知性の限界――不可測性・不確実性・不可知性 (講談社現代新書)

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  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062880480

作品紹介・あらすじ

哲学から経済学、宇宙論まで-知の限界と可能性をめぐる深くて楽しい論理ディベート。

感想・レビュー・書評

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  • 科学哲学の大家 高橋昌一郎氏の限界シリーズ

    前著 理性の限界の前振りから

    選択の限界 グー・チョキ・パーの三つ巴の状態では、二者選択の残りが勝者となることがある
    科学の限界 科学者が不可能を言ったものも、のちに撤回されて実現されている
    知識の限界 ゲーデルの不完全性定理、数学、論理学自体に矛盾を含んでいて、じつは不完全である。

    言葉は不完全なので、科学的なやり方に従って世界を実証しようがテーマ

    気になったこと

    ・ヴィトゲンシュタインは、過去の「哲学的問題」は「言語的問題」にすぎない
     言語そのものが不明瞭なものであるので、哲学、美学で取り上げられてきた問題は実は問題と呼べない

    ・ヴィトゲンシュタインの結論 語りえないことについては、沈黙しなければならない

    ・『論理哲学論考』には、語ることができないにもかかわらず、「語りえないこと」があると認めている。

    ・ウィーン学団は、ヴィトゲンシュタインのスローガンをさらに進めて、世界を論理によって分析し、科学によって実証して認識しようとする「科学的世界把握」の立場を掲げました。

    しかし、ゲーデルは、不完全性定理によって、論理学から全数学を導くことができないことを明らかにしてしまいます。

    このことによって、ウィーン学団は、科学的な手法を失ってしまいます。

    ふたたび、言語にもどってくるも、言語理解にも限界がある、相互理解という理想こそが幻想である

    観察は常に一定の理論を背負っているわけで、理論に基づかない観察は存在しないといっています。

    これを、観察の理論負荷性といい、演繹法をうしなった科学の帰納的アプローチである。

    ・帰納法のパラドックス:ニュートン力学は、人間がかかわる大半には、正確に予測することができている

    ・現実は、複雑系の中で成り立っていて,容易に予測はできない。

    ・なので、科学は論理的であるにもかわらず、現実を帰納的な方法でないとアプローチができず、演繹的でなければならない科学の検証方法に帰納法を使わなけれがならない矛盾が生じる。

    これを帰納法の正当化という。

    ・ファイヤアーベントの「方法への挑戦」が紹介されていて、単に科学理論ばかりではなく、あらゆる知識について、優劣を論じるような合理的基準は存在しないというものだ。

    ファイヤアーベントが言いたかったのは、何も科学を否定しているわけではなく、既成の方法論にこだわるなということいっている。科学と非科学、西洋文明と非西洋文明、合理主義と非合理主義は、それぞれどちらもおなじだけの権利で存在するということいっている。

    どうやら、結論は、限界があるので、科学と理性にばかりたよるな。と理解しました。

    目次

    序章 シンポジウム「知性の限界」開幕「理性の限界」懇親会場より

    第1章 言語の限界
    第2章 予測の限界
    第3章 思考の限界
    おわりに
    参考文献

    ISBN:9784062880480
    出版社:講談社
    判型:新書
    ページ数:279ページ
    定価:900円(本体)
    発行年月日:2010年04月20日 第一刷

    高橋昌一郎氏の著書

    ■ 20世紀論争史~現代思想の源泉~
    ■ ゲーデルの哲学 不完全性定理と神の存在論
    ■ ノイマン・ゲーデル・チューリング
    ■ フォン・ノイマンの哲学 人間のフリをした悪魔
    ■ 愛の論理学
    ■ 科学哲学のすすめ
    ■ 自己分析論
    ■ 実践・哲学ディベート
    ■ 小林秀雄の哲学
    ■ 哲学ディベート
    ■ 東大生の論理
    ■ 反オカルト論
    ■ 理性の限界 不可能性・不確定性・不完全性
    ■ 知性の限界 不可測性・不確実性・不可知性
    ■ 感性の限界 不合理性・不自由性・不条理性

