反教育論 猿の思考から超猿の思考へ (講談社現代新書)

著者 :
  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062881951

作品紹介・あらすじ

「よい子」ほどダメになる。「好き嫌いは言わない」「秘密は持たない」「基礎は大切」「わがままはだめ」…こんな「常識」にとらわれていませんか。

感想・レビュー・書評

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  • 全体的に他人を馬鹿にしている文体が鼻につくし、主張も近視眼的でガバガバな所も多く非常に気に食わない。だが書いてあることはそこそこ程度には面白い。人間社会における教育の問題点は、膨大な「それらしく振る舞うためのマニュアル」を教える点にあると言う。この「流動性能力」を鍛えるだけでは人間の本来持つ「考える」能力(=疑問を持つ能力と即興性、好奇心)を失ってしまうと言う。

    フロムによる分析。
    「服従によって、私は自分が崇拝する権力の一部になることができるのであって、そのために自分も強くなったと思うのである。権力が代わりに決定してくれるから、私があやまちを犯すはずはない」
    これは非常に面白い。考えることをやめて服従すれば過ちを犯さなくなる。自分は権力を煙たいものと感じているが、それでも権力に従うことはメリットをもたらすのである。権力は模範解答を用意し、その権力に歯向かう者には権力にへつらう奴らが厚顔無恥にも批判をしてくるのである。権力が倒れると自身が生きていけなくなると考えれば免疫反応みたいなものか? そういえば『石の花』も似たようなテーマだった。


    『「自由」とは内的な秩序もしくはルールの存在を認識しこれに従う在り方のことであり、外的なルールに従った窮屈な在り方でもないし「勝手気まま」なものでもない、と言っているのだ』
    ここはすごくピンときた。「自由を履き違えている」とかいう母校御用達のクソな自由の蹂躙はここなんだよな。各人が考える自由とは各人ごとのものであり、それを頭から押さえつけるのは良くない。自由がぶつかり合った時その都度その都度利害関係者で話し合うべきなんだよな。これをわかっていない奴らが先公にも同級生にも多すぎた。

    オオカミを褒める→わかる部分もある。しかしオオカミはサルと違って下剋上はないとか言うが、それはまさしく構成員は考えていない服従する「サル」なのでは? てか、前半の『オオカミと人間』の話は、オオカミは実は社会的生物で人間や猿のような邪悪さはないよって主張している意味でわかる。後半のエレーヌの話って何ぞや? たまたま「社会不適合」(不適切な言葉をあえて使っている。本の意味で言うならば「サルではない、誰にも服従せず自分で考えられる人間」となるだろう)な人間がオオカミを好いたというだけでしょう。別に散歩の時にオオカミと会わずにハムスターと会っても大腸菌と会ってもおんなじ反応だったかもしれなくない?しかもそのオオカミも近所の変人に飼われていたものだし。それこそ哲学ですが飼われているオオカミは犬なのでは?

    露骨なサルディスり→は? 作者は下剋上を嫌っているが、無能な上を除くのは組織の健全性を保つ上ではあり得るのでは?

    あと、幸福とか感情を数値化することの何が問題なのかを詳しく言ってない。いや、多分理性が全てを支配することに疑問を持っているのだろうけど個人が自分で考えてそれらに数値化するならいいでしょう。シカゴ学派見てみろよ。

    いやー、、仮に才能に溢れる人間であればいいですよ。いつの世も才能にはタレントが支払われるからそれで生きていけるでしょう。エレーヌさんだってピアノの天才らしいし。でも、才能がない人間は? 少なくとも彼らには自己実現や満ち足りた人生よりも日銭の問題が大きいでしょう。たとえ搾取と裏切りの社会であろうともそこに入れば生きていける可能性があるなら凡人にはそこに行くのが一番でしょう。全体的に持つものの論理で気に食わない。

