喜嶋先生の静かな世界 The Silent World of Dr.Kishima (講談社文庫)
- 講談社 (2013年10月16日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (400ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062776813
作品紹介・あらすじ
感動に包まれる自伝的小説
文字を読むことが不得意で、勉強が大嫌いだった僕。大学4年のとき卒論のために配属された喜嶋研究室での出会いが、僕のその後の人生を大きく変えていく。寝食を忘れるほど没頭した研究、初めての恋、珠玉の喜嶋語録の数々。学問の深遠さと研究の純粋さを描いて、読む者に深く静かな感動を呼ぶ自伝的小説。
感想・レビュー・書評
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本書は、端的には「学問の奥深さや研究の崇高さ」を描いた作品と言えるのでしょうが、不思議な別の魅力を内包している物語でした。
「不思議な別の魅力」とは、理系大学の研究や論文等お堅い内容ですが、語り手が一人称の「僕」という学生目線で、柔らかく緩衝材以上の働きを実感する描かれ方をしている点です。
「僕」は、幼少期から本を読むこと、対人関係が苦手という特性があるものの、数学と物理の才能が豊かで純粋な人柄です。院生の先輩や同期の女の子とのやりとりが、愉快で微笑ましくもあります。
こんな「僕」が、喜嶋先生の世界に触れ、憧れをもちながら研究の楽しさに惹かれていく展開です。
喜嶋先生は、研究のため雑念を排除し、集中・没入する世界に生き、側から見れば「静かな世界」です。その世界は、孤独で強迫観念が付きまとう別の側面もあります。最後には残酷な謎も‥。
「僕」の、研究へのひたむきさや誠実さ、喜嶋先生への憧憬がとても瑞々しく描かれ、さらに「僕」の語る言葉が無垢な想いにあふれ、物語に静謐さと透明感を与えている点が、とても魅力でした。
目先のことで精一杯で、日々忙しい人からすれば、自分の遠い過去にノスタルジーを覚える感があります。でも、そんな生活の中に、心安らぐ何かに没入する一人が時間がもてるといいですね。やっぱ読書ですかね(笑)詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
狭く見えていた外の世界は、実は無限に広がっていて、一方で内なる自己のセカイは、自分次第でいくらでも高くそびえさせることも、底へ底へ深化させることもできる。
外の世界の広さに気づけた瞬間、そして、自分のセカイを高く、そして深くしていくことだけに集中できた時間は、限りなく幸せな時間だったんだと、この『喜嶋先生の静かな世界』を読み終えた時に思いました。
『喜嶋先生の静かな世界』の語り手は幼い頃から本を読むのが苦手だった橋場。そんな彼ですが、数学と物理の才能を生かし無事大学に進学します。しかし、大学の講義は橋場にとっては、退屈だった高校の授業の延長にしか思えませんでした。
そんな彼の転機は大学4年生の時。卒論のためゼミに所属することになった橋場は、徐々に研究の面白さに目覚め始めて……
受け身だった高校までの授業、そして大学での講義。それから一転して、自らテーマを定め、目標に向かって邁進する日々。この楽しさは僕自身も知っている気がします。
自分自身の卒論のテーマは、読書体験の共有と+α小説の中での、本と物語の位置づけというものでした。読書体験の共有は、まんまブクログの話ですが。
読書の歴史や、文化的背景の変遷を追うことから始まり、ネットやブログの潮流を調べ、社会学や心理学の文献をあたり、なぜ個人的な体験であるはずの読書が、オープンな場所で語られるのか。その場所に人が集まるのはなぜか、ということを書きました。
好きなこと、興味のあることを、自分自身の知恵で紐解いていくワクワク感。なんとなく感じていたことが、言葉に、文字になっていくことへの喜びと高揚。
卒業論文は割と楽しくやった覚えがあるのですが、そのときの感覚が蘇ってるような描写と表現に、読んでいるこちらまでも楽しさと共に、懐かしさがこみ上げてきます。「ああ、あの時は面白かったなあ」と。
卒論のテーマをより深めたいと、橋場は大学院への進学を決意。そしてそれまで、海外に留学していた喜嶋先生が帰国し、橋場はさらに研究の道を突き進んでいきます。