  • 【感想】

    本書は、「とあるフォーラムに集まった多種多様な人々が、思い思いにポジショントークをする」という舞台設定の中で、古今東西の哲学的論考を柔らかく解き明かしていく。テーマはタイトルにある通り「不可測性・不確実性・不可知性」だ。
    タイトルだけを読むと難解な本という印象を受けるが、開いてみると真逆のコメディタッチ。小気味よくお話が進行していくため、その面白さから一気に読み終えてしまった。

    「哲学ディベート」は扱っているテーマの複雑さから、えてして議論が難解になりがちであるが、この本は全く違う。
    女子学生、会社員、哲学者、科学者から運動選手まで、様々なキャラクターたちが好き勝手に議論を脱線させ、ポジショントークを飛ばす。哲学ディベートというよりも厄介オタク達の推し語りだ。
    オタク達の「ところで、違う話だが…」という豆知識と、司会者の「そのお話は、また別の機会にお願いします」との掛け合いが、ストーリーに緩急を与えてくれる。深みにハマり始める哲学議論を、これ以上過熱しないようにリセットしてくれる。

    こうした、説明すべきところと簡略化すべきところのさじ加減が非常に上手いのが、本書の味の良さを生んでいる。自明の部分であっても説明を省かず、かといって解説しすぎでも無い。「哲学を知らなくてもなんとなくわかる」をキープするバランス感覚の良さ、これが哲学本とは思えないほどのテンポの良さに繋がっているのだろう。

    哲学って難しいという感覚をお持ちの方に、是非おすすめしたい一冊だ。


    【本書のまとめ】

    1 思考の限界
    ウィトゲンシュタインの論理実証主義:
    「過去の哲学的問題は言語から生じる問題にすぎない。道徳に関わる問題は、使用する言語(とその言葉の定義)が不明瞭なために生じる問題であって、いくら話し合っても無意味」
    「語りうることは明らかに語りうるのであって、語りえないことについては沈黙しなければならない」
    =明らかに語りうることは、日本の首都や数学の公式やら、真か偽かを「論理的」に決定できること、あるいは事実か否かを「経験的」に実証できる言語に限られ、それ以外の言語使用(例:神とはなにか?)は無意味である。

    これを拡張していけば、哲学は消え去り、自然科学だけが残る。

    これに対する反論:ゲーデルの不完全性定理
    第1不完全性原理
    「矛盾の無い理論体系の中に、肯定も否定もできない証明不可能な命題が必ず存在する」
    第2不完全性原理
    「理論体系に矛盾が無いとしても、その理論体系は自分自身に矛盾が無いことをその理論体系の中で証明できない」

    つまり、この世界にそもそも「矛盾の無い論理体系」というものは存在しないということ。

    反論その2:
    真か偽かを決定する「有意味性判定基準」が曖昧である。論理実証主義を幅広く活用しようとすればするほど、あまりに多くの日常的概念を無意味としなければならない。


    2 言語の限界
    思考は言語に依存し、言語は生まれ育った文化圏に依存する。現実世界は、「集団の言語習慣に基づいて無意識のうちに築き上げられたもの」である。
    虹の色数が国によって違うように、その言語は、言語外世界の特定の対象に「完全に」対応しているとは確定できない。言い換えれば、言語を超えては「完全に」語り合えない。これは、目の前の赤色が人によって違う色に見える可能性があるように、物体を認識する同言語話者の間でも起こりうる。いかなる指示対象や翻訳にしても、認識が完全に一致するとは限らないのだ。


    3 予測の限界
    これまでもそうだったから、明日も「日はまた昇る」に違いないという推論が帰納法。未来の予測には帰納法が多く取り入れられてきたが、これまでも当てはまったからといって、これからも当てはまるという保証はない。帰納法を使った推論を前提に置く思想を「歴史法則主義」という。
    ポパーは、1945年に発表した『開かれた社会とその敵』において、さまざま思想家たちが「歴史法則主義」を前提としていることを提示し、徹底的に批判した。

