言葉の魂の哲学 (講談社選書メチエ)

著者 :
  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062586764

作品紹介・あらすじ

言葉が表情を失うことがある。たとえば、「今」という字をじっと見つめ続けたり、あるいは、「今、今、今、今、今、今・・・」と延々書き続けたりすると、なじみのあるはずの言葉が突然、たんなる線の寄せ集めに見えてくる。一般に、「ゲシュタルト崩壊」といわれる現象だ。
逆に、言葉が魂が入ったように表情を宿し、胸を打つようになることがある。こういう現象を、どうとらえたらいいのだろうか。魂のある言葉とは、どのようなものか。

本書は、中島敦とホーフマンスタールの二編の小説からはじまる。いずれも、「ゲシュタルト崩壊」をあつかった作品である。
ついで、ウィトゲンシュタインの言語論を検証する。かれが「魂なき言語と魂ある言語」といったとき、どのような哲学が展開されるか。
そして、最後に、カール・クラウスの言語論を考える。
生涯をかけて、言語批判をつらぬいたクラウスの思想とは、どのようなものだったか。
それは、「常套句に抗する」ことで、世の中をかえようとする試みでもあった。
以上の三つの核によりそいながら、「命ある言葉」とはなにかを哲学する力作。

感想・レビュー・書評

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  • 「言霊がやどる」という神秘的な言葉があります。はたして言葉という記号に、魂がやどるということが本当にあるのかしら? それとは逆に、言葉が生命を失ってしまうということがあるのかな?

    筆者によれば、言葉を理解しているとは、①その使い方を知っている、他の言葉で置き換えることができる、さらに②その言葉を「体験」している、自分の胸の内に感じることができることだと説明します。
    そうか! なんだか目から鱗が落ちたような思いです。たとえば蝋燭の火の上に手をかざし、それをゆっくりゆっくりおろして火に近づけていく……炎が皮膚をあぶり、じりじりと音がしてきて、生臭い匂いが漂いはじめます――もちろん想像の世界。その手は実際に炎に焼かれているわけではないのですが、焼かれていく異様さ、手の熱さや痛みを覚えて顔をゆがめます。では「痛み」という言葉の使い方を知っているロボットも、はたして私と同じ反応をするのか?

    「言葉のゲシュタルト(かたち)構築とは、言葉が生命を得て、言葉が目立ってくるケースである。とりわけ言葉の立体的理解が実現するときには、我々にとってその言葉は多様な意味を抱えるがゆえに、その固有の表情や色合いを宿すものとして体験されている」

    また言葉とは人の意志に従わない自律的なもので、ときに言葉だけが暴走してしまう危険性があることも紹介していてとても興味深い。

    「君が不意に思いつく言葉は、何らかの特別な仕方で「訪れる」ものである。それゆえ「(いつか)言葉を思いつくまで、とにかくそれを待たねばならない」

    世界の作家や詩人たちが、たった一つの言葉を探しあぐねて日々苦悩していることを想像するだけで頭が下がります。でも現実の日常世界では、そうやってしっくりくる言葉を忍耐強く待たなくても、あるいは言葉を立体的に理解していなくても、日常のコミュニケーションにはほぼ支障はありません。
    ではなぜ言葉を立体的に理解する必要があるのか?

    作家・ジャーナリスト・批評家のカール・クラウス(1874~1936年)の言語論によれば、しっくりくる言葉を選び取れないということは、表現の豊かさや繊細さを失う。それだけにとどまらず、重要な「倫理」も失ってしまうのだ、というのです。
    この点、私の敬愛する作家ジョージ・オーウェル(1903~1950年)の優れた評論は端的に示しています。本作でも紹介されていて、嬉しくなりました。

    「政治の言葉は、主に婉曲法と論点回避と、朦朧たる曖昧性とから成り立たざるを得ない。無防備な村落が空爆を受け、住民が山野に追い出され、家畜が機関銃でなぎ倒され、家が焼夷弾で焼かれる。これが鎮圧と呼ばれる。何百万人もの農民が農場を奪われ、携行できる物だけを抱えて重い足取りで道を歩かされる。これが住民の移送とか国境線の調整と呼ばれる。人々が裁判も受けぬまま何年も投獄されたり、頭を後ろから銃撃されたり、極北の木材切り出し場に送られてかい血病で死ぬ。これが不穏分子の排除と呼ばれる。物事を名指しつつ、それに対応する心的なイメージを喚起しないことを欲した場合に、こうした決まり文句が必要となるのだ」(ジョージ・オーウェル『オーウェル評論集2-水晶の精神』)。

