- Amazon.co.jp ・本 (226ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062154918
作品紹介・あらすじ
差別とは一体いかなる人間的事態なのか?ある人に対して(ゆえなく)不快を覚え(ゆえなく)嫌悪し軽蔑し(ゆえなく)恐怖を覚え自分を誇り、帰属集団を誇り優越感に浸る-われわれのうちに蠢くこの差別的感情を徹底的に抉り出す。
感想・レビュー・書評
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おすすめしません。観念的差別論
著者の様々な差別門団に対する理解も多くは皮相的で、「仮想敵」としているさべつしゃも、それに対抗する反差別者も薄っぺらいステレオタイプであるのが残念。その上自らを特権的・俯瞰的に「公平な」位置に置いているのが鼻につく。
巻末に近くなって少し哲学的に踏み込んだ議論がなされるが、結論はわずか数ページ。しかもそれもあまりに陳腐。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
「認識」というものについてものすごく考えさせられた1冊。
無意識の差別というのもある。
以下引用
P18「当たり前」「当然」「自然」という人ほど差別感情の考察では敵
自然ということでマイノリティーを裁き、気付こうとしない人になる
P19差別はいつも逆差別という新たな差別と不可分
差別に対するとき最大の敵は「よく考えないこと」
P25逆差別を警戒
P65人間は平等というきれいごとではなく、いじめの権力構造を子供にも教えるべき
P75正義の名の下に行われる非難、迫害、排除が一番過酷であった
P77自分の中に生じる嫌悪感を抑えることができないとしりつつほとんどの人は他人から嫌われることを嫌がる
P79人は理不尽に人を嫌うものであり、それを飲み込まなければ生きていけない
P89ナチス、魔女狩り、常軌を逸した集団的他人攻撃が出てくるのは悪を覆そうという企図のもとでの正しい者の復讐である
P95日本では差別感情を持つことは禁じられていないがそれを表に出すことは避けられている
自分の心に思う真実を表に出せないということ
P154家族愛の正当性が保たれているからこそ、
非正統的関係は排除される。
P159江戸時代から続く日本は、
他人が個人をほおっておかずずけずけと介入する社会であり、
社会のしきたりを個人に押しつける社会で、
連帯感を強調し、帰属意識を高める社会。
人間関係の濃厚な社会を単純に求めるのは危険。
他人に自分の価値観を押しつけない、他人を縛らない、
他人を調教しない、他人になるべく期待しない社会こそ実現すべき。 -
差別、という居心地の悪いテーマを正面から扱っている。。。
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哲学者とエッセイスト。二つの顔を持つ中島義道の新刊を前に、読者はしばし悩むことになる。この本の著者は果たしてどちらの中島か? なるほどタイトルに「哲学」の二文字は確認できる。だが「哲学」と銘打たれているからといって、哲学書であるとは限らない。
結論を言えば、本書はよくもあしくもどちらの中島ファンも楽しむことができる「啓蒙書」である。強いて言うなら哲学者でもエッセイストでもない「教育者」としての中島が前面に出た著作であると思う(例えば同著者による『<対話>のない社会』がそうであったように)。
差別感情。だれもそれを逃れることはできない。「そんなことはない」と反論する人間に限って、自分の中の差別感情を隠蔽している。冒頭で中島は自分の差別感情に気づいてさえいない多くの人々に対し警鐘を鳴らす。
中島によれば差別感情を発生させるものは、他者に対する否定的感情と自己に対する肯定的感情である。前者を「不快」「嫌悪」「軽蔑」「恐怖」に、後者を「誇り」「自尊心」「帰属意識」「向上心」にカテゴライズする中島の分析は鋭敏かつ精確であり、哲学的というよりも心理学的かつ社会学的である。
全篇にみなぎっている差別感情に対する憎しみは、中島自身の内部に巣食っているそれに対するものであろう(むろん本人もそのことに気づいている)。否定的感情が差別を生み出すのか、それとも差別への欲求が否定的感情を生み出すのか議論が分かれるところであろうが、言語とともに差別が始まるという説には大いにうなずける。差別と誠実のジレンマに苦しむ中島の熱い思いが伝わってくる好著である。 -
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差別感情の哲学
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私は、差別に関してどちらかと言えばかなり批判的であったように思う。でも、その感情は得てして「人を嫌う」という、人間として無いに越したことはないが、あって当たり前の感情まで否定していたように思う。
人間には、もちろん私自身も含めて人を理由もなく嫌う感情というものがあるものである。
そういった感情を認めた上で、差別と向き合っていく。これまで、私はどちらかと言えば「被差別者」の立場になることは稀であった。
しかし、様々な国の人々と関わる機会が増えるにつれ、それらの人々と共生していこうとする時、「差別」は必ずぶつかる壁なのだと気付いた。
学生時代に「被差別部落」についての授業を受けていたが、今回改めて自らそういった「差別」のメカニズムについて学びなおすことができたように思う。 -
差別感情について、どう向き合うかを自分の頭で考えるのにいい本だと思います。事実無根のレッテル貼りによる差別は当然無くすべきですが、不快感、嫌悪感、あるいは誇りや帰属意識を基にする差別は、その感情自体を持つことを一律に否定するべきではないゆえに、どう扱っていいか難しいものであります。
例えば、ある人に嫌悪感を抱いてしまったとして、それを表に出すべきでは無いというのが、一般的なマナーとされていますが、それは実は実際に持ってしまった嫌悪感と、それを無かったことにする外見のギャップとして、行動に表れてしまいます。これを隠せているつもりなのは本人だけで、他人から見ても、なんとなく分かるものです。しかし、感情を持つことが非難されるべきとまでは言い難い。
これをどうすればいいかは、自分で考えるしかなく、その為には差別というものを一度、全くの偏見を排除したニュートラルな位置に置く必要があります。しかし、普通の生活の中で、あるいはこれまで受けてきた教育の中で、被差別者に対して、少しでも都合の悪い意見は全く許してはいけないという風潮がありました。これでは、かえって新たな偏見を生むことになり、ニュートラルな考え方すら排除するばかりか、逆差別の基になります。偏見を無くすには、そういったことも意識しなくてはいけません。
ここで、哲学とは徹底的に偏見を排除するプロセスであります。個人的には、差別感情と向き合うには、差別の基にある嫌悪感等の感情を一度ニュートラルな位置に持ってきて、自分の頭で考えて、それに慣れること、マイナス感情を自分の中で希釈化することが第一歩だと思います。
本書は、そういった、どうすればよいか?を考える機会にするのに、いい本だと思いました。 -
差別はなくならない。
優れた資質を持つ者は、そうでない厖大な人々に対して、とりわけ劣悪な資質のもとに生まれた人々に対して負い目を持たなければならない。
自己批判精神をもって考え続けること。