    未来を予測する際のターゲットとなる「確率」には2種類がある。
    危険性…保険商品など、過去の統計・確率から推定できる変動確率
    不確実性…株式市場・経済など、予測できない変動確率

    複雑系には「不確実性」が多いため、ある特定の原因を与えたとき、それがどのような結果を導くかはまったく予測不可能である。
    しかしながら、予測不可能な運動が内部に発生するため、系全体の動きを予測できないものの、「複雑系そのもの」には統計的法則が成立している。


    4 人間原理 
    宇宙の誕生から地球が生まれ、生命が発展し、人間が誕生したのは奇跡に近い確率である。
    私達の宇宙は、さまざまな物理定数によって左右されている。とくにリースの指摘する6つの物理定数(電磁気力や重力など)の数値が少しでも異なっていたら、今のような宇宙は存在せず、人間も生命も存在しなかったのだ。
    しかし、この奇跡は全くの偶然なのか、それとも必然なのだろうか?

    「宇宙が人間に適しているのは、そうでなければ人間は宇宙を観測し得ないから」
    こうした宇宙の構造の理由を人間の存在に求める考え方を「人間原理」という。

    ホイルが提唱した人間原理:
    まず自分が存在するからこそトリプルアルファ反応(3個のヘリウム4の原子核が結合して炭素12の原子核に変換される核融合反応の1つ)について思考できるのであって、そのような認識主体としての人間が進化するためには、宇宙に豊富な炭素が存在しなければならず、そのためにはベリリウムの共鳴が起きなければならない、と「逆算して」考えた。従来の自然科学のように宇宙の誕生→人間とミクロ化していく発想とは異なる考え方で、宇宙にどんな元素が含まれているかを推論した。

    1969年に、ブランドン・カーターは「弱い人間原理」と「強い人間原理」を提唱する。
    前者は、物理定数の微調整を偶然と捉え、後者は必然と捉える。後者の立場で、宇宙そのものが観測者を生み出すように「自己組織化」しているのではないかと考えている宇宙物理学者も増えている。


    5 不可知性
    ファイヤアーベントは、科学を進歩させるためには、観察とはまったく無関係の「形而上学」が必要であると述べ、論理や実証といった「理性」の枠に拘りすぎるなと言った。

    本書の中に出て来る方法論的虚無主義者はこう言う。
    「我々の生きている宇宙は、言語や科学法則だけでは捉えきれない複雑性と多様性に満ちた実態だ。それなのに、多くの科学者や哲学者は、ちょうど論理実証主義者が「論理的」あるいは「実証的」でなければ「無意味」というスローガンで真の問題を切り捨ててきたのと同じ間違いを、今も犯し続けている。ファイヤアーベントの最後の哲学的著作のタイトルは、『理性よ、さらば』だ。理性は素晴らしいものだが、人間を硬直させて自由を奪う魔力も持っている。彼は、そのことを警告し続けた。」

    「科学の進歩によってすべてが解明されていく」のが、第一線の科学者の姿勢なのかもしれない。しかし、自然科学や人文科学や社会科学の専門化された枠組みでは捉えきらない部分にこそ、それらが絡み合った驚異的に興味深く奥深い問題がそびえていることも事実である。

  • 「理性の限界」に続いて、同著者による「知性の限界」を読んでみる。

    「理性の限界」が、社会科学、自然科学、論理学を中心とした議論であったのに対して、こちらは、基本的には哲学の議論、でときどき複雑系、宇宙論、進化論がでてくる感じ。

    中心となる哲学者は、ウィトゲンシュタイン、ファイヤアーベントかな?

    とくると、分かる人には、なんとなく想像がつく内容かな?

