- Amazon.co.jp ・本 (520ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062763868
作品紹介・あらすじ
武田を滅ぼした若統領は本当に凡将愚将なのか?
青年武将勝頼は偉大な父武田信玄の後を継いだ。ところが武田の御親類衆や信玄が育てた家臣団は信玄の遺言をたてに、なかなか勝頼に実権を与えなかった。しかし世継ぎの式を経て若統領と認められた勝頼は、ついに織田軍と一戦を交えるべく号令をかけた。ときに凡将愚将とも評価される勝頼の実相に迫る歴史大作。
感想・レビュー・書評
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2021.10.8完了
話も分かりやすいし、読みやすい。新田次郎の作品に共通する。ここまでは武田家臣が頼もしい。穴山信君だって頼もしい。信じ難くもあるが。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
久しぶりの新田次郎。信玄亡き後の武田家の内情が良く分かる。
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2016*11*06 読了
信玄の死から、長篠の合戦前夜まで。 -
長篠の合戦において、信長・家康連合軍の鉄砲隊に騎馬での無謀な突撃を繰り返し、散々な負け戦で勢力を弱めた武田勝頼。
近代兵器の鉄砲三千丁を三段打ちという効率的な活用を考えだした天才・信長と、時代の変化に追いつけず、前近代的な騎馬による突撃しかできなかった愚かな勝頼という対比で語られることが多く、武田氏が滅亡した原因は勝頼が馬鹿だったからだという説が今も多くの人に信じられている。
確かに自分も高校の日本史の授業で、そう教わったし、教科書にもそう書いてあった。(馬鹿とは書いてなかったけど、そんな意味に受け取れた)
歴史的事実を教科書から学ぶのは大事だが、歴史観には批判の目を向けて見るのも大事だ。
武田氏が最大版図を獲得したのは信玄の時代ではなく、勝頼の時代だ。
家康によって奪われた遠州の要衝、高天神城を落とし、家康に加担していた日和見勢力を自家の勢力下に取りこんでいった勝頼。この城を獲られたことにより家康はもはや自前の勢力だけでは武田と張り合う事ができなくなり、ますます信長の意に逆らう事ができなくなった。
間違いなくこのときの武田氏は織田と覇を競う最強の戦国大名だった。
しかし、このときの勝頼の立場は微妙だった。
信玄は自分の死を3年間伏せるように遺言した。跡取りは勝頼と決めてはいたが、この遺言のために武田氏は3年の間、勝頼を棟梁とした上意下達の組織としてではなく、御親類衆を中心とした合議制の運営がなされていた。勝頼の意志よりも御親類衆の合意のほうが尊重された。
それでも結果的には最大版図を獲得できたのは、そういった意見を尊重し、まとめあげることができた勝頼の才覚が大きいのではないだろうか。
勝頼はけして愚将などではなく、信長・家康の心肝を寒からしめた賢将だ。
この巻では高天神城の興亡を中心とした記述を通し、勝頼が信玄亡き後、信玄の遺産をいかに活用し、そして負の遺産といかに格闘し、父を凌ぐ勢力を獲得していったかがわかる。
後世の人は武田の滅亡を知っているから冷やかな目で見るかもしれないが、当時の人々は、武田は最強で、武田に付いたほうに利があり、まさか武田が滅びるなんて夢にも思わなかったに違いない。
ちなみに、本シリーズは昭和48年に連載が始まり、54年に終わっている。
連載終了の、だいぶ後の教科書で自分は学んでいるはずなのに冒頭に書いたような歴史観を刷り込まれた。今の子供たちは大丈夫だろうか… -
武田信玄亡き後の武田家についてと偉大な先代を持つ2代目に関心があったので購入。
勝頼の周りの御親族衆や信玄子飼の武将に加え真田昌幸なども登場。それらの信玄以来の宿老たちの扱いに勝頼の苦悩が描かれていている。
余りメジャーには扱われない遠江や三河での徳川と武田の攻防も、そこから長篠の戦へつながる様々な伏線も描かれていて読み応え充分。 -
再読中。武田勝頼の人生を描いた小説である。著者は『武田信玄』を前に上梓している。他にも『武田三代』などの著書もあり相当な研究を著者はされている。武田勝頼の人物像は一般的には長篠の合戦で信長と対比される非合理で猪突猛進的な武将であることが多い。
しかし、本書を読むとそのイメージはいい意味で打破される。勝頼は信玄の正嫡ではない(諏訪四郎勝頼という)ビハインドを抱えながら、信玄死後の武田の混乱に臨み、苦悩しながらも領国経営と他国との戦略に臨んだ大名であった。信玄の遺臣たちの対応(彼らの気持ちは常に信玄に向いている)に追われ、その中で自らの支配基盤を確立しようと必死にもがくその姿と、勝頼の与えられたいかんともしがたい様々な”前提”に同情を覚える。隣国には近世的な支配体制を確立していた織田信長ないた。経済力でも地理的条件においても武田家は不如意な地勢的なビハインドをこれも抱えていた。しかし、彼は立ち向かわざるを得ないのである。
武田勝頼は内にも外にも「重圧」を抱えているのである。その重圧に果敢に取り組もうとする姿勢は、現代風に言えば、急成長のライバル企業に囲まれながら、そして、先代社長が強いカリスマ性を発揮した企業を受けついだ(そしてその企業は支店長の割拠性が強い)会社を引き継いだ若手社長の苦悩、となるであろうか。しかし舞台は戦国時代である。その終結は死であった。彼のひたむきな姿と、その努力を悉く裏切る現実、結果。その勝頼の悲哀を想うと、勝頼最期の合戦である天目山の戦いは涙を禁じえない。
以前、山梨県は甲府からはるか西部にある甲州市に勝頼の菩提寺「景徳院」を詣でた。ひっそりとした墓に参拝者は誰もなく、蝉時雨が耳を劈く声で鳴いていた。その時、新田次郎『武田勝頼』を思い出した。僕は新田氏の著作に出会わなかったらこの場所に詣でることはなかっただろう。素晴らしい小説であると感じた。 -
武田勝頼(全3巻)(講談社文庫)
戦国時代 三代目武田勝頼公の人生を描いた物語。清和源氏の新羅三郎義光から続いた武田家が平家の織田信長の策により滅んでいく部分がロマンあり歴史的にも儚くも感じる。 -
御館様・信玄公の突然の死により、28歳の若さで武田家の指揮をとることとなった勝頼。信玄時代の老臣たちとのジェネレーションギャップに苦しみながら、偉大な父を超え、自分の思いを遂げようとして進んでいく勝頼の姿が好意的に描かれていています。
戦国最強軍団が、脆くも内部から崩れ去っていく様子が、それぞれの心情とともに鮮明に表現されていています。老臣の意見に心ならずも流されていく勝頼に歯痒く思う場面も多いですが、勝頼の無念さが伝わってきて心が打たれます。
「なぜ、武田家は滅ばなければならなかったのか」と改めて考えさせられます。
章末には「信玄公記」や「甲陽軍艦」の引用が掲載されています。原書ではほんの一行で表されている部分が、小説では背景描写・人物の心情描写等が重厚に表現されていることにも感動をおぼえます。