抵抗論 (講談社文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062752503

感想・レビュー・書評

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  • 好戦的で何の反省もないまま今に至る国家と、その国家に対して何の抵抗もしないメディアへの怒りが詰まった書。イラクへの自衛隊派兵や有事関連法案といった憲法への嘲弄(筆者は憲法を宗教のように信奉しているわけではないが、反国家的なこの憲法を支持している)への怒り。国家は監獄と戦争で人民を統制し動員する。

  • ナンセーーーンス!! (って誰のだっけ)

    これをもって辺見庸から離れようと思いまふ。
    というかこれも途中でやめたw

    この人の本は色々読んできたし、まだ積読の本もあるけど、
    順序が悪かったのかな、この本はちょいと受け入れがたかったね。

    辺見庸はマスメディアを、社会を、どこまで熟知したのかな?
    全ての記事、番組をみたのかね?世間の全部を知っているのかね。

    僕は社会学者のルーマンと同じで、今の所、マスメディアに対する規範論的な批判の多くは生産的でないと思うんだよね。そういうことをやるならジャーナリスト個人に直接すべきであって、メディア批判が溢れる現代にあっては規範論的批判も盲目的なマスコミ嫌いの批判も見分けがたいし(見分けるのも面倒)、埋もれて聞こえなくなる。ナンセンスだよ。いたずらに「冷笑の螺旋」(J.カペラ)を煽るんだったらそれはむしろミスリードだと思うね。
    マスメディアが社会的リアリティ(この人の言葉で言えば集団的意識もまた同様)を再生産するなんてことはほとんど自明なわけで、そのシステムを前提に「じゃあどうするか」を考えなきゃいけないと思う。
    辺見庸は共同通信を辞めた時点で、そういう生産的・建設的行動を放棄したんじゃないのか。諦めたんじゃないのかね。どうだか知らないけど。

    いずれにしても、もうこういうペシミスティックな批判はなにも生まないと思うね。
    僕は自分の経験不足や未熟さ、甘さを重々承知のうえで言うが、社会を本気で変えようと行動する人がマスメディア、政治、世間にいることを信じたい。彼はそういう可能性を一挙に排除して、批判すべきがマスメディアの全てであるかのように、世間の全てであるかのように、単眼的視点でもってもっともらしく語ってみせてるわけよ。
    結局、抵抗ったって自分が描く社会的リアリティへの抵抗でしょう。いやまてよ、抵抗といって批判ばかりじゃないか。
    じゃああなたは何を(実践)したのかって、大阪市長じゃないけど聞きたくなるな。

    まあともあれ、(抵抗というか)戦いはやっぱり必然だよね、どこに身を置こうと。
    社会に普遍的倫理や正義を求めるというのは、その実現自体は理想と言えば理想だが、いまやコスモポリタン的幻想と笑われて無視されるのがおちだし、実際に現実的な議論ではない。
    であれば、やるべきはやっぱり、「明らかな不正義」との戦いだとおもいます。そして辺見庸がしているのはこれとはズレが、それも致命的なズレがあると言いたい。

  • 漫然と国やメディアの流す情報を眺めているだけではまったく駄目だ。もっとそれがどういうことなのか想像し、自分で考えなくてはとても危険だ。という事を強く感じた。個人的にも、世論と自分の考えとの距離や違和感を感じることもままあった。なぜ世論がそうなるのか、と。過去の歴史的な経緯をしっかり知る事の重要性を教えてもらった。過去が現在に強く影響しつづけ、延長線上にあることをおもいしらされました。

  • この世のいかなる種類のテーマでも掘り下げていけば、たいてい国家と資本の問題に行きつく。
    国家を国家たらしめているのは軍隊と監獄。
    吉本隆明は憲法9条については明快かつストレートで血禅としている。
    大学が知の境界線を自ら撤廃してしまい。キャンパスに国家や資本、戦争装置となる者たちを招じ入れてしまった。安倍、石破、山崎拓。
    世界には壮絶な不幸がある。テレビには不幸探しのプロがとりわけ多くいる。
    筆者はやたらと戦争中の日本の朝鮮への酷いことを主張しているが、よほど韓国、朝鮮に傾倒してるのだろうか。
    石破なんかに超タカ派が日本の防衛を任せていたのか。

  • ≪感覚のどこがやられたのか。
     怒りはなぜ萎えたのか。≫
    ものものしいタイトルの作品であるが、彼が必死に抗っているのは国家に対してではなく、専ら自らに対してである。
    メディアから勝手に意味づけられ歪曲された「集団的意識」が、ゆっくりとココロを侵食してゆくことへの不安と焦燥。


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著者プロフィール

小説家、ジャーナリスト、詩人。元共同通信記者。宮城県石巻市出身。宮城県石巻高等学校を卒業後、早稲田大学第二文学部社会専修へ進学。同学を卒業後、共同通信社に入社し、北京、ハノイなどで特派員を務めた。北京特派員として派遣されていた1979年には『近代化を進める中国に関する報道』で新聞協会賞を受賞。1991年、外信部次長を務めながら書き上げた『自動起床装置』を発表し第105回芥川賞を受賞。

「2022年 『女声合唱とピアノのための 風』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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