした。

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著者プロフィール

中屋敷均(なかやしき・ひとし):1964(昭和39年)年、福岡県生まれ。1987年京都大学農学部卒業。博士(農学)。現在、神戸大学大学院農学研究科教授(細胞機能構造学)。専門分野は、植物や糸状菌を材料にした染色体外因子(ウイルスやトランスポゾン)の研究。著書に『生命のからくり』(講談社現代新書)、『ウイルスは生きている』(同/2016年講談社科学出版賞受賞)がある。

「2024年 『わからない世界と向き合うために』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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