- Amazon.co.jp ・本 (222ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062141772
作品紹介・あらすじ
時は幕末。天候の偶然により土佐から流され、アメリカの捕鯨船に助けられた少年万次郎。日本を離れ、民主主義の勃興する当時のアメリカで教育をうけた彼は、命を懸けて鎖国体制にあった祖国への帰還を志す。日本国という概念のいまだ確立していない幕藩体制において、初めて「日本人」として、さらに唯一グローバル・スタンダードを体得した者として幕末維新を生き、母国のために己のすべてを尽くした男の真実は、現代に生きる我々の、心強い道標となる。
感想・レビュー・書評
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ジョン万次郎というは歴史の流れの中では画期的な存在であるは図だが、日本史においては、それほど重要な存在という扱いを受けていない。直接的に歴史の表舞台での出来事に関与したのは、日米和親条約の交渉時に裏方として翻訳作業を行った事、そして臨海丸の往復での無難な航海に貢献したこと位しか記録にないからであろう。しかし、幕末の大きなうねりの中で、万次郎が直接謁見した、薩摩藩主の島津斉彬、土佐藩主の山口容堂、幕府老中の阿部政弘などは、アメリカを直に見て来た唯一の日本人から伝え聞く話に大きく影響を受けたはずである。
遭難した当時、日本は未だ鎖国状態でちょんまげの時代にアメリカを訪れた万次郎が見たものはどれも驚きだっただろう。鉄道が走り、電話がある社会。市民の多数決による民主主義。
万次郎は、あたかもそれは必然でもあったかの如くの多くの偶然が重なり歴史に名を残すことになる。鳥島で遭難したのは万次郎の他に年長の仲間が4人いたが、ハワイで十年の年月を過ごしたにも関わらず、帰国後は歴史の舞台には一切登場する事は無い。万次郎は、その冒険心と向上心に富んだ前向きで勤勉な性格だった事、遭難当時16歳であり、日本での生活をそれなりに理解している年齢だったと同時に、あたらしい事を吸収するだけの若い年齢でもあった事。また、遭難した一行を救ったのが経験豊富で優秀かつ慈悲溢れるホイットニー船長であったことも見逃す事が出来ない。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
アメリカの捕鯨船に助けられた万次郎ら5人。万次郎以外は靴は痛いと船長の前以外では履かなかったが、万次郎は履き続けた。ここではそれが常識だから。
(引用途中で図書館に返却してしまった…)
名前しか知らなかったジョン万次郎。学校で習った記憶はあったが、具体的に何をした人か知らず、気になって借りてみた。とてもロマンがあり、面白かった。興味の赴くままに、勇気をもって、時代の先を読んで突き進んだジョン万次郎。やはり偉人だ。 -
ジョン万次郎の偉大な業績を初めて知った
この人によって明治維新がなされたと言っても
過言ではない気がする。 -
ジョン万次郎の曾孫が書いた万次郎伝。
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山本一力の「ジョン・マン」の続巻がなかなか出ないので、こっちを読んでみました。著者は万次郎のひ孫にあたるそうです。遭難してから、アメリカで教育を受け、ゴールドラッシュにカルフォルニアに赴きで金を貯め、鎖国中の日本に死罪のリスクを犯して帰国。幕末の日本で演じた役回りと、その後、没するまでの人生が簡潔に物語仕立てでまとめられており意外に面白かったです。ちょんまげの時代に見た鉄道や電話などにはさぞかし度肝を抜かれた事でしょう。
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ジョン万はかなり好きで、井伏鱒二童門冬二星亮一松永義弘中浜博いろいろ読んだけど、読む本ごとに何か新しい発見があります。人によって見方も書き方も違うし。この本は特に「ジョン万はその時何を考えていたのか」を考えながら書いていて、共感したり疑問を持ったりしつつ、よりジョン万を身近に感じたように思います。
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ラボ45周年記念ライブラリーはジョン万次郎が題材。
会社の蔵書だが、こそっと借りてきて読みました。(別にこそっとしなくていいのだが)
他に読んだジョン万次郎ものより、ちょっと違うエピソードなどもあっておもしろい。 -
産業革命後のヨーロッパ、アメリカは潤滑油の原料として鯨を捕りまくっていたんですね。それも肉は食べずに捨てていた。それが今では反捕鯨。
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鎖国時代に漁で遭難したのをきっかけに米国に渡り、英語を習得して帰国。幕末の重要な交渉に身を置き、福沢諭吉らに西洋の文化を伝え、常に海外の息吹を明治人に伝え続けたジョン万次郎。彼の子孫に当たる方が執筆しているようだ。類書を読んだことがあるが、ひと味変わった角度から書かれている。