秘密: パレスチナから桜の国へ母と私の28年

著者 :
  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (251ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062108591

感想・レビュー・書評

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  • ブログに掲載しました。http://boketen.seesaa.net/index-2.html検索すると重信メイは、帰国した次の年に『秘密ーパレスチナから桜の国へ 母と私の28年』(講談社、2002年)という本を上梓している。
    入手して読むと、その文章のうまさに感じ入った。たぶん、高校生レベルの日本語能力の時に書いたのではないかと思われるが、むずかしい言いまわしやこじゃれたレトリックはいっさいなく、たんたんと力強く、母と自分のこれまでを書き、いま、小菅の東京拘置所で面会している姿を伝えている。
    感動的な本だ。

  • ・日本に到着した時、私は大谷弁護士から、「お母さんの家族とはすぐに会えないかもしれない」と告げられていた。さびしいけれど、それは嘆いても仕方がないことだと自分に言い聞かせた。ところが翌日、先生といっしょにいた時、先生の携帯電話が鳴った。先生は、何やら話したあとで、「伯母さんからよ」と言って電話を渡してくれた。伯母の声は母よりももっとやわらかく聞こえた。「たいへんだったわね。元気?」と声をかけてくれた後で、「週末に泊まりにいらっしゃい」と優しく言ってくれたのだ。
    天にも昇るほどうれしかった。私の興奮と喜びを、わかってもらえるだろうか。

    28年生きて初めて、親戚に会う。親戚は受け入れてくれ、優しい言葉をかけてくれる、その感慨はもちろん身に沁みる。
    でも、そう、「私の興奮と喜びを、わかってもらえるだろうか」なのだ。そんなに、伝わらないと思うほどに、深い感慨。

    その後親戚皆と一度も会う事が叶わなかった祖父の墓参りに行く。そこで、「おじいちゃんに一度も会うことができなくて、とても残念に思っています。だけど、こんなに立派な家族を作ってくれてありがとう。いつの日かきっと、お母さんといっしょにおじいちゃんに会いに来ます。いつまでもいつまでもおばあちゃんを守って、長生きさせてあげてくださいね」と声をかける。

    宗教も儀式も廃れてしまった感のある昨今だけれど、こういう事のために存在したのだ。会いたくても会えないまま死んでしまった人とまた会うために。

    人との繋がりが希薄になるっていうのは、つまりたくさん身近にありふれているという事。それを広げたいとも思わない。そもそも自分の存在にすら価値を感じない。命がありふれている、つまり平和なのだ。ソーシャルなネットゲームであれだけ人が繋がれるのは、共通したクエスト、ぶつかる壁を求めているからだろうか。その繋がりとクエストは人の思考を高めるだろうか。
    (この訳の分からない感想は、直近にジョーゼフ・キャンベルとbtooomを読んだせい。)

  • 重信房子逮捕のニュースは覚えている。あのサムズアップ姿に、ご多分に洩れず「逮捕されたってのにふてェ野郎だ」と思ったくちだったのだが、なるほど、健在を伝える娘へのメッセージだったのか。

    著者が28年間無国籍だったことも、当時の報道で知った。その実態は、大変な人生だっただろうなあ…などと漠然とした想像を絶するものだった。
    単に無国籍であることのみならず、常に尾行に怯え、居場所を転々とする生活…移動する時は、それ以前の人間関係はすべて断ち切って…などと、私たち「普通の日本人」にとっては、スパイ小説か映画の中でしかお目にかかれないしろものだ。

    そのような辛酸を舐めてなお、著者は「元凶」である母を愛し、尊敬している。物心両面で厳しかったにもかかわらず、著者がなつかしげに回想する日々の賜物であろう。
    それを洗脳と呼ぶ人もいるだろうが、そもそも子育てとはそういうものであり、その伝に倣うなら、私たちだって同じく「洗脳」されてきたのだ。

    とまれ、幾重もの自己否定に取り憑かれてもおかしくない境遇にあって、彼女のポジティヴさは稀有のものに思える。
    そしてまた、ゴリゴリの「革命戦士」に「洗脳」されてもまたおかしくなかったのに、その絶妙のバランス感覚には敬意を表したい。
    (著書から受ける彼女の印象は、知性と良識と日本人の片親を持ったアラブ人女性、である。そのおいたちからいって当然のことながら、やはり彼女のバックボーンは、アラブにあるのだと思われる)

