- Amazon.co.jp ・本 (248ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062880497
作品紹介・あらすじ
人間精神の歴史をたどり、精神医学を根底から問い直す"正常"と"異常"の境界はどこか。
感想・レビュー・書評
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序章 異常とは何か?
第1章 異常と正常の倒置
第2章 異常と臨床
第3章 正常の過剰態としての異常
第4章 正常と異常のトポロジー
第5章 社会における異常と正常
終章 正常とは何か?
著者:小俣和一郎(1950-、東京都、精神科医) -
「異常」の定義づけを試みた一冊。
同時に「正常」についても定義づけをしていき、同一の対象が、ある時は正常である時は異常となる現象を中心にして、果たしてある客体が異常な状態とはどういう「状況」なのか、から異常性について紐解く。
異常とは、正常ではない状態ではあるのだけど、そもそもその正常とは時代によって異なるのはなぜか? それはイデオロギーとの関係、正常を過剰に推し進めた状態での異常、メランコリー型の社会というネイションとの関係など、様々な角度から説明を試みる点が(姿勢が)とにかく素晴らしい。 -
正常と異常、これも状況によりけりで判断されるのかな。何を正常と位置付けるかで全てが変わるし、それを位置づける人がどうやって正常と異常を判断するのか。
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新書は難しい専門性の高い知見や話題を平明に広く還元することにその主眼があると思う。それを隠れ蓑に内容の薄い新書もあるがこれは違う。さにタイトル通りのことをいろいろと語っている。社会的な規範や慣習で決まってくる枠組みとその社会自体の移ろいにどういう分岐があったかそもそも今の認識はどうなのかといったようなことを丁寧に語っていると思う。情緒を排して冷静に問題点をえぐっている。文章は平明だが内容が重く、とても有意義な内容だった。
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異常も正常も、その時々の時代で人間が作った概念でしかない。本当はどちらも、ただそこにあるだけ。読むと、世界に対する視野が広くなる本。
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本書の中心的な論点は、「異常(略)の対概念である正常との関係構造に着目し、正常と異常とは内容的には倒置し得ることと、正常と思われる有り様も、それを過剰に、また極端にまで推し進めれば異常が立ち現われること」にある。そして著者は、異常について考察するに当たって「私がこれまでさして脈絡を気にすることなく携ってきた精神医学の歴史研究(精神医学史)、ナチズム研究、臨床上の治療研究という三者が、本書において計らずも合流している」ことに気付いたという(あとがき)。
著者の『精神医学とナチズム』(講談社現代新書、1997年)はかつて拝読して感銘を受けたし、もちろん今回読了した本書も示唆に富んでいる。しかし、通読して気になったのは、最終章「正常とは何か?」の内容の薄さであった。上述の通り著者は様々な視点から「異常」について考察し、「正常」と「異常」が社会的に規定される相対的概念であることを明らかにしている。しかし、紙幅の関係もあってか核となる社会哲学を展開していないために、結局両概念の社会的規定構造を剔刔できていない印象を受ける。
例えば昼田源四郎『疫病と狐憑き』(みすず書房、1985年)は、現象学的社会学の立場から「正常」の社会的成立機序のみならず「異常」概念の社会的機能にまで言及している。本書もここまで突っ込んで記述してくれていればもっと面白くなっただろうと惜しまれてならない。 -
異常と正常は時代によって異なる。また、対極のものではなく、メビウスの帯のように繋がっている。正常が行きすぎると異常となる。
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「異常」の意味について考察した。
異常という言葉が、正常の捉え方からくるものでしかないという事が本書のメインである。
特に、正常の過剰体としての異常を強調したかったようだ(その例がナチスドイツのユダヤ人迫害であり、糞真面目なアイヒマンである。本書ではやけに強調されている) -
精神病の歴史が面白かった。少し難しい。