野中広務 差別と権力 (講談社文庫)

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  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (448ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062753906

作品紹介・あらすじ

権謀術数を駆使する老獪な政治家として畏怖された男、野中広務。だが、政敵を容赦なく叩き潰す冷酷さの反面、彼には弱者への限りなく優しいまなざしがあった。出自による不当な差別と闘いつづけ、頂点を目前に挫折した軌跡をたどる講談社ノンフィクション賞受賞作。文庫化に際し佐藤優氏との対談を付す。

感想・レビュー・書評

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  • 野中広務は、1925年10月に生まれ、2018年1月に、87歳で亡くなった自民党の政治家。被差別部落出身で、大学教育も受けていない。町議会議員から政治家のキャリアをスタートさせ、最後は国会議員・大臣まで昇りつめた、たたき上げの政治家である。2000年の自民党総裁選挙で、野中の推す橋本龍太郎が、小泉信一郎に大敗を喫し、政治的影響力をなくす。2003年に引退宣言をし、政治の表舞台から姿を消した。
    本書は、そのような経歴を持つ野中広務の評伝である。
    普通の評伝と異なるのは、筆者が評伝を書くことに対して野中の了解を得ていないことだ。逆に、本作品の月刊誌への連載が始まった頃、筆者は野中から抗議を受けたことを、本書中に記している。
    野中広務が、自民党の中枢で仕事を始めた頃から、日本の政治は大きく動き始める。長年続いた自民党政治が終止符をうち、細川連立政権が成立する。羽田首相を挟んで、自民党が巻き返し、自民党と社会党という当時考えられなかった連立が成立し、社会党の村山委員長が首相に就任する。その後、橋本・小渕・森と繋がった後の総裁選挙で、上記の通り、橋本が小泉に敗れ、野中の影響力は急速に衰えるのである。

    本書は、色々な読み方が出来る。
    自民党、あるいは、広く、日本の政治の歴史、あるいは、日本の政治家の暗闘の歴史の物語として読むことが出来る。京都府の革新府政との闘い・部落解放同盟等の被差別部落関連の政治との関係・田中角栄との関係・公明党との関係、等、野中が関わった政治家や政治団体の物語も知ることが出来る。
    また、評伝なので当然であるが、政治家・野中広務の物語としても抜群に面白い。野中が様々な闘いを勝ち抜きながら立身出世していく様子、最後には野中自身の政治家としての限界により挫折してしまう、その様子。

    上記した通り、本書を書くことを筆者は対象である野中広務から了解を得ていない。従って、取材は書籍・資料、あるいは、関係者へのインタビューによってなされている。膨大な取材量を、このような物語とした筆者の力量にも驚く。

  • 自民党の代議士として強大な権力を持ちながら、小泉政権の誕生によってその力を削がれ、2003年に政界を引退した野中広務の生涯に迫ったルポルタージュ。

    野中広務という政治家の背景として最も重要なのは、やはり被差別部落の出身であるという点である。本書では、そうした点も包み隠さずに書こうとしたことから、あるときに野中広務本人に呼ばれ、彼の涙と共に著者はこう告げられる。

    「君が部落のことを書いたことで、私の家族がどれほど辛い思いをしているか知っているのか。そうなることが分かっていて、書いたのか」

    それくらいに、野中広務の出自に関する本書での調査は微に入っており、野中広務という人間の全体像が浮かび上がってくるかのような作品に仕上がっている。
    どうしても世間のイメージというのは、権力を用いた老獪な政治家、というあまりポジティブではないものだと思うが、一方で弱者に対する優しさに溢れた一面も持ち合わせており、この二面性が本書を貫く通奏低音にもなっている。

  • 野中広務という政治家の名前を聞いて最も記憶に残っているのは、打倒小泉を掲げながらも自民党内の権力闘争に敗れ、「毒まんじゅう」という捨て台詞を吐いた姿である。
    この姿は、当時人気の高かった小泉に対抗する勢力の象徴であり、そのため「古くて悪い政治家である」という認識を残した。

    本書を読むと、そういう認識が実に浅く間違っているかということが分かる。
    読み終わったあとの野中広務の政治家像を簡単に言い表すと、「差別を無くすために尽力した政治家だが、用いる手段は狡猾であった」となる。

