東日本大震災 石巻災害医療の全記録―「最大被災地」を医療崩壊から救った医師の7カ月 (ブルーバックス)
- 講談社 (2012年2月21日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062577588
作品紹介・あらすじ
東日本大震災で最大の犠牲者を出した石巻市は行政や医療機関も機能がマヒし、「石巻医療圏」22万人の命は宮城県災害医療コーディネーターである著者に託された。状況不明の避難所300ヵ所、いつまでも減らない大量の急患数…かつてない巨大災害に、空前の大組織「石巻圏合同救護チーム」を指揮して立ち向かい、地域の医療崩壊を救った一外科医の思考と決断のすべて。
感想・レビュー・書評
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〇学んだこと
1.石巻赤十字病院では、トリアージエリアの設置は訓練通り進めることができた
2.震災発生から7時間後、陸上自衛隊が到着
3.EMISが稼働しない問題にどう対処するか
4.翌日の12日に、急患が779人(平常時は急患は60人程度)。翌日は1251人の急患。飛来するヘリは63機(事前訓練が功を奏した)
5.震災発生から48時間のうち、赤タグの患者は115人(低体温30人・クラッシュ症候群7人)
6.黒タグ(死亡)の人も多数運ばれてくる事態⇒院外のトリアージエリアを設置することで対処
7.病床数402床では対応できない⇒東北大学病院が受け皿となった(専門を度外視して診察を実施)
8.安全確認がとれていない地域に医師を派遣することに細心の注意が必要
9.東日本大震災が発生する5年前、病院を内陸に移転
10.屋上ヘリポートは、災害発生時にエレベータが停止した際に、患者搬送が実施できない
11.災害発生時のマニュアルを実名で記載することで、平時から備えてもらう
12.dERU:一日軽症・中等症を150人程度
13.DMAT(CSCATTT)と日赤(巡回診療)
14.災害発生時は、関係機関の密な連携(顔が見える関係)が重要。
15.自らの業界に縛られず、協力関係を構築することが応急対応を強固にする(ドコモ中継局)
16.避難所のトリアージを実施(避難所のアセスメントシートを、◎・〇・△・✕で評価)
17.緊急時に、自らの活動を自己限定しない
18.情報をとにかくかき集めることが重要
19.「数が揃ってから配る」はお役所的発想。
20.災害救護の現場では、べき論ではなく、解決策を生み出すことが必要
21.地元医師会との緊密な連携が必要
22.震災直後のガソリン・灯油不足・宿泊場所にどう対処するべきか
23.表5-2の要望リストを参考
24.被災者のために何をすべきか常に考えて行動する
25.行政との対応は「謙虚」と「具体例」
26.報道機関も災害時には協働できる仲間である
27.災害救援活動で最も重要なのがロジスティクス
28.地域リーダーが率先して、二次避難を勧めることが重要?