    教育の本質が洗脳→わかる
    教育で画一なプログラムが個人の自発性を失わせる→わかる

    『「道徳」教育の推進指定校だったからこそ深刻な「いじめ」問題が発生した、という逆説的な真実に、われわれはきちんと目を向けなければならない』ソースくれや。
    主張は確かにわかる。ムラ社会では個人を抑圧する。それゆえムラから突出した個人は抑圧されねばならない。道徳教育はムラから突出しないことを是とし、目的とする。それゆえ道徳教育が活発なほどいじめは起こる。
    しかしそれなら他国の道徳教育といじめの関連性を比較に出すべきである。オーストラリアとか出る杭は打たれることで有名でしょ? 社会学的な研究テーマとしては非常に面白いがそれを偏見で解答しようとしているから失笑もの。まあ社会学的にデータを集めるのが面倒だったのだろうが。

  • 相変わらず密度が濃く、読みごたえがあった

  • 最後の章の結論は深く同意する。全体を通して、著者の教養の深さを感じるとともに、引用されている本を読みたくなった。

  • めっちゃいい

  • なかなか反抗的だなぁ。

  • 「守 破 離」、「正 反 合」、「駱駝 獅子 小児」

  • 教育について考えてさせられた。頭、身体(=心)を意識して生活したいと思った。

  • 評価を見て規定していただけに、
    期待ほどの目新しさはなく、
    私が以前知り得たことの復習だったり、
    改めて自分の意識・意思の確認をしているみたいだった。
    とはいえ、結構極論~!っておもうこともあったりして、
    面白くはあった。

    「師から必要なところだけを盗んで、不要なところには染まらないように」「懐疑的精神で」選ぶというようなことが書いてあって、(あ、自分の中にもちゃんと育ってたんだな、その芽が)って思ったり。

    そしてそれこそこの本からだって、
    取捨選択する気持ちが大事なんじゃないかなと思った。

    星は3をつけたけど、面白くなかったという意味ではなく、
    一度読めば十分かな、と思ったので。

    あと、モンテッソーリ教育に通ずるものがあるな、
    ともおもったり。
    彼女も精神科のお医者さんだったな、そういえば。

  • いじめの仕組み、マザコンは今やデフォルトなど、今時の子供が晒されている過酷な環境の深層が良く分かる。自分が良い親だと確信している人には是非目を通して欲しい。多分つまらないことが書かれている本だと一蹴することだろう。それ自体が、子供にとって良い親でないことを示していることに気がつかずに。

  • 「普通がいいという病」の後に読んだ本。教育が作り出す思考停止人間の増産、隠し事が一切ない親子の気持ち悪さ。改めて言われてみると納得の内容。正しい子育ての危険性、良い子とはなんだろうか。考えるきっかけになった。再読後→自身の経験と合わせて読むと、悩み、考えることをやめるというのがどんなに恐ろしいことか、人は簡単に狂うのだということを実感した。何度でも読みたい。

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著者プロフィール

泉谷 閑示(いずみや・かんじ)
精神科医、思想家、作曲家、演出家。
1962年秋田県生まれ。東北大学医学部卒業。パリ・エコールノルマル音楽院留学。同時にパリ日本人学校教育相談員を務めた。現在、精神療法を専門とする泉谷クリニック(東京/広尾)院長。
大学・企業・学会・地方自治体・カルチャーセンター等での講義、講演のほか、国内外のTV・ラジオやインターネットメディアにも多数出演。また、舞台演出や作曲家としての活動も行ない、CD「忘れられし歌 Ariettes Oubliées」(KING RECORDS)、横手市民歌等の作品がある。
著著としては、『「普通」がいいという病』『反教育論 ~猿の思考から超猿の思考へ』(講談社現代新書)、『あなたの人生が変わる対話術』(講談社+α文庫)、『仕事なんか生きがいにするな ~生きる意味を再び考える』『「うつ」の効用 ~生まれ直しの哲学』(幻冬舎新書)、『「私」を生きるための言葉 ~日本語と個人主義』(研究社)、『「心=身体」の声を聴く』(青灯社)、『思考力を磨くための音楽学』(yamaha music media)などがある。

「2022年 『なぜ生きる意味が感じられないのか』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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