水死 (100周年書き下ろし)

著者 :
  • 講談社
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感想 : 29
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  • Amazon.co.jp ・本 (450ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062154604

作品紹介・あらすじ

終戦の夏、父はなぜ洪水の川に船出したのか?母が遺した「赤革のトランク」には、父親関係の資料が詰まっているはず。それらを手がかりに、父のことを小説に書こうとする作家・長江古義人。過去を持つ若い劇団女優との協同作業を通じて、自らの精神の源流としての「深くて暗いニッポン人感覚」を突きつけられる長江-。そして、やがて避けようもなく訪れる、壮絶で胸を打つクライマックス!初めて書かれる父の肖像と水死。

感想・レビュー・書評

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  • うーむ、これは『細雪』超えたかな。

    私の大江健三郎は『見るまえに跳べ』なんです。外人部隊に参加することを熱望する学生に心打たれた兵隊さんが「じゃあ一緒に行こう!」って手を差し出すやその学生さんうつむいて「行けません」っていうの。それ書くんかぁってねぇ。

    で、この『水死』です。ああそれ書いちゃうんだぁですよ。大江さん60年前とまったく変わってないんですよ。もっと言えば子供の頃から変わってない? 9歳の時にお父さまを亡くされてるのですが、その死因について作家人生をかけて書きたかったと。しかしそれだけは書いてくれるなという母親と断交しちゃうんですね。その理由が語られるわけですが、ネタバレということではなく、書けん!

    悪意の度合が深すぎる。よほどの露悪趣味者で虚無主義者なんでしょう。しかし実は極端に死を恐れる人なんじゃないかな? あんときの学生さんとおんなじ。そういうふうに読む者に思わせちゃうあたりがまたズルいんだよなぁ。「それが人間だもの」って感じ。ゆえに極上の小説です。民話? 説話? わけわかりませんが、間違いなく日本の究極ファンタジーです。最後に大江さんの皮をかぶって結論を書いてしまいますが、国家は国民を平気で強姦します。

  • 村上春樹があれほど売れるのであれば、大江健三郎も同じくらい売れてもいいのにな、と心底思う。ある意味で、村上春樹の物語性も大江健三郎のそれも、共通している部分が多くある。と僕は捉えている。テーマとして、何を書きたいのか、という部分においても。非常に似通ってやしないか、と。そして、今、僕が読みたいのはこっちだな、と。アンチクライマックスであり、アンチカタルシス。しかし、そこには確実にクライマックスが存在するし、カタルシスも存在する。矛盾。レートワークから僕は大江健三郎に入っている、潜っているわけだけど、作中にあったような、読み手を限定してしまっているような、感触はない。わからなくても、大体わかるし、そこには確実に面白みがある。この感じで、僕は上流に上流へと遡上していこうと思っている。(10/4/25)

  • 大江を読むのは二冊目。敬遠していたわけではないけれど、なんとなく読む機会がなかった。
    でも、今回読んでみて思ったのは、大江の文章はうまい、ということだ。一冊目を読んだ時の感想は忘れてしまったけれど、ああ、こんなにいい文章を書く人だったか、と改めて思った。
    内容は多分私小説的なのだろうと思うけれど、そして私小説自体には興味がないけれど、彼はまさに純文学作家として、内容よりも言葉で勝負をしている。内容が無いというのではなく、日本語はこんなにも美しい、ということだ。

  • 2021.10.12 図書館

  • 「死んだ犬を投げる」

  • どこまでが事実かどうか、定かではなくとも、そのリアリティのあまり、他人の人生を覗き見ているような、罪悪感ときまりの悪さをおぼえる。だからかえって読むのをやめられない。息子アカリさんと「私」との軋轢など、あまりに生々しい。けれどもこれが同時に壮大なフィクションであるということに、驚きを禁じえない。

  • 大江健三郎の私小説風の作品。
    氏の他作品では「見るまえに跳べ」を読んでなかなか楽しめた記憶があるが、この本を読んでの感想は、大江健三郎はこんなに読み辛いものだったか?というもの。
    正直な話、特有の回りくどい文体と、難解な内容との見事な連携のお陰で一割も理解出来てない。じっくり取り掛かれば違うのかも知れないが、おそらく読み直す事はないと思う。

  •  作品が発表されてすぐ入手したが、読むのをずっと中断していた。このたび一挙に読み終えた。
     思いっきり大江健三郎ワールドなので、大江健三郎の著作をこれまで読んでいない人が読むとちょっときついかもしれないが、丹念に読めば、大江健三郎の入門として最適かもしれない。2010年3月に放送されたNHKの100年インタビューを見てから読むと背景など良く理解できるのではないか。
     主人公は、長江(ちょうこう)古義人。小説家で、大江健三郎本人と思いっきりダブる。幼少時の呼び名は「コギー」。瓜二つのもう一人の「コギー」がいたそうだ。もう一人の「コギー」は、あるひ、森に上っていっていなくなってしまった。 自分の父親のこと、つまり水死について書くことが長年の目標であったが、若いころは母親の反対もあって序章だけ書いてそのままにしていた。また、父親の内面に焦点をあてた「みずから我が涙をぬぐいたまう日」を小説として発表したが、これは結局、母親の怒りを買うことになってしまった。今回、母親が亡くなってから10年が過ぎ、母親が残した「赤革のトランク」に保存されている父親にまつわる資料を調べることが可能となり、いよいよ水死について書こうというわけである。ところが、いざ「赤革のトランク」を開けてみると期待していたものは何も入っていなかった。母親がすべて時間をかけて処分してしまっていたわけだ。なぜか。そして父親はなんのために死んだ。水死小説はどうなる。話がどんどん展開していく。