    それだけに、彼女自身が母に叫んだという「なぜあなたたちは、そういう闘い方をして、生き方を狭めてしまったの」という科白は重く響いた。
    正義を名のりたいのなら、やはり、正しくあらねばならないのだろう。

    2012/11/23読了

  • トークショーに彼女が出演されるということで図書館で借りて来たものの、彼女が背負っていた秘密の重さになかなか本を開くことが出来なかったある日、ようやく開けてみた彼女の人生はたくさんの人の愛に包まれていたことがわかった。そして、母の愛。母への愛。
    日本赤軍 重信房子氏の娘として生まれたメイさんは28年間国籍をもたず、危険となれば国さえも転々としている生活とはいえ、この本からよみがえってくるのは、あたたかい光と彼女自身にみなぎる前向きなまなざし。

    「弱い人たちを助ける」ために行ったはずのパレスチナで果たして力わざで助けることが出来たのか、70年代の反省、そして法廷での911テロを受けての発言で「微力であれ、昔、暴力に希望や幻想を託した自らの過ちを省みるが故に、それを訴えたいと思います」という言葉を重信房子氏は残しているという。
    トークショーで軍事ジャーナリストの加藤健二郎さんがメイさんに「戦うことが不毛な結果を生むことに、国民は気づくことはないのか」という質問に「だけど現実にそうは言っていられない人々がいる。明日の食べ物を得るためには戦わないといけない」というようなことを言っていた。

    現在、ジャーナリストとしての活動で培って来た人々のつながり、また聡明で生き生きとした姿に、もはや「重信房子の娘」という事を忘れ、ただ、メイさんの言葉を聞いていることを感じる。

  • 奥平剛士という人が気になった。→と思って調べてたら高山文彦氏がこの辺りを連載して執筆中ということを発見。現在掲載中のところまで一気読みしてしまった。

  • 最後の方、親戚に会うところ感動した。最近テレビで見て借りてみた。非常にわかりやすい解説だった。(本じゃなくてね)

  • 私にとって生まれる前の出来事である日本赤軍の事件は遠い昔の出来事だ。
    私が日本に生まれ、平穏に生きてきた同時期に筆者が重信房子の娘として身分を隠し、生きてきたとは読み終わった今でも信じられない思いだ。
    「母たちは方法をまちがえ、そのために思いを十分に伝えられなかったという悔念の思いが強い」という一文があったが、その言葉どおり、アラブの世界では英雄である日本赤軍の思想、起こした事もはっきり理解する事ができないでいる。

  • 日本赤軍あまり知らない。
    テロリストと言われる人も子供にとっては自分を守ってくれるそして尊敬できる母親難だよなぁ。。
    いろんな人がそれぞれの正義を持ってるって本当に複雑

  • アラブ世界では“英雄の遺児”で通る彼女は、イスラエルの報復をおそれ、母・房子と離れ幼少から青春までを過ごした。房子逮捕ののち「有名になることで身を守る」ため、国籍を得ようとする彼女に立ちはだかる困難…
    レバノンはアラブ世界で避暑地であるという。涼しく林檎の木もあるそこで、父親は不問で「産まれる」と宣言され、皆に祝福された重信房子の娘=メイの自伝。

    アラブ人は人なつこく、あけっぴろげで秘密を持てないという(日本でも戦前はそういう社会だったろう)。彼女はハーフとはいえ日本人に見えない顔立ちだが、母が日本人ということは絶対に明かしてはならない秘密だった。それと、実の父は目を合わせるとわかるが、それも口外できなかったという。小学校でも友達を家に呼ぶことも出来ない。転校を繰り返し…。その「秘密」が彼女の人格を形成していった。


    1972年5月テルアヴィブ空港襲撃は、イスラエルの国際社会への公式発表では「一般乗客に無差別乱射したテロ」だが、テルアヴィブは半ば軍事空港であり、日本赤軍側は「管制塔を占拠し破壊した後、飛行機を奪って生還する」というわずかな成功の可能性に懸けた作戦行動だったと言う。ほとんど絶望でも生還の可能性があったというのなら死に場所を求めてということも含め理解は出来る。「英雄は悲劇的な最期で完結し伝説となる」その「壮挙」で戦死した奥平を心の父とし、実の父親を含む複数の男性が彼女を育てた幼年、少女時代の具体的描写が興味深い。抽象的革命理論を説教する母の手記と違って地に足の着いた平和志向がみずみずしい。アラブはイスラム一色というわけでもなく、イスラムもサウジアラビアのような厳格主義もあれば、ラマダーン断食をしない一派さえある。酒盛りもあるようだが?