作品全体を包むのは、橋場の研究に対するひたむきさと、誠実さ。そして喜嶋先生に対する憧憬です。
初めての学会での研究発表。大学の計算機を使うための場所取り。そんな大学院での日常から、橋場と喜嶋先生の何気ない会話に到るまで。
その全てに軸として、橋場の研究へのひたむきさや誠実さ、喜嶋先生への情景が宿っているように感じられます。
だからこそ、橋場の一人称で語られる言葉というのは、瑞々しく、無垢な透明さに覆われ、そして光輝いているように思います。いわゆる凝った文章や詩的な文章という印象は、そこまで強くありません。
ただただ語り手の無垢な思いが、言葉や文章に込められることで、表現技法や言葉の修飾の枠を越えて、それ以上の美しさと透明さを持った、そんなふうに思います。
研究者は孤独であり、孤高の存在でもある気がします。実生活とは離れた位置にいて、一般の人には理解しがたい研究に没頭する。しかし、そうして没頭した研究が自分に返ってくる保障はない。
後に別の理論で否定されるかもしれないし、別の研究者に先を越されるかもしれない。そもそも、満足のいく答えが見つからないかもしれない。そして気がつけば時間だけが過ぎていて、もう後戻りはできないかもしれない。
そんな研究者の孤独や残酷な事実も、この小説では描かれます。それでも、彼らは高みを目指して、遠くにあるものをつかみたくて、自ら問題を設定し、自らが決めた山を登り続けます。
何者も立ち入ることのできない、高くそして深遠で静謐な世界。尊敬する喜嶋先生の姿を通し、橋場が追いかけ続けた研究の世界。それこそがこの小説のタイトルでもある「静かな世界」なのかもしれないです。
でも一方でこの静かな世界というものは、研究者ではなくても誰もが入りうる世界なのかもしれない、とも思います。例えば何かに没頭している時間、集中力が研ぎ澄まされた瞬間。
スポーツでいうならマラソン選手のランナーズハイや、プロ野球で打撃の神様と呼ばれた、川上哲治さんの名言にもある『ボールが止まって見える』といった、一種のゾーンに入ったり、集中力が限界まで高まった瞬間。
ブクログのユーザーでいうなら、読んだ本の感想を書いている時間。感想を書いていて、ふと気がつけば一時間、二時間が過ぎていたとき。
それは何者にも侵されない、神聖で「静かな世界」にいた時間なのかもしれないとも思います。
『喜嶋先生の静かな世界』のもう一つのテーマは、モラトリアムだと思います。実生活に煩わされることなく、勉強にしろ、部活にしろ、趣味にしろ自分の好きなこと、やりたいことだけに没頭できた日々。
その日々はかけがえのないものだったことが分かるのは、大抵子ども時代や学生時代でなく「大人」になってから。
自由な時間が格段に減った多くの大人は、日常の喧噪の無かったもう戻らない「静かな世界」を懐かしみ、ときに切ない気持ちになりながらも、それでも日常を過ごす。
この小説を一番読んでほしいのは学生さんなんだけど、内容が刺さるのはたぶん学生よりも「大人」だと思います。現に自分は刺さりまくってるし(苦笑)
学生時分に読んだら読んだで、いい小説だと感じるとは思うけど、こんなに芯を喰った刺さり方はしなかっただろうなあ。
もうあの頃のように居続けることはできない「静かな世界」
その素晴らしさに改めて気づかされると共に、そのことが切なく感じられます。
でも先に書いたように、静かな世界への扉は閉じてしまったわけではないとも思うのです。
日常に忙殺されず、何か時間を忘れて夢中になれるものを持ち続けることができれば、きっと静かな世界への扉は、消えることなく開かれるのを待ち続けてくれるものだと自分は思います。
そして自分にとってその扉の一つは、この場所で本の感想を書くことなのかもしれません。 -
ずっと気になりながらも初読みの森博嗣さん。一気に好きになってしまいました。もう恋に落ちたように…
理系男子の大学院、そのまた上の博士課程なんかのお話。理系も好きだけど、やっぱり文系な私なので、研究内容の話とかはさっぱりわからなかったけど、理系の院生の生活や青春、心から尊敬する喜嶋先生に出会えた幸せなんかを噛みしめるように感じられました。
何がそんなに良かったのか、改めて考えると説明が難しいのですが、淡々として余計なものがない世界が、今の私には必要で、心地良かったみたいです。
特に印象的だった部分です。
☆「そんな経験のためにここ(大学院)にいたのか」
たまたま横に座っていた喜嶋先生が僕にささやいたことがある。良い経験になった、という言葉で、人は何でも肯定してしまうけれど、人間って、経験するために生きているのだろうか。
