西太后秘録 近代中国の創始者 上

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  • Amazon.co.jp ・本 (298ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062194020

作品紹介・あらすじ

世界三大悪女の一人とされ、「残虐非道の女帝」のイメージがつきまとう西太后(慈禧大后)。だが、実は当時の4億人の民を率い、47年にわたって統治を続け、中国近代化の基礎をつくりあげた、辣腕の政治家だった。
『ワイルド・スワン』『マオ』で中国の真実を描き続ける、あのユン・チアンが「誤った西太后」像を根本から覆し、「名君・西太后」の真実に迫る。

あらすじ
官僚の家に生まれ、父の失脚後は長女として一家を支えた慈禧(じき)。16歳で清朝第9代皇帝の咸豊帝の側室となり、やがて幼い息子が帝位を継ぐと、後見として政治家の頭角を現していく。しかし、息子は若くして病のために崩御してしまう。
妹の子供を養子に迎えた慈禧は、光緒帝となったその息子の後見として返り咲き、宮廷内の政治に手腕を発揮する。革新派の上級官僚の李鴻章や曾国藩らを重用し、ヨーロッパ技術を取り入れて近代化に邁進する慈禧を、やがて日清戦争での致命的な敗北が襲う!
政変への命がけの画策、宦官との恋、自らへの暗殺計画の阻止、不仲の光緒帝廃位に燃やした執念、日清戦争敗北後の復活……。誰もなしえなかった長期的な統治の秘密を、膨大な記録をもとに明らかにする!

読みどころ
その1: 后の一人を「人豚」にしたなど(これはフィクション)残虐なイメージの強い西太后像をくつがえし、偉大な政治家としての真の姿(辣腕政治家であり、宮中だけでなく外国人にいたるまで細やかな気遣いを見せたなど)が詳細に描かれた唯一の評伝。著名な著者だけに注目度が高い。

その2: 清の近代化推進プロセスや改革派の人材登用、ライバルとも協調関係をとることで目的を遂げるなど、リーダーシップ、マネジメント論としても発見が多い。

その3: 宦官との秘められた恋(発覚して宦官は処刑される)、西太后の肖像画を描いたイギリス人女性との友情など西太后の知られざる人間性もあますところなく描かれる。

感想・レビュー・書評

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  • ユン・チアン著、川副智子訳『西太后秘録 近代中国の創始者 上』(講談社、2015年)は西太后の伝記である。西太后には守旧派のイメージがあるが、本書は近代化の推進者と位置付ける。また、西太后には残虐な暴君というイメージがあるが、その権力基盤は脆弱であり、むしろ守旧派との妥協を余儀なくされたとする。清朝では近代化推進の揺り戻しが起きたが、それは西太后がストップをかけたというよりも、西太后の思い通りに推進できなかったことが大きい。

    中国の屈辱の近代史の出発点は阿片戦争である。違法ドラッグを蔓延させて侵略することは世界史でも類のない非道である。しかし、李鴻章ら士大夫が阿片戦争に衝撃を受けた様子は乏しい。むしろ、黒船来航後の幕末の日本人の方が阿片戦争を清国に捉えている。それは清が征服王朝ということがあるだろう。これが中国の近代化対応を遅れさせた要因である。

    これに比べると西太后は満州貴族の家に育った者として、また、皇帝の後宮に入った者として阿片戦争の影響を受けた。問題意識を士大夫階級以上に抱く環境にあった。西太后は反動的な守旧派イメージが強いが、近代中国の創始者と位置付けることは意外と合っている。

    阿片戦争の開戦前に林則徐はヴィクトリア女王に手紙を出した。相互主義に訴える内容であった。「阿片の吸飲は英国では厳しく禁止されているとうかがっております。英国はこの麻薬の害をご存じだということでしょう。阿片が自国民を毒するのを認めないのであれば、他国民を毒するのも許すべきではありません」。正論である。英国ロンドンのマダム・タッソー館には林則徐の等身大の蝋人形が飾られている。英国にも阿片を没収して廃棄した林則徐を評価する人々はいた。

    阿片戦争に敗北した結果、清国は多額の賠償金を支払わせることになった。これは清朝の財政に影響を与えた。「道光帝は必死で倹約に努め、皇子の花嫁に黄金や珊瑚や真珠の首飾りなどの贈り物をするしきたりを差し控えるだけでなく、婚礼のあとの豪勢な祝宴も禁止した。新年や誕生祝いの儀式も縮小し、中止にした年もあった」(24頁)

