- Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062764094
作品紹介・あらすじ
親子関係にトラブルをきたしている人、障害のある子どもを育てている母親、自閉症児、そして末期ガンを患う人……大きな苦しみを抱えて孤独に陥った人のかたわらで、そっと耳を傾けるカウンセリング。痛む心に人と自然とのつながりを取り戻したり、悩みに支配された心の中の整理整頓を手伝うバースセラピストによる、心に沁みるエピソードの数々。読んでいるうちにしずかに心が癒される、奇跡のエッセイ集。(講談社文庫)
感想・レビュー・書評
-
自分の悩みの小ささに気づきました。もっと、感謝できることがたくさんあるなと。
でも、目を背けていた自身の問題にも気づきました。無視し続ければいずれ後悔しそうなことに。
その問題にどう対処すればよいかはわからないけれど、ヒントを求めて、季世恵さんの本をもっと読みたくなりました。
人が生まれること、人とともに生きること、人生を締めくくること。「生」に関わるあれこれを考えさせられます。季世恵さんがバースセラピストを名乗ることにも納得です。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
146.8
-
不治の病や過酷な状況にあって、人は自分や過去を責め、壊れていくが、どんなときでも小さな幸福を見つめ、少しでも前に進む。そうすることで、死、からはじまる何かが生まれる。過酷な状況ではない自分からは正視し難い状況でも、心を前向きにできるのが本当にすごいし、尊い仕事だと思った。
-
この本を読み終わるまで何度泣いたことか、泣き過ぎて人様の前で読めない。
昔『普通の人々(オーデナリーピープル)』という俳優のロバートレッドフォード監督の映画があり、映画の初めに『普通に見える家庭でも事情はそれぞれに異なる•••』と始まる。本当に何も問題の無い家庭はまず無い何か抱えている。それとともに誰か支えてくれる応援してくれる人がいたら何とか人は生きていけるものだが•••
志村さんはそんな応援団員の一人として、絶望の淵にいる人に寄り添って来た人。
自分が産んだ子供を幼い時無くしたり失ったりする女性は世の中少なくない。私の姉も生まれて間も無く少し目を離した隙に寝返りを打って窒息死してしまい次女を亡くした。彼女のせいではなくても、何で、何で•••と自分を責め続けたに違いない。本の中には子供を亡くして不治の癌になって絶望を味わっている女性の事が書かれている。私の姉も次女を亡くし、60歳で癌で亡くなった。自分のお腹を痛めた子供をなくした女性の気持ちは男には分からない別次元のものと思う。大好きな姉だったのでとても悲しいのは勿論だったが、もっと志村さんのように寄り添う事ができなかったのかと涙が止まらない••• -
ダイアローグ・イン・ザ・ダークを日本で立ち上げた方の奥様の本。
仕事を通じて出会った方々とのストーリーを話にしているので、非常に読みやすい。
一つ一つの自分の目の前で起きる出来事を大切にして過ごそうと感じることができる1冊。 -
皆さんは日頃、人の生死に関わることがあるだろうか。人の生死に関わってみると、人がいかに尊いかを理解し、また感動を覚えることも少なく無いと思う。だが、医療関係者や、身近にそういったような境遇の人がいない限り生死に関わることはまず無いだろう。この本は、そんな人たちのための、あたかも人の生死に立ち会ったかのような体験をさせてくれる本である。
「いのちのバトン」は小説家が書いたのでは無く、重篤な病気を持つ患者や精神を病んでしまった患者などの気持ちを、少しでも軽くすることを仕事とする「セラピスト」という職業の方が書いたものである。だからといってはなんだが、皆が想像するような上手い言い回しなどは無い。しかし、数々の患者と関わり、生死の現場に立ち会ってきた体験から来る言葉は一つ一つが現実味を帯びていて、自分もそこにいるかのように、物語に引き込まれていく。
私はあえてここまでしか書かない。興味が湧いたら、是非手にとってみてほしい。
そんぷー -
いのちの誕生と死。
どちらも両極端なところに存在しているのに、どこかつながりがあると感じています。
【感想・コメント】
バースセラピストという仕事をしている著者。
患者さんのセラピーを行った時の7つの生死の実話。
バースというのは「誕生」と「死から生まれるもの」の二つのこと。
色んな形の幸せ。奇跡とは病気が治ることだけではない。
今の自分の環境がどれだけ奇跡的なことなんだろうと思います。
風が気持ちいいとか、キンモクセイがいい匂いだなあとか、口に入れたものを味わって
美味しいなあと感じること一つ一つを幸せと感じたいと思います。
大事な人が病気になった時は絶対もう一度読み直したいです。
その人に対する接し方や考えが絶対に変わると思います。 -
ちょっとした幸福を積み重ねて毎日を過ごそうと思った。