新装版 武田勝頼(一)陽の巻 (講談社文庫)

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  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (520ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062763868

作品紹介・あらすじ

武田を滅ぼした若統領は本当に凡将愚将なのか?

青年武将勝頼は偉大な父武田信玄の後を継いだ。ところが武田の御親類衆や信玄が育てた家臣団は信玄の遺言をたてに、なかなか勝頼に実権を与えなかった。しかし世継ぎの式を経て若統領と認められた勝頼は、ついに織田軍と一戦を交えるべく号令をかけた。ときに凡将愚将とも評価される勝頼の実相に迫る歴史大作。

感想・レビュー・書評

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  • 2021.10.8完了
    話も分かりやすいし、読みやすい。新田次郎の作品に共通する。ここまでは武田家臣が頼もしい。穴山信君だって頼もしい。信じ難くもあるが。

  • 久しぶりの新田次郎。信玄亡き後の武田家の内情が良く分かる。

  • 新田次郎の本は特に山岳小説をよく読むが、新田次郎は武田信玄と武田勝頼の伝記小説を書いている。武田信玄に関しては、大河ドラマの原作にもなっていて、10年くらい前にパキスタン駐在中に読んだことがある。

    武田信玄における書き様から、新田次郎は武田勝頼に対しては好意的な印象を持っていることが伺えた。武田勝頼は武田家を滅亡に導いた愚将と言うイメージが一般的で、私自身もそう思っていたから、これは意外だった。勿論、小説が史実と全て一致していることなどは無いが、読んでいて印象が変わってしまったのは確かである。

    今回読んだ武田勝頼にあったのは、武田家滅亡の元凶は御親類衆のダメさ加減だったが、元凶中の元凶は御親類衆筆頭の穴山梅雪であった。細かいところがどこまで本当かはさておき、穴山梅雪が武田を裏切ったのは史実である。

    物語中では真田昌幸の言う正しいことが悉く他の家来衆に否定され、真田昌幸の言ったとおりに事が進んで、みるみる武田家が後退していくと言う感じであった。本当にこんな風に坂を転げ落ちるように凋落していくと言うのは、読んでいて結構辛いものがあった。新田次郎の書きぶりは、「本当にこれで武田が滅亡するんだろうか。」と言うほど勝頼の有能さに勢い込んだ所もあり、信長も家康も自分より若いサラブレッドの恐ろしさに恐懼している様子も描かれていたから、余計にそれが際立った。

    武田勝頼終焉の地は、山梨県の日川渓谷沿いにある天目山である。紅葉がきれいな時、一度行ったことがある。武田勝頼夫妻と長男の墓があるが、斜面上に寺院があり、追っ手がガチャガチャ音を立てながら斜面を駆け上ってきて、勝頼の首をめがけて殺到し、壮絶な戦いをしたと言うのが想像できた。

    武田勝頼は、この後日川を遡上し、秩父往還経由で秩父へ落ち延びようとしていた。笹子峠を越え、大月の岩殿城に入り、北条と連合を組む予定だったが、岩殿城城主の小山田信茂が最後の最後で裏切り(北条も武田勝頼を見限ったとも書いてある)、笹子峠を越えずに、進路を北にするしか無かったのであろう。中央道とか中央本線に乗っていれば分かるが、ここは北方面しか谷が切れていない。

    ただ、日川から秩父往還に行くのは、やや危険な気もしないでもない。秩父往還に行くには、現在の大菩薩湖のあたりでやや西進する必要があり、充満している織田・徳川連合軍、並びに完全に武田を見限ってしまっている甲斐の民衆との接触が増える。と言うことで、地図を見る限り、個人的には大菩薩峠を越えて奥多摩方面に落ち延びる方がまだマシだったんじゃないか、と思ったりもする。

    登山装束でもない中で、そもそも日川渓谷を歩いて上るのはしんどいが、大菩薩峠は登山口から峠までは何てことのない坂道である。私も一度登山で行ったが、日川渓谷側からの登山は面白くも何とも無いほど緩い登山で、大菩薩峠まで軽自動車が入れるのである。勿論、秩父往還の方が標高も低くて、山越えの難度は低いが、こんな敵と裏切り者で充満している土地に戻るように進むのは微妙である。

    だから、私は大菩薩嶺を登った後、大菩薩峠まで来たとき、勝頼主従はここを越えていくべきだと思ったし、この方向に勝頼が落ち延びたら、その後どうなっていただろうか、とも思ったりした。

    ただ、実際はこんなところまで到達する前に、勝頼は追い付かれていたし、そして天目山で最期を迎えるということになった。仮に私が考えるように大菩薩峠を越えて奥多摩に落ち延びたり、または秩父往還を経由して秩父に到達したとは言え、織田・徳川との関係を重視する方向に決まった北条領である。恐らく捕まって似たような結末になったように思う。因みに、天目山で、武田は二度滅びているらしい。勝頼は二度目の滅亡だが、勝頼が最期を迎える7代前の13代武田信満と言う当主が自害して、一時断絶したと言うのである。これは知らなかったが、天目山は武田にとってはかなりの土地である。

