神宮の奇跡

著者 :
  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (310ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062150484

作品紹介・あらすじ

50年前、天皇家と神宮球場で同時に「ふたつの奇跡」が起こった。
高度経済成長前夜、「戦後」を断ち切るかのように起こったその奇跡とは――。
ベストセラー作家が渾身の取材で描き出す「青春群像」と「あの時代」。

昭和33年11月、東都大学野球1部リーグは三校が同じ勝率で並び、前代未聞の巴戦による優勝決定戦に突入した。
中央大学、日本大学、そして学習院大学。一人の甲子園球児もいない学習院大学は、のちにプロ入りするメンバーが
ずらりと並ぶ強豪に敢然と立ち向かった。
そのマウンドを守ったのは、引き揚げの時に父や妹たちを失い、天涯孤独となって祖国日本へ帰り着いた井元俊秀だった。
戦争を引きずった若者たちが必死に強大な敵に立ち向かっていく中、それを応援し、見守った皇太子殿下(今上天皇)も、
大きな“闘い”を抱えていた。
3度も繰り返された優勝決定戦の末に学習院大学が偉業を成し遂げた時、「天皇家」にももう一つの奇跡がもたらされていた――。

「皇太子妃・正田美智子」が発表され、日本中が「ミッチー・ブーム」に沸き返るまでの知られざる物語。
それはまさに、日本が「戦後」を払拭し、爆発的な発展に向けて走り始める「瞬間」の出来事だった。
日本が夢と希望に満ちていた時代の「奇跡」が、現代に問いかけるものとは――。

「プロローグ」より

「これで死なないですむ……」
頬がこけ、顔色は青白く、ボロをまとった一人の少年が、釜山からの引き揚げ船「徳寿丸」からこの地に降り立ったのは、
昭和二十一年六月二十一日のことである。
「本当に日本に帰ってきた……」
わずか九歳に過ぎないこの少年が祖国の地を生きて踏んだこと自体が奇跡だったと言えるだろう。
血のつながった肉親を失い、事実上の天涯孤独となって日本に辿り着いたこの少年は、乗船した釜山港で、ダニやノミ、虱の
退治のために身体が真っ白になるまでDDTをぶっかけられた。過酷な逃避行によって痩せさらばえ、栄養失調に近い哀れな姿を
博多港の潮風に晒していた少年は、それから十二年後、学生野球のメッカ・神宮球場のマウンドに立っていた。
昭和三十三年秋――。
逞しい

感想・レビュー・書評

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  • 朝鮮からの逃避行には得も知れぬ緊張感を感じたが肝心の野球シーンが若干迫力不足であった。
    一癖も二癖もある人物が集い、話も二転三転する素材の面白さがありながら、非常にもったいない。
    筆者はジャーナリストであって、スポーツノンフィクションライターには向いていないのかもしれない。
    淡々とした描写のため、野球ドキュメントとしては読んでいて臨場感を感じない。
    「ツーアウト満塁で〜がタイムリーを打った。」
    では読み応えのないスポーツ新聞を見ているようであった。

    筆者屈指の取材力は随所に感じたが。。。


    脚本で化ける映画やドラマなどの題材にはなりそうたが、スポーツノンフィクション小説としてはあともう一歩。

    もうひとつの軸に皇室や高度成長期を選んだのもなにやらありきたりでナンセンス。

  • 昭和33年当時の皇太子(今上天皇)の婚約が発表され日本中が沸く中、皇室御用達の大学である学習院大学野球部が東都大学リーグで奇跡の優勝を果たす。大学野球部の優勝と皇太子の婚約はどちらも大逆転で同時進行で進んだものだったというノンフィクション。
    とても興味深い内容でいくつかあげると
    ①優勝時のエースは終戦後朝鮮からの引き揚げ者で、義母が信者だった関係でPL教団の寮で暮らし、PL学園の第一期生となり、野球部を創設した人物。大学卒業後、PL教団に就職しPL学園野球部の監督に就任し、甲子園初出場を果たす。その後本格的に野球の勉強と人脈作りのため、スポーツ新聞の記者に転身しその後PLに戻ったあと、その人脈をもとに有力選手をPLに呼び寄せ、常勝PLを作り上げた。
    ②今上天皇の侍従には戦前東京帝国大野球部で活躍した野球選手で、今上天皇とその学友に野球の手ほどきをした。その学友の一人が学習院野球部を一部に引き上げ、初優勝したときのメンバーをスカウトしたり影響を与えた。その後今上天皇は周りの学友たちが戦後の野球ブームで上達していくなか、他の学友全部が始めたばかりのテニスを進められたことにより、テニスに打ち込むようになった。そのまま野球を続けていたら、今の皇后との出会いはなかった?
    門田隆将さんのノンフィクションは読み応えのあるものがおおいですが、本作もとても興味深いものでした。