    いやはや、オーウェルの鋭い切れ味と明快さには読むたびに痺れます。確かに、すこし気をつけてみれば、こういったことは身近に溢れています。わたしたちに端的に謝罪しなければならない為政者や官僚や会社代表者が、「遺憾」という常套句を平然と使います。はなはだ他人事のような、遠い火星の出来事のようなイメージを醸す光景。
    あるいは沖縄上空を飛来していた米軍ヘリがコントロール不能になって海岸浅瀬でバラバラに大破したり、はたまた民間地上で黒煙を上げて激しく炎上している。これが「墜落」(高いところから落ちること=大辞林)ではなく、「不時着」(不時の事故により目的地以外の場所に降りること=大辞林)という常套句が使われる。機体は大破し、炎上しているというのに、これを「降りている」と強弁するのか!? なるほど、「不時着」といえば、明らかに「墜落」よりソフトなイメージで、現実に生じている墜落の衝撃や惨状も薄れていきます。その結果、重大な責任の所在まであいまいとしてくるのです――不時着なんだ、たいしたことないから大騒ぎすんなよー―と。

    こういった身近にある具体的なことを思い浮かべてみると、カール・クラウスの言う、しっくりくる言葉を選び取れない、あるいはあえて「選ばない」、ということは、たんに表現の豊かさや繊細さを失う、ということにとどまらず、重要な「倫理」も失ってしまうのだ、という意味がわかり、膝を打ちます。

    ちょうど先日、無事にテロリストから解放された日本人ジャーナリストを巡り、またぞろ「自己責任」という常套句が席捲しています。しかも本人のみならず、その妻まで記者会見で平身低頭の謝罪をさせる、この社会のいびつさと浅はかさに悄然とします。
    何も知らない多くの人々に、その戦場のひどさや暴力や蹂躙を受けている人々の声を伝えようと、ジャーナリストは時々刻々と変化していく予測しづらい紛争地の周辺で活動しますが、いったいどこまでの行動が自己責任と言えるのか私にはわかりません。わからないのに匿名という安全地帯から、一方的に人を非難することなんてできません。
    実際、過去に事故や災害が生じている原発や基地のある地域に住んでいる人々に、もしそれらの災厄がふりかかった場合、それも「自己責任」というのだろうか? では地震や津波のおそれのある地域はどうなのか? それによって国や為政者は、私たちの生命・身体を保護する義務から暗に解放されてもいいのか? 

    たった一つの常套句によって、倫理やそれ以上のものが瓦解していくようで怖い。使い古された常套句一つからいろいろ考えさせられます。カール・クラウスによれば、言葉を選ぶ際に悩むこと、迷うことは道徳的な贈り物だと述べています。そしてそれがおろそかになれば、戦争が起こりうるのだ、とも。

    彼が危惧したとおり、1921年にはヒトラー独裁体制が確立し、その10年後にはナチス国家が誕生しました。「宣伝省」を設置してマス・メディアを駆使し、プロパガンダを流し、人々の感情に訴え、レッテルを張り、敵・味方の対立構造を単純化して憎悪を煽ります。ユダヤ人を「害虫」とレッテル張りし、せん滅対象にして、紋切型の言葉や常套句を氾濫させ、人々の考える力を萎えさせてしまったのです。それと似たようなことが、ここ数年のアメリカや世界にも生じていて、全体主義を模したジョージ・オーウェルの『1984年』がはやる理由がわかってうなります。

    本作は、言語哲学者ウィトゲンシュタインや批評家カール・クラウスをわかりやすく解説しながら、中島敦『文字禍』――この作品、おもしろい――や夏目漱石『門』まで紹介しています。
    斬新な切り口で言葉というものをとらえた作品だと感激しました。言葉の不思議な魅力に興味のある方にぜひお薦めします♪

    ***
    「書物は物理的なモノで溢れた世界における、やはり物理的なモノです。生命なき記号の集合体なのです。ところがそこへまともな読み手が現れる。すると言葉たち――言葉たち自体は単なる記号ですから、むしろそれら言葉の陰に潜んでいた詩――は息を吹き返してわれわれは世界のよみがえりに立ち会うことになるのです」
    (ボルヘス『詩という仕事について』)

  • 今一番楽しみな本。

    20210426
    言葉を選びとること、自分でもよくわかっていない常套句で迷いを手っ取り早くやり過ごさないことの大切さを、ヴィトゲンシュタインやクラウス、中島敦の文字禍などを通じて論ずる本。かいな。

