- Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062585996
作品紹介・あらすじ
本書は、平安時代の摂関政治がどのように権力を生み出していったか、そのしくみについて女たちの後宮世界からみていくものです。
平安時代の宮廷サロンが生み出した文学作品に、「歴史物語」とよばれるジャンルがあります。男たちが漢文で記す「正史」にたいして、女たちの使う仮名であらわしたものです。できごとを羅列する無味乾燥な「記録」にたいして、できごとを活き活きと語る「物語」です。
平安宮廷の表舞台は摂関政治に代表される男の世界ですが、周知のようにその根底を支えているのは男と女の性の営み、天皇の閨房にありました。摂政関白という地位は、天皇の外祖父が後見役になることで得られるものですから、大臣たちは次々と娘を天皇に嫁入りさせ、親族関係を築くことに必死でした。
そうした要請から、摂関政治は結果として一夫多妻婚を必然としました。後宮に集う女たちは、天皇の寵愛を得るために、そして天皇の子、とりわけ次代の天皇となる第一皇子を身ごもるために競いあいました。
天皇の後見と称して、その権限を乗っ取るようにして発揮する最大の権力が、天皇と女たちの情事に賭けられていたというのは、ずいぶんと滑稽な話ですが、「歴史」はそういうことをあからさまにしたりはしません。あくまで男同士の権力闘争として書くわけで、むしろその本質であるはずの、いくつものサロンの抗争や女たちの闘争は「物語」にこそ明らかになるのです。
その恰好の例が『栄花物語』です。作者は歴史的事実をあえて無視したり操作することで、女であること・生むこと・母となることの連なりに走る裂け目こそが、男たちの世界をつくってはやがて掘り崩し、そうした変化が新しい権力構造を生みだしていくことをはからずも明らかにします。
感想・レビュー・書評
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物語を論じているのか歴史を論じているのか曖昧な印象。部分的に、栄花物語と史実や大鏡の記述とを対比させていて栄花物語について論じていることが明確な箇所もあり(安和の変のくだり等)、そういう箇所は面白いが、正直、栄花物語の作者の考え方を論じているだけで、それでこの時代の社会や政治や権力や性のあり方を論じ(ているように見え)るのは、どうなんだ?と思ってしまう。栄花物語と史実の相違を明確にしていない箇所も多いし(というかその方が多い)…。
疑問な箇所も多数。
・朱雀女の昌子内親王の冷泉への入内について、「外戚となるべき保明親王が没しているのであるから、この入内はどこにも利益をもたらさない。」(p.67)と書いているが、昌子の母方の祖父である保明(保明女が朱雀女御となって昌子を生む)は外戚ではない(これが外戚だったら、彰子入内について、源雅信を外戚と言うようなもんだ)。どうしちゃったの?
・皇女・女王の藤原氏への降嫁について、「源氏となった女子との婚姻関係において天皇家との結びつきを得ることはできない。」からなぜ「したがって、藤原氏は権威の再分配として直接に天皇の娘でしかも臣籍降下されていない内親王を求めなければならないことになる。」「…親王の娘である二世女王(天皇の孫)は価値をもたなくなる。」(p.70)のか? 臣籍降下を問題にしているのに、なんで、臣籍降下していない女王の価値までなくなってしまうの?
・「兼家の息子道長の栄華の礎となった一条帝退位ののち、その権力の延命をはかるのが超子の生んだ三条帝なのである。」(p.95)と書いているが、道長はすぐに自らの孫後一条に践祚させたがって三条を圧迫しまくったのに、どうしちゃったの?
・一条践祚により兼家が摂政になったことについて、前関白「頼忠は太政大臣として残るが、関白の地位は摂政兼家に譲ったことになる。」(p.130)と書いているが、摂政になったんだから、「関白」の地位を譲ったわけじゃない。
・一条後宮に定子以外の女君が入内したのは、実際には長徳の変以後なのに、栄花では道隆・道兼の死後としているが、この操作については言及していない。かなり大きな改変だと思うのに、なんで?
・伊周の娘は宮仕えに出すなという遺言について、「伊周の遺言空しく、姉君は道長の息子三位の中将頼宗を婿取ることになる。」(p.202)、「けっきょく姫君二人ともが、伊周が案じたとおりの生きかたを余儀なくされることになる」(p.203)と書いているが、宮仕えに出た妹君はともかく、頼宗の正室となり、3男(極官は中納言、右大臣、内大臣(贈太政大臣)3女(小一条院女御、後朱雀女御、後三条女御)を生んだ姉のほうは、全く伊周の案じたとおりじゃなかろう。
・子のできない頼通を案じて、母倫子が召人でもいいから子供を産んでくれれば、と言ったのについて、妻ではない使用人の性はオープンだから頼通の子であるかどうかも問題ではない(「…通房が頼通の子でなかったとしても、道長と倫子に引き取られたのだから、もはやどうでもよいともいえる。」「…この猶子関係の根本は、通房に道長の権威を与えることにあるのであって、その子が頼通の子であるかどうかはさして問題ではないことを暗示させもする。」(p.218))と書いているが、そんなこと倫子が思っていた(と読まれることを栄花作者が想定している)わけないだろう。養子にすればオッケーなら、父母ともどこの馬の骨かわからないより、もっと身近なところから養子取ればよいだけじゃん。
・「…頼通は入内させる娘だけでなく、天皇の系を継ぐことにも失敗したのである。」(p.261)と書いているが、入内させる娘がいなかったから(相当遅くなってから入内させても皇子を生むことができなかったから)天皇の系を(藤原氏により)継ぐことができなかったのに、なんで「だけでなく」なの?
また、密通(一妻多夫制)と男色という著者の関心に引き付けて深読みしすぎ(言及が唐突)と感じられる箇所もままあった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
「栄花物語」は「大鏡」に比べ、同じ時代を描きつつも、女性の役割が詳しく書かれている。醍醐・村上天皇も聖帝とされる所以が、政治より学問、文学、後宮の女性たちとのバランスある接し方にあったという言葉が皮肉ではなく、事実!だと変に納得した。女好きだった花山帝という個性の強さにも興味深い。藤原氏が、天皇・東宮に(正妻の産んだ)娘を輿入れさせ、子(特に男)を産むかどうかに掛かって権力闘争が行われた。まるで籤引きで権力が決まるかのよう。道長の権力基盤は本人の能力もさることながら、その好運に依っていた面が大きいし、頼道夫妻が子に恵まれず、天皇家との関係が希弱化していったらしい。一方、後三条・白河がその仕組みを逆用して藤原氏を脇に追いやり、院政が始まっていくということが面白い。正妻の家格が娘の格に影響し、天皇家の内親王(娘)、そして2世女王(孫)、3世女王(曽孫)の格の中で藤原氏だけが、内親王、2世女王を嫁として迎えることができたという構造の強さは初めて知った。