    この文章(疑って悪いが)自分で書いたとすれば、おそろしく日本語に堪能。彼女の複雑な境遇が言語知能発達をうながし、「書くべきこと」をもたらしたのだろうか。

    アメリカン大学というレバノンのキリスト教の大学で学び、まさに文化の架け橋となる有為の人材ではある。知ってる人からすれば分かりきったことかも知れないが「シーア派かスンニ派か、直接本人に聞いてはならない」「出身地、行った大学など遠回りに聞いて推測する」というのは知らなかった。そういう常識の集成(に加えて深い考察)が外交手腕となるのかも知れない。彼女に活躍の舞台を与える国は利益を得るだろう。

    人権の徹底しているヨーロッパでさえ拉致/暗殺を行っている(らしい)イスラエル秘密警察から身を守るには、重信房子は日本の監獄に居る方が安全かも知れない。房子は日本人であり一部の人には「誇り」でさえある。それにしてもテロリストの前科を持つ閣僚ライラが彼女の法廷で弁護証言に立つとは。それにしても無国籍のメイが日本国籍を得るのは困難を極めた。DNA判定が無ければ不可だったかも知れない。

    イスラエル側から言えば、1948年時点でパレスチナに「ユダヤ教徒10万、イスラム教徒4万、キリスト教徒2万5千」と言われていたから「イスラエル建国」は絶対無理筋というわけでもない。ただし「紀元135年ユダヤ王国の壊滅で、ユダヤ人はパレスチナから追放された」=ディアスポラは伝説で、じっさいにはユダヤ教をやめて現地に溶け込んだ者の子孫が「パレスチナ人」であるという。とすると台湾の外省人と本土人のような関係ということになるが。

    「言論の自由」のある日本でも、重信メイがパレスチナの子供たちの置かれている惨状について発言すると、イスラエル大使館から「テロリスト(の娘)に発言させて」というような抗議があるらしい。逆にイスラエルの理解支援の方だが、内田樹の『私家版ユダヤ文化論』にも、イスラエル領事館で彼が名を名乗ると「レヴィナス『困難な自由』を翻訳された方ですね」とほとんど売れていない哲学書のことを言われたというエピソードがある(レヴィナスは内田が会いに行って著書にサインを頼むと「土曜日は安息日だからできない」と言ったほど厳格なユダヤ教徒であった)。敵意の海に浮かぶ孤島のイスラエルには自らを毀誉褒貶する者をチェックするデータベースがあるのかも知れない。オランダ人が「他の国は神から与えられたものでも、オランダの国土は自ら作ったもの」というような調子で、イスラエルでは「安全は積極的に出て勝ち取るもの」という過酷な認識があるのだろう。過剰防衛が悲劇を招かないことを祈るばかりである。

  • 連合赤軍の重信房子の娘。
    大学の頃からアレルギーがあったけれど、重信房子が国外へ脱出してからこんな人生を歩んでいたこと、アラブの人にどう思われていたか、娘や仲間への接し方など、知らないことばかりだった。

    「どの人とも必ず分かち合えることがある」
    「全ての人と対等に接しなさい」

    など、自分達の暴力的な行動を反省し、家族に教えていた。

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著者プロフィール

中東問題専門家・中東メディア博士。1973年、レバノン生まれ。97年、ベイルートのアメリカン大学を卒業後、同国際政治学科大学院へ。来日後はアラブ関連のジャーナリストとして活躍。著書に『秘密―パレスチナから桜の国へ 母と私の28年』(講談社)などがある。

「2012年 『「アラブの春」の正体 欧米とメディアに踊らされた民主化革命』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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