    本書は、野中の生い立ちから、町議会議員→町長→府議会議員→衆議院議員→政界引退まで綴られている。
    その過程においてはかなり激しい闘争を含めた出来事が繰り広げられており、全く平坦な道のりではない。
    これは野中自身が被差別部落の出身であることを抜きにしては語り得ないし、本書の焦点もタイトルが示すとおりである。

    野中の目指した「差別を無くす」ことが出来た暁には、本書が書かれることもなくなっているのだろう。

  • 1990年代前半、私は永田町界隈が仕事場でした。その間、多くの政治家と接する機会がありました。そうした中で、最も印象に残っている政治家が野中広務氏です。当時、彼は年齢こそ60歳を超えていましたが、当選回数は2-3回。まだ陣笠、その他大勢の1人、というポジションだったのですが、既に永田町周辺居住者の間では一目置かれる存在になっていました。
    それは彼の情報収集能力の高さが大きな理由だったように思えます。下手な党幹部、派閥幹部に接触するよりも、彼と話をした方が有益な情報が得られました。彼の情報の扱い方のうまさもあったと思います。
    そうやって接する機会が増えるほどに、人間的魅力も感じるようになりました。優しさとか思いやりとか、一面的なものではなく、人間的な深みを感じることがよくありました。
    今回、本書を読み、様々な思いが去来しました。著者の魚住氏の分析は正確だと思います。政治家として功利的な面もあり、恫喝的な手法で政局を回していったことも確かです。
    また、政策的課題をこなすことは得意でも、長期的ビジョンを構築することはできない、というとらえ方もその通りだと思います。
    ただ、私にとっては、やはり非常に魅力的な人物でした。
    記述に関して言えば、野中氏を軸に描かれた政界の動きの記述は、非常にわかりやすく、正確でした。(時折、政治家を取り上げた書物でも、書いた本人が正確にわかっていないのか、政策や政局の記述が非常に生硬で分かりにくいものもあります)
    私が野中氏に接していたのは3年間ほどでしたが、いまだに印象深い政治家です。その野中氏の出自も含めて、政治家としての行動原理を解き明かし、さらに人としての思いにまで踏み込んで描いた本書は、ノンフィクションとして多くの人に読まれるべき傑作だと思います。

  • 部落出身の為政者、野中広務の政治動向はイデオロギーよりも政局に注視する。ある時は弱者救済に力を入れ、ある時は政敵の凋落を画策するあまり弱者への視座をやり過ごす。そのバランスは果たして政治能力として一筋縄ではいかない。政(まつりごと)は本来弱者へ寄り添うことが必然であるのに権力という魔物が彼を含めて局面を狂わせる。だが、部落差別をなくすのが自身の政治生命だと語る老獪な為政者は今後この国に現れるのか、このままでは現在腐敗する政局を打破できないのではないかと嘆息する。

  • 被差別部落に関する人達への直当たり取材ができていることが素晴らしい。さぞ骨が折れた事と思う。野中氏本人はほとんど語っていないのは致し方ないのか。
    解放運動、とざっくり認知していたが、その中にも解放運動と融和、共産党がらみなど、スタンスの違いがあることが知れた。
    その中を巧みに泳ぐ政治家としての野中氏の、ゆらぐように見える政治理念の精神的背景が想像できて、とても興味深かった。
    自分の信念を体現する手段として政治活動があり、政治理念が一貫することがないのは当然とも言える。それを本人も自覚している所が、彼の懐の深さだと思う。
    これらのゆらぎを踏まえても、地力の強さは今の政治家の何人分以上であることは間違いない。

  • kotobaノンフ特集から。名前くらいしか知らなかった政治家の人物評伝。少なくともいま現在、”自民党”の響きにポジティブな印象は持ち得ないんだけど、それは歴史全てを否定したい感情ではなく、寧ろ第一政党を走り続ける舞台裏とかは、大いに興味あり。55年体制を俯瞰する書も手元にはあるんだけど、特定の人物にスポットを当てつつその歴史を総括する、みたいな本書の方が、より取っ掛かりやすいのでは、と思ってまず本書に当たることに。そしてその思惑は、まあ正解だったかな、と。本書は、戦後政治史としても良くまとまっていて、適度にビッグネームの名前も挙がってくるし、入門書としても機能するものだった。当人物については、差別に対し断固立ち向かう精神などは注目すべきものがあるけど、反面、沖縄問題とか国歌の法案とかについての姿勢は大いに疑問で、正直、良い印象は抱けんかった。でもそれについては、他の視点も必要かも。当然、別の同系統本にもあたっていこうと思います。