    個人的には、「理性の限界」以上に、どこかで読んだ話しが多かった気がする。(ウィトゲンシュタインとか、複雑系とか、宇宙論とかをここ数年かなり読んだので。。。)

    けど、様々な立場の人による架空のディベートという形式をとっているので、多角的に理解出来る感じがして、良かったかな?

    欲を言えば。複雑系や宇宙論に関するところは、もう一ひねり欲しい気もする。

    というのは、無い物ねだりだろうな。

    扱っているテーマの幅広さ、難しさから考えれば、すでに相当のレベルのエンタテイメントを実現していると考えるべきであろう。

    哲学に興味なくても、最近の自然科学がとんでもないところにいっているか文系的に知りたい人には推薦できる。

  • 言語、予測、そして思考の限界を仮想ディスカッションの形式で読み解く「限界」シリーズ2作目。
    相変わらず、議論を通しての引用が巧みである。

    ソーカル事件は衝撃的だったし、ドーキンスの逸話はほつまこりさせられた。
    そしてホイルの自説は突拍子もないようでいて、もしかしたらそうかもしれないという気持ちにさせられるパワーがある。

    「限界」を銘打っているが、人類の限界はここだと蓋をするものではない。
    現時点での臨界点を描き、その最先端でなされている研究や議論が可能な限りわかりやすくときほぐされ、多くの読者がこういった知的臨界点に飛び込むよういざなっている、そんな印象を受けた。

  • 『理性の限界』(講談社現代新書)につづく「限界」シリーズ第2弾です。今回は、論理実証主義やウィトゲンシュタインの言語哲学、ポパーやクーン、ファイヤアーベントらの科学哲学、人間原理などのテーマが扱われています。

    本書のテーマは、前巻に比べてある程度前提知識があったためかもしれませんが、前巻ほどの知的刺激は感じられませんでした。それでも、登場人物たちの会話を通じてそれぞれのテーマにおける核心的な内容が巧みに説明されており、前巻同様おもしろく読み進めることができました。

  • 「理性の限界」の続編である。今回はウィトゲンシュタイン、ポパー、ファイアアーベントらの思考を中心に、世の事象をどのようにとらえるべきなのか、についての議論がなされている。特に、自然科学において常識と考えている理論化の限界については非常に興味深い内容であると感じた。但し、素人にも理解しやすいように平易に書かれているものの、後半の宇宙論や存在論は難解であり、理解が難しかった。

  • 小学生ぐらいのころ、
    人間はすべてを知ることができたら死滅するんじゃないかと
    心配していたことを思いだした。

    そんな僕の少年時代に差し出したら
    これはさしずめ福音書であっただろう。

    何しろ、様々な面から言って
    すべてを把握することはまず不可能だということだからね。

    それでもこうやってわいわいがやがや
    あなたと話せるなら悪くはない。

  • 言語理解のパラドックス。予測の前提となる帰納法の落とし穴。論理思考では証明できない神の存在。哲学から経済学、宇宙論まで、知の限界と可能性をめぐる深くて楽しい論理ディベート。【「TRC MARC」の商品解説】

    関西外大図書館OPACのURLはこちら↓
    https://opac1.kansaigaidai.ac.jp/iwjs0015opc/BB40125273

  • 知ることに限界はある。
    そう考えると気が楽になる。

  • よくもまぁ限界のキワまでたどり着こうとするものだ

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著者プロフィール

國學院大學教授。1959年生まれ。ミシガン大学大学院哲学研究科修了。専門は論理学、科学哲学。著書は『理性の限界』『知性の限界』『感性の限界』『フォン・ノイマンの哲学』『ゲーデルの哲学』『20世紀論争史』『自己分析論』『反オカルト論』『愛の論理学』『東大生の論理』『小林秀雄の哲学』『哲学ディベート』『ノイマン・ゲーデル・チューリング』『科学哲学のすすめ』など、多数。

「2022年 『実践・哲学ディベート』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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