    哲学は必要だ、むしろ重要だと思います。そんなものないほうが波風たたないと思うけど、多面的な視点があると世界の見え方がかわるのだろうなぁ。

  • 中島敦と世紀末ウィーンの人物

    中島敦とホーフマンスタールが、言葉から魂が抜ける体験を描いて言語"不信"を表明する一方で、ウィトゲンシュタインとクラウスは、むしろ言葉に魂が宿る体験に着目することで、言葉の豊饒[ほうにょう]な可能性を探る言語"批判"を展開している。

    ゲシュタルト心理学

    ベーコン
    思考の歪み「イドラ(幻影)」
    「言葉を通じて知性に負わされるイドラ」=「市場のイドラ」が一番厄介
    「言葉は知性を無理に加え、すべてを混乱させて、人々を空虚で数知れぬ論争や虚構へと連れ去るものだ」
    そのため「真の帰納法」が必要(経験的探究)
    ①観察・実験を通した事例の網羅
    ②適切に吟味し秩序づける
    ③諸事例を貫く概念を取り出す

    ゲシュタルト崩壊から抜け出せない理由
    P.66
    …言葉を現実の(不完全な)代理・媒体と見なす言語観が彼らの物語の前提にある

    「語は文から分節化される」という原理

    ウィリアム・ジェームズ
    「もしも感feeling of if」「しかし感feeling of but」

    アスペクト(相貌、表情)変化
    アスペクト盲の思考実験
    =ウィトゲンシュタイン「かたち盲」「意味盲」

    アニミズム物活論

    『「いき」の構造』

    言語浄化主義

    クラウス
    韻による「規則性を超えた創造的必然性」
    P.196
    …〈個々の言葉のもつ奥行きや多面性に触発され、その言葉のかたち(ヴォルトゲシュタルト)を把握する〉という実践を重視する姿勢によって貫かれている。

    「言葉というものが、どんな仕方で機械的に使用されようとも、精神の生命によって包まれ保持された有機体であるということの予感」

    言語不信 言語批判

    [自分の意見・文章と思っているものが、他人(マスメディアなど)の繰り返している常套句の反復に過ぎない]
    この指摘の翌月、ナチス内部のアドルフ・ヒトラー独裁体制が確立
    その10年後ナチス国家が誕生した

    P.217〜 現在の状況に適用

  • ウィトゲンシュタインとカール・クラウスの言語論についての検討をおこないつつ、「生きた言葉」や「魂ある言葉」とはなにかという問いを考察している本です。

    本書ではまず、中島敦とホーフマンスタールの二編の小説がとりあげられ、それらの作品に見られる、いわゆる「ゲシュタルト崩壊」と呼ばれる現象に注目がなされています。その後、ウィトゲンシュタインの言語論、とりわけアスペクト盲をめぐる議論についての検討がおこなわれています。

    後期ウィトゲンシュタインの言語論は、ときおり「意味の使用説」といったことばでまとめられることがありますが、本書では、ウィトゲンシュタインがことばが帯びているアスペクトないし「表情」について検討をおこない、一方では彼が言葉のうちに宿る「魂」の実体化を否定しながらも、他方ではことばを理解しているといえるためにはそのつかいかたを知っているだけではなく、言葉を体験しているのでなければならないという考えをいだいていたことが指摘されます。著者は、「ぴったりと合う」ことばをさがしているときの体験などを例に、ことばのアスペクトを次々と見わたしていくことによってことばの輪郭が把握されるという見かたを提示しています。

    つづいて、こうしたことばの見かたにもとづいて、クラウスの言語観が検討され、とりわけことばがたんなる伝達のための道具ではなく、「かたちを成す」機能をそなえていることに目を向けています。さらに、マス・メディアなどを通じて紋切り型のことばが流通することの危険性にいち早く目を向けていた思想家としてクラウスを評価し、ことばへのかかわりが倫理的な問題につながっていることを展望しています。

  • 哲学の書ということである程度身構えて読み始めたのだが、最も驚かされたのはそのなめらかな読み心地であった。まさに「なめらか」という言葉がぴったりくると自身で思うほどに、伝えたいことがしっかりと抑揚に乗って伝わりつつ、それでもどこか控えめで、落ち着いた論調で議論が展開されていく。加えて、小手先の言葉で惑わされたり、騙されたり、議論を飛躍させられたりするような感覚がない。非常に真摯に、眼を見つめられながら話されるように、内容が進んでいくのである。ここに著者の誠実さや真剣さを私は感じ、それ故余計にこの書の論に惹き込まれた部分があることは否定できない。あまり類を見ないような、素晴らしい読書体験であった。