    元々、清朝は飽食の贅沢を嫌っていた。「残飯も無駄にしてはならず、召使いに与えること、召使いの食べ残しは犬猫の餌にするということが、清朝のいずれかの皇帝により定められていた」(33頁)

    第二次阿片戦争でも国民の無関心は変わらなかった。「この戦争が皇帝の威信をかけた戦であって、民衆の関心事でなかったのは事実だ。雲の上の存在の皇帝には平均的な官吏でさえ、さして関心を抱いていなかった。清朝の政治体制が知識階級の参加さえも阻むものである以上、このことは驚くにはあたらない」(55頁)

    西太后の熱狂的な支持者に栄禄がいる。戊戌の政変で康有為らの戊戌の変法を潰したため、評判は悪い。しかし、栄禄は上官の粛順に横領の冤罪を着せられて斬首されそうになったことがある。現代日本でも兵庫県警はコンビニの売上金などを盗んだとの店長の訴えを鵜呑みにして店のパート従業員の60代女性を窃盗容疑で誤認逮捕した(「兵庫県警が60代女性を誤認逮捕 窃盗容疑、14時間半後に釈放」毎日新聞2023年12月1日)。西太后は辛酉政変で粛順を処刑した。この経緯を知れば栄禄が西太后を支持することも理解できる。

    西太后を権力欲に固まった悪人と描かない場合に光緒帝との関係をどう描くかが注目される。『西太后秘録』では最初から対立関係にあったと描く。オーソドックスな視点では光緒帝は近代化を推進しようとし、西太后に阻止されたとする。これに対して『西太后秘録』の光緒帝は伝統的な皇帝のための儒教の帝王学で育てられ、西太后の方が近代化に積極的であったとする。

    西太后は実弟・桂祥の娘・隆裕を光緒帝の皇后にした。光緒帝は押し付けられたものと感じ、隆裕皇后を嫌っていた。光緒帝が嫌うことには理由はある。「桂祥公爵は周囲から侮蔑の目で見られている人物で、姉の皇太后がアヘンを嫌悪しているのを知りながら吸飲をやめようとせず、救いがたい無能と見なされれていたので要職には一度も就けず、そのくせ一家の財産を浪費していた」(216頁)。光緒帝は皇后の父親に敬意を表する祝宴を欠席し、中止に追い込んだ。これは光緒帝に共感する。

    西太后は人間が愛玩したいという都合でペットを育てることに批判的であった。「不自然な飼育には嫌悪感を覚えるし、人間の愉しみのためになぜ動物の体を変形させなければならないのか理解できない」(247頁)。現代人にも通じる意識である。

  • 今まで悪役にされていた西太后に、魅力的な一人の女性として光を当てた。参考文献や丁寧な注、非常に詳しく丁寧で、しかも無駄なく簡潔に書かれている。頤和園は確かにその当時無駄な出費という向きもあったかもしれないが、今はよく作ったと感心するのみだ。

  • 他の方も書かれている通り、大変面白く読み終えることができた。コメントされているほかの方の中には、小説的過ぎて注意が必要とのコメントもあるが、一般人が読む評伝としては最良の部類に入るのではないかと感じた。
    中国は、近くて遠い隣国であるように思う。アジア最大の大国として近世に至るまで明らかにアジアの宗主国であったにもかかわらず、学校教育で触れられることも少なく、我々の中国に関する理解は非常に限られている。
    日本の明治維新とほぼ時期を同じくして中国で起きた苦難の歴史を知ることは、現在の中国を理解するうえでも有益であるように感じた。
    小難しい歴史書を読むのに抵抗がある人でもきっと楽しんで読むことができる、中国近代史導入としての良書だと思う。
    また、掲載されている写真も大変興味深いもので、多くの人に見てもらいたい。

  • 回想上次讀張戎的書已經超過二十年了,真恐怖。寫史風格很西洋風,預設的讀者是一般西方人的感覺所以大致上是寫得比較淺顯(但是很震驚地發現還是有不知道的事情,可見我們以前的讀物把慈禧黑得多嚴重,另外一方面也發現用西洋史料看清末的內容大有不同,以前多半只是單方面哭夭被霸凌政策都被鬼子硬塞多不得已的感覺),也異常地明快。儒家傳統以來的女性歧視,導致中國寫史總是歸咎於女禍為多,尤其清末的歷史更是把狗屁倒灶的一切事情全都推到慈禧身上,現在幾乎所有人應該都可以朗朗上口倒背如流的就是把海軍數千萬兩拿去蓋頤和園導致甲午戰爭慘敗。