  • 装丁が、本編の中でキーとなる「赤革のトランク」を模したものであることに気付いたとき、わたしは駅を出て小脇にそれを抱えていたので、
    トランクを携えている気分になり感慨深かった。

    古義人にやっと父の水死小説の材料が入っているとされる赤革のトランクを渡される約束の、母の死後10年め。
    水死小説と並行して演劇を作ろうとする若い劇団員からのアプローチがあり、彼らの演劇に深く関わって行く古義人。

    これまでの小説の登場人物や出来事が(過去の出来事として)再び現れる、レイトワークにふさわしい作り。

    でも、大江さんの作品の読後にいつも感じる浄化感が感じられないので、評価は難しい。
    演劇が中止されるからなのか、悲劇が繰り返されるからなのか・・・?

    頭が活性化されるのはいつもの通り。引用部は脈絡がないようだが、あっ、と刺激を受けた箇所をみな引用しておきたい。(一部傍点を表記できず「」でくくってあるのはご了承ください)

  • 最近、香川照之さんが好きです。草野正宗さんとか、大杉漣さんとかが好きだったんですけど、一年ほど前、『坂の上の雲』で正岡子規氏(卒論のテーマにもした)を演じられた姿が、私の思っていた子規どおりの姿で、それでとても気にしていたら、その次の『龍馬伝』では、全く違う役柄で演じられている姿が、面白くてすっかり好きになってしまいました。

    清潔感のある、香川さんの姿が勿論よいと思いますけど。(笑)

    正岡子規の俳句は勿論よいのですが、『仰臥漫録』というエッセイ(日記風の)が本当に大好きで、それは、子規は晩年の数年間、有名なことですが、結核が悪化して寝たきりで、これらの俳句や文学を描き出していたわけです。風景を『写生』して詠む子規は全くどこにもいけないどころか、全く動くことも出来ない、寝返りさえ痛い、というハンディを背負って、作品を出していたのです。私はそこに引き付けられたものでした。

    なので、息子に障害があることも、ある意味前向きに受け入れられる部分があります。

    ハンディは誰にもその辛さはわからない程の、あまりにあまりに辛い現実で、だからこそ、心が透明になる、大切なことを他人にメッセージとして伝えて行ける、そう、正岡子規の作品から読み取っていたからです。

    その子規と同じ故郷で生まれ育った、日本の宝がこのノーベル賞作家なのですけれど、今、また同じ松山を舞台にしているこの小説に出会ったことを、運命に思います。

    難解であることで定評のある、大江氏の小説は、一度とっつくと、止まらない凄さにぐいぐい引き込まれてゆきます。とはいえ、まさかこのハードカバーを一冊読みきることを予想していないくらい、最初は難しいと思いました。

    長江という小説家の主人公(大江自身を描いたような私小説風な)が、父親の小説を故郷に帰って書こうと思ったところが、それをきっかけに出会った劇団員とその劇団に属する女性とのかかわりと平行して、次々解って行く真実と自分自身のありようを支えて行く為の、自分自身の実在そして、時代が女性上位になることで、女性が新たに受けつつある旧い受難と新しい受難を畳み掛けるように、描いて行きます。

    私は約二十年前に書かれてとても好きだった『新しい人よ眼さめよ』という小説のその後を知りたいと思っていたので、その時高校を卒業する頃だった知的障害の息子さんの、現在の姿が描かれていて、やはり小説のなかでは、非暴力の象徴で描かれていて、とても共感しました。

    私の考えは、非暴力こそ、この先の平和主義であるということなので。

    右翼も左翼も、暴力的に自分の立場を主張すれば、結局極端な状態で同じになるということを、養老孟司さんの『バカの壁』を読んでよく解ってから、だんだん、こんな考えに至りました。

    でも、非暴力を何より平和主義で大切だと思うのは、女性上位だからこその考えかもしれず、そうなると、起る新たなる受難への、新しい救いの小説にも思えました。

    今の若い小説家でも、これほど刺激的で過激で、様々な現実的な強い想いをパンチをかけて小説を書ける人はいないだろうなと、七十五歳の大江氏をスゴイと思いました。

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著者プロフィール

大江健三郎(おおえけんざぶろう)
1935年1月、愛媛県喜多郡内子町(旧大瀬村)に生まれる。東京大学フランス文学科在学中の1957年に「奇妙な仕事」で東大五月祭賞を受賞する。さらに在学中の58年、当時最年少の23歳で「飼育」にて芥川賞、64年『個人的な体験』で新潮文学賞、67年『万延元年のフットボール』で谷崎賞、73年『洪水はわが魂におよび』で野間文芸賞、83年『「雨の木」(レイン・ツリー)を聴く女たち』で読売文学賞、『新しい人よ眼ざめよ』で大佛賞、84年「河馬に噛まれる」で川端賞、90年『人生の親戚』で伊藤整文学賞をそれぞれ受賞。94年には、「詩的な力によって想像的な世界を創りだした。そこでは人生と神話が渾然一体となり、現代の人間の窮状を描いて読者の心をかき乱すような情景が形作られている」という理由でノーベル文学賞を受賞した。

「2019年 『大江健三郎全小説 第13巻』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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