ロング・グッドバイ 寺山修司詩歌選 (講談社文芸文庫)

著者 :
  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061982901

作品紹介・あらすじ

昭和二十九年、十八歳で「短歌研究」新人賞を受賞。二十一歳の時最初の作品集『われに五月を』を刊行。「天井桟敷」の設立ほか多分野に亘って人々を魅了した寺山修司の代表的作品群を新編集。詩、短歌、俳句、物語、散文詩の五章で構成し、未刊詩集、未刊歌集、絶筆、遺稿等を含め収録。「私という謎寺山修司エッセイ選」と対をなす決定版詩歌集。

感想・レビュー・書評

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  • *
    書くことは速度でしかなかった
    追い抜かれたものだけが紙の上に存在した

    読むことは悔誤でしかなかった
    王国はまだまだ遠いのだ


    ロング・グッドバイ/事物のフォークロア より
    *

    "祖国"の中に生きる「私」とは一体誰か?言葉が速度を持ち、重みを背負って空を飛ぶ


    *
    子供の頃、ぼくは
    汽車の口真似が上手かった

    ぼくは
    世界の涯てが
    自分自身の夢のなかにしかないことを
    知っていたのだ

    「懐かしのわが家(遺稿)」
    *

    かっこいい…

    言葉は、どこかにある世界の果てでも、永遠でも可能にする。

  • 詩集。

    有名な方だが未読だったので読んでみた。
    詩の世界の標準がわからないが、想像を超える
    比喩や表現がでてきて、小説とは違った世界が
    楽しめる。
    この人には何が見えていたのだろう。

  • ロング・グッドバイ―寺山修司詩歌選
    (和書)2011年04月19日 22:26
    2002 講談社 寺山 修司


    寺山修司さんの競馬の本とかさかさま何とか伝シリーズは読んだことがあったけれど詩とかはあまり読んだことがなく、取り敢えず手に取りやすかったこの本を読むことにしました。僕的にはかなり良い本だと思いました。言語による様々な表現が織りなされていて堪能できました。

    最近思うことは言語のよる表現とは当たり前だけれど虚構であるということ。それを最近は言葉で言われてそうだと思っていても考えることができなかったものがそういえば虚構であるということが考える上で前提にすることができるようになってきたことが大きな収穫だと思った。

  • どんな鳥も想像よりは高く飛べない。この言葉が載っている本に興味があって読んだのだが、他の詩はもう忘れてしまった。もう一度読みたい。

  • 表題のロング・グッドバイという詩が好きで、なんども読み返している。しかも気に入っているのは最初の二行。そういうものだと思う。でも、最初の二行はとてもかっこいい。

    血があつい鉄道ならば
    走りぬけてゆく汽車はいつかは心臓を通るだろう

  • 最高です。特に詩がいい!

    ちなみに、3/31日まで、世田谷文学館で、「帰ってきた寺山修司」展が開催されているそうです。

    寺山修司は戯曲、映画、エッセイもいいです。YouTubeにあがってる講演では寺山さん自身が彼の劇作を語っています!

  • 物語が特に印象深い。描写がどれも綺麗で読み入ってしまう。

  • 詩では輪舞、かずこについて、が好き。物語では浪曲新宿お七、が珠玉。書店にて文庫でこの値段は高ぇと思ったけど、とんでもない。

  • ぼくは
    世界の涯てが
    自分自身の夢の中にしかないことを
    知っていたのだ

    走ることは思想なのだ。あらゆるものは走りながら産まれ、走りながら死んだ。
    走り休息するには駅が必要だ。でも、どこにも駅はなかった。
    駅を必死に探しているうちに死んでしまう。駅こそは第二の「癌の谷」なのだ。

    遺稿を含んだ、心の闇とのたたかいの本。

  • 神奈川などを舞台とした作品です。

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著者プロフィール

詩人、歌人、劇作家、シナリオライター、映画監督。昭和10年12月10日青森県に生まれる。早稲田大学教育学部国文科中退。青森高校時代に俳句雑誌『牧羊神』を創刊、中村草田男らの知遇を得て1953年(昭和28)に全国学生俳句会議を組織。翌1954年早大に入学、『チェホフ祭』50首で『短歌研究』第2回新人賞を受賞、その若々しい叙情性と大胆な表現により大きな反響をよんだ。この年(1954)ネフローゼを発病。1959年谷川俊太郎の勧めでラジオドラマを書き始め、1960年には篠田正浩監督『乾いた湖』のシナリオを担当、同年戯曲『血は立ったまま眠っている』が劇団四季で上演され、脱領域的な前衛芸術家として注目を浴びた。1967年から演劇実験室「天井桟敷」を組織して旺盛な前衛劇活動を展開し続けたが、昭和58年5月4日47歳で死去。多くの分野に前衛的秀作を残し、既成の価値にとらわれない生き方を貫いた。

「2024年 『混声合唱とピアノのための どんな鳥も…』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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