(…略…)
こういったことを真剣に考えると涙が出るほど悲しくなる。なるべく考えないほうがきっと良い。多分これは感情というものだと思うけれど、できるだけ自分をコントロールして、こういった気持ちを野放しにしない方が生きていくために必要だ、と思う。☆
(改めて書いたら、ちょっとこの文章変な気がしますがまぁ、置いておいて…)
☆先生は「言葉はわかりやすい方が良い」という信念を通されているだけなのだ。飾ってしまうと、それだけわかりにくくなってしまう。
普通の人間は、言葉の内容なんかそっちのけで、言葉に現れる感情を読み取ろうとする。社会ではそれは常識みたいだ。犬は、人の言葉の意味を理解しているんじゃない。その人が好意を持っているか敵意を持っているかを読み取る。それと同じだね。特に日本の社会は、言葉よりも態度を重んじる傾向が強い。☆
研究者は、自分で問題を提示してそれを研究していく。その問題は、与えられたものではない。自分で問題という山の頂を作り、慎重に下りながら研究を進めていく。
人生において自分で山を作っていく。楽な方に行かずに、自ら高さをわざわざ作る。この繰り返しができる人のパワーはすごいですね。
また、人に何かを教えるとなると、師自体が、その存在が、その生き様が、教え子に何を伝えているのかが大切ということを痛感しました。
大好きな本がまた一冊増えました。他の作品も読んでみたいです。
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研究者の生き方のようなものを、そっと見せてもらった。
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素晴らしい。兎に角素晴らしかった——。こんな楽しい読み物がこの世にあったなんて信じられない、嗚呼…。研究の素晴らしさ、喜嶋先生という存在、橋場くんとその仲間たち?。帯の文句は正しい。本当に“圧倒的な読後感に包まれ”ました!もしかしたら、森作品で最高傑作では?
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初めて読んだタイプの小説。主人公の大学入学以降の人生を振り返っていく。大きな事件が起きるわけではない、静かな感動。最後は切ない気持ちになった上に、えっ?という驚きで終わる。理系の知識はまったくないけど抵抗なく読め進められた。研究、学問の純粋さ、それを突き詰めていく人たちへの尊敬を感じた。
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途中までは
自分も学生に戻った気分で読み進めたし
こどもや甥っ子にも手渡そうと思っていた
でも、やめた
生死に関することに触れられていると
そういう気分ではなくなる
最後の最後でどうしてそんなふうに?
そんなふうに知らせないでよと
悲しい気持ちで読み終えた
学生時代の描写、
迷い、悩み、ささやかな喜び、ときめき、
それらとはまったく世界観を変える上に
心を抉られる
どうしてこれを読んで心を整える?
そんな終わり方で
自分ごととして捉えた経験のないひとは
生死に関する描写も軽くて乾いている
そんな気がしてしまった
浅い受け取り方しかできない自分の
読解力の欠如だとしても
あーあ、、という気持ちが消えない -
解説は養老孟司。森博嗣を読んだ初めての作品。おそらくほかの著作とは趣きが大きく異なるものだろう。
勉強とは、研究とは何か、考えさせられる。というより、楽しいものなんだということが伝わってくる。情緒的な描写がほとんどなく(たぶん)、歯切れの良い文章。魅力的な登場人物。しかし、どこか内容が遠くまで見渡せない。彼らの住んでいる世界、いやもっと小さな街や大学構内でさえも、透明な壁の向こうには世界が存在していないような気がする。色がないのではなく存在していない。それくらい主人公の生活は研究に占められているのかもしれない。学生、修士、博士と過程を進んでいくと世界が高く広くなったかというとそうでもなく変わらない。色付きはじめたのは結婚前後からのような気がする。それと同時に先生との関係も変わっていく。自立して対等になっていったとも考えられるけれど、研究をする徒ではなくなっていったと先生が感じたからではないか。結婚式でマイウェイを歌うくらいなのだから、寂しさもあったのかもしれない。