  • 「政敵たちを震え上がらせる恐ろしさと、弱者への限りなく優しい眼差し。いったい野中の本当の姿はどちらなのだろうか。」という問いには、どちらも本当の姿なのではないか、という思い。部落差別を受けた辛さ、差別を無くそうという情熱、政治の世界へ身を投げ入れ、やがて権力のはしごを登り詰め、そして敗北する。最初の志はそうだったのかもしれないが、最期のほうはもう権力闘争一辺倒に感じた。最後は福祉に戻る、という道行きを示したとしても。権力の階段を昇っていくときの仕事の仕方、権力者の懐に入りかた、時期がくれば今までの仲間を冷徹に切り離すやり方、潮目を見て判断し、首尾一貫した思想ではなく、その時その時に有効な手を打つ、百八十度の転換や不倶戴天の敵との野合も辞さない、といった激しさ。/矢田(仮名)「野中は表の政治で国会議員を目指す。俺はその裏で体を張って野中を守りながら、自分の土建業を発展させていこうと思ったんや」は、まんま池上遼一「サンクチュアリ」の世界かと思った。/同窓生「野中はんの中には、差別に憤る部落民としての野中はんと、政治家としての野中はんと二人おるんです」/部落民の陳情を受けつつも、周囲から浮くような贔屓の引き倒しのようなことはしない、そうすることがかえって彼らへの差別と反感を呼び込むことになるから、というバランス感覚。/麻生太郎の自らへの差別発言への公の場での激しい言葉/といったあたりが印象に。/最後に。作者に対しては、「私の家族がどれほど辛い思いをしているか知っているのか。そうなることがわかって、書いたのか」という野中の言葉に、本人も言っているように、真正面から答えられていない、業のようなもの、書いて世に知らせるべきと思ったから、という自分本位の思いから出たものであることに、そういった思いでも世に出てしまう、書として残ってしまうという恐ろしさを感じた。第三者的に見れば確かに意義のあるものだったとしても。

  • 知らない世界を知りたくて読了。権力闘争の果てにある政治の世界を垣間見た。部落差別に対する考え方や、逆差別、非干渉など非常に難しい問題だと改めて思った。政治家としての野中広務はやはり妖怪。

  • 部落差別問題を真正面から語ろうとすると、色々な壁にぶち当たってしまうのか、どうも本当に知りたいことを知れないというジレンマに陥る(そしてそれが場合によっては新たな差別を呼ぶ土壌にもなりうる)。

    この本は政治家・野中広務氏のその政治家としての人生を描くことによってこのテーマに切り込んだ作品。イデオロギーが先行せず、非常に考えさせることが多かった作品。途中、自民党内の政治のやり取りが続く場面は少々読みづらかったが、野中氏が政治家を引退する時、当時総務大臣だった麻生太郎氏に向けた発言は圧巻。この部分を読むだけでも部落差別問題を学ぶべき意義を理解できる。

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著者プロフィール

魚住 昭(うおずみ・あきら)
1951年熊本県生まれ。一橋大学法学部卒業後、共同通信社入社。司法記者として、主に東京地検特捜部、リクルート事件の取材にあたる。在職中、大本営参謀・瀬島龍三を描いた『沈黙のファイル』(共同通信社社会部編、共同通信社、のち新潮文庫)を著す。1996年退職後、フリージャーナリストとして活躍。2004年、『野中広務 差別と権力』(講談社)により講談社ノンフィクション賞受賞。2014年より城山三郎賞選考委員。その他の著書に『特捜検察』(岩波書店)、『特捜検察の闇』(文藝春秋)、『渡邉恒雄 メディアと権力』(講談社)、『国家とメディア 事件の真相に迫る』(筑摩書房)、『官僚とメディア』(角川書店)などがある。

「2021年 『出版と権力 講談社と野間家の一一〇年』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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