    結局、真田昌幸が主張した、西上野の吾妻城への落ち延びが、生き残る唯一の道だったのだろうが、そうはならなかった。吾妻城で当時同盟関係にあった上杉と合流しても、その後はあまり変わらない「後世」になったように思う。ただ、武田嫡流は残ったかも知れない。

    甲州に対して何の因縁のない私であるが、武田嫡流が消滅したというのは、何とも残念なものを感じる。武田信玄の全国的な人気と言うこともあるが、新田次郎を通じた武田勝頼評は何となく当たっているように感じるからだ。長く続いた家柄と言うのは、それだけで社会の財産のような気もしていて、まあ武田信玄だってそんな長年続いた名家(諏訪氏等)を潰しながら成長した事実はあるが、武田の名は重い。

    勝頼が死んだ後、勝頼を見限った家臣団は、悉く見つけ出され、次々に首を刎ねられた。穴山梅雪は本能寺の変時、徳川家康と一緒に堺見物をしていたが、家康と違う道を駿河に向けて帰る途中、土寇にやられて死んだらしい。新田次郎は家康の陰謀による暗殺と書いているが、その方がしっくり来るほど、穴山梅雪の本作中に描かれた行状は酷かった。同様に逃げ惑っている家康に暗殺指示を出す余裕があったのかは知らないのだが、新田次郎は「恐らくその通りであっただろう」と断じてる。穴山梅雪は武田の相続を受けていたが、梅雪が死んだちょっと後に嫡男も死んでおり、結局穴山家は武田家を後世に伝えることはなかった。

    もう一人、勝頼と同年にまさかの死を遂げたのは何と言っても信長である。織田家はその後天下を取ること能わず、最期に勝頼を見限った北条も8年後に殆ど滅亡に近い形で小田原で散った。最終的に天下を平定したのは家康で、将軍になって幕府は200年以上も安定して存続し、将軍は15代も続いてたと勝頼が知ったら、どう思うだろうか。

    勝頼の死後わずか3ヶ月で梅雪と信長が死んだことは、勝頼が呪い殺したと言っても良いくらいの急さ加減であるが、この急展開が史実だと言うのが空恐ろしい。既述の家臣団見つけ出されて皆殺しほど明らかじゃないにしても、結果だけ見ると信長も梅雪も因果応報の呪縛から逃れられていないように感じる(特に穴山梅雪)。

  • 2016*11*06 読了
    信玄の死から、長篠の合戦前夜まで。

  •  長篠の合戦において、信長・家康連合軍の鉄砲隊に騎馬での無謀な突撃を繰り返し、散々な負け戦で勢力を弱めた武田勝頼。  
     近代兵器の鉄砲三千丁を三段打ちという効率的な活用を考えだした天才・信長と、時代の変化に追いつけず、前近代的な騎馬による突撃しかできなかった愚かな勝頼という対比で語られることが多く、武田氏が滅亡した原因は勝頼が馬鹿だったからだという説が今も多くの人に信じられている。

     確かに自分も高校の日本史の授業で、そう教わったし、教科書にもそう書いてあった。(馬鹿とは書いてなかったけど、そんな意味に受け取れた)
     歴史的事実を教科書から学ぶのは大事だが、歴史観には批判の目を向けて見るのも大事だ。



     武田氏が最大版図を獲得したのは信玄の時代ではなく、勝頼の時代だ。
     家康によって奪われた遠州の要衝、高天神城を落とし、家康に加担していた日和見勢力を自家の勢力下に取りこんでいった勝頼。この城を獲られたことにより家康はもはや自前の勢力だけでは武田と張り合う事ができなくなり、ますます信長の意に逆らう事ができなくなった。


     間違いなくこのときの武田氏は織田と覇を競う最強の戦国大名だった。


     しかし、このときの勝頼の立場は微妙だった。
     信玄は自分の死を3年間伏せるように遺言した。跡取りは勝頼と決めてはいたが、この遺言のために武田氏は3年の間、勝頼を棟梁とした上意下達の組織としてではなく、御親類衆を中心とした合議制の運営がなされていた。勝頼の意志よりも御親類衆の合意のほうが尊重された。
     それでも結果的には最大版図を獲得できたのは、そういった意見を尊重し、まとめあげることができた勝頼の才覚が大きいのではないだろうか。


     勝頼はけして愚将などではなく、信長・家康の心肝を寒からしめた賢将だ。


     この巻では高天神城の興亡を中心とした記述を通し、勝頼が信玄亡き後、信玄の遺産をいかに活用し、そして負の遺産といかに格闘し、父を凌ぐ勢力を獲得していったかがわかる。
     後世の人は武田の滅亡を知っているから冷やかな目で見るかもしれないが、当時の人々は、武田は最強で、武田に付いたほうに利があり、まさか武田が滅びるなんて夢にも思わなかったに違いない。