    書の中で展開されている「言葉」をめぐる議論についても、大変興味深く、おもしろいと感じさせられるものであった。自身が普段体験していることと、自身が思いもよらなかった考え方・思想の広がりが繋がることで、眼前が開けるような感覚が得られた。決して簡単・平易・わかりやすいに振り切ったものではない内容に対して、しっかりと言葉を追いながら、議論を味わっていく。こうして得られる深い味わいもまた、容易に他では得られるものではないと私は思う。

    著者も最後に述べているように、この書で得られる啓示は現代の我々にとっても非常に重たいものである。言葉が安易に発せられ、それを安易に受け止められる現在、私達は言葉に対してどのように向き合うべきか。何事も効率化が重視され、140字に収まる効率的な・キャッチーな言葉がすべてを決めるような向きが我々の世界には存在する。それに流される自分を客観視して、今一度「言葉」というものを再考すべきだと私も思う。その思考のための梯子がここにはある。ぜひ多くの人に読んで貰いたい、勧めたいと思える一冊であった。

  • 言葉のゲシュタルト崩壊現象の紹介から始まり、ウィトゲンシュタインやカール・クラウスの言語論を通して、言葉の〝魂〟と呼ばれているものを批評、言葉とどう向き合っていくべきかを論じている。
    中島敦『文字禍』という親しみやすい題材から入っていくのもあって読みやすく、最初から最後まで興味深く読めた。
    またウィトゲンシュタインとクラウスの生きた時代から現代にかけて、言葉を巡る環境がどう変わったかを振り返って締めくくられるのだが、ツイッターをはじめSNSを多用するわたしとしても他人事では済まされないと反省させられた。

  • SNSの投稿や、政治家やよくわからないコンサルタントやベンチャー起業家のカタカナ言葉など、日常生活において「空っぽの言葉を話している」と感じることが多くなってきたこの頃に最適な一冊だった。
    言葉のかたち=多面性=ゲシュタルトがなぜ重要なのかということをヴィトゲンシュタインやカール=クラウスの思想から迫っていく後半はとてもワクワクする内容だった。
    「空っぽの言葉」と感じるものはここで言う「常套句」であり、それは言葉を選ぶ責任を放棄して常套句を繰り返すナチスのプロパガンダと同等のものであるというとこが分かってきた。

  • 私が大学生の頃、先輩方の印象深かった警句の一つに「違和感を大事にしろ」というのがある。本書で言うところの「しっくりこない」からはじめろ、それを手放すな、ということだろう。

    常套句に身を委ねてしまったとき、戦争に代表される社会の破滅がやってくる。リアルな話で、歴史の教訓だ。国家だけでない。企業も組織も、あらゆる人間の集まりがそうだろう。

    堕落や破滅は言葉への敏感さを失ったところにある。常に創造せよ、というわけではなく、常套句にも魂を立ち上がらせよ、と本書は言う。

    哲学が衒学ではなく、言葉に溺れず、傲らず、しかし、言葉を大切に選ぶこと、待つこと。それが哲学だと。クラウスとウィトゲンシュタインの魂を本書は言葉にしてくれた。

  • シリーズ世界の思想「論理哲学論考」でお世話になった古田
    徹也による、「言葉」を考える哲学書。

    同じ文字を書き続けていると突然その字が意味を失い、ただ
    の図形に見えてしまう「ゲシュタルト崩壊」とそれを扱った
    小説を入口に、ウィトゲンシュタインとカール・クラウスの
    論を足がかりにして、言葉を使うとは、そして言葉を理解
    するとはどういうことかを示し、最後には言葉を選ぶという
    ことの責任と倫理に言及し、今現代の社会においても、いや
    今このような現代社会だからこそ考えざるをえない重大な
    問題をはらんでいるということまで辿り着く。どこかの国の
    質問にまともに答えずのらりくらりとはぐらかし、言い換え
    でごまかし通す総理と政権を思い起こさせ、ナチ誕生直前の
    ドイツと同じ状況だと知るや慄然とせざるを得ない。実に
    わかりやすく書かれており、哲学書なんか読んだことのない
    人でも楽しく読めると思うので、ぜひ今現代の日本人、多く
    の人に読んでいただきたい。

    残念なのは、わかりやすすぎるといってもいいほどの内容で
    読後に少し物足りなさを感じてしまうところかな。

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著者プロフィール

1979年、熊本県生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科准教授。東京大学文学部卒業、同大学院人文社会系研究科博士課程修了。博士(文学)。新潟大学教育学部准教授、専修大学文学部准教授を経て、現職。専攻は、哲学・倫理学。著書『言葉の魂の哲学』(講談社)で第41回サントリー学芸賞受賞。

「2022年 『このゲームにはゴールがない』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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