    以張戎明快的寫作方式,很乾淨俐落地切出慈禧的生涯,從咸豐帝駕崩和貞皇后、恭親王一起策動八大臣(肅順)政變、垂簾聽政、兒子成年還政退休、同治駕崩後對仇外醇親王的報復選擇載湉並聽政、還政完全退休,到甲午戰爭。基本上作者的角度是,慈禧基本上是開明的統治者,輪到她主政時推行各種建設,洋式軍隊、海軍、造幣局、海關稅務司(讓稅收超過乾隆時快兩倍),跟國外買米就飢荒(這居然也是創舉。對了連京劇的普及和藝術化也大有貢獻!!!以前是下層階級在看的詼諧劇),在中國人對風水祖墳的顧忌下拍板了第一道鐵路的建設(原來是被反對才搬到台灣...後來又不適用又搬回去)和允許礦山挖掘對西方事物的引進和對外國人的友善,也受多半外國政界好評,也派遣外交使節和留學生,用人也很大膽沒包袱(直接啟用外國人或者留外的留學生等等)。

    然而輪到她兒子主政她一退休就一切停滯,至於光緒帝甚至因極其保守排外的帝師翁同龢的影響,對西洋的事物抱持反感甚至遲鈍的態度,親政之後慈禧(和光緒感情不睦)就完全被隔絕在外,蓋頤和園花了三百萬兩(沒有數千萬),有移用海軍本金生的利息,但是這件事就一直被黑百餘年。光緒政權下一切的西化政策都被停滯,包括建軍;李鴻章在光緒親政之後也汲汲營營想保住烏紗帽,,他也不敢推行積極的政策,導致甲午戰爭最終失算。慈禧在六十大壽(五十歲那時是中法戰爭也沒好好慶祝)當口才漸漸得知這個燃眉之急,不過她收了祝壽禮物還是給眾人不良觀感。她開始領悟到問題有多大,先裁撤光緒(皇帝在開戰時本來想撤廢丁汝昌,還是慈禧檔掉)身邊的小人,珍妃也因為收紅包賣官被降級(這點第一次聽說)。上卷就寫到這裡。

    中國儒家史觀風格,總是用女禍兩字帶過從頭黑到底,所以雖然知道清末有很多洋化建設,但是從來沒聯想到是慈禧主推。我記得我讀過的多半都是,光緒帝想要採用新人新政策,氣象一新,但是在亂花國庫的錢+守舊派水泥腦+溺愛太監讓太監很囂張+根本搞不清楚狀況+從來就不願意放手把持著政權讓皇帝抑鬱不平+是非不分萬惡之首大魔王慈禧(現在知道她不太化妝原來是因為守寡的關係)的干涉下抑鬱而終。一般史觀的一貫說詞,都是慈禧的霸占權柄(導致天災人禍)和亂花錢讓國家陷入危機(又開始說母雞叫不吉祥云云),反而她在戰爭裡面果決的決定(譬如切屬國,但領土絕不放。守住崇厚亂簽條約之後的新疆,對中國來說是守住極大片土地,以中國史家的角度,這不是他們最愛的套路嗎,應該比照秦皇漢武歌頌一番,誰知完全沒人提。在國家飢荒時還堅持花錢叫左宗棠帶兵去新疆,要是男人應該就被捧上天世世代代歌頌了。對這件事,比照今日時事來看是好是壞大家自有公評,我只是要說性別歧視史家們有多差別待遇),和推行洋化政策,和外國建立正常國交關係這件事,不戴有色眼鏡看西方的事物,堪用就引進的精神,熟知中國傳統官僚的種族歧視神州中心性格應該就知道有多困難。打破傳統在殿中擺設花與花瓶聽政,這件事也令我印象深刻。真的有些事是只有她,而不是那些男性皇帝可以做得到的,至少應該要肯定她那些正面的政策,中國史家老愛說她讓大清滅亡云云,其實應該多救了大清幾十年吧。但在我的感覺上,大致上她還是沒有太過火,該遵照的祖法還是幾乎都會遵守(女人禁制的正門她也沒去過),基本上還是束縛在這個性別角色裡,遇到重大問題也還是基本上讓男性下屬先討論一番;男性史家把她寫得太過火也很有問題,至於那些猜測她是否和親信宦官有一腿,親信宦官例如安德海是否根本沒淨身的那種智障文章就更不用說了。她有她的,對一般人來說是「女性」性別導致的缺點(當然我對這種性別產生的缺點云云說法還是極度厭惡,缺點就是缺點只與那個人本身有關,與性別無關。不過以時人來說,就是愛美,耳根子軟,陷入戀愛就會無比獻身→我真心覺得孝謙女帝也是被黑的),導致女性治國總是讓儒家抱持蔑視的態度,但是那種沒包袱的果斷和果決,讓傳統中國的近代化(如果真的是她做的話)這件事是無論如何都還是要肯定的。