     ちなみに、本シリーズは昭和48年に連載が始まり、54年に終わっている。
     連載終了の、だいぶ後の教科書で自分は学んでいるはずなのに冒頭に書いたような歴史観を刷り込まれた。今の子供たちは大丈夫だろうか…

  • 武田信玄亡き後の武田家についてと偉大な先代を持つ2代目に関心があったので購入。

    勝頼の周りの御親族衆や信玄子飼の武将に加え真田昌幸なども登場。それらの信玄以来の宿老たちの扱いに勝頼の苦悩が描かれていている。

    余りメジャーには扱われない遠江や三河での徳川と武田の攻防も、そこから長篠の戦へつながる様々な伏線も描かれていて読み応え充分。

  • 「武田信玄」を読み終えた後、そのまま続編を読みたくて。

    原題は「続・武田信玄」だそうです。
    その次が、
    大久保長安を主人公にした「続々・武田信玄」だけど、
    絶筆になったのかな。

  •  再読中。武田勝頼の人生を描いた小説である。著者は『武田信玄』を前に上梓している。他にも『武田三代』などの著書もあり相当な研究を著者はされている。武田勝頼の人物像は一般的には長篠の合戦で信長と対比される非合理で猪突猛進的な武将であることが多い。
     しかし、本書を読むとそのイメージはいい意味で打破される。勝頼は信玄の正嫡ではない(諏訪四郎勝頼という)ビハインドを抱えながら、信玄死後の武田の混乱に臨み、苦悩しながらも領国経営と他国との戦略に臨んだ大名であった。信玄の遺臣たちの対応(彼らの気持ちは常に信玄に向いている)に追われ、その中で自らの支配基盤を確立しようと必死にもがくその姿と、勝頼の与えられたいかんともしがたい様々な”前提”に同情を覚える。隣国には近世的な支配体制を確立していた織田信長ないた。経済力でも地理的条件においても武田家は不如意な地勢的なビハインドをこれも抱えていた。しかし、彼は立ち向かわざるを得ないのである。
     武田勝頼は内にも外にも「重圧」を抱えているのである。その重圧に果敢に取り組もうとする姿勢は、現代風に言えば、急成長のライバル企業に囲まれながら、そして、先代社長が強いカリスマ性を発揮した企業を受けついだ(そしてその企業は支店長の割拠性が強い)会社を引き継いだ若手社長の苦悩、となるであろうか。しかし舞台は戦国時代である。その終結は死であった。彼のひたむきな姿と、その努力を悉く裏切る現実、結果。その勝頼の悲哀を想うと、勝頼最期の合戦である天目山の戦いは涙を禁じえない。
     以前、山梨県は甲府からはるか西部にある甲州市に勝頼の菩提寺「景徳院」を詣でた。ひっそりとした墓に参拝者は誰もなく、蝉時雨が耳を劈く声で鳴いていた。その時、新田次郎『武田勝頼』を思い出した。僕は新田氏の著作に出会わなかったらこの場所に詣でることはなかっただろう。素晴らしい小説であると感じた。

  • 武田勝頼(全3巻)(講談社文庫)
    戦国時代 三代目武田勝頼公の人生を描いた物語。清和源氏の新羅三郎義光から続いた武田家が平家の織田信長の策により滅んでいく部分がロマンあり歴史的にも儚くも感じる。

  • 御館様・信玄公の突然の死により、28歳の若さで武田家の指揮をとることとなった勝頼。信玄時代の老臣たちとのジェネレーションギャップに苦しみながら、偉大な父を超え、自分の思いを遂げようとして進んでいく勝頼の姿が好意的に描かれていています。
    戦国最強軍団が、脆くも内部から崩れ去っていく様子が、それぞれの心情とともに鮮明に表現されていています。老臣の意見に心ならずも流されていく勝頼に歯痒く思う場面も多いですが、勝頼の無念さが伝わってきて心が打たれます。
    「なぜ、武田家は滅ばなければならなかったのか」と改めて考えさせられます。

    章末には「信玄公記」や「甲陽軍艦」の引用が掲載されています。原書ではほんの一行で表されている部分が、小説では背景描写・人物の心情描写等が重厚に表現されていることにも感動をおぼえます。

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著者プロフィール

新田次郎
一九一二年、長野県上諏訪生まれ。無線電信講習所(現在の電気通信大学)を卒業後、中央気象台に就職し、富士山測候所勤務等を経験する。五六年『強力伝』で直木賞を受賞。『縦走路』『孤高の人』『八甲田山死の彷徨』など山岳小説の分野を拓く。次いで歴史小説にも力を注ぎ、七四年『武田信玄』等で吉川英治文学賞を受ける。八〇年、死去。その遺志により新田次郎文学賞が設けられた。

「2022年 『まぼろしの軍師 新田次郎歴史短篇選』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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