  • 昭和33年11月、学習院大学野球部が東都1部リーグで優勝した。この奇跡には、3日後に婚約発表をした皇太子も含めた数々のドラマがあった…。高度経済成長前夜、「戦後」を断ち切るかのような死闘を渾身の取材で描き出す。
    人気の六大学に対し、実力の東都と呼ばれる戦国リーグで、野球エリートではない普通の男たちが成し遂げた50年前の奇跡が丹念に描かれる。戦争の傷跡を引きずるナインの出自の物語、肉親や師の情愛が胸を打つ。中心人物のその後もまた劇的だ。皇太子(今上天皇)が母校の応援に神宮へ駆けつけていたエピソードに驚かされる。ノンフィクションの力を見せつける佳作。
    (A)

  • 最近の興味があるテーマの一つに、「戦争が日本人に与えた影響」がある。
    日本の戦後復興を支えた偉大な経営者たちは、戦争による体験が
    強烈な原動力になっていることが多い、という印象からだ。

    本書では、戦争で命からがら生き延びたり、実の親と生き別れになったり
    した体験を野球に対するエネルギーに振り向け、学習院大学を
    見事東都リーグ優勝に導いたストーリー。

    主人公の井元がPLの黎明期を作り上げたこと、皇室内のやりとりうんぬんが
    わかっておもしろかった。

    井元の「野球は、命までとられませんから」というセリフに象徴されるように、
    いざという時の度胸を戦争が与えた。現代人の生活ではこのような強烈な
    体験は不可能だ。戦争は忌むべきだし、容赦なく命を奪っていくが、
    自分にもこれほどの体験があれば、と思ってしまう。

    桑田、当時17歳。「努力するということが『才能』。自分にはその才能がある」

    殿下「自分は生れと境遇からも、どうしても世情に迂く、人に対する思ひやりの足りない心配がある。
    どうか、よく人情に通じた、思ひやりの深い人に助けてもらいたいのだ」
    この謙虚さ、素晴らしいと思った。このような方が日本の天皇として、各地に慰霊訪問をされた。
    天皇もまた、戦争体験を日々の生活の原動力にされてきた。

    平和な時代に生まれた我々は、戦後の日本に何を学び、何をしていくべきなのか。
    今は命を理不尽に奪われることも少ないし、物事を強制されることも少ない自由な
    環境で暮らしている。その幸せが存在する前提となる先人たちのことをより理解する
    必要がまだまだあるのではないか。

  • 母校の本
    めったに本になることないので☆4個

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著者プロフィール

作家、ジャーナリスト。1958年、高知県生まれ。中央大学法学部卒業後、新潮社入社。『週刊新潮』編集部記者、デスク、次長、副部長を経て2008年独立。『この命、義に捧ぐ─台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡』(集英社、後に角川文庫)で第19回山本七平賞受賞。主な著書に『死の淵を見た男─吉田昌郎と福島第一原発』(角川文庫)、『日本、遥かなり─エルトゥールルの「奇跡」と邦人救出の「迷走」』(PHP研究所)、『なぜ君は絶望と闘えたのか─本村洋の3300日』(新潮文庫)、『甲子園への遺言』(講談社文庫)、『汝、ふたつの故国に殉ず』(KADOKAWA)、『疫病2020』『新聞という病』(ともに産経新聞出版)、『新・階級闘争論』(ワック)など。

「2022年 『“安倍後”を襲う日本という病 マスコミと警察の劣化、極まれり!』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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