    但是回過頭來說,長期旅居西方的作者的思維還是比較接近西方人,使用史料的方式也比較直接引述。但是東亞的許多國家,史料都不能盡信,譬如說某件事人人都讚美慈禧,可能只是拍馬屁,與她做得好不好或不是她的功勞無關;願意歸還政權或者任職再三辭退,這種也可能只是表面功夫。日本的言霊信仰,儒家社會的主觀寫史記述,讓東亞社會的我們對於歷史的記述未必可以真實盡信這件事,應該孺子皆知了,儒家的傳統就是記下自己想要的歷史,這件事在該宗教的開宗始祖撰寫的史書就很明白了,然而似乎很多史家還是沒有足夠的警覺心,我感覺作者在運用史料上還是有過度囫圇吞棗的感覺。這感覺是給一般人的書,出處沒有那麼細緻嚴謹,關於頤和園的爭論和總費用無從判斷是非,然而顯然也寫得太西洋二分法了,黑與白,先進與保守,慈禧則是正確的一方,只要她放手,政權就回到以前的保守停滯狀態。我想事情並不那麼單純,這本書畢竟不是小說,沒有能力也沒有義務處理到她的心理狀態(我覺得寫得出來的人應該真的是超頂尖的作家了),但是寫得也太一刀兩斷,或許某些部分應該更曖昧地寫,不要太快逕下評斷才是。一刀兩斷的明快寫作方式,讀起來總讓人感到暢快,也比較適合一般(西方)讀者的理解和掌握,但是在處理這個可能是中國史上數一數二難寫的人物傳時,卻也略嫌深度不足。越偉大的人物,光越強,影越深,有黑有白有功有過的交織,這種刻化才會立體,也比較誠實,至少作為一個盡量客觀的西方流史家,又是少數有能力掌握中國古代文獻的人,我對她的期望應該要寫得更好才是。不過我也同意,這種寫法確實比較能被多半,尤其是西方的讀者所接受,一個被神秘傳統束縛但是卻文明開化的堅強女性,更容易吸引西方人的注意,這有助改善清末狗屁倒灶全部都她來扛的不公平現狀。作者至少先做到多半儒教史家難以做到的第一點,就是排除性別歧視種族歧視的時人濾鏡,真切地客觀地評價政策;然而進一步推敲史料後面不能說的黑龍繞桌的真意,這種東方式的解讀與理解,或許會讓這部作品更為出色吧。

  • 中国の近代。日本が明治に変革した時代に中国が何をしていたのか、知らなかった。歴史が重い。

  • 通説を覆す西太后像や周囲の人物像はおもしろい。
    読んでいる間、引用部分の出典が気になったが、特に注や引用文献の紹介がついていないように見えた。
    しかし、下巻の最後にまとめて記載があった。
    普通、引用部分に数字を付けるなどして、注へ誘導すると思うのだが…
    出典が大変わかりにくい。
    原著がこういう構成なのか?
    もしこれが日本語版のみだったら大変残念である。
    そのせいか、フィクションを呼んでいるような気分だった。

  • ★2015年6月30日読了「西太后秘録(上)」ユン・チアン著 評価B+
    ユン・チアンの著作を読むのは、ワイルド・スワン、マオ誰も知らなかった毛沢東に続いて3作目。
    彼女の著作は、これまでの俗説を覆す内容がいつも衝撃的で、非常に興味を惹かれる。上記2作とも中国国内では発禁であり、どうしても中国駐在当時読みたくて、持ち込んだことを良く覚えている。(今だったら怖くてそんなことは出来ないが、、)