29.公助機関として、「対応部署ではない」と答えることがあってはいけない
30.防災マニュアルは、初動対応以外は、応用問題となる心構えが必要詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
2.5年前の大震災直後からの災害医療チームリーダーによる、迫力の記録集。とにかく色んなことを考えさせられる本となった。各記述の重みが凄すぎ、きついものもあった。しかしいずれも現場で重要なこと、視点ばかり。そして今を生きる自分の生活、仕事場にそのまま適用、活用可能というところに恐れ入る。この高い意識を本当に敬意を表して見習いたい。
最近すっかり震災関連報道が下火になっているが、まだまだ終わってはいない。本書のような視点でのドキュメンタリー番組を是非望みたい。 -
内容も活動も素晴らしい。 背景、実際の動き、苦しんだ事、助かった事、教訓、今後、などなどが簡潔明瞭に述べられている。 誰が読んでも学ぶものや感じることがあると思う。
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東日本大震災における災害医療の様子がわかる。
トリアージポストは病院に設けるのではなく実動部隊の前線に随伴させないと、事実上の死者まで搬送されてきてしまうなど。 -
災害医療コーディネーターとして東日本大震災発生からの7ヶ月の記録。
地震発生直後の院内体制の構築から、各避難所の現状の把握・問題解決など筆者がどのように動いたか事細かに記されている。
行政も被災し機能不全に陥ってる中、医療者ということに捉われず行動した姿勢に脱帽。 -
以前に購入していた本だったのだが、著者を知っている方からぜひ読んでみてと紹介され読んでみたのだが、本当に圧倒された。
・震災時の記録(クロノロジー)の重要性
・災害対応のキーワード(①事前の準備、②逃げない心、③客観的視点、④コネクション、⑤コンセンサス)
・被災者が必要とすることなら何でもやるという姿勢
など、今の仕事に活かすべき要素があるのではないかと思う。 -
「はじめに」の冒頭に「僕は地方の一総合病院…に勤務する、平凡な外科医である。」と書いてあるが、とんでもない。獅子奮迅というか、八面六臂というか、読み終えて、長岡赤十字病院救命救急センター長の内藤万砂文氏による「解説」の最後にあるとおり、「誰もが石井正になれるわけではない。」と心底思った。もっとも、なれと言われる可能性は皆無だから、心配することではないが。著者が災害対応のキーワードとして最初に挙げているのは、事前の準備。せいぜい、これを日頃から心がけることにしたい。第1章「発災」の「東北大学病院の英断」という節を読んで、当時の病院長が里見進氏だったことを知り、東北大学は立派な人を総長に選んだものだと感心した。まったく意識していなかったが、市町村別に見ると、東日本大震災による死者・行方不明者が一番多かったのは石巻市だそうだ。あれから10年が過ぎて、依然として困難な状況にあるのは石巻市ではなく、福島県の市町村だという現状を見ると、東京電力福島第一原子力発電所の事故を防げなかったのは、本当に大失敗だった思う。終章「『次』への教訓」の「結集した『同胞愛』」という節の「だから、もし次の災害が日本のどこかで起きたとき、再び日本人は同じように立ち上がる。その点は安心してよいと思う。」という下りを読んで、新型コロナウイルス感染症という災害が日本のどこかではなく、日本中で起きたときもそうだったと、後年言ってもらえるだろうかと思った。2012年3月11日付け読売新聞書評欄。評者は、気仙沼市でカキ養殖業を営んでいた畠山重篤氏。今は、特定非営利活動法人森は海の恋人の理事長だそうだ。
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石巻赤十字病院に勤務する外科医だった著者の石井正さんは、2011年2月に宮城県知事から「災害医療コーディネーター」に任命され、わずかそのひと月後に東日本大震災に直面した。事前の備えがあったとはいえ、地域で唯一の災害拠点病院として石巻医療圏22万人の命を背負うこととなった。
避難所のライフラインの状況や傷病者数もまるでわからず、石井さんはまず全ての避難所をローラー作戦で巡回して実態を把握することから着手した。停電であらゆる通信網が遮断され、外部の情報は入ってこない。発信することもできない。「HELPのサインがないことこそ、助けを必要としている証拠」という著者の言葉は、その後起こった様々な自然災害の被災地にも当てはまるし、これから先も肝に銘じておくべきだろう。
著者は全国から応援にかけつけた3633の救護班を統括して約300ヶ所の避難所をエリア別に巡回する体制を確立。石巻市役所も被災していたため、各避難所の医療ニーズや必要な物資などをリストにして共有し随時更新、仮設トイレの設置の手配など専門外のことも引き受けた。
石井さんは7ヶ月にも及んだ活動を平易な文章で綴り、浮かび上がった多くの発見と問題点をわかりやすくまとめている。
「災害救護活動の現場にそもそも論を唱える評論家は必要ない。」
読み返すたびに今でも当時の状況が臨場感を持って伝わってくる良書である。