    教科書的には、うろ覚えだが、西太后は、清朝末期に女皇帝であるかのように権謀術数の限りを尽くして、一時期清朝の政治を支配、混乱に陥れたかのような印象を持っていた。

    しかし、この著作では、そのような俗説を覆し、近代中国を文明開化に導き、帝国主義列強の介入を上手くかわそうとその持てる能力を最大限に生かしたやり手の皇后として描かれている。

    夫であった清の第7代の咸豊帝(かんぽうてい)との行き違い、その正妻たる貞皇后との長い親交。西皇后の息子で皇帝となった同治帝。その早い死により、西皇后の妹の子どもを養子として、皇帝に仕立て上げた光緒帝。それぞれとの複雑な人間模様とアヘン戦争、アロー戦争、清仏戦争、日清戦争と立て続けに帝国主義各国の介入と太平天国の乱に抗しながら、ギリギリの妥協で何とか清朝を保っていく。

    当初は、日本の尊王攘夷派と同じように中国でも外国勢力を排撃する動きが強かったが、西太后の無血クーデターにより、外国勢力を上手く取り入れて、清朝の復活を目指す方向を取り、戦争の賠償金も支払い、国が復活を遂げようとする。しかし、その時期になると西太后と貞皇后の後宮政治は終わりを告げ、同治帝また光緒帝の親政となって外国勢力との連携を絶って、もとの儒教的な前近代的政治へ戻ってしまう。結果、清朝の近代化は止まってしまう。

    この本に書いてあることが正しいとすれば、西太后はイメージ先行の大悪女であったという俗説は全くの嘘だったことになる。本来であれば、近代中国の先駆者、創始者という事になる。

    また、日本の明治維新との違いも驚くほど対照的だ。日本は、体制派であった江戸幕府は倒され、反体制派であった薩長土肥が前例にとらわれない体制を作り、一気に組織的に富国強兵へ突き進んだ。その結果として、日清戦争、日露戦争で問題を含んだまま肥大化して、日中戦争、太平洋戦争で崩壊する。

    一方、富国強兵がままならなかった清朝は、結局そのまま辛亥革命で倒され、中華民国成立となるも、日中戦争で傷つき、その後の中華人民共和国の成立、長い低迷期を経て1990年代に入るまでなかなか経済的発展を遂げられなかった。

    この日中両国の歴史を俯瞰すると、どちらが良いのかは言えないものの、西太后の果たした西洋文明導入の動きが、組織的かつ継続的であったなら、世界の歴史も変わっていたかもしれないと考えてしまう。それ程の影響力と煌めきをもった皇后であったと読める。

  • 残虐非道な中国の女皇帝、というイメージしかなかったが、これは政敵によって作られたイメージで、実際は有能で滅び行く清の運命を押しとどめようとした、人望も厚い女性であったという。

    義和団の乱が起こり、北京から逃げる時に皇帝の正室を井戸に投げ込んだというのは本当らしいが、溶けた金を飲ませたとか、側室に対する嫉妬のあまりその女性の手足を切り取って瓶の中で飼っていたなどというのは映画の作り話なんだとか。

  • 感想は下巻で。

  • 西太后は残忍でおどろおどろしいイメージがあるが、本書はユン・チアンお得意の文献に基づいた考察により激動の時代の中国の指導者、慈禧を浮き彫りにしている.

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著者プロフィール

1952年、中華人民共和国四川省生まれ。文化大革命が吹き荒れた1960年代、14歳で紅衛兵を経験後、農村に下放されて農民として働く。以後は「はだしの医者」、鋳造工、電気工を経て四川大学英文科の学生となり、苦学ののちに講師となる。1978年にイギリスへ留学、ヨーク大学から奨学金を経て勉強を続け、1982年に言語学の博士号を取得。一族の人生を克明に描くことで激動期の中国を活写した『ワイルド・スワン』『真説 毛沢東』(ともに講談社)など、彼女の著書は世界40ヵ国に翻訳され、累計1500万部の大ベストセラーになっている。なお、上記の2作はいずれも中国国内では出版が禁止されている。

「2018年 『西太后秘録 下 